MENU TOP ABOUT DIARY COLUMN HOBBY NOVEL WORD BBS

出生率低下問題

COLUMN MAIN

日本人女性1人が産む子どもの平均数を示す「合計特殊出生率」が、02年の1.32から03年に1.29へ低下し、戦後初めて1.2台に落ち込むことがわかった。

出生率の低下は極めて危険な問題だ。

出生率とは「女性1人が15歳〜49歳までに産む子供の数」である。子供を産む事が出来るのは女性だけであるから、男性の数と女性の数が同数だとするなら、出生率は2.00以下だと人口が減少していく事になる。(夫婦2人で2人の子供を育てれば人口は減らない。)現実的には49歳以前に亡くなる方もいるので、人口維持の為には2.10程度の数値が必要であると考えられている。

「ちょっと待て。今でも日本の人口は増加しているじゃないか」と思う人が居るかも知れないが、これは「寿命が延びているから」という、ただ一点に尽きる。出生率の低下以上に高齢化が進んでいるからである。しかし高齢化は永遠には続かない。続かれても困る。高齢化が止まった時は、順調に人口が減っていく事になる。(2007年には人口が減り始めると予想されている。)

人口維持に2.10が必要にも関わらず、現在の数値は1.29だ。これは現状の約60%の人口しか維持出来ない、という数値である。

ところで出生率の定義から、子供を産む世代は(49−15+1=)35年で一回りすると考えられる。

ココで少々荒っぽい考察をしてみる。これから出生率が1.29のまま推移していくと考えると、日本は35年間で人口が0.6倍に低下してしまう。(現実には35年で世代が完全に入れ替わる訳ではないので、ここまで下がらない。しかし長期的に見ればこのペースで下がっていく筈である。)現在の日本の人口を1億3千万人とすると、2039年には7800万人まで減少するのである。

恐ろしいのはこれからだ。105年(35年×3)後には、人口は(0.6×0.6×0.6=)0.216倍にまで低下する。つまり、2109年には日本の人口は3000万人弱になってしまう、という事だ。さらに105年後の2214年には僅か600万人程度になる。現在の東京23区の人口より少ない。

さらに絶望的なのが、出生率は下げ止まりの傾向すら見せていない、という事だ。最近の出生率の変化を表したグラフを見てみよう。



現在は1980年代ほどではないにしろ、それでも1990年以降は殆ど一定して出生率が下がっているのが分かる。傾きが緩やかにすらなっていないのである。これは極めて危険な兆候だと言えるだろう。

(グラフには政府予測も掲載されているが、今見ると「どうしてそんな予測になるんだ!?」というくらい不自然なカーブを描いてますなぁ……。)

以上よりイイタイコト。

出生率が今の水準のままだと2214年には日本の人口が600万人になる。しかも出生率は現在の所、下げ止まる気配すら無い。


この問題の難しい処は、「個人としては子供を産まない権利を全員が持っているが、国民全員が実際にその権利を使用すると、その国が成り立たなくなる」という性質だろう。これは、「個人としては少しでも安い物を求めるべきだが、全体がそれをするとデフレーションに陥ってしまう」という、“合成の誤謬”の構図に非常に似ている。(“合成の誤謬”とは、経済現象に於いて個人が選択する行動が社会全体に対する結果と矛盾する事。詳しくはリンク先で。)

経済活動に限らず、個人の善なる(正確には非悪な)行動が社会的に広がると全体に悪影響を及ぼしてしまう、というケースは数多い。その中の一つが「子供を産まない」な訳だ。「子供を産まない」という行動は、個人個人としては全く非難されるものではないので、出生率低下問題の解決は、非常に困難になる。

こういう問題に対しては、社会全体としての取り組みが重要になる。具体的には、「子供を産む」という行為が「子供を産まない」という行動よりも、相対的にメリットが大きくなるようにすれば良い訳である。

これには二つの方法が有る。一つは「子供を産む」人を優遇する事。もう一つは「子供を産まない」人を冷遇する事だ。

本当ならば、この二つを弾力的に組み合わせた政策を取るのが、出生率低下問題を解決する為には最も望ましい筈だ。しかし現在の日本では前者は行われているが、後者は行われていない。これは後者の政策を取れば、明らかに国民の大反発が予想される為だろう。

日本と全く反対の「子供が多過ぎる」という事情を持っている中国では、1970年代から“一人っ子政策”を展開していた。“一人っ子政策”は地域によって内容が異なるが、基本的には「一人っ子の家庭には援助金を支給」と「二人目の子供を産んだ家庭は一定期間賃金カット」という、優遇政策と冷遇政策の二つを組み合わせた事によって成功した。(但し、“一人っ子政策”には戸籍を持たない子供が増加するなど、問題点も多い。)

日本が出生率低下問題を解決出来ないのは、優遇政策は出来ても冷遇政策は出来ないからだ。実は政府が支持率など無視して、冷遇政策を含めた対策を立てれば、割と簡単にこの問題は解決出来ると思われる。

以上より結論。

日本が出生率低下問題を解決出来ないのは、「子供を産まない」人に対する冷遇政策を取れない為である。


勘違いして欲しくないのだが、僕自身は「子供を産まない」人に対する冷遇政策を支持している、という訳ではない。そうすれば出生率低下問題を解決出来るというだけで、冷遇政策をしなくて済むならその方が良いに決まっている。という訳で、以下では冷遇政策を取らずに出生率低下問題を解決するにはどうしたら良いかを考えてみる。

「出生率低下問題は子供を産まない人に対して冷遇政策を取れないからだ」と書いた。しかし、この手法は問題も多い。これだと「ただ子供を産みさえすれば良い」という発想が現在以上に根付いてしまう可能性が高い。となれば、今でさえ大きな社会問題になっている子供への虐待などの事件が増大してしまうのは目に見えている。

優遇政策の強化(援助金の追加)や冷遇政策の導入(罰金の徴収)では、出生率低下問題は解決しても、虐待の問題は解決しない。両方を解決する為には、別のアプローチが必要なようだ。

しばらく考えてみると、

の三つが基本的な柱になりそうだ。

まず一つ目の「経済的に出産や子育てが難しい人を支援する」は、既に浸透し始めている。子供を産む人に対する優遇政策や企業に於ける育児休暇制度など、まだまだ十分とは言えないかも知れないが、近い内に完全に定着するのは間違い無いだろう。これは最早、解決は時間の問題であると思う。

二つ目の「虐待を行うような人の性格を矯正する」は厄介だ。そもそも虐待を行う前に、“虐待しそうな人”を見付けるのは不可能に近い。結果的に対処は後手に回らざるを得ないのが現状だろう。「一度でも虐待を行った者には出産を禁止する」といった厳罰化を行えば、多少の予防効果は有るかも知れないが、“多少”の域は超えないだろう。仕方無いので、今は「虐待する親の比率を増やさない」事が目的なので、この解決方法を模索する事はココでは諦める。

最後に三つ目の「出産や子育てに対して特に問題が無いにも関わらずそれをしない人を減らす」だ。今は盛んに一つ目(経済的に出産や子育てが難しい人が多い)が少子化の原因だと言われているが、僕は実はこの「出産や子育てに対して特に問題が無いにも関わらずそれをしない人」というのが多いのではないかと思う。未婚者の増大や、晩婚化、「結婚しても子供は要らない」と考える人の増加がこれに当たる。

しかし、ただ「早く結婚しろ。そして子供を産め」とだけ言う訳にもいかないだろう。そこで少しでも子育てに対するネガティブな意識(不安など)を取り除く為に、やや唐突だが以下のような提言をしたい。

それは、「小学校高学年から高校まで、『育児』という科目を必修にする」事だ。毎週やらなくても良い。一ヶ月に一度くらい、『保健体育』の代わりに『育児』を行えば、殆ど現行のカリキュラムに影響を与えずに出来るのではないだろうか。恐らく小学生に対して避妊の方法を教えるよりは、多くの人に役に立つ授業になると思う。

そして年に一度くらいは実習を行えるとさらに良い。近くの保育園や幼稚園などに協力してもらって、育児を体験する。小学校5年生から高校3年生まで行うとすると、8回も経験を積む事が出来る。

ただ『育児』という科目を導入しただけでは、生徒がマジメにやってくれないかも知れない。だから試験に組み込むと良いだろう。センター試験に『育児』を組み込み、大学側がそれを必修とすれば効果抜群だが、それが難しいならば学校の定期テストに入れる程度でも構わないだろう。月一回の授業なので試験は学年末だけにして、その代わり実習を行った後にはレポートを課すなどして補う。

実際に子育てをしている人からすれば、「そんな事じゃ子育ての大変さは分からない」と思うかも知れない。しかし、ここで重要なのは「育児に対するネガティブな思想の軽減」だ。上記の手法は、この役目は果たすのではないだろうか。

実際にまだ子育てなどした事が無い23歳が言うのは気が引けるが、本来は育児というのは楽しいものではないかと思う。いや、進化論的に考えても、出産や育児が人間の本能に組み込まれている以上、楽しく感じない筈が無いのである。

以上よりイイタイコト。

出生率低下問題の解決の為に、『育児』という科目を必修化したらどうか。育児は本来は楽しいもの(だと思う)。


今日今日のアクセス数/昨日昨日のアクセス数/累計累計のアクセス数
Read me! ページ最上段へ