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家庭教師向け講座2 〜根拠は何か?

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例えば「x=1を解に持つ方程式を一つ挙げよ」という問題が有ったとして、これに対して堂々と「x=1」と答を書く中学生・高校生が居たら、そいつはかなり数学の実力が有ると思う。数学を教えていて時々気になるのは、思った以上に『式のカテゴライズ』が出来ていない、という事である。具体的に言えば、目の前にある式が『等式(恒等式)』なのか『計算式』なのか『方程式』なのかが区別出来ていない、という事だ。この中で『恒等式』と『方程式』の区別が付かないのは可愛げが有るのだが、『方程式』と『計算式』の区別が付かないのを見ると、非常に脱力してしまう。方程式を解く際には、分数を消す為に分母の最小公倍数を両辺に掛けたりするが、これを普通の計算式でもやってしまうのである。そもそも計算式には『右辺』が存在しないのだが、方程式を解く際に右辺を0にする所為か、方程式中の『=0』が頭の中で軽視されてしまっているようだ。つまり計算式に途中で『=』が出て来る為に、それを方程式と勘違いしているわけではなく、『方程式』をただの『多項式』と同様の認識にしているのが原因だと思われる。

このような間違いは、生徒は指摘されればすぐに「あ、そうか」と言ってちょっと計算違いをしたかのような感覚で直してしまうし、大半の中学校教師・学習塾講師・家庭教師なども同様の対応をしてしまうのではないだろうか。でもこの間違いは数学をやる上で(例えそれが大学受験まで、というレベルだったとしても)大きな障害になる気がする。よく考えてみれば、「この式はどのような式か?」という事については一般の教科書等で説明されているのは殆ど見かけないし授業でもまずやらない。しかし、ここが曖昧だと上のような間違いを何度でも犯してしまうだろう。難しいのは、この問題がかなり広範囲で影響を与える可能性を有しているにも拘らず、その説明をする為には『方程式の定義』など、『基本的な事項』をやらなくてはならない事だ。この『基本的な事項』というのは、一般人からはすこぶる評判が悪い。話を聴いてても、それが何の役に立つのか(すぐには)分からなかったりするし、そもそも説明自体が根本的な話になりやすいから難しい。

例えば放物線と直線の交点を求めるには、それぞれを表す関数式(←この言葉からして一般には嫌われる)を連立方程式として解けば良い(←この様な表記も嫌われるだろう。多分『交点を出すには(連立)方程式を解く』という言い方が好感を持たれる)わけだが、ここで、「何故それで交点の座標が出るのか? xやyは変数と言われるもので、どんな数値でも取るものではなかったか? どうして式を連立させると良いのか説明して下さい」とでも訊くと、まず殆どの生徒は答えられない。こういう質問に答えられないのを見ると内心かなり腹立たしく感じる。別に怒ったりはしないけど。でも何か「使えるものは使えば良い」的な発想は気持ち悪い。そういう類の事を言う人間は大抵「使えるものを使えてない」事が多い。しかもそれを使えない事を自分の責任に感じない事が多く、(以下、個人的感情の為、削除)

家庭教師の指導中に僕は頻繁に「どうして、こういう式を立てたんだ?」とか「どうして、こういう解き方をしたんだ?」と訊くのだが、これには「(少なくとも学問上は)根拠の無い行為をして欲しくない」という考えに基づいている。最近は小学生の生徒に問題を解かせていると途中で「先生はここでまた『どうして?』って訊くんでしょ? でも分かんないよ」と先回りされて言われる事が多くて、そういう時は苦笑するしかないが、まぁ自分で分かっていない箇所が分かってるのは大きいかな。

例によって纏まりが段々と無くなって来たので、この辺で終わりにする。

後日、某人物(文系大学生)に「x=1を解に持つ方程式を一つ挙げよ」と訊いたら、「ろぐいち」なる返答を頂いた。僕が脱力するには充分すぎる回答だった。


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