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生死の境目を彷徨う

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事件は2002年2月某日の深夜に起こりました。

――なにやら腹が痛い。

しかし腹痛が持病同然の僕にとってはこんな事、日常茶飯事です。週に2,3回は経験し続けてます。
ですから痛いのなんか全然気にせず、普通に布団に入って寝ようとしました。



ところが。



今回はなかなか痛みが退きません。以前、ちびまる子ちゃんも言っていましたが、腹痛というのは通常、10分くらい経つと一旦痛みは退いていくモノなのです。(まぁその後また痛くなるんですが。)

おかしい。今日はずっと痛いぞ。しかも段々痛みが酷くなってる気がする。
ひょっとして盲腸かなにかではないのか? もし盲腸だとすると、アレですか? まさか微妙な部分の毛が剃られちゃったりするんですか!?



そう思った時点で何が何でも独りで痛みに耐える事を決定。



すでに時刻は深夜12時を回っています。もう1時間も腹痛と格闘しています。ここでさらに、僕のもう一つの持病とも言うべき頭痛が襲いかかって来ました。
なんでこのタイミングで……とも思いましたが、最後の持病である腰痛がやってこないだけマシと、自分を納得させることにしました。

頭痛と腹痛に耐える事、さらに30分。

なんとか、これらの痛みにも慣れてきた、と思ったその時、遂に第3の刺客が。
吐き気です。もう、それは今までに感じたことの無いくらいの。

やってられません。腹痛に頭痛に吐き気です。

流石にやばいと思い、薬を飲むことにしました。が、母親に出してもらった薬は使用期限が1991年でした。
とてもじゃないが飲む気にはならず、家中の薬を自分で探しましたが、そのほとんどが使用期限は20世紀のものばかり。



オイ。



今は21世紀なんだよ! 新幹線の動力は磁力じゃないし、脳にコンピュータ入れた人間が町中を闊歩してたりなんか全然してないけど、それでも今は21世紀なんだ!


そしてさらに薬を探す事しばし――唯一使用期限が切れてない薬が有りました。その名はバファリン。

仕方なくそれを飲みました。しかし「お母さんの優しさなんて生ぬるいモノで出来てる薬が、この凶悪なまでの痛みに通用するのか?」という疑問が僕に付きまとったのは言うまでもありません。

そしてその不安、的中。まったく効果ありません。

どうゆうことですか? 神様、どうして僕にこんな試練をお与えになりますか!? もう僕は迷える子羊状態です。
教会に行ってお布施して、お祈りしてもらわなくちゃ生き返れない、ザオラルが誰も唱えられないような弱小パーティーの一員になった気分です。

そして僕はとうとうトイレに駆け込みました。勿論、腹痛のためじゃありません。ええ、10分に一回のペースでやっちゃいましたよ。
しかし非情な事に、それだけ苦しんだにも関わらず、一向に気分が良くなる気配がありません。なぜだ!?





午前二時、ついに僕は病院に運ばれました。





緊急病棟に着いて、しばらく。なかなか僕の番が回ってきません。

30分ほど待ってようやく看護婦さんがやってきて言いました。
「今、ベットが全部塞がっちゃってるので、もう少し待っててくださいね」



絶望。



いや、しかし待ちましたよ。ここで喚いても仕方ないですから。いやー、俺ってなんて大人なんだ。

しかしそのさらに30分後。
「まだ先ほどの急患の方で手が一杯なんですよ。とりあえずレントゲン撮ってきてください」



絶望。



いや、しかし撮りましたよ。ここで喚いても仕方ないですから。いやー、俺ってなんて大人なんだ。

そしてレントゲンを撮ってくると今度はようやくベットに寝かされました。後は医者を待つだけです。




待つだけです。




待つだけです。




待つだけです。




待つだけです。




…………




…………




…………




…………




来ねぇ。




来ないよ、なんでだよ! どうゆうことだよ!?
てゆうか今までのこの対応、全然救急になってないよ!


ふうOKわかった。もうふてくされて、寝てやる。ああ、寝るさ。そうすりゃこの苦しみから一時だけでも逃れられるだろう。




……1時間後。午前4時。

僕はふと目を覚ましました。なぜか、ですって? それは気持ち悪さがもう限界ってことがわかったです。

看護婦さん呼ばなきゃ。

ええ、ちゃんとそう思いましたよ。そして、そうするように努力しましたとも。



でもね。



僕はこの時ほど、時すでに遅しという言葉に痛感させられた事はありません。
いや、別に、もうベットを汚していた、とかそうゆうわけではありません。それくらいの窮地は人生において何百回と経験してきたはずです。
しかし今の僕の状況、それは、少しでも声を出したら確実にやってしまう、そうゆう状況なんです。別に今はまだ何もしていない。しかもちょっと声を出せば最悪の惨劇は容易に回避出来る。

ただ問題は声が出せない。それだけだ。

なんというか、無力感をヒシヒシと感じてしまいましたよ。
これぞまさしく四面楚歌。まわりは敵だらけで、味方を呼ぶことが出来ません。
ただ、そんな僕もその時は気付いていませんでした。近くには時限爆弾がセットされていたことを。
声を出すことが出来なくて困っていた僕ですが、声を出さなきゃ良いってわけでもないのに気付きました。どんどんアレが喉に近付いてくる感覚があったからです。



完敗です。もう降参します。



ああ、やっちゃった。駆けつけてくる看護婦達。
「あらあら大丈夫?」


いえ、大丈夫ではありません。早く診て下さい。マジで頼むから。


そんな心の声も、口にする事は出来ませんでした。
とりあえず汚れた部分を拭き、ベットのシーツに保護膜みたいなものを取り付けてくれる看護婦達。僕は親に着替えを持ってきてもらうことにしました。


午前4時30分。

なんと、とうとう僕の所に医者が!
見た目はどうみても普通のショボそうなオジサンですが、この際関係ありません。でもきっと、娘には嫌われ、息子には頼りにされないタイプです。

でも大丈夫。僕は頼りにしてます。


「えーと、君、症状は?」
「昨日の深夜からお腹が痛くなりだして、そのあと頭痛と吐き気が……」
それはもう、熱心に話しました。そして説明が終わると。
「あーなるほどねぇ。食中毒だわ、それ。最近、牡蠣食べたでしょ」
「は、はい。確か2,3日前に」
「うん、それだ」



早っ!



二時間半待って、それだけですか? 流石大病院、恐るべし。
そしてその後、恐怖の出来事が。

「じゃあ、注射打って、その後、点滴するから」
注射!?


この男、何を言うかと思えば、注射とか言ってます。
実はですね、僕は注射が嫌いです。どのくらい嫌いかと言うと、ゴキブリ退治以上納豆未満てカンジです。分からないですか?
では、大学入る時の健康診断で血圧を測るとき、次が採血だということを知ってしまって、正常な血圧が測れなかったくらい嫌い、と言えば良いでしょうか? もう駄目なんです。昔から。
幼稚園の健康診断の時なんて、あまりに怖くて幼稚園中を上半身裸で逃げ回ってたような子供でした。


しかしながら僕ももう大人です。




逃げませんでした。




泣きませんでした。




でも、目は背けてました。


なんとか無事、注射も終わり、今度は点滴です。僕は二回程、入院経験がありますが、点滴は初めてです。そして、ある事実を知りました。


「点滴も針を刺すんですか!?」


「ええ、そうですよ」とニッコリ笑う看護婦さん。いや、そんなマックの無料スマイルみたいな表情されても僕は全然癒されません。


やっぱり目を背けました。


そして点滴の作業も終わり、後は寝て体力を回復するだけ、となったときの事です。さっきの看護婦さんの声が聞こえてきました。


「あら? さっきの注射器の針が無いわ」


僕は硬直しました。


いや、確かに他の何人かの看護婦も動きが一瞬止まりました。


そして看護婦が三人程、慌てて僕が寝ているベットに来て、注射針を探し始めました。僕は何となく、翌日の朝刊に記事が出てしまうような展開を期待しつつも、被害者として自分の名前が載らないかと心配になったことは言うまでもありません。

しばらくの間、必死になって針を探す看護婦達。
しかしなかなか針は見付かりません。すると、その中の一人が「先生が自分で処理したんじゃないかしら?」と言いました。


微かな希望が見えた、という表情の看護婦達。


丁度そこに、さっき、僕を診てくれた医者が通りかかったので、早速看護婦達が確認に行くと、「ああ、私が捨てといたよ」と、かなりのんきな声が聞こえてきました。

やはりこの医者、普段から良かれと思ってやったことが、周りにとっては裏目々々に出るタイプに違いありません。


何はともあれ、僕はようやく安心して眠ることが出来たのでした。

二時間ほど寝て、起きたのは午前7時。いくら遅く寝ても、早起きできてしまうのは、僕の長所であり、欠点でもあります。
あれほど酷かった頭痛や腹痛はほぼ収まっていました。見ると、点滴ももう残りわずかです。しばらくじっとしていると、点滴も終わり、もう帰っても良いと言われました。なので、普通に一人で歩いて家に帰りました。



さて、食中毒事件はこれで終わりではありませんでした。


自宅に帰ると、母親が朝食の準備をしていました。なんとメニューは牡蠣フライ。


おかしい。
僕が牡蠣にあたったということは、父親を通じて母親にも伝わっているはずです。なのになぜ牡蠣フライをこんなにもせっせと大量に作ってるんでしょう?
ひょっとしてまた新しく買ってきてしまっていたんだろうか、とも思いました。それにしたって、ずいぶんデリカシーの無い話ですが。


ところが真相は違いました。母親曰く、この牡蠣は、「この前の残り」だそうです。



絶句。



だって、それは、モロに僕があたったやつですよ!? なんでそんモンを今さら食べようとしているのでしょうか?
母親曰く、「あの時は自分も食べたが、何ともなかった。だからお前のは牡蠣じゃなくて、普段からちゃんと野菜とか魚とか食べないからだ」

恐るべし、科学リテラシー無し人間。

ちなみに僕は週に10食は魚を食べている事を付け加えておきます。
勿論僕は止めましたが、そんなのに耳を貸すような母親ではありません。父親は疲れて眠ってしまっていたので、もう他には誰も止める人がいません。
母親は一人で美味しそうに牡蠣を頬張っていました。


父親が起きると、母親は父の朝食にも牡蠣を出しました。当然怒る父親。そして、「じゃあ、食べなくて良いわよ!」といつも通りのヒステリックを怒る母。
我が家はいつもこんな感じです。


そして時は流れ次の日の夜。
僕が夜10時過ぎにバイトから帰って来ると、母親が苦しがっていました。食中毒です。すでに父親は帰宅していて、母に「自業自得だ」などと言っています。
それに対して母は驚くべき事に、「だってじゃあ、なんでこの前食べた時は何ともなかったんだ!」などと、未だに言っています。思わず、「ここまで頭が悪いのも立派なモンだ」と思ってしまいました。

結局母親は病院に行くほど悪化はしなかったんですが、それにしてもこのどうしようもなさはどうしたらいいんでしょうか?


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