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殺人についての考察

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A:「他人を殺しても良い」となったら、君はどうする?

B:え? それはどういう事ですか?

A:現在では特殊な場合を除き、人は他人を殺せない事になっている。そういう意識が社会規範となっているのは明らかだし、法律的にも「殺人罪」という罪を設定する事で殺人を抑制している。人は「人を殺してはいけない」と言う。しかし、それは何故だろう? どうして人は他人を殺してはいけないのだろうか?

B:それは……わざわざ説明しなくてもアタリマエじゃないですか? それが道徳とか倫理ってモノでしょう?

A:そこが微妙なんだな。アタリマエ……そう、アタリマエ過ぎて、逆になかなか説明が出来ない。しかしね、パスティーシュ作家として有名な清水義範氏の著書『今どきの教育を考えるヒント』(講談社文庫)に拠れば、何年か前に筑紫哲也氏の番組で識者や若者が何人か集まって、続発する少年の凶悪事件についての討論をした事が有ったそうなんだ。そこで若者の一人が「なぜ人を殺してはいけないんですか?」という質問をしたら、番組に集まった識者達は一人として、その問い掛けに答える事が出来なかったというんだよ。

B:じゃあその後、番組はどうなったんですか?

A:その時はね、司会役の筑紫哲也氏が「人が人を殺して良い時が一つだけ有って、それは戦争の時だ」という事を言って、次の話題に流れたらしい。まぁこの返し方は巧いと思うけど、実は全然「なぜ人を殺してはいけないんですか?」という質問の答えにはなっていないんだよね。

B:確かにそうですね。

A:そこで僕は薄ら寒いような感じがしたんだ。「アタリマエ過ぎて誰も説明が出来ない事――そういう事を“アタリマエ”と思えない人間にキチンと納得させる為には、どうすれば良いんだろう?」って。で、僕は思ったワケだよ。それにはやはり、説明をしなくちゃならないんじゃないか、と。どんなに僕達がアタリマエだと思っていても――いや、アタリマエ過ぎて説明出来ないからこそ、説明が出来るようにならなくちゃいけないんじゃないか、って。

B:でも……その若者は「人を殺してはいけないのは何故か?」なんて、本気で考えていたんでしょうか? 僕には単に若者が敢えて、識者達が答え難いような質問を投げ掛けただけのように感じるのですが。

A:その可能性は高いと思う。しかし、その若者が分かっていたとしても――もしも世界で一人でも「人を殺してはいけないのは何故か?」と、本気で考えている人が居たらどうする? そんな人が君の目の前に現れたら、どうする? 例え他人がどうあれ、実は僕達が「なぜ人を殺してはいけないんですか?」という質問に答えられない、という事実は変わってない訳なんだなぁ。

B:なるほど。確かに僕達は何となくアタリマエと思っていても、実は薄氷の上を歩んでいるのかも知れない、という事ですか。

A:そう、そんな感じだ。

B:だから「他人を殺してはいけない」という質問に対して、何か合理的な回答を考えたい、というワケですね。でも、そんなのは実は簡単だったりしませんか? 例えば「自分は殺されたくない。だから他人を殺してはいけない」とか。

A:それじゃ駄目だね。君は最低でも2つの間違いを犯している。まず1つ目は、「自分は殺されたくない。だから他人を殺してはいけない」というのは、誰もが「自分は殺されたくない」と考えている事が前提となっている事だ。これだと例えば「自分は誰かに殺されても良い」と考えている人物――自殺志願者みたいな人物は他人を殺しても構わない、という事になる。それで君は良いのかい?

B:いや、そんな事はないですが……。

A:つまりね、「人が他人を殺してはいけない」の回答として、「自分が殺されたくないから、他人を殺してはいけない」という因果応報みたいな考え方は、適していないんだな。さっき言ったような例外を認めるなら別だけどね。

B:……もう一つの間違いとは何ですか?

A:それはね、そもそも「人が他人を殺してはいけない」なんて正しいのか、という事さ。

B:そんな。「人が他人を殺してはいけない」のが正しくないと言うんですか?

A:そうではない。しかし、では君は何故「人が他人を殺してはいけない」のが正しいと思うのだ?

B:そんなのアタリマエじゃ…………あ!

A:そう。今はアタリマエを疑わなきゃいけない。アタリマエな事にも説明を付けなきゃならない。そういう話をしてるんだ。だから、そもそも「『人が他人を殺してはいけない』という事は正しい」というのを前提としては、いけないんだ。

B:つまり、「人が他人を殺してはいけない」というのが正しいのか否か、から考察しなければならない、と?

A:厳密に言えば、正しいか否かを判断出来るのか否か、から考えなければならないだろうね。正しくも間違ってもいない、という可能性が有るからだ。しかしここで、そのレベルまでメタ的な議論を始めると、キリが無くなる。ここは一応、「人が他人を殺してはいけない」は正しいか否かのどちらかである――即ち、「人が他人を殺してはいけない」は命題である、という事を仮定する事にしよう。

仮定:「人が他人を殺してはいけない」は命題である。

B:“命題”というのは、その文章が真であるか偽であるかのいずれかである事を示す論理学用語ですね。

A:その通り。さて、この命題は真なのか偽なのか……。

B:真であって欲しい、というのが正直な所ですね。

A:心情的にはその通りだ。では、この命題が真である事を証明する事にしよう。これが証明出来なければ、偽である可能性が高くなるけどね。

B:しかし、「人が他人を殺してはいけない」が真である事を証明するとは言ったものの、どうやったら証明出来るのか、全く想像が付きません。

A:確かに。そこでね、ここは敢えて、「人が他人を殺してはいけない」が偽である事を仮定して、そこから矛盾を導こうと思う。

B:それって“背理法”とかいうヤツですか? 「『人が他人を殺してはいけない』は偽ではない。従って真だ」という論法ですよね。段々、数学っぽくなってきましたねぇ。

A:その通り、背理法だ。でも背理法というのは、数学だけで用いられる証明法ではないよ。ま、それはさておき……。難しいのは、今回の証明に於いて導かれるであろう「矛盾」とは、どんなものなのだろうか、という事だ。何しろ今の僕達は、通常の数学よりも遥かに抽象度の高い問題に挑戦しようとしている訳だからね。数学みたいに「『無理数=分数』となったので矛盾。よって証明終了」とかいうような明らかな矛盾が出て来る訳ではないだろう。

B:そうですね。となると、どんな場合に「矛盾」と言えるのか……。難しいですね。

A:うん。そこで考えてみる。するとまぁ結局は、「僕達の世界が最悪な状態になってしまう」事が「矛盾」なんじゃないか、と思うんだな。君はどうだい?

B:うーん、「僕達の世界が最悪な状態になってしまう」ってのは、幾ら何でも曖昧過ぎるんじゃないですか? らしくないですよ。

A:そうかも知れないね。じゃあ君が、もっと細かい定義をしてくれよ。

B:えーと……なんでしょう。「世界中が殺人鬼だらけになる」とか、そんな感じでしょうかね。

A:ははぁ、なるほど。確かにそんな世界は嫌だねぇ。でも、それはまだまだ甘い感じがするな。「最悪」じゃない。

B:充分「最悪」だと思うんですけど。

A:「最悪」というのは最も悪い状況――つまり、それ以上は悪くなりようが無い状況の事を指すんだよ。となると、「世界中が殺人鬼だらけになる」程度では最悪とは言えない。

B:では、どんな状況が「最悪」なんでしょう。

A:例えばだね……君は漫画は読むかな? 漫画『ハンターハンター』第13巻で、フランクリンとシャルナークという2人のキャラクターが、次のような会話をしている。

フランクリン:シャル、今オレ達にとって最悪のケースってのは何だ?
シャルナーク:ん――団長はすでに死んでて、ヒソカ、パクノダ、マチ、コルトピ、シズク、ノブナガが鎖野郎に操作されてる。鎖野郎の所在は結局知れず、この2人にもまんまと逃げられる、かな。
フランクリン:そこが間違ってんだよ、お前らは。最悪なのはオレ達全員がやられて旅団が死ぬことだ。


A:人間ってのはね、「最悪」のケースを想定しているつもりでも、実は無意識の内に心の何処かで、防衛線みたいなモノを張ってる事が多いんだな。だから、このシャルナークも「最悪」を見誤った訳だ。

B:つまり、こうですか? 貴方が言いたいのは……僕達にとっての「最悪」というのは、「人類全てが滅んでしまう」事だ、と?

A:その通り。人間にとって、それ以下な状況というのは考えられないからね。

B:なんだか随分と話が肥大化してしまった気がします。「人類全てが滅んでしまう」なんて……。

A:まぁね。しかし、これで背理法を行う準備が整ったぞ。「人が他人を殺してはいけない」が偽である、即ち、「人は他人を殺しても良い」を仮定して、「人類全てが滅んでしまう」という「矛盾」を導こう。

仮定:人は他人を殺しても良い。

B:最初に「『他人を殺しても良い』となったら、君はどうする?」と訊いてきたのは、この為だった訳ですね。

A:そう、やっと分かってくれたか。で、今までの事を踏まえて訊くけど、「他人を殺しても良い」となったら、君はどうする?

B:仮にそうなったとしても、僕は誰も殺さないと思いますよ。まぁ心情的に嫌いな人は居ますけど、殺したいという程の人は居ませんから。

A:ふむ……。しかし、どうして君は殺さないんだ? わざわざ背理法を使っておいてナンだけど、じゃあ例えば、君は確かに今の世界――「人が他人を殺してはいけない」世界で誰も殺してはいない。それは何故なんだろう? 筑紫哲也氏の番組に出演していた若者と、全く逆の問い掛けをしてみる事にしよう。即ち、「どうして君は他人を殺さないんですか?」と。

B:それは……デメリットばかりでメリットが無いからですよ。さっきも言ったように、僕には殺したいと思う人間が居ませんからメリットが有りません。それなのに誰かを殺してしまったら、逮捕されてしまうじゃないですか。これは明らかに僕にとってデメリットでしかない。

A:なるほど。実に合理的な説明だ。「殺人はメリットよりもデメリットが上回る。だから殺さない」と、こういう訳だね。となれば、「殺人のメリットがデメリットを上回る」という状況に置かれれば、君は誰かを殺すかも知れない訳だ。

B:え、と……うーん……確かにそうかも知れないです。でも、「他人を殺しても良い」という世界だって、デメリットは殆ど消えるかも知れないですけど、メリットが大きくなる訳じゃありませんよ。さっきも言いましたけど、特に殺したいという人間も居ませんしね。だから、殺人はしません。

A:それは果たして本当かな? 確実なメリットが一つ存在すると思うがね。

B:何ですか、それ?

A:君が、その相手に殺される可能性が無くなる。これは立派なメリットじゃないか?

B:……そういうものですか?

A:だって、もしも君が相手に殺されたら、それはとてつもなく大きなデメリットだろう?

B:そりゃ、そうですが。

A:大きなデメリットの可能性が消える――これは君にとってのメリットだ。だから、「他人を殺しても良い」世界では、殺人が功利的な行動と“成り得る”。

B:それでも僕は、他人を殺しません。

A:恐らく君は、「誰かを殺した処で、それによって自分が殺される確率の減少値など、極めて小さいに違いない。それだったら、自分の良心が痛む、というデメリットの方が大きい筈だ」とか考えているんじゃないのかな? しかし実の処、君のその決心なんてものは、どうでも良かったりするんだなぁ。重要なのは寧ろ、殺人が功利的な行動と“成り得る”――そう、“成り得る”という可能性なんだ。

B:どういう事でしょう?

A:君がどのように決心しようが、他人が同じように考えるとは限らない、って事さ。現在、地球上には60億もの人間が居るんだよ。60億人全員が君のように考えてくれたら、確かに殺人なんかは起こらないんだろうけどねぇ。しかし「他人を殺してはいけない」というルールが敷かれている現在でさえ、昨年は日本国内だけでも、1452件もの殺人事件が発生している。これで「他人を殺しても良い」となったら、一体どうなるかは目に見えてるじゃないか。

B:殺人事件の大量発生……。

A:その通り。まぁ「他人を殺しても良い」世界で、殺人を「事件」と呼べるかどうかは定かじゃないけどもね。

B:しかし、しかしですよ。確かに殺人は急増するでしょうが、それは一過性のものではありませんか? 確かに、内心で誰かを殺したがっている人間は、その人を殺すかも知れません。ですが、それで終わりでしょう? 僕には「人類全てが滅んでしまう」という処まで行き着くとは、とても思えないんですが。

A:一過性ね……それだけでも期待が甘いような気がするが……。それに実は、殺人が止まらない要因となるであろう事項が、一つ有るんだな。

B:殺人が止まらない……。その為には、殺人によるデメリットの減少か、メリットの増加が見込まれなければならないハズですが? 「他人を殺しても良い」世界に於いて、これ以上に殺人のデメリットが減少するとは考え難いですよね。となると、殺人のメリットが増加する、と?

A:そうだ。何故なら殺人が起こる度に、例えば君への危険度が増すからさ。

B:確かに世の中が殺人事件だらけになったら、僕に対する危険度は増すでしょうが……。――そうか! となると、僕が他人を殺す際の「その相手に殺される可能性が無くなる」というメリットが増大する訳か。

A:「人が他人を殺しても良い」世界――そんな悲しい世界では、時が経つと共に、殺人の功利性も加速度的に増していく事になる。この世界では、殺人の功利性は高くなりこそすれ、低くなる事は有り得ないからね。

B:即ち、「人が他人を殺しても良い」世界では、殺人は止まらない。寧ろ加速度的に増加する、と。

A:従って、その世界は「人類全てが滅んでしまう」、又は、極めてそれに近い状態になる事が予想される。拠って「人は他人を殺しても良い」という仮定――つまり、「『人が他人を殺してはいけない』が偽である」という仮定は、「人類全てが滅んでしまう」という矛盾を引き起こす。

B:背理法を用いれば、「人が他人を殺してはいけない」は真である、ですか……。

A:以上が、「なぜ人を殺してはいけないんですか?」という問い掛けに対する、僕の回答だ。長かったけど、これで終わり。


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