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“考え過ぎてしまう”という事

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僕は“考え過ぎてしまう”癖が有る。それで鬱病になった。今日は“考え過ぎてしまう”というのが、具体的にどういう事なのかを書いてみたい。

例えば、「1円でも安い商品を買う為に、自転車で30分も掛かるスーパーまで行く専業主婦(専業主夫でも良い)について、どう思うか?」と聞かれたとしよう。

同一の商品をより安い価格で購入する事は、家計的に考えてメリットである。一方で、その為に近所のスーパーを利用せずに、わざわざ遠くのスーパーを利用する事は、時間的に考えてデメリットである。

普通ならばこの時点で、「ロスする時間に見合うだけの金額的な差が存在するか否か?」を考える事で結論が出る。例えば「往復で50分もロスするのに100円しか浮かないならば、人生の無駄遣いだ」とか。判断基準は人それぞれだろうが、大抵の人は、この時点で結論が出るだろう。

しかし僕は思考がここで終わらないのだ。というか、終わってくれない。止め処も無く色々な事を判断材料に加えてしまうのだ。

日常的に長時間、自転車で移動するという事は、かなりの運動量を稼いでいる事になる。という事は、その人はより健康的な身体になり、将来的に必要な医療費が少なくなるのではないか? いやしかし、それだけ自転車を使っていたら、その自転車が故障する可能性が高くなる。となると修理費やら自転車の買い替え代金などが余計に掛かってしまうだろう。だが少しでも安い商品を求めるというのは、その人の密かな楽しみになりはしないか? そうなれば心理的に良い影響が出るだろう。でも移動時間が長いという事は、道端で知り合いに出会う確率が増す。その知り合いが他愛無い無駄話好きの人間だったら、余計に時間をロスしてしまう…………という感じ。こういう事を雪崩式に考えていって、その全てを総合して判断しようとしてしまう。

しかも突き詰めていくと、「このような思考は時間に見合うだけのメリットを有しているのか?」というメタ的なレベルまで考えが発展していって、本当に膨大な思考量となってしまい、最終的には収拾が付かなくなったりする。

このような癖は、学問(特に数学や理科)に於いては寧ろ有利に働いたりする。『想定外のケース』が許されないからだ。徹底的に「こういう場合はどうなるんだろう?」と考えていく事によって、自分の知識や論理の穴を発見できるようになる。

しかし大学に入った辺りから、この癖が日常生活にも頻繁に出るようになってしまい、状況が変わった。簡単に言えば“余計な事を考え過ぎている”状態で、頭の休まる時間が極端に減った。常に「自分や他人の行動が、後にどのような影響を与えて派生していくのだろうか?」という事を考え続けてしまうのだ。

結果として集中力が失われ、鬱病になってしまった。鬱病になる原因は多種多様であるだろうが、全般的には“考え過ぎてしまう”事がキッカケになる事が多いようだ。何か嫌な事が有ったりすると、それについて思い詰めてしまう、というケース。僕の場合は嫌な事が有った訳ではないが、どうでも良い事を思い詰めてしまうようになった。

以上よりイイタイコト。

“考え過ぎてしまう”という事は学問に於いては有利に働く事も有るが、日常的にやるべきものじゃない。ちゃんと頭を休ませる事が必要だ。


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