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悩みに悩む

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本当は大して気にしなくても良い事がどうしても頭から離れなくて結局損をしてしまった、という経験はかなりの数の人たちによって体験され、そしてそれはすごく身近な問題だと感じられているのではないだろうか?

これを解決するためには余計な事実を頭から追い出せば良い訳だが、他人がいくら「そんな事、気にするなよ」と言ったって、本人にとっては「そんな簡単に吹っ切れるような事じゃねーんだよ。そもそもコレって本当にアンタが言うように無視して良いような事なのか?」と思ってしまうのは仕方が無いような気がする。つまりそんな簡単に解決出来るような問題じゃないのである。言い換えれば、そんな簡単に解決出来ないからこそ本人は悩んでいるわけで、となると他人から薄っぺらな励ましとか助言とかを受けると、言われた当人は益々不安になっていく破目に陥ってしまう可能性すら在るような気がする。

じゃあ周りの人間は、そういう事で悩んでる人間を放っておく方が良いのか、と言われれば僕は「決してそんな事は無い」と言いたい。当人はもしかしたら「独りにしてくれよ」とか「アンタなんかに何が分かるって言うんだ?」とか思っているかも知れないが、『当人がそうして欲しくても、それが本当にそいつの為になるのか?』と疑問なケースっていうのもまた幾千も在るわけで、そう思ってしまったら、やっぱり放っておけない気がしてならないのである。

実は自分ではかなり自覚が無いのだが、どうも僕は『優しい』人間らしい。昔、小学校の先生にそう言われたら、周りの友達が納得したので、何だか狐か狸に化かされているのではないか、と不安になった事がある。僕はその『優しい』の意味が長い間、分からなかったのだが、最近思うのは「確かに僕はお節介ではあるなぁ」という事だ。多分お節介な人間というのは二通りのパターンがあって、『ひたすら自己満足に浸る』人と『とにかく自分のした事が本当にその人の役に立っているか不安で仕方ない』人がいると思うのだが、僕は間違いなく前者の人間である。確かに自分のした事が「余計なお世話だ」とか言われたらショックではあるが、でも先程書いたように『他人から薄っぺらな励ましとか助言とかを受けると、言われた当人は益々不安になっていく破目に陥ってしまう可能性すら在る』事を理解しているのに抜け抜けとお節介を焼けるというのは、やはり僕が自己満足を求めているからなんだろう。

問題は、当人の本当の気持ちなんかこれっぽっちも把握出来ていない上での言葉が一体どれほどの効果を上げられるのか、という事になるわけだが、それを事前に判断するのは事実上、不可能であろう。というわけで、本来は吹っ切るべき(と傍から見ていると思える)事で悩んでいる人間がいたらどうすべきか、という問に対する解答は「各自で判断して下さい。僕はお節介焼きます」という、何の役にも立っていない結論に達してしまうわけだが、ここで大切なのは『各自で判断して下さい』という所で、これは実は悩んでる本人の事を考慮に入れる、という挑戦を最初から放棄している事になる。結局は助言を与える方も、自分の問題なのだ。勝手をやっても良いが、それが他人の為にならなければ、その人は自分から去って行ってしまうだろう。“因果応報”とか“情けは人の為ならず”とかいう言葉があるが、これは単に「他人の為になる事をしなさい」という意味ではなく、「自分がする事っていうのは自分でしか決められないから全てを好きなようにやっても良いけど、その成果を自分で操作する事は出来ない。だからこそ全ては結果論に過ぎないが、その結果こそがアナタの人間の価値を決めますよ」という極めてドライな意味を読み取る事が出来るような気がする。

さて、ここからが本論なのだが、『各自で判断して下さい』という言葉は上記のような特殊な場合に限らず、日常生活のありとあらゆる場面において適用される、という事に異論の在る人はいないと思う。そう考えると、人間は生きてる上で『自分の中で決着を付けなきゃならない』という局面の連続である筈で、でもそれが出来ない人間というのは世の中に沢山いるのである。僕だって自分の中で今だ決着の付いていない問題っていうのは本当に覚えていられないほど馬鹿みたいに多くて、でも自分が出来ていなくても“お節介”なので他人にはそうして欲しいのだ。

「好きな人がいるのに告白する勇気が無いって人は世界に幾らでもいて、僕は臆病なのでその気持ちが痛いほど分かるが、君はそういうわけではないだろう。多分これから先これ以上好きになる人は出て来ないと分かっていて、瑣事を気にしないという才能を持ち合わせていて、何を怯えているんだ? いや、それは実は分かっているけど、そんなに悩んでる時点で君の気持ちは誰の目にも明らかじゃないのか? そんなに自分が信じられないのか、若しくは相手を信じられないのか、或るいはそもそも“信じたくない”のか、何が原因か分からないが、いずれにしても君は素晴らしい人間で、だからこそ色んな“汚い”部分が見えてきてしょうがないのかも知れないけど、それでもどうにか自分の中で決着を付けろよ」とか「自分は精一杯やってきたつもりなのに相手がそれに見合うだけ応えてくれない(と、感じる)事は確かにショックだけど、でもそれを“自分の努力が足りない所為だ”と結論付けたり、その結果にただひたすら無力感を感じたりするのは悲しい事だ。だって“自分は精一杯やってきた”んでしょう? それ以上どうしろと言うんだ? 実力の無い人間なら頑張ってもどうしようもないかも知れないが、君には充分な実力が有るし、そして近くには僕なんかよりもずっと頼るべき人間が存在してくれていて、独りでずっと立ち向かい続ける必要なんてこれっぽっちも無かった筈だ。それをしなかったのは君が“他人に頼る”という事を極端に“その人に悪い”と考えているからなんだろうが、その人は頼られて本当に“迷惑だ”と感じるだろうか? 友人が困っているのを助けるのに君は果たして“迷惑だ”なんて考えるのか? そんな事がある筈が無い」とか言いたいのだ。

後者の人には以下の台詞も訊かせてやりたいと思う。

君はずっとぼくのことを“敵になる危険がある”として接してきたな。どうしてそう思うんだ? なぜそう思いこんだ? ぼくを味方にしようとか、どうしてそういうことを考えなかったんだ? もっと正確に言うならば。なぜそんなに自分のことを“悪い”と思うんだ? 君がやっていることは、そんなに悪いことなのか? 君自身、誰も傷つけていない、と言っていたじゃないか。このビルに人を閉じこめたのは君だったか? 眠らせたのは君なのか? 違うだろう? だったら、なんでそんなに自分には“敵”しかいないと思いこむんだ?   ――ブギーポップ (ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王 282頁)

最後になったが、今回の文章は極めて特定の人物たちに対するメッセージ性の要素が非常に強いのに、それをなるべく一般性の高い話題として多くの人たちによって理解してもらえるようにしたために、逆にメッセージを送りたい相手に対しては意図を理解しにくくなってしまったように感じている、という事だけを付しておこうと思う。


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