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喪失と価値

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「失って初めて自分にとって、どれだけ大切だったか」を知らされる事は多いが、同時に「失って初めて自分にとって、どれだけ無意味だったか」とか「失って初めて自分にとって、どれだけ悪影響を受けていたか」を知らされる事もまた多い。

結局の所、物事の価値というのは失ってみないと正確な評価が出来ないのではないか。例えば1冊の本を捨ててみて、後で後悔するならその本には価値が有った訳だし、いつまで経っても後悔しなかったならば価値が無かった訳である。

こういう事は所有し続けていると、なかなか気付けないものだ。だからと言って所有物の破棄を薦める訳ではないが、自分にとって価値が有ると思っていた物が実は全然価値の無い物なのではないか、という懐疑は割と恐ろしい事のような気がする。

この辺りは物に限らず人にも当て嵌まる。家族とか、恋人とか。家族なんかは一度失ったら二度と戻って来ないが、失って初めて価値を知らされる代表例だろう。(全ての人間が死んだ後でしか家族の価値を実感しない、と言っている訳ではない。)

たまに別れたり復縁したりを繰り返して忙しないカップルがいたりして、周りの人間としては「おいおい、またかよ」とか思ったりするが、実はそういうカップルというのは互いの価値を確かめ合っているのかも知れない。そう考えてみると、ちょっとした喧嘩で別れてその数日後には何事も無かったかのように交際を再開しているというのは、なかなか理に適った付き合い方なのかも知れない。

逆に別れてみて、それで「あぁ別にこれでも良いな」と思ったりする事も有るだろうし、さらには「おお、なんて楽なんだ」と思う事も有るだろう。これが即ち、「失って初めて自分にとって、どれだけ無意味だったか」とか、「失って初めて自分にとって、どれだけ悪影響を受けていたか」という感情な訳だが、気を付けたいのはこれはあくまでも相手の価値評価であり、自分自身の評価は入っていないという事だ。

自分は自分と別れる事が出来ない為に、自分に対して正当な評価が出来ない。“自分を喪失する”という行為は、例えば一時的な記憶喪失などで局所的には不可能ではないとも思えるが、まぁ大抵の場合は無理である。

無理なのだから出来なくても仕方無いが、しかしまぁ自分が自己評価を出来ていない事を自覚しておく事は可能である。そしてその自覚というのが、人生を送っていく上で非常に大切な事のように思えてならない。自身に対して全く自覚の無い無頓着な人間というのは、割と迷惑な存在な事が多いからだ。

以上よりイイタイコト。

自分自身を喪失する事は出来ないが故に、自分の価値を正確に把握する事は出来ない。しかしその事自体は自覚する事が可能な以上、そうする事で自分を迷惑な存在に成り下げるのを回避する事も可能な筈だ。


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