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議論に強くなる為のリスク

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どうして「どうして?」と訊いてはいけないのか?

僕は相手の主張に対して、「どうしてそれが妥当だと考えるのか?」とか、「そう考える根拠は何か?」という類いの質問をする事が多い。しかし大抵の場合は、この手の質問というのは煙たがれる事が多い。

僕としては別にケチを付けている訳ではなく、単なる簡単な確認の意味で訊く事が大半なのだが、どうもそう受け取ってくれない人が多いようだ。(本当にケチを付けてる時も有るが。)

これについて哲学者の野矢茂樹氏は、『哲学教科書シリーズ 論理トレーニング』という著書の中で次のように語っている。

老婆心からの忠告であるが、「なぜそんなことが言えるのか」という問いを友人や家族に向かってみだりに発すると人間関係を損ねるおそれがあるので注意されたい。しかし、なぜ、論証を求めると人間関係が悪化するのだろう。おそらく、ある主張に対して論証を求めると、それは、その主張に疑いを表明したものとして受け取られてしまうのである。そしておそらく、自分の意見を共有してくれない相手をつきあいにくいと感じてしまうのだろう。

ここには2つの問題点が含まれていると思う。一つ目は既に書いたように、論証を求めただけで相手の主張に対して疑いを表明していると解されてしまう、という点である。仮に自分が「正しい」と思っていて結果的にもそれが「正しかった」としても、思わぬ所で何らかの見落としをしている事は多い。それを補正する為には、イチイチ論証を求める細かさが必要だ。

もう一つは、自分の意見を共有してくれない相手とは付き合いたくない、という嗜好である。別に「狭量な精神構造のヤツは排除だ!」とか言うつもりは無い。しかし一般的な社会生活を営む上で、自分の意見を共有してくれない人間というのは数多く存在するハズで、そういう人間を相手にした時に絶えずストレスを感じ続けるのは、とても不幸な事だと思う。結果的に損な人生を歩む事になるのではないだろうか?

野矢茂樹氏は議論に強くなる為には、日常的に「なぜそんなことが言えるのか」と訊くべきだ、とも言っている。しかし議論に強くなる為には、人間関係を壊してしまうというリスクを負ってしまうのが現状だ。

以上より結論。

日常的に「どうして?」と訊くと、人間関係を損ねる可能性が有る。しかしそれは、議論に強くなる為に必要なリスクだ。

僕が議論に強いかどうかは分からないが、「どうして?」と訊く癖の所為で、自分の家族との仲はボロボロである。野矢茂樹氏の老婆心は、図らずも見事に当たっている。


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