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“異常である”ということ2 〜彼女はどれだけ異常だったか?

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偶には世の中の事件について書いてみる。この手のは思う所があって、普段はやりたくないのだが、それでも何か言いたくなる時もあるものだ。“ゴスロリ少女と男子大学生による家族殺傷事件”の事である。

関連リンク:「大阪府河内長野市・少年少女による家族殺傷事件」『探偵ファイル』

事件の大筋はこれで充分だと思う。さて、以下では少女のホームページを見ていない、という仮定の下で話を進める。

僕は一連の報道を見て、「最近増えているといわれる自殺願望者(何故か少女が多いらしいのでしばしば“自殺願望少女”となっている事が多いが、とりあえずそのような表現は不適当な可能性があるので辞めておく)が本当に(精神的に)逝っちゃったという、ありきたりな事件」とは『思えなかった』。普段はこの手のには気にも留めないのだが。

どんどん個人的意見になっていくので読んでる人で反感を覚える人がいても勘弁してもらいたいのだが、基本的に自殺願望を持つ人間というのは2種類いると思う。『自分に絶望している』か『世界に絶望している』かだ。ただ、如何にも前者の人間がその中でも自殺しやすいような印象を受けるが、実は後者の方が数としては圧倒的に多いようだ。『世界に絶望している』人は、「私にはこの世界には合っていないんだ。どうして私はこんな世界に生まれて来てしまったんだろう?」という思考パターンが圧倒的に支配的であるからだ。世界、すなわち、他者に対して絶望を抱きながら、それを『自分へ与えられた大いなる不幸』として認識する事で、彼等或いは彼女等は結局は自己問題へと帰着させている。つまり外面的には『自分に絶望している』人間と何も変わらない。

加害者の少女もこのような側面(『世界に絶望している』派)を持っていたと思われる。“普通の人々”と題された日記の中に、それを如実に表している箇所が在る。



の中の、



や、



という部分である。しかしながら一般的には、そのような自殺願望者は漠然とした世間や特定の個人に対して恨みを持つ事は有っても、実際に他人に対して傷害行為を行うのは稀である。今回の報道の大きさ、意外さが無意識的であるにせよ、それを物語っている。他者を恨みながら、しかし手を出す事はしない。これは何故だろうか? 僕が思うにそれは以下の二点が基因している。

1つ目は、実際に傷害行為を行う、という(生々しい)行為が、彼等或いは彼女等の、所謂“美学”に反するからであろう。自殺願望者は自己内に於いてかなり純粋な行為の動機付けを行っている事が多い。例えばそれは「自分は天使(或いは悪魔)であり、それに適合した行動を起こさねばならない」といったようなものだ。自己陶酔の一つだが、現実にはこれが(周囲にとって)功を奏している感がある。

2つ目は、自殺願望者が完全な閉塞世界を確立している事が多い事である。この場合、世界を一人で所有している場合と、極少数の仲間で共有している場合とがある。今回の場合は2人で共有していたのだろう。この時、他者への恨みは自己内の閉塞世界から端を発している為に、その他者の存在する現実世界まで届く経路が無く、壁に当たって跳ね返るが如く自己へ反射していると考えられる。

はっきり言って通常の自殺願望者は、そうでない者にとって気味の悪い存在ではあるが、そこまで有害な存在ではない。例えば貴女が女性なら、隣に居る見知らぬ男を警戒した方が余程価値があるだろう。

では、何故この少女は自殺ではなく、このような事件を起こしてしまったのか? それには、もう少しこの少女について知っておく必要があるだろう。既に日記を一つ紹介したが、同種の内容として、“幸福論”というタイトルの日記がある。



また、事件の日の日記。タイトルは“では”。



『探偵ファイル』では、この少女を
HPを見る限り、正直、かなり“イタイ”人物のようである……。“イタさの女王”椎名林檎の影響を受けまくりのようなプロフィールとその文体
などと、一刀両断しているが、確かにそのように思う人間が多いだろう内容である。しかしながらこの少女は以下のような内容の日記も残している。まずは“TRICK”というタイトル。



そして、“偏頭痛”というタイトル。



少々気になる表現はあるものの、充分に一般の少年少女が書き得る極普通の日記である。これらはいずれも先月に書かれた物で、事件発生時期と非常に近い事は注目に値する。

さて、この日記は或る一つの可能性を示唆している。それは、この加害者の少女は本当は世界に絶望などしていないという事だ。もしそれが事実なら、この事件が意味する所は全く異なってくると思う。

少女は閉塞世界に、少なくとも自ら望んで浸っていた、というわけではない事になる。となれば彼女の自殺願望は自然発生したものではなく、作られた感情である。その感情は誰に作られたのか? それは少女自身以外に存在し得ない。敢えて断言しようと思う。

彼女の自殺願望は本心ではない。そこには「自分に注目して欲しい」という思春期に有りがちな“劇場型”な願望しか垣間見られない。彼女は「これ以上ないほど自分に注目してくれる存在である自分の男と常に共に在りたい」という性的欲求にも似た感情に身を任せ、互いの両親を殺害するという計画を実行しようとしたに過ぎない。彼女は本当に自分或いは世界に絶望してこの世から去ろうとしている人の苦しみなど持ち合わせていないのだ。

上で書いた“劇場型”性というのは、至る所で感じる事ができる。例えば自分の写真置き場のトップでは、



とあり、自分が事件を起こした後に各種メディアが話題にするだろう事を予測している節がある。またindexページでは、



の中で自己サイトのタイトルを、



のように書いている。また、実質的なトップページの、



の中の、



や、



或いは下にリンクを貼ってある“変態的作文(回路切断)”に見られる、このような『左右逆の文字の流れ』や『不自然な空欄の多用』や『赤色(血色)文字の挿入』は所謂“電波文”と呼ばれるジャンルでは非常にメジャーな手法であり、やはりわざわざ自らの狂気性を他人に吐露しようとする傾向が見られるのである。

既に書いたが、彼女の精神は“正常”である。そして、「誰でも見られるwebページに自ら生み出した何かを公開したい」という程度の“劇場型”性は一般的に見て充分持っていてもおかしくない。(第一、僕もやっている。)しかし彼女はその範疇を超えて注目を浴びたいという“異常な劇場型”に陥り、最終的には今回の事件に至った。

……これが真相だろう。終わってみると酷く当たり前な結論に見えてくる。しかし結論が当たり前でも過程はそうでは無かったと思う。念の為言っておくが、恐らくは彼女は『この事件で彼女自身が各種メディアに注目される事』は望んでいない筈である。(事件を起こした目的は先述のように別だっただろうから。)誤解を避ける為に、書いておいた。


最後に。残りの画像とリンク。全て人によっては見ない方が良いと思われるものです。


加害者の少女の顔写真はココ

その他、自画撮りしたと思われる写真はココココココ

“変態的作文(回路切断)”はココココ


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