MENU TOP ABOUT DIARY COLUMN HOBBY NOVEL WORD BBS

ディズニーに於ける帰納と演繹

COLUMN MAIN

2004年秋以降、『くまのプーさん』がディズニーのキャラクターに使用できなくなる可能性が高くなったそうですね。僕は今ではディズニーキャラクターの版権は全て自社で持っていると思っていたのですが、どうもそういうわけではないそうで。

一般に企業のキャラクター戦略というのは、もう何十年もの間続いてきたわけですが、ディズニー(オリエンタルランドか?)はその中で最も成功した企業だと思うのですが、正直言って、ここまで成功した理由が僕には分かりません。要は、見た目の可愛さで売れる、というのがよく理解できないわけです。いや、例えば一時的に(可愛いという理由だけで)テディベアが売れたり、とか、その程度なら分かるんですよ。でもディズニーランドが開業してから相当たっても未だにテーマパーク最強の座に座り続けていて、恐らくこれからも長い間そうなんだろうなぁ、と思うと、どうも釈然としない、ってわけです。

ディズニーがキャラクターだけではないのも分かるんですよ。パレードはどんどん新しいのをやるし、アトラクションも定期的に入れ替えるし、常に「飽きさせない」造りをしているのは確かです。でも、そっちがメインの理由だとすると今度は「じゃあキャラクターって何? 別にプーさんがいなくなってもディズニーは全然問題ないんじゃない?」とか思えてしまって、それは「じゃあそもそも今まで各企業がやってきた『キャラクター戦略』って何だったんだろう?」という考えに発展していくわけです。「可愛いから」という理由だけで商品購入やそれに類する行動に至る人間というのは実は少数派で、結構みんな中身を見てるのかな、とか。

ところで僕はしょっちゅう具体的事象から一般的事象を導こうとしますが、これは特に文系と工学の人からは嫌われるそうですね。まぁ理学の目から見れば一般から具体への変換は何の意味も無いので、逆も成り立つわけですが。今回の文章なんかも、まずは『ディズニー』をダシにして『キャラクター戦略を行う一般企業』に飛躍し、そして『消費者の嗜好』まで肥大してるわけです。「こういう議論展開はいかん」と高校の現代文教師には散々言われました。彼が言うには「エヴァンゲリオンは良いが、もののけ姫は駄目だ」という事らしいですが、僕はやっぱりもののけ姫が特に『神の絶対性』を否定し(つまり“人間は自然を支配できない”という事を語らず)、ただ純粋に自然保護を呼び掛けたのには、かなり意味があったのではないか、と思います。つまり、あの映画は「環境問題を訴えるのに『大いなる自然を』とか、そんな後付の理由をくっつけるのは虚しくないか? 無かったら困るから守るんだろ?」という事を言いたいんではなかったかと思うんですよ。それならかなり革新的だったのではないか、と。いや、エヴァンゲリオンが嫌いなわけではないですよ。あれはあれで、数ある心理学的定説を細かいジグソーパズルを組み合わせるようにして作った作品で、作り方はもののけ姫とは本当に逆ですが、良いと思いますね。僕は心理学に詳しいわけではないので、しばしば『具体→一般』か? と思えてしまう箇所が在るには在るのですが、それは僕の無知が悪いわけですからね。

そう考えると(また『具体→一般』です)、『一般→具体』を訴える時は、そこにいる人たちにとっては『一般』の側が共通認識となっていなければならない、という事ですね。なるほど、そうすると確かに、例えば裁判における登場人物たちである弁護士や裁判官や検察は、『六法全書』という『一般的事象』を共通認識を持っているからこそ、『個々の事件の判定』という『具体的事象』を議論することができるわけですね。

ここまで話を進めた後に言うのもナンですが、『具体→一般』式で議論するときに困るのは、『具体』の側に本当に言いたいことがある場合ですね……。


今日今日のアクセス数/昨日昨日のアクセス数/累計累計のアクセス数
Read me! ページ最上段へ