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2004年10月

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2004年10月31日(日) ダイエット結果&キャリア組

昼過ぎに今月のダイエット目標達成を確認。これで今年の5月から通算19.6キロ痩せた事になる。目標の20キロまでもう少しだが、今日は目標達成後に大食いした&飲みに行ったので、明日は今日よりも2キロくらいは太っているだろう。最終的な目標達成は来月後半になりそう。

今日は警察のキャリア組の人(サークルの先輩)と飲んだのだが、この1週間は地震と人質事件で大変だったそうだ。今週は1日平均18時間労働。10月の休暇は1日だけだったとか。人によっては1週間で4日は泊り込み、という事も有るとか。死ぬな、僕なら。

ちなみに、その先輩は忙し過ぎて、彼女と2ヶ月に1回しか会えないらしい。ホント、ご苦労様と言いたい。キャリア組と言えども、別に楽をしている訳ではないようだ。ドラマとかでは『キャリア組=イヤミな奴ら』という描かれ方をされる事が多いが、この辺は『東大生=頭は良くても社会性が欠如している』みたいなステレオタイプ的レッテルと同じなんだろうな。

いずれにせよ、連続的な台風被害に新潟中越地震、そしてイラク日本人拉致事件と、最近は事件や災害が多過ぎる。「この上、日本国内でテロが起きたら、もっと大変になりますね」と聞いたら、「いや、北朝鮮のミサイル発射の方が現実に起こりそうで怖い」と言っていた。何か裏情報でも有るのだろうか。その辺は突っ込んで聞かない事にしている(どうせ機密情報は教えてくれない。直接仕事に関わるような話をされたら、それはそれで大問題である)ので、敢えて聞かなかったが。

今日のイイタイコト。

キャリア組も大変だ。


2004年10月30日(土) “凡人”ではなく“普通人”

僕達の多くは、“普通人”である。

哲学者キケロは、「知者は理により、凡人は経験により、愚人は必要により、鳥獣は本能により動く」という言葉を残したそうだ。一見すると、「なるほど」と思う。しかし考えてみると、人間というのは、“理”にも“経験”にも“必要”にも“本能”にも、等しく支配されているような気がしてならない。

普段からキッチリと生きている人でも“必要”や“本能”に突き動かされる事は有るだろうし、逆に適当に生きてるように見える人でも意外な処で頑張っていたりする。先日の新潟中越地震を受けて、多くのサイトで読者に義援金の送付を呼び掛けているのには驚いた。普段から真面目な事を語っているサイトは勿論、所謂ネタ系サイトでも、そのような呼び掛けをしている処が多い。多くの人が“理”に従って行動している。

こう考えると、ごく一部の聖人君子や相当な愚か者を除き、大抵の人間は“知者”でも“凡人”でも“愚人”でも“鳥獣”でもない、という事になる。では何なんだろう?

“凡人”という言葉がピッタリな気がするが、これはキケロに使われてしまい、それを僕は否定してしまった。となると、“普通人”かな。これが割としっくりくる。

“普通人”という単語は、しばしば超能力者が絡むライトノベルなどで使われるが、通常の辞書にも掲載されている一般名詞だ。『世間のどこにでもいる人』という意味である。意味的にも語感的にも合うのではないか。

以上より今日のイイタイコト。

僕達は“知者”でも“愚人”でも“鳥獣”でもない。“凡人”ですらない。僕達は、“理”にも“経験”にも“必要”にも“本能”にも支配されている。つまり、“普通人”だ。

普通でしかないから、僅かな金額を募金しておいた。しかしそれは、普通だからこそ出来る事でもあると思う。


2004年10月29日(金) 真の評価

意外と自分に対する真の評価は耳に入って来ないものだ。

以前、作家の星新一氏を選者とした、素人によるショートショートコンテストが行われていた。星氏が亡くなってからは、阿刀田高氏が選者を引き継いでいる。

その中で星氏は応募者に対し、以下のようなアドバイスを書いた事が有る。うろ覚えなので正確ではないが、大意は合っているハズである。

「まずは応募する前に、作品を身近な人に見て貰え。『周りの素人は自分の作品の良さを分かってくれない。プロである星さんなら分かってくれるかも知れない』という心情は理解できるが、最終的に本に掲載される以上、一般読者を対象とした物を書かなければならないのである。私だけを納得させても仕方ないし、そういう作品を私は選ばない」

こういう考え方は割と多くの場面で活用できると思う。例えば何かの審査を受けた時、自分に実力が有ると思い込んでいるのに落ちてしまって、それで「審査員のセンスが無いんだ」とか言い訳するのは、やっぱりその人に実力が無いんだと思う。

そもそも批評自体を行うのを、こちらが躊躇ってしまう人間というのは多い。無根拠に自信満々だったりして、何となく批判を言い難い雰囲気を形成している人というのは、確かに存在するのだ。自分も気を付けねばならないと思う。

以上より今日のイイタイコト。

自分に対する真の評価を知る事は難しい。まずは批評され易い雰囲気作りをする事が肝要だ。


2004年10月28日(木) メイド喫茶

秋葉原のメイド喫茶に行って来た。知り合いの女の子が、そこでバイトしてるのである。

店内の内装は普通だが、ウェイトレスは皆、メイド。その知り合いの女の子も勿論、メイド。事前に分かっていた事だが、いやもう笑いが止まらない。でも大声上げて笑う訳にも行かないので、知り合いの女の子からは目を背けて、ずっとニヤニヤしていた。

ドリンクを注文すると、その知り合いのメイドさんが持って来てくれた。バイト中に知り合い面をしてはいけないそうなので、特に気にする素振りも見せないでいたら、その配膳中の無言の時間が気まずかったらしく、「何か話し掛けて下さいよぉ」と甘い口調で訴え掛けて来た。

すると一緒に居た先輩が、「いや、じっくり手元を見てますから」と返答。その先輩は確かに、じっと彼女の手を見詰めていた。僕は目を背けてニヤニヤしていた。嫌な客だったろうな。

彼女は「そういう趣味は良くないと思います」と言って来たが、先輩は無視。僕も、無言でニヤニヤ。本当に嫌な客だな。

それにしても多くの客が、必死でメイドさんの一挙手一投足に注目していた。一種、異様な世界。

1時間ほどで店を出て、今度は東中野へ焼肉を食べに行った。途中、デリバリーメイド(?)の話で盛り上がった。最早なんでもアリだな、この国は。

以上より今日の結論。

メイドさんが配膳してくれている時は、何か話し掛けないといけない。


2004年10月27日(水) メガネの功罪

周囲から「サイト閉鎖したの?」と、頻繁に尋ねられる。やはり日記を更新しないと、閉鎖してるっぽく見えるらしい。なので、近況などを。

今月初めからメガネを付け始めた。数年前から視力は悪かったのだが、これまではメガネやコンタクトは使用していなかった。何となく、作るのが面倒で……。

しかし、あまりにモノが見えな過ぎて不便になったので、仕方なく重い腰を上げてメガネを作った訳だ。コンタクトにしなかったのは、目に入れるのが怖かったから。僕は目薬ですら怖い人間なのである。コンタクトなんて着けられる訳が無い。

で、メガネを使用して1ヶ月近く経つ訳だが、いやもうホントによく見える。今まで大学の講義はオペラグラスを片手に受けていた(←周囲から盛んに「辞めろ」と言われていた)のだが、今になってみると「なんでもっと早く作らなかったのか」と思うくらい便利である。

最初は講義の時のみ使用するつもりだったが、最近では割と日常的にも着けている。対象がよく見えるだけでなく、世界が明るくなったような感じさえ受けるのだ。何となく、気分が良い。

ただ、視力が良くなった所為で、友人の顔が少し変化したように見える事もある。人によっては、「うわ! こいつ、こんな顔してたっけ?」とか思ったりする事も有る。この場合の「うわ!」というのは、大抵はマイナスイメージ。

どうやら“世界がよく見える”というのは、良い事ばかりでもないようだ。多分これは、視力に限った話ではない。


来月は従姉妹の結婚式に出席する為に新潟へ行かなければならないのだが、上越新幹線は完全復旧するのだろうか? 心配だ。

心配と言えば、その従姉妹は妊娠中なので、子供に地震の影響が無ければ良いが……。やはり、心配だ。


2004年10月26日(火) ヒネクレ者

物理学でも有名な数学者ベルヌーイは、その一族728人中680人が数学に携わっていたという。人間の資質が一部でも遺伝で決定されてしまうというのは、とにかく僕にとっては否定したい事実だが、こういう話を聞くとどうしても「あぁ敵わない」と思ってしまう。しかし少なくとも僕の場合は両親が高学歴だったとしたら、学力的にはもっと以前に行き詰っていただろうなぁと思う。性格の問題。

例えば1を聞いて10を知るのは天才だが、1を聞いて10は分からなくても−1に気付くのはヒネクレ者だろう。どちらかと言えば後者だし、それに僕は確かにヒネクレ者だったりする。


2004年10月25日(月) 心機一転

心機一転とか言って、そんなに簡単に自分の内面を変えられるなら苦労しないが、そろそろ苦労して変えなければならない年齢なんだろうな、と思う。


2004年10月24日(日) 夜風

夜風は少し冷たかった。冬が近いのだろう。


2004年10月23日(土) 飲んでいた

今日が始まった時も飲んでいたし、今日が終わる時も飲んでいた。


2004年10月22日(金) 過密スケジュール

金曜日は午後から夕方までは数学、夜は家庭教師で算数、と僕のような怠惰な人間には堪えるスケジュールである。
普通の大学生は、もっと忙しい筈だけど。


2004年10月21日(木) 精神科にて

「最近、夕方になると、落ち込むのが戻って来ちゃったんですよ」
「そうですか。じゃあレキソタンを2回に分けて飲んで下さい」
「分かりました。でも今はレキソタンは1日1錠なんですが」
「そうですね。では1錠を噛み割って飲んで下さい」
「ええ!?」


2004年10月20日(水) セックスパートナーを換え易い日本人

日本人はセックスする相手を換え易い。

今月16日の日記で、日本人のセックス頻度は、世界の中で断トツに低いと書いたが、「これまでに何人の相手と肉体関係を持ったか?」というアンケートでは、日本は12.7人という数値を記録した。これは中国・ブラジルに次いで世界41ヶ国中、第3位である。

日本人は世界的に見て極度にセックスをしない国民であるにも関わらず、セックスパートナーの人数は非常に多い。これはセックスする相手を頻繁に換えている事を意味する。

では日本人は、どれくらいセックスパートナーを変更し易いのだろうか。ここでは『1年間のセックス回数÷今までセックスした人数』という数値を指標にしてみる事にする。この数値が小さい程、少ないセックス回数で相手を換えてしまう事を意味する。

以下は主な先進国と、日本同様にセックス頻度が低いシンガポール、そして世界平均との比較である。

明らかに日本の数値が低い事が分かる。それだけ日本人は少ないセックス回数で相手を換えているのだ。「セックス回数自体が少なければ、この数値が低くなってしまうのは当然じゃないか」と思う人もいるだろうが、同じくセックス回数が少ないシンガポールは肉体関係を持った人数も少なく、結果として世界平均よりも高い数値が出ているのである。

以上より今日の結論。

日本人はセックス回数は少ないのに、肉体関係を持つ人数は多い。これはセックスする相手を頻繁に換えている事を意味する。


2004年10月19日(火) メイド喫茶

来週の木曜日に知り合いがバイトしているメイド喫茶に行く事を決定。「良いのか? 僕は何か決定的に道を踏み外そうとしているのではないか?」と自問すること、しばし。――まぁ良いか。

その後は東中野で美味しい(ハズの)焼肉を食べてこようと思う。


2004年10月18日(月) 依存性

多分、自分以外の誰かに依存するという事自体には何の問題性も無く、そして時には依存されていると思っている側こそが依存していたりして――別に自ら困難な道を歩む必要は無い。問題は困難な道を歩まざるを得なくなった時にどうするか、という事だ。

その意味で勝者と敗者との溝は深いが、敗者は他人を敗者と見極められても、自分が敗者である事には気付かなかったりする。


2004年10月17日(日) 発表会

サークルの発表会を見た後で打ち上げ。何か友達が婚約してたりしてた。“発表会”か……。

何時の間にやら明け方で、酔いが回り過ぎてタクシーで帰宅。


2004年10月16日(土) セックスしない日本人

日本人のセックス頻度は、世界の中で断トツに低い。

何度も利用しているDurex社の性に関する調査だが、2004年の統計がまとまったようなので、早速紹介させてもらう。

今年の41ヶ国35万人に対する調査では、各国民の年間セックス回数はフランスが137回でトップだった。世界平均は103回で、週に2回程度セックスするのが“世界標準”らしい。

一方、日本人の年間セックス回数は46回で、これは2003年の42回を僅かに上回るが、依然として世界最低の回数である。何しろ順位では一つだけ上の香港とシンガポールでさえ、年間79回のセックスを行っているのである。日本人は世界平均の半分もセックスをしないのだ。

以上よりイイタイコト。

日本人は相変わらずセックスしない国民である。


次回は調査結果を少し掘り下げて考察してみる。


2004年10月15日(金) 残念でした

昨日、数学を教えた後輩は、僕が教えた範囲はテストに出なかったらしい。残念。


2004年10月14日(木) 理解力と記憶力

後輩が「明日は小テスト」だと言うので数学を教えたが、実際の所は僕がテキストを読んで素早く理解し、それを分かり易く伝えただけだった。

理解力は有る方なのだが、記憶力が付いて来てくれないのが苦しい。もっと勉強しよう……。


2004年10月13日(水) “組合せ”という名の奇蹟

僕達は単なる文字や音の羅列でしかない文章や音楽に感動したりするが、それはそれで奇妙な話である。しかし勿論、ただ漫然と文字や音を羅列させても誰も感動しない。

つまり、何か人の心を打つ、感動という感情は、もしかしたらその“組合せ”自体に喚起されているのではないか、という恐怖にも似た感覚を覚えたのである。同時に、その事実自体にも、僕は何故か感動している。

“組合せ”という何とも無機的な作業の中に、もしも何か有機的な作用を及ぼさせるような“何か”を含ませる事が出来るなら、それは素晴らしい事なのではないか?


2004年10月12日(火) 速読の代償

友達にDVDを一本と小説を三冊貸した。すると、その一時間後には「二冊読み終わった」というメールが来た。驚愕。

僕は文庫本一冊(250ページ程度)を読むのに2時間くらい掛かる。普通の人もそれくらいではないだろうか? となると、彼女は通常の4倍の速度で本を読んでいる事になる。

それを聞いて、僕は何となく「絶対音感を持つ人は、日常の音が全てドレミで聞こえて、それが堪えられない」という話を思い出した。あれだけの速度で文章を読める彼女は、もしかしたら日常生活で行われる会話などは、とてもゆっくり過ぎてイライラしているのではないか、と。

今度、聞いてみるか。


2004年10月11日(月) 残されたのはアイデンティティー

当然の事だが努力が報われるとは限らないし、世の中そうは都合良く出来ていない。でもそこには歴然とした確率差が存在する訳で、それに拠る期待値の上昇を期待するしかない。思うに「報われる」というのは単なる偶然に過ぎないが、偶然というのは或る程度の必然を伴っている。

それとは別に、「信じる力」ってのが世の中には有るらしい。多分そういう力を信じていない人間も、「そんなものなど存在しない」という事を信じていたりするんだろう。

きっと世界はもっともっと複雑怪奇で訳が分からなく、そして入り組んだ構造はまるで迷路のように人間を惑わせるに違いない。それをシンプルに表現しようという試みは興味深いし、多分その行為自体に意味が有る事なんだと思う。

世界は複雑でも、1人の人間はシンプルだ。周囲の雑音に振り回されず、ただ黙々とシンプルさを追究して――そして何が残るだろう?

自分、が残るかな。それこそがアイデンティティー?


2004年10月10日(日) 朝の渋谷

サークルの先輩と朝食を食べに渋谷へ行った。しかし、午前10時から開いている店ってファーストフードや吉野家などしかない。
そんな中、センター街に一軒のパスタ屋を発見。入る。まぁまぁ良い。

夜は別の先輩から飲みに誘われる。そのまま、その先輩の家に勢いで泊まりに行った。


2004年10月9日(土) 坑鬱剤と酒

坑鬱剤を酒と一緒に飲んでみた。2時間ほど記憶が跳んだ。

今度からは周りに心配させないようにしようと思った。


2004年10月8日(金) 憂鬱な気分

雨が降り続いている。憂鬱だ。

憂鬱と言えば、誰かに何かを相談された時、明らかに相手が自分に何かを隠している場合、どう対応して良いのか分からなくて困る。
恐らく問題の本質は、その隠している部分に存在している訳で、ならば出来る限りの情報を貰わなくては、適切な助言は出来ない。


2004年10月7日(木) アテになるのか?

「○○の言ってる事はアテにならない」という類いの言葉はよく聞くが、その話自体がアテになるのか否かは判断を付け難いと思う。


2004年10月6日(水) 手塚治虫

手塚治虫という漫画家は本当に偉大だ。僕は彼の漫画は『火の鳥』くらいしかマトモに読んだ事は無いが、それだけでも彼の偉大さは容易に理解できる。
一見突拍子も無い程の展開を見せつつも、しかし隙の無い構成力は、感嘆するしかない。
ところで『火の鳥』の『羽衣編』は“異色作”と言っても良い描かれ方をしていると思うが、最後の1ページは何を意味しているのだろうか?
これが僕には昔から謎で今でも分からないのだが、しかし何か強烈なインパクトを持っているのは確かなのである。意味が分からないけど凄い――これこそ本当に“凄さ”というモノを体現しているのかも知れない。


2004年10月5日(火) 気軽なメール

バイト先の生徒に携帯電話のメールアドレスを教えると、割と直前になって気軽にキャンセルの知らせが来るようになった。今日も指導の2時間前にキャンセルのメール。

メールというのは「何でも気軽に言える」という性質を持っているが、その影響がこんな処にも及んでいるとはなぁ。


2004年10月4日(月) 4日連続

今日から冬の講義開始。本当は先週の金曜からだけど、まぁ実質は今日から。
久し振りに頭を働かせると疲れるが、毎日働かしても疲れるのが辛い所。

何故か夜は飲んでしまい、4日連続アルコール摂取という記録を打ち立ててしまった。


2004年10月3日(日) 天才と自分

どんな世界にも“天才”としか言い様の無い人間が居る。野球のイチローとか、もう誰がどう見たって、他を圧倒しているモノを持っている、そういう人間は、実は世の中には結構いたりする。

これが自分の生きる道と全く異なるならば何の問題も無いが、そういう訳でもないと平凡な才能しか持たない人間としては、割と上から圧し掛かってくる重圧に苦しめられたりする。

一つには“天才”を視野に入れない、という解決法が存在するが、一方でそれを常に視野に入れてこそ、自らの成長が促されるという面も確かに有ると思ったりする。「足元にも及ばない」なら、「足元が何処に有るのか」を考える事から始めるのが肝要だろう。


2004年10月2日(土) 哀しい眼鏡デビュー

月曜日に作りに行ったメガネが出来たらしいので受け取りに行った。

僕は高校生までは視力が異様に良かった(1.5を切った事が無かった)のだが、大学に入る直前くらいから急激に視力が落ちだした。

しかし結局4年以上も放置しっ放しだったのだが、流石に最近はメガネ無しでは面倒になって来たので、作る事にしたのだ。コンタクトにしたかったのは、何となく目に入れるのが怖かったから。

ただ、せっかくメガネを着けたのに、誰からも反応が無いのが寂しい。「え? 前からしてませんでしたっけ?」って、その程度の印象か、僕は。悲しい……。


2004年10月1日(金) リハーサル

サークルの学外発表会のリハーサルを朝から見に行った。

大掛かりな事をやる為には、それの何倍もの準備が必要で、それが大変なんだよな、という事を実感した。


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