MENU TOP ABOUT DIARY COLUMN HOBBY NOVEL WORD BBS

無いよりは在る方が良いですか?

COLUMN MAIN

どうも僕は「センスの無い人間」だと思われているようなのだが、それは自分としては全然構わなかったりする。というのも、どうも僕から見た「センスの在る人間」というのは損をしているようにしか見えないからである。だって「センスの無い人間」としては「センスの良いもの」だろうが「センスの悪いもの」だろうが何でも受け入れられるわけで、でも「センスの在る人間」は「センスの良いもの」しか受け入れられないわけだから、人生の楽しみを少し減らしているんじゃないかなー、とか思うわけである。(そもそも「センスの無い人間」としては「センスの良いもの」と「センスの悪いもの」との区別が付かないわけだ)まー、そういう区別が付かない事が不幸な事なのかも知れないけど。そうすると「センスの無い人間」のアドバンテージは完全に消滅するわけですな。

しかしこんな事を書いていて強く思うのは、何か「知らなければ幸せだったのに」みたいな後悔の場面とリンクしているなー、って事だ。何かセンスっての持つようになると変わるのか? 変わるんだろうなぁ。じゃあ変わりたいか、ってーと、「いやー、別に・・・」みたいな。そんな感じだ。

なんでこんな気分になるかというと、多分、「無いよりは在った方が良い」という精神から来ているような気がする。若しくは「出来ないより出来た方が良い」とか。「無いよりは在った方が良い」(例えば金)とか「出来ないより出来た方が良い」(例えば勉強)とか、あまりにも一般的に言われ過ぎてて、それが深層意識にガッチリと結び付いてしまっている。だから何となく「センスってのも無いよりはあった方が良いよな」って何処となく思ってて、そういうのが在るとされてる人(あくまでも「センスの無い人間」は「センスの在る人間」を判別出来ないので、他者判断を基軸にするしかない)に劣等感みたいな感情を、感情抜きに自動的に感じてしまったりする。

でも一方では必ずしも「無いよりは在った方が良い」とか「出来ないより出来た方が良い」というわけでもない事を何となく無意識に感じていて、その結果がだって「センスの無い人間」としては「センスの良いもの」だろうが「センスの悪いもの」だろうが何でも受け入れられるわけで、でも「センスの在る人間」は「センスの良いもの」しか受け入れられないわけだから、人生の楽しみを少し減らしているんじゃないかなー、とか思うという結果に繋がっているような気がする。何か劣等感と優越感が入り混じった不安定な感覚だが、先に書いたようにこういう状態っていうのは比較的良くあるケースであり、という事はこれに対してどういう態度で臨むべきかは、その参考例が多数存在している、という事だ。


今日今日のアクセス数/昨日昨日のアクセス数/累計累計のアクセス数
Read me! ページ最上段へ