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これで良いのか? 〜二項定理

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高校の数学の教科書での二項定理の扱いが余りにも酷いと思います。

二項定理が何であるかは、高校1年生の内容である現在の数学A(新課程では高校2年生用である数学Bらしいので注意)の教科書の数列の章の最後辺りを見てもらいたいです。が、そう言われてわざわざ教科書を見るのは勉強熱心な現役高校生くらいだと思うので、公式だけリンクを貼っておきました。簡単で詳しい解説が載っているサイトは残念ながら見付かりませんでした。

現在の所、数学Aの数列は必ずしもやらなくても良い、選択範囲ですが、残りの範囲が平面幾何やプログラム(BASIC)な為、現実的には準必修的な扱いを受けているのが数列です。当然現在日本では100%近くが高校に通い、そして数学Tと数学Aは例え文系でも勉強する学校が殆どです。従って二項定理は日本国民の(ある程度若い層は)ほぼ全員が学習している事になります。

ところが二項定理ほど人々の記憶から追いやられている範囲は珍しいと思います。他の、例えば数列を忘れてしまっても、狽ニいう記号を見れば、「ああ、なんかそういう公式を丸暗記したなぁ」くらいは思い出す人が多いんじゃないでしょうか。でも多分、二項定理はやった事すら忘れている人が多いと思います。

様々な問題が有ります。最も大きいのは、二項定理は普通の高校1年生が学ぶにしては難し過ぎる、という事でしょう。しかしこれは仕方有りません。難しい物は難しい。巧く説明する事で多少は易しくなるでしょうが、それはあくまでも他の下手な説明と比べた場合であり、二項定理が持つ潜在的な難しさを否定するものでは有りません。二項定理の難度を考えると、僕はこれは数学Cに移行しても良いくらいだと思います。同じ分野が異なる教科書を跨ぐのはあまり好ましくないかも知れませんが、現在でも確率や三角関数(三角比)はそのようになっています。

しかしながら“最も問題性が大きい”のは、この難しい二項定理に対して高校では殆ど時間を割いていない、という事です。恐らく他の分野を勉強する際に知らなくても困る事があまり無いからでしょう。一般の高校では間違いなく二項定理を軽視しています。二項定理は確かに難しいです。公式が複雑な割に覚えても意味がよく分からないので生徒には敬遠されます。しかし、だからこそ時間を掛けてじっくりと説明すべきじゃないですか?

数学Aの教科書では二項定理は大体次のように解説されています。まずパスカルの三角形を唐突に出して来ます。そして(a+b)の1乗、2乗、3乗、4乗・・・をそれぞれ展開して整理した式が書いてあります。その係数を順序良く並べるとパスカルの三角形の数字の並びと一致します。そして次に(a+b)^n=馬Ck(a^k)(b^(n-k))という二項定理の公式が書いてあります。終わりです。高校の実際の授業ではパスカルの三角形を提示しない(つまり、公式を書くだけ)事すらあるそうです。如何に二項定理が軽視されているか分かるでしょう。

問題点は2つ。1つ目は二項定理自体を数学的帰納法などを用いて証明していない事です。2つ目は、これが重要ですが、nCk=(n-1)Ck+(n-1)C(k-1)という公式を使っていない為に、二項定理とパスカルの三角形との間に相関関係が存在する事を証明していない事です。こんな状態では一般の高校生が二項定理を理解出来る筈がありません。

このような事態が罷り通っている背景には、日本という国そのものが数学(というよりは論理的に思考する、という事)に対して「出来なくても構わない」という感情を根強く持っている、という事があります。「四則演算くらい出来れば数学は必要ない」と公言する人は多いです。

先日、現役高校生の理数系科目の成績が落ちている、というニュースが有りましたが、その際に日本テレビの夕方のニュース番組で、「あなたは数学が必要だと思いますか?」という街頭インタビューをやっていました。「四則演算が出来れば必要ない」という意見と「計算は大切だから必要だ」という意見が紹介されていました。どっちもお話になりません。

僕はこのサイトで再三言っていますが、数学で重要なのは思考法を如何にして学ぶかです。しかしながら今の日本ではそれを学ぶだけの土壌が残念ながら出来ていません。

例えば。先の二項定理の事例で言えば、本来であれば教科書や高校の授業があのような状態であれば(ちゃんと勉強してれば)当然そこで学生は疑問を持つ筈です。何かがおかしい、と。でもそこで立ち止まって自分で考えるなり、百歩譲って誰かに聞くなり(←個人的にはこれは意味無いと思っていますが)する高校生がどれだけいるでしょうか?

これは別に高校生を批判している訳ではありません。このような事に疑問を抱かない学生たちに対して、彼らを非難するという社会的意識が出来ていない事を批判しているのです。そしてこれは殆どの人(大人)が正しい思考法を学生の内に身に付けられなかった事を意味します。つまり考えない学生を非難しないのではなく、非難出来ないのです。自分がそんな事を考えた事も無いからです。

恐らくこれは日本だけの問題ではないでしょう。きっと上記のような社会的意識が芽生えている国など存在しないと思います。しかし、日本人は議論が下手だ、などの話を聞くと日本は思考法が学べていない人間の比率は高いように思えます。

ところで『思考法が学べていない集団の中では思考法は学べない』という命題が真だとすると、『思考法を学ばない』戦略はESSだという事になります。これはかなり絶望的です。きっと上のような社会的意識が芽生える事は永遠に無いのでしょう。


ちなみにその番組にはスタジオに数学者の秋山仁が出ていました。流石に生粋の(?)数学者らしく、数学の魅力について嬉々として喋り倒していました。ただ、僕は「ああ、この人はちゃんとした考えを持っているんだなぁ」と感じた(以前は「胡散臭いな」と思っていた)のですが、普通の人には「数学オタクだ」としか映らなかったんじゃないでしょうか? 心配です。結構良い事言ってたんですけど、説明の仕方が……


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