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“電車男”の魅力

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“電車男”というエピソードを読んだ。感動して泣いてしまった。単なる2ちゃんねる内の書き込みが、どうしてこんなにも面白いのだろう。

“電車男”はネット上でかなり話題になったので、知っている人も多いかと思う。読んだ事の無い人の為に簡単に説明すると、「彼女が出来た事が無い22歳の秋葉原系童貞男(電車男)が電車内で暴れる男性から若い女性(エルメス)を救った事がキッカケで始まった恋愛成功譚」と言う事が出来る。これが実況中継のように、2004年の3月から5月までの約2ヶ月間、進展状況が2ちゃんねるに書き込まれ続けたのである。

僕は“電車男”を読んで、恋愛小説を読んでいるような感覚を覚えた。しかし、電車男氏の文章は素人としては巧い(状況描写がしっかりしている)と思うが、プロの作家と比べたら明らかに見劣りがする。では、“電車男”が多くの人間に支持されたのは、何故だろうか?

それは“電車男”のエピソードが持つ圧倒的なリアリティだと思う。“電車男”は、ほぼ間違い無く実話だ。実話が持つリアリティは、プロが描く虚構が持つリアリティを上回る。物語としては時代遅れ的なストーリーではあるのだが、リアリティが読者を惹きつけて離さないのだ。

「長編ドキュメンタリー系」とでも言える、この種のテキストは以前から存在した。最も有名なのは『侍魂』の「ヒットマン事件簿」だろう。今ではそれほど「長編」とは言えないかも知れないが、3年前に初めて見た時は、「うわ、長!」と思ったものだ。

ただ“電車男”が「ヒットマン事件簿」と異なるのは、長期間に渡ってリアルタイムで書き続けられた、という事だ。後者の二つは実話ではあるものの、全ての出来事が終了してから書かれている。ところが“電車男”はリアルタイムだ。しかも、電車男とエルメスとが正に電話をしている真っ最中にも書き込みが行われていた事すら有る。

どちらかと言えば、「ヒットマン事件簿」の方が内容がきちんと纏まっていて読み易い。しかし、やはり「長編ドキュメンタリー系」のテキストはリアリティが持つ効果が非常に大きいと思う。となれば、徹底的にリアルタイムで書き込まれた“電車男”に勝るテキストは無いのではないかと思う。

以上より結論。

“電車男”の魅力の一つは、可能な限りリアルタイムで書き込まれ続けた事により生み出された、圧倒的なリアリティである。


ところが“電車男”の魅力はこれだけではない。ココからは“電車男”のネタバレを少しだけ含む。未読の方でも分かるように書いているつもりだが、「ネタバレは少しでも嫌だ」という人は最初のMission.1だけ読んでおけば大丈夫な筈。

“電車男”の魅力の一つは、可能な限りリアルタイムで書き込まれ続けた事により生み出された、圧倒的なリアリティである――と書いた。しかし“電車男”の魅力はそれだけではない。

「ヒットマン事件簿」のような、従来の長編ドキュメンタリー系テキストは一般的な文学と同じように、書き手が読み手に対して一方的に文章を発信しているだけだった。付設している掲示板などで管理人と読者が交流する事もあるだろうが、作品それ自体は書き手側のみで完結しているのである。

ところが“電車男”は、これとは全く異なる成立の仕方を見せている。

例えば“電車男”の最初の山場である、助けたエルメスさんから御礼の品(ティーカップ2個)が届き、それに対して電車男氏が電話をするか手紙を出すに留めるかで苦悩するシーン。ココで面白い現象が起きている。電車男氏は限りなくリアルタイムに近い状態で書き込んでいる為、「電話するか手紙を出すかで悩んでいる」と書き込まれた時には、その時点で実際に本当に悩んでいる訳だ。すると2ちゃんねるの住人達は様々なアドバイスを電車男氏に与え始めるのである。

「もう一回、勇気を出す場面だな」
「電話は失礼すぎるだろ?」
「電話だ。電話を汁! 届きましたって報告はしておいた方がいい」
「普通は手紙で返事だろ。いきなり電話は引かれると思う」

という感じで、様々な意見が交わされるのである。そして皆の意見を参考にして、結果「電話は無理」と結論付ける電車男氏。ところが、そんな中で一つの書き込みが事態を急変させる。

「カップ2個は誘ってる様にしか思えない訳だが」
「普通食器やマグカップ類はツインで送るよ、常識として。他意はないとおもう」
「一個のものもいっぱいあるだろうにな。なぜかペアのものでしょ。深読みは禁物だが、なんかちょっと考えてそうではあるよな」
「カップに意味なんかないだろ。深読みしすぎじゃないか? お礼の品としては凄く無難なチョイスだと思うけど」
「カップ深読みか? どこのブランドとかである程度わかんねーのかな? ガイシュツ?」

そして電車男氏のレス。

「HERMESって書いてあるけど。どこの食器メーカーだろ」

ここで周囲は一気に盛り上がった。HERMESと言えば超有名&高級ブランド。「これだけ高価な品を貰ったなら電話をしてもおかしくない」という論調が大勢を占め始める。そして勇気を振り絞り、電話する事を決意する電車男氏。

すると今度は電話の内容を吟味する2ちゃんねらー達。今後に繋げる為にはどうしたら良いか、意見を交換し合う。

「カップのお礼に食事に誘え」
「がっつくなって。『会ってお礼が言いたいのですが、いかがでしょうか?』もしくは『会ってお礼が言いたいのですが、ダメですか?』で逝くべき。メシか茶店か映画館かなんか、後で考えようや」
「私女だけど。。。食事の方がいいと思う。458(↑)だとなんか会いたいってのが前面に出ててむしろイヤ。食事のほうがおいしいもの食べたいから私なら釣られるw」
「『すみませんこんなに良いもの貰っちゃって。これじゃあ逆に悪いです。なんかお礼できないでしょうか? そうだ、今度食事でもご一緒しませんか?』までもっていけ」

そしてエルメスさんを食事に誘う事にした電車男氏。すると暫くして、「めしどこか たのむ」という電車男氏の書き込みが行われる。何処で食事をするかで困って、エルメスさんとの電話の真っ最中に書き込みを行っているのである。すぐさま良い店を探し始める2ちゃんねらー達。これに対しても、色々な情報が寄せられている。そして電車男氏はエルメスさんと食事の約束を取り付ける事に成功する。

ここで非常に興味深い事が起こっている。間違いなく“電車男”のエピソードは、電車男氏やエルメスさんといった登場人物だけの物語にはなっていない。不特定多数の2ちゃんねらーという存在が必要不可欠な要素となっているのである。2ちゃんねらーの書き込みが無かったら電車男氏はエルメスさんを食事に誘うような事はしなかっただろう。となれば物語はそこで終了である。

このような現象は“電車男”のエピソードの最後まで見る事が出来る。読み終えた後の感動は、なかなか言葉にし難い。

以上より結論。

“電車男”は間違いなく、書き手である電車男氏と、読み手である多数の2ちゃんねらー達双方によって成立している、従来の文学の枠組みを超えた稀有な作品である。


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