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SKIM OVER STORY 第8話『救出』

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 ――1990年10月6日(土)

「さてと……急げば追いつけるかな?」
 学校の裏庭から下駄箱置き場を経由し再び校門を潜った僕は、先に帰った姉を追い掛けるべく黒いランドセルを手に持ち全力で走る準備をした。
「よぉし、行っくぞ!」
 気合いを入れ、そして走り出す。走るのは好きだ。爽快である。しかし幾らも進まない内に――
「だ、誰かーっ! 助けてーっ!」
 突然誰かの悲鳴が聞こえて来た。僕は咄嗟に辺りを見回すが、声の主は見当たらない。しかし今の声を無視する事は出来ない。確かに聞き覚えのある声だったのだ。
「もしかして……深沢君?」
 僕は声の聞こえて来た方へ、周りをキョロキョロ見回しながら走って行った。そして暫く進むと――
「あ、いた!」
 近くの駐車場に4つの人影が在った。1つは同級生である深沢周平のものだったが、残る3つはかなり年上の男――とは言っても精々、高校生から大学生くらいだが――のそれだ。
 彼らは深沢を囲むようにして立っていた。1人はよろめいているようだが、健在な2人の内の1人は驚くべき事に金属バットを手にしている。これは明らかに深沢が襲われている――の図だ。
 助けなくちゃ――思った時には身体が動いていた。
「うぉりゃあぁぁぁぁあ!」
 叫びながら僕はバット野郎に向かって迷わず走り出し、そのまま跳び蹴りを喰らわせた。
 モロに不意を喰ったバット野郎は両脚を縺れさせながら、それでもなおバットを杖代わりにして倒れるのを防ごうとする。が、こちらにとっては幸運な事にアスファルトの地面に対してバットが滑ってしまったようで、必要以上に無様な格好で転んでしまう事になった。
「平松!?」
「深沢! 一体これは――!?」
 深沢と対峙していた男達は、はっきり言って不気味としか表現の仕様の無い雰囲気を携えていた。こいつらには決定的に――表情というものが無かった。
 ゾクッ――
 背筋が凍るような不可解さの内包。明らかに単なるチンピラじゃない。
「こいつら一体、何者だ!?」
 深沢に視線を向けずに警戒したまま尋ねる。
「わ、分からない! 僕も突然襲われたんだ! 気を付けろ、一番左の奴はメリケンサックを装着してるぞ!」
 メリケンサック!? 確か……指に巻く金属製の凶器。な、何なんだ、この3人組は!?
 ――何かがヤバイ。致命的なまでに。
 逃げなければ。僕達は逃げなければならない。迅速に、確実に。だが、どうやって?
 ふと気付けば、僕が駆けつけて来た時にヨロヨロとしていた男――メリケンサックの男は、未だに足元が覚束無くフラフラしている。訝しげに注視すると、奴は眼から大量の出血をしていた。深沢がやったのだろうか?
 ――よし、これなら。
「行くぞ!」
 えっ?――という戸惑いを見せている深沢の左腕を強引に掴むと、僕は一目散に走り出した。ヌメリ、いう気持ちの悪い嫌な感触が手の平を介して伝わって来るが、敢えて気にせずに近くの大通りの方まで全力疾走した。

 数分後――僕達は全力疾走に近い状態で人通りの少ない路地を駆け抜けた。そしてようやく賑やかな通りに面した区域に出る事が出来た。
「ここなら……大丈夫……だろ……」
 息を切らせながら僕は言った。それに対して深沢は苦しそうな声で応えた。
「う、うん……ありがとう、平松君……でさ、悪いんだけど……手、痛いんだけど……」
 僕は深沢の腕をずっと掴んだまま走っていたのだった。
「あ、わ、悪い」
 慌てて手を放した僕は、自身の手を見てギョッとした。手の平が血で真紅に染まっていたのだ。見れば、深沢の左腕は大量の流血をしていた。
「お、おい、それ――!?」
 僕が深沢の怪我をしている部分を指で示すと、彼も初めて気付いたのか驚いたようだった。袖を捲くると案外小さな傷口が露わになる。
「これは……そうか、メリケンサック野郎に殴られた時に……」
「メリケンサック……そういや、さっきも言ってたな。な、なぁ、一体お前、奴等と何やってたんだよ!?」
「何って……家に帰ってる途中にいきなり後ろから襲われて……」
「どうして?」
「さぁ……?」
 返答は酷く頼りない。先程は何も考えずに深沢を助けたものの、今になって僕は恐怖を感じ始めていた。武器を持った人間にいきなり背後から襲われる――それはテレビのニュースでは聞いた事が有っても、現実の友人が実際に被害に遭うというのは、リアリティが全く違うのだった。
 そんな事が実際に起こるんだ、という実感。そしてそれは自分もそんな目に遭うんじゃないか、という不安に成長していく。
「交番だ……交番に行こう」
 今までこんな経験は全く無かったのでよく判らないが、やっぱり今の状況は警察に言うべきなんだろうと感じた。
「交番? ……そうか、そうだよな。あ……いや、ちょっと待ってくれ」
 一度は納得したかのような表情の深沢だったが、すぐに何か思い直したのか、近くの交番に駆け込もうとしていた僕を引き止めた。
「何だよ?」
「やっぱり、警察に言うのは辞めよう。結局は無事に助かったわけだし、さ」
 そんな事を言い出す深沢を、僕は信じられなかった。
「何言ってんだよ!? 『無事』って、お前のその腕の何処が無事なんだよ!?」
「いや、そうだけどさ……。頼むよ、今回は見逃してくれよ……」
 深沢の台詞は、まるで何かの犯人のそれだった。
「どうして? さっきの奴等、知り合いだったのか?」
「いや、違う」
「じゃあ、せめて病院には?」
「病院……? うーん……。いや、やっぱり駄目だ」
「何か事情が有る訳か?」
「うん……」
「何だよ?」
 深沢は暫く僕の顔――眼を見続けた。
「言えない」
 その言葉に僕は怒りすら感じた。
「言えない? なんで!? さっぱり分かんねぇぞ!」
「とにかく言えない。傷の手当ては自宅でするさ。出血量ほど大した怪我じゃなさそうだし」
 僕と深沢はその後もしばらく押問答を繰り返していたが、やがて僕の方が折れた。念の為、僕は深沢の家まで付いて行ったが、幸いな事に再度襲われるような事は無かった。

 ――これから8ヶ月以上も経った後、僕はこの時の判断を大きく後悔する事になる。此処とは異なる世界で。


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