多数決は危険である。
多数決という決定方法は、それ自身が奇妙な説得力を持っている。多数決で決定された事項は、それが最善であると勘違いされがちだ。
これはマジックをやっていて思う事なのだが、例えばAというマジックとBというマジックのどちらかを演じようと思った時、サークル(奇術愛好会)の友人達に「AとB、どっちが良いと思う?」と聞いて、多数決を取るのは有効だ。どちらの方が、より多くの観客の嗜好に合うか――完全ではないだろうが、ある程度の傾向を予測する事が出来るからだ。
一方で、具体的に演じるマジックが決定して、まずは内輪で披露した時、「これはネタバレしてしまわないだろうか?」と心配になる部分が存在する。実際にネタが見えてしまうような演技は論外だが、ネタが見えなくても一部の観客が「何となくアヤシイぞ」と思いそうな、不自然な演技になってしまう事はよく有る。
このような時に「この部分の演技はマズイかな?」と聞くのは正しいが、その結果「いや、別に気にならなかったよ」と言う人が多かったからと言って、その演技で安心してしまうのは極めて危険だ。
ネタが直接は見えないとしても、そして過半数の観客が気にしないとしても、それでも例えば全体の1割くらいの観客が“演技の不自然さ”を感じ取ってしまうような演技は、演技として失格な筈である。この辺りを勘違いすると、良いマジックの演技は出来ない。
このようなケースはマジックに関わらず、日常的に様々な場面で感じる事が多い。普段から多数決の罠に嵌まらないように気を付けないといけないと思う。
以上よりイイタイコト。
多数決は一見、最善の方法を模索する手段で有るように感じるが、そうではない。多数決の持つ奇妙な説得力に騙されてはいけない。