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インターネットの“日常化”

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「寝る」、「食べる」、「顔を洗う」、「歯を磨く」、「服を着る(着替える)」、「入浴する」……この辺りは日常生活の基本であり、殆どの人が毎日欠かさず行っている筈だ。まぁたまには徹夜をしたり、お風呂に入らなかったりする日も有るかも知れないが、そういう日は寧ろ例外であって“日常”とは言えまい。

「テレビを見る」という人も多いだろう。僕は一日で全くテレビを見ない日というのは、ほぼ皆無だ。こういう人も割と多い筈である。やはり「テレビを見る」も我々の“日常”の一部だと言えよう。

ところで「テレビを見る」という行為は、テレビ(及び放送局や電波塔など)が開発されたからこそ発生した訳である。そしてテレビが世に出る前は、「ラジオを聴く」というのが一般的だったろう。ラジオとて未だ現役バリバリのメディアではあるが、言わばテレビはラジオに取って代わった存在である事に疑う余地は無い。

ではラジオが開発される前はどうだったかというと、僕には「テレビを見る」とか「ラジオを聴く」に相当する行為が、どうしても思い当たらない。

そう考えると、ラジオやテレビの発明というのは、確実に僕達の日常生活に大きな変化を齎したんだなぁ、という気がする。何しろ今では殆どの人が毎日テレビを見ているのである。その存在が無ければ、人類の生活は大きく変わっていた筈だ。(それが良い方向か悪い方向かは分からないが。)

となれば、僕達は新たなる“日常的行為の発生”に関して、もう少し慎重になるべきなのかも知れない。繰り返しになるが、殆どの人が毎日行うような行為は、社会に多大な影響を与えるからだ。

――さて。実はここで僕が言う“新たなる日常的行為”とは、インターネットの事である。

もうインターネットは随分と普及した。しかも一定金額で使い放題のブロードバンドが主流となりつつある。「ネットに接続する」という行為が、「テレビを見る」くらい“日常化”する日は近いだろう。実際、僕は既にネットに接続しない日というのは皆無に近く、僕にとって「ネットに接続する」のは最早“日常的行為”である。

一方で、僕のように毎日「ネットに接続する」という人は、まだそれほど多くは無い筈だ。少なくとも「テレビを見る」よりはマイナーな行為だろう。携帯電話のメール機能なんかは、かなりの人にとって“日常的行為”となっているかも知れないが、あれは新しい“日常的行為”と言うよりは、「電話をする」の代替行為に近いものが有ると思う。だから「ネットに接続する」は、まだ“日常的行為”とは呼べない。

しかし、である。しかし「ネットに接続する」は、近い内に“日常化”する。「食べる」とか「寝る」とかと、同等の行為になるのだ。それは間違いない。そうなると僕達人間の生活にどのような影響を与えるのか、僕にはそれが気になって仕方ないのである。

以上よりイイタイコト。

人間には幾つかの“日常的行為”が存在する。そしてそれまでに無かった全く新しい“日常的行為”が発生した時、人間の生活がどのように変化するのかは想像も付かない。


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