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ロケット産業とケアレスミス

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平日朝の情報番組「ズームイン!!SUPER」内のコーナー『辛坊治郎の追撃コラム』はワイドショーor生活情報番組と化してしまった殆どのニュース番組の中で唯一といっても良い位のマトモなコーナーである。8時ちょっと前から始まるので、会社勤めの人や真面目な学生は見れない時間かも知れない。残念な事だ。

さて、そのコーナーで先日、「日本のロケット産業はどうして成功出来ないか?」という話題を出していた。オウム関連報道一色だった中で、よくこんな話題を取り上げた物である。「我が道を行く」という姿勢は好感が持てる。テレビ各局はもっとそうした姿勢を打ち出すべきだ。(テレビ東京はそれが出来ている。)以下の引用はテレビ番組が元なので正確でない可能性がある事に注意して欲しい。

ここ数年の日本のロケット打ち上げ成功率は80%弱である。これはそう低くないように感じるかも知れないが、世界各国のロケット打ち上げ成功率は97%以上を保っていて、ロシアに至っては100%だ。これはあまりに大きな差だが、この原因の一つとして『日本のロケット産業は目的が薄い』事が挙げられる。アメリカやロシアは軍事衛星を打ち上げて軍事的に少しでも優位に立たなければならないし、ヨーロッパは商用としてのロケット打ち上げが市場として成り立っている。しかし日本はそのどちらもロケット打ち上げの目的としては成立していない。

僕は日本のロケット打ち上げは基本的に商用を目指していると思うが、H2Aは随分改善されたとは言えまだまだコストや成功率の面でヨーロッパに対抗出来ていなく、実験段階に近い。

また、日本の成功率が低い、もう一つの大きな原因としては『有人ロケットを飛ばさない』事に有る。人命が掛かっておらず、失敗しても金を失うだけなので精度が上がらない。では何故日本は有人ロケットを飛ばさないのかというと、日本人はロケット打ち上げで失敗して人命を失うようなリスクに耐えられないからだ。中国やアメリカならば例え1回目で失敗したとしても2回目が有るが、日本ではそれが許されない。

なるほど、確かにありそうな話である。ロケット産業に限らず日本人は自分の生活に密着した成果がすぐに出ない学問には冷淡な面が強い。ノーベル賞を受賞した小柴さんに「あなたの研究は何の役に立つんですか?」と臆面も無く聞くような人間が一般的とされている国だ。一般的な国民から見たら「ロケット産業などという物は理系学者達の道楽で大量の税金を投入する癖に何の役にも立っていない。それでいて人命までが失われるならば即刻辞めさせるべきだ」という考えになるのは目に見えている。

しかし疑問なのは、本当に人命が掛かっていないからといって、(ロケット部品等の)精度が落ちるものなのか、という事だ。もっと言えば、人命が掛かれば精度は上がるのか? ここは疑わしい所だ。もっと説得力が在るのは予算の話ではないか? 日本の宇宙開発関連の予算は年間3000億円である。対してアメリカは年間3兆円。日本の10倍だ。これだけ予算に差が有れば精度に格差が生まれるのも仕方ないように思える。

もう一つ言うなら、現在の日本とアメリカやヨーロッパを比べるのはフェアではない。日本はH2Aを製作し始めてからまだ10回も打ち上げを行っていなく、既に成熟しているアメリカやヨーロッパのロケットの成功率と比べるのは酷なのである。実は各国のロケット打ち上げも初期の段階では成功率は70%程度しかない。となれば現在の日本の成功率である80%弱という数値は決して低いものではない。

取り合えず結論。

日本はロケット後進国である。しかしロケット打ち上げ成功率の低さを日本の技術力低下という結論に結び付けるのは疑問。


ところで日本のロケット打ち上げ成功率の低さについて書いたが、その原因は殆どが単純なミスである。

他国がどうなのか分からないが、少なくとも日本は異常とも思える程に“ケアレスミス”に対して厳しい。ロケットの事例で言えば、明らかに大元の設計理論が間違っている方が怖いと思うのだが、打ち上げ失敗の報道を見ていると単純ミスが最も悪い、という論調が主流である。

この風潮は教育現場にも如実に現われている。例えば数学をやっていて「全然分からない問題が出来ないのは仕方ないが、計算ミスで取れる問題を落とすのは最もいけない」と言われた事が有る人は非常に多いの筈だ。教育熱心な親ならばそう言って子供を叱るだろう。しかしどう考えたって、問題が全く解けないよりは、計算間違いをしていても大筋は合っている方が好ましいのは明らかだ。

確かにケアレスミスは勿体無い。僕も家庭教師をしていて生徒に「計算ミスで点を落とすのは勿体無いからね」とは頻繁に言う。しかしそれと「計算間違いが一番悪い」と言うのとは全く意味が異なる。

このような風潮が生まれた背景には、穴埋形式や解のみ記述させる数学試験が大多数を占めている、という事情がある。定期テストで全ての問題を解き方から記述させる中学・高校は全体の1%程度ではないか。それは大学受験でも同じで、私大では偏差値でトップクラスの慶応大学では理工学部でさえ数学の記述式問題は5問中1問しかない。(残りは穴埋)

解のみを書かせる問題では計算ミスをしたら基本的に点を貰える要素が無くなる。つまり多くの学生にとっては“計算ミス=0点”なのである。即ち、計算ミスは何も分かっていないのと同じ、いや、“勿体無い”分だけ余計に性質が悪い。よって、計算ミスは何も分かっていないのより悪い、となる。

となればその学生達が親の世代になった時、子供達に「全然分からない問題が出来ないのは仕方ないが、計算ミスで取れる問題を落とすのは最もいけない」と言うのも納得出来る。納得出来るが、その言葉は問題である。

ケアレスミスを消すのは容易ではない。本当に不注意な場合は別だが、基本的には『当たり前の事なのに本人には気付けない』からこそのミスであり、本人が気付かなかった物に対して「気付けよ」と言った処で何も解決にはならないからだ。数学の計算ミス等は訓練によって改善出来るが、ではどの程度の訓練をすれば充分な成果が出るのかは微妙な処だ。個人的な見解では、中学生が通常の試験を5回やって計算ミスが1回発生する位にする為には、文字式の展開や因数分解などの計算練習を1年間に10万問のペースで最低2,3年間やる必要が有ると思う。1日300問程度である。この数値は何処から来たかというと、僕自身の経験である。ところが、こんな事を実際にやっているのは数学好きな超マイノリティのみに過ぎない。そして、これだけやっても計算ミスというのは消える訳ではない。(そういえばつい最近もこの日記で間違えたし)

無論、効果が薄いからと言って「計算ミスを消す努力をするな」と言っている訳ではない。少なくとも1回のテストで5回以上の計算ミスをするような学生は計算練習をするべきである。問題は、子供に「計算ミスを無くせ」という発言をするのは別に害は無いので良いのだが、これと同様の事をロケット開発のような場にまで言及するのは無責任ではないか、という事だ。先に言ったように、ケアレスミスというのは本人が気を付ければ良い話ではなく、気が遠くなる程に繰り返し行う事で発生確率を抑える事が出来る。ロケット打ち上げが失敗して原因が単純ミスだと「製作側は意識の改善を」という論調で終わるが、意識を変えたから解決する、という問題ではないのだ。

ところが日本のロケットは年に1,2回程度しか打ち上げが行われない為に、部品製作・組立の技術蓄積が非常に行われにくい。一般に広く使われている部品(つまり、技術蓄積が充分に行われている製品)を使う事である程度は代用出来るが、物がロケットだけに専用の部品というものも数多く存在している。その部分の精度を高める為にはロケットを作り続けるしかない。しかし現在はロケット産業は成功率の低さもあって縮小傾向である。日本のロケット産業は悪循環に陥ってしまっている。

という訳で結論。

ロケットの打ち上げ成功率を上げるには失敗しても作り続ける事が必要。意識改革では単純ミスは無くならない。


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