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アクセス数を気にする事

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個人サイトなのに、書きたい事が書けない場合が有る。

僕は割とアクセス数を気にする方だ。カウンターは3つも付いている(累計・今日・昨日)し、アクセス解析も使用している。

このホームページは、2004年の1月までは完全に内輪向けの、僕の友人しか見ていないようなサイトだった。1日の平均アクセス数は30程度。ところが2月から、一般向けに日記を書く事にした。これには幾つかの目的が有るが、最も大きい理由は、単純にアクセス数を増やしてみたくなったから。自分のテキストでどのくらいまでアクセス数を伸ばす事が出来るかを試したくなったのである。一種の腕試しみたいなものだ。

一般向けの日記を書き始めて5ヶ月近く経つが、今では1日に200前後のアクセスがある。この数値が多いのか少ないのかは、僕には判断が付かない。が、少なくとも既に、僕が直接知らない読者の方が多くなっている事は確かだ。

僕は今でもアクセス数が気になる。アクセス数を減らしたくない、と思っている。だから下手な事は書けない。従って、個人サイトなのに書きたい事が書けない場合が存在する。

このような「アクセス数に縛られて、個人サイト本来の意義を見失う」という現象は、一般的にはネガティブに捉えられている。自由に書きたい事が書けるのがホームページの利点なのに、それを生かしていない事になるからだ。

しかし僕は「アクセス数を気にする」という事は、ネガティブな意味だけではないように思う。例えば最近では、実は僕は知り合いの悪口を書きたくて書きたくて堪らなくなっている。多分、未だに友人しか見ていないような状態であったなら、実際に書いていただろう。しかし、僕の知らない読者の存在が、その衝動を押し留めている。有名人に対する悪口ならいざ知らず、僕の個人的な知り合いに対する一方的な悪口なんて書いても、僕を直接知らない読者は離れていくだけだろう。

以前のサイトは、内輪だけで集まった飲み会みたいなものだった。悪口だろうが何だろうが、何でも気軽に言える。極めてプライベートに近い状態だ。そして今はパブリックである。人数はそんなに多くないかも知れないが、僕は公衆の面前に立たされている。このようなパブリックな空間では、社会的常識やマナーを遵守する事が求められる。

インターネットとは、本来はパブリックなものだと思う。いや、そうあるべきなのは確かな筈だ。しかし現実的には、自分の知り合いしか見ないようなサイトを作る事によって、極めて閉鎖的なプライベート空間を演出する事も可能である。

もう一度書くが、インターネットとはパブリックなものであるべきだ。これは別に「ホームページには大層な事しか書いてはいけない」という意味ではない。単に「電車内では携帯電話はマナーモードにしましょう」といった、ごく基本的なルールは守られるべきだ、という事である。インターネットの世界で言えば、「他人を中傷するのは止めましょう」などだ。パブリックな空間では様々な社会性が求められる。そしてアクセス数を気にする事は、一定の社会性を保つ事に役立っていると思う。

以上より結論。

アクセス数を気にする事は、一定の社会性を保つのに役立っているという、ポジティブな側面も持つ。


今日今日のアクセス数/昨日昨日のアクセス数/累計累計のアクセス数
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