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小泉義之

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タイトル 出版社 初版日 勝手な採点 通販
デカルト 哲学のすすめ 講談社現代新書 1996年10月20日 購入

デカルト 哲学のすすめ

一言

後半になるに連れ、理解不能に。

目次

序章 思想を捨てる
死者に対する態度、生者に対する態度
遠くの死者
虚偽の資格
過去の死者
ほとんど虚偽の思想
死者のために
第一章 離脱道徳
複数の生活
飢えた子供の前に
バングラディッシュとニューヨーク
良い生活と道徳的生活
備えのための道徳
約束の拒絶
契約社会の道徳
精神的生活の鈍化
運命よりも自己を征服する
世界の秩序よりも自己の欲望を変える
奴隷の思想、貴族の思想
思惟だけが権内にある
外部の財
必然を徳となす
賢者としての病人
賢者としての囚人
罪のない満足
第二章 懐疑――世俗的生活からの脱落
思想の全面的破壊
感覚の正常性
否定できない感覚
正常と異常の分割を超えて
夢の懐疑
死にゆく者、生まれくる者
離脱の困難
モンテニューとパスカル
囚人の自由
第三章 死にゆく者の独我論
「我思う故に我在り」について
「私」と「コギト」
死にゆく練習
死にゆく私は存在する
「私」という語
言語論的解釈
国語使用者の存在
大人の「私」
子供の「私」
死にゆく者の「私」
無ならぬ私
「私は何か」という問い
手で話す、手で見る
人体の解体
私と世界
第四章 哲学者の神
「神」という名
宇宙と世界
あらゆる事物を含むもの
太陽の存在の原因
世界の存在の原因
私の存在の原因
生まれくる私
最高善としての神
祈りと言語ゲーム
最高の宗教性
神学からのエチカ
人間の最高完全性
第五章 最高善と共通善――宗教の可能性
僅かな成果から
信と知
専門家の退廃
宗教に関与する根拠
制度宗教を捨てる
国家宗教を捨てる
聖体の秘蹟
精神の糧、身体の糧
聖母兄弟会のための闘争
慈善活動の発生
公共性と共通善
神と共通善
共通善と「共通悪」
稀少性と共通善
最高善・共通善・絆
第六章 賢者の現存――善く生きること
再び僅かな成果から
善く生きる
魂にとっての善
楽しく生きる
魂と身体の合一にとっての善
いかに悲惨な生であっても
奴隷を高貴に
鉄鎖に繋がれた自由
政治の死滅へ
高貴という情念
賢者の現存
終章 魂の不死、私の不死
自然に死ぬこと
魂の不死の証明
勧善懲悪劇
『省察』における転回
死についての真実はない
宗教は死をスキップする
時宜にかなった死

梗概

私はさしたる困難もなく生き残ってきた。
私は今もさしたる苦痛なしに生きている。
ところが、悲惨な状態で生き残ってきた人がいる。
こちらは恵まれた生活を送っているのに、ぎりぎりの生存をつづけている人がいる。
この事態について真摯に考えようとすると、悲惨な生者に対して、どのような態度をとればよいのかという疑問がわきあがってくる。
とはいえ私は老いてゆくし、いずれ死んでゆく。
人間の死が必ず非業の死であるなら、私もいずれ悲惨な状態で死んでゆくことになる。
この事態について思うとき、死にゆく者として生きている私を、春朗に肯定する手だてはないのかという疑問がわいてくる。
こんな疑問をたずさえて、デカルトを読んでいこうと思う。
   ――表紙裏より

感想

哲学に詳しい訳ではないが、何となく「デカルトは本当に、こういう事を言いたかったのだろうか?」と思わざるを得ない内容だった。
前半は納得出来る部分も多いのだが、後半になるに連れて宗教的思考の色合いが濃くなり、理解し難くなってしまった。哲学は往々にして宗教と切り離せないものだが、一般的な説明をする際には、出来る限りそれを排除して説明すべきなのではないかと感じる。


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