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意味の在る無意味な制約

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物事には有る程度の制約が課せられていた方が取り組み易い。

僕は日記で『(笑)』を使わないように、心の中で決めている。同様に『w』や『(涙)』や様々な顔文字の類も、日記では使わない事にしている。

これらの記号が嫌いな訳ではない。また、いつだったか「『(笑)』を使うと、その文章全体の重みを一気に損なってしまう」という文章を読んだ事が有るが、そういう弊害を気にしている訳でもない。

単に“日記では使わない”と決めているだけで、他では普通に使う。『(笑)』なんかは掲示板へのレスやメールの返信には、ほぼ確実に入っていたりする。

僕は無意味な制約を日記に課しているのだ。が、無意味な制約は、実は無意味ではない。

ショートショート作家の星新一氏は、自作に次の3つの制約を課していた。

この3つは小説を書く上でデメリットにしかならない。最初の時事ネタは扱わないというのは『作品に普遍性を持たせる』という効果が無くも無いが、後の2つは作家としては完全に無意味な制約である。(念の為に断っておくが、実は星氏は、自作の中で幾つか制約を破っている物も存在する。しかし上記のような制約を課していたのは事実である。)

しかし星氏は「このような制約を自分で決めたからこそ、長い間ショートショートを書き続けて来れた」と言っている。一見、無意味としか映らない制約が、実は長く続ける為に有効だったと言うのだ。

このような事は割と多くの人が経験しているのではないか? 例えば学校で、「テーマは何でも良いから作文を書きなさい。分量も自由」という宿題を出されたら、逆に書き難いと思う。テーマが定められ、分量も原稿用紙5枚程度、と決められていた方が、多くの人にとっては書き易い筈だ。

それと同じで、僕は『(笑)』などを含めない文章を書くという制約を課す事で、逆に日記を書き易くしているのである。

以上よりイイタイコト。

一見、無意味に見える制約にも、意味がちゃんと在ったりする。


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