MENU TOP ABOUT DIARY COLUMN HOBBY NOVEL WORD BBS

webサイトは平等を保てるか?

COLUMN MAIN

誰でも作れるwebサイト。しかし、そこに差別は発生しないのか?

人間は何にでも差別の原因を作る事が出来る。人種・国籍・性別・年齢・学歴・病歴・性癖・家柄……。将来的にはwebサイトだって、差別の原因になるかも知れない。

既にwebサイトにも差別化の動きは広がっている。例えば大手検索サイトであるyahooのカテゴリ検索は、yahooオペレーターがwebサイトを選別し、それにパスしたサイトだけを掲載するようにしている。

yahooだけではない。同じく大手検索サイトのgoogleでは、“Page Rank”という独自の基準を設け、殆ど全てのサイトの重要度を細かく数値化している。googleツールバーをインストールする事で、“Page Rank”を大雑把に11段階(0〜10)に区分けしたランクを見る事が出来る。ちなみに現在の所、このサイトの“Page Rank”は『4』と評価されている。(2005年1月現在は『3』に下がっている。)

数多く存在するアクセスランキングの類も、webサイトの差別化を促進していると言って良いだろう。“アクセス数”という尺度によるwebサイトの選別だ。アクセス数が少ないサイトは、ランキングの奥底に埋もれてしまって多くの読者には見られない。

ただ、上で提示したような“差別”は、寧ろメリットの方が大きい。重要なwebサイトが、検索結果の最初に表示されたり、ランキングで上位に表示される事は、読者にとって利用し易くする為の工夫だからだ。

しかしダイナマイトの利用がトンネル工事だけに留まらなかったように、人間は道具や概念に対して、常に新たな利用法を模索し続ける動物だ。この性質こそが正に人間をここまで発展させて来たと言えるが、同時に幾つもの負の産物も発生させた。差別もその一つだろう。

となれば、これからはwebサイトも差別の一因となる可能性は、充分に有るように感じる。

例えば、現在のwebサイトは匿名で作られている事が多いが、将来的には一人一人が自分の公的なwebサイト(これを“個人公式webサイト”と呼ぶ事にする)を持つようになる可能性は高いと思う。個人公式webサイトがどのような形になるかは分からないが、履歴書や戸籍のような存在になる可能性が高い気がする。住基ネットの個人版とでも言おうか。その上で、匿名のwebサイトを持ちたい人は持つ、という世界になっていくのではないか。

そのような個人公式webサイトに、現在のgoogleの“Page Rank”のような重要度を付加されたらどうなるだろうか? それは正に、webサイトによる個人の差別化に繋がらないだろうか?

例えば、就職活動で入社試験を受ける条件として「個人公式webサイトの“Page Rank”が『5』以上である事」とか、「個人公式webサイトの1日のアクセス数が1000以上だと優遇」とか、その程度のレベルの差別化が図られる可能性は、有り得ないとは言えまい。

いや、その程度で収まれば、まぁ良い。現在でも、そのレベルの差別は認められている。例えば高卒と大卒とでは、入社試験どころか入社した後の給料も異なる。

僕が心配なのは、個人公式webサイトによる差別が過剰なまでに発展する事――過去の、そして現在でもなお根強く残っている人種差別に匹敵するくらいの致命的な差別は生み出されないと言えるのか、という事だ。

もしかしたら、今こんな話を聞いても「はぁ? 何そんな非現実的な事を心配してるの?」と思われてしまうかも知れない。しかし、例えばインターネットオークションが初めて出て来た時、これだけ詐欺事件が頻発する事を、どれくらいの人が予想出来ただろうか? 例えばチャットを初めとしたwebサイト上のやり取りの中で、女子小学生が同級生を殺そうとまで憎む事が有る、と想像出来た人がいただろうか?

人間の可能性は無限大だ。良い意味でも、悪い意味でも。

以上よりイイタイコト。

将来的にwebサイトが差別の原因にならないという保障は何処にも無い。そうなった時、いや、そうなる前に、我々はどうすれば良いのだろうか?


今日今日のアクセス数/昨日昨日のアクセス数/累計累計のアクセス数
Read me! ページ最上段へ