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役に立たない文章を書く意味

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僕にとって「日記を書く」という行為は、ある種のストレス発散になっている。日記サイトを作っている中では、似たような人も多いのではないか。

このサイトを含めwebに氾濫している日記や記事の大部分は、他の大多数の人達にとっては取るに足らないテキストだろう。「役に立たない文章なんか、チラシの裏にでも書け」と言う人も居る。僕自身、「こんなどうでも良い内容の日記を、わざわざwebで公開してもなぁ」と思う事が無い訳でもない。

しかしそれでも、それを人目に触れないチラシの裏に書き散らして「ハイ、終わり」と出来ないのは、露出狂の人が自宅で全裸になっても満足出来ないのに似ている気がする。

文章というのは、それを書いた人物の人間性の一部を表しているのは間違い無いと思う。多くの人達は、これを晒したくて仕方無いのだ。その曝け出す対象が特定の集団(友人とか)だったり不特定多数だったりと違いは有るものの、どちらにせよ「他人に自己を露出させたい」という欲求が底辺で流れている事に変わりは無いように思う。

以上より結論。

役に立たない文章を書いて何が悪いのか。少なくとも書いた本人には、充分に意義が有る。ある意味で「webに日記を公開する」という行為は、「自己の露出」であり、その為にストレス発散の効果が有る。

「その役に立たない文章を読まされる読者の立場はどうなるんだ?」という意見は有るだろうが、それはそれで別の問題だと思う。


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