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年の功

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何となく思ってしまったのは、「こんな僕でも一部の(でも複数の)人間にとっては、それなりに影響を与えてしまっているのだなぁ」という事である。

僕が某所で「この演者は駄目だなぁ」みたいなことを言ったら、2週間も経ってからだが、その演者の先生が心配そうに「ヤツのどこが駄目ですか?」とか聞いて来た。僕はどちらかと言えば「本当に問題だと思ったら当事者に言うタイプ」なので、そこまで本気でもなかった(別に冗談でもなかったが)のだが、まぁ言葉遣いが悪かったのは確かかもしれない。

他にも、何気ない一言で物凄くショックを与えてしまったりもしてしまったし、全く困った事である。(でも、重ね重ね言うが、君はそんな事を気にする必要は全くといっていいほど無い)

ところでこういう現象は、別に僕に(飲み屋で、切れた電球を替えさせよう、と提案するような)カリスマ性がある為ではなく、単に年齢が上がった事により起こっているのだと思う。つまり、「年の功」ってやつだ。「年長者の言う事を大切に」というのは現代日本で廃れ始めつつも、しかしなお根強く残る風習であるが、これはある程度説得力の有る事だと思う。やはりどんな世界でも「経験」というのは非常に大きく物を言うからである。

問題なのは、どのくらいの「経験」を積んだ人間が、どのくらいの「年の功」を発揮すべきなのか、という事だ。例えばサークルにおいて僕はもう何でも思ったことを言ってしまうが、そう出来るようになったのは昨年の発表会が終わった後であり、それまでは常に「こんな事言っていいのかなぁ」とか「こんな事まで手を出していいのかなぁ」という思いでいっぱいだった。多分、今の(もう少し前からかな)サークルの3年生は、丁度そういう辺りの時期なんじゃないか、と思う。だから色んな部分で不安定になって、そこかしこに歪みたいのが出始めたんじゃないか、と感じられる。

何だかこの日記を読んである3年生に「じゃあ、どうすればいいんですかー?」とか訊かれそうだが、そんなものは僕には分からない。僕だってそれは「現役を引退」という形で時間に解決させてしまった問題だからだ。だから僕が言えるのは非常に限定的な状況におけるアドバイスに過ぎない。たまにそれ以上を求められたりするが、そういう質問に関しては(「知らん!」と言うわけにもいかないので)、何だか適当な答えを誤魔化しながら答えるしかないのである。(だから通しの後でただ感想を求められるのはちょっと苦手である。「ルーティーンのここの部分をこうしようと思うんですけど、どうですかぁ?」とかいう風に、具体的ならいいのだけど)

で、まぁそれでも少し「分不相応な年の功」を発揮するとすれば、「まだまだ迷っててもいいんじゃない?」と僕は言う事になる。とにかく幾つもの局所的な事態に対処していけば、そうしていれば自然と「経験」は身に付いていく筈で、別にそれは発表会までに完成する必要なんて無くて、いつまでもとにかく成長し続けていって欲しいのである。

だってサークルでしょ? サークルのために君たち(僕たち)がいるんじゃなくて、君たち(僕たち)のためにサークルがあるんでしょ? だったら発表会なんてものですら、「通過点」でしかないはずだ。

(ここからは本論とずれます。いや、すでに一部ずれてるけど……)

ただ気をつけなきゃいけないのは、それぞれの「立場」があるってことで、例えば「発表会」では、「演者」とか、「スタッフ」とか、「OB」とかって「立場」がある。もう僕は「OB」って立場なので、「スタッフ」の立場のように一次的(一時的、ではない)に関わる事は極力避け、「メタスタッフ」としてやっていこうと思っている。というか、すでにそうしている。そうしないと下の学年の「経験」を無意味に奪ってしまう事になるから、僕はそういうことはしたくない。それを避けたって、僕はこれからも成長していけると思う。


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