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“対マスコミ”と“対インターネット”

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主張系テキストサイトが、一つのメディアとして自立していく為には、どうしたら良いのか?

先日の「アクセス数を気にする事」というテキストが、

などで取り上げられた。特に『かーずSP』は1日15000アクセスを稼ぐ超大手サイトなので、非常に驚いた。

「アクセス数を気にする事は、一定の社会性を保つのに役立っているという、ポジティブな側面も持つ」という結論は、サイト管理者にとって割と共感を呼ぶものだったようだ。全てのサイト管理人がアクセス数を気にする訳ではないが、やはり多少は気になる人は多いらしい。そこで今日は二番煎じに思われるかも知れないが、僕がどうして「アクセス数」というテキストを書いたのかについて書いてみたい。

インターネット上で話題になる条件の一つに“常識懐疑的テキスト”というものがある。この場合の“常識”とは、大抵はテレビニュースや新聞などの、マスコミの主張の事である。

例えば最近大きく報道された少子化問題では、マスコミは盛んに「女性が子供を産まなくなって来ている。このままでは大変な事になる」と主張していたが、一部の大手テキストサイトでは「いや、女性が子供を産まなくなった訳ではない」とか、「少子化は寧ろ推進されるべきだ」といった主張が為されていた。

この種の“常識懐疑的テキスト”が人気を博すのは、これまでの既存のメディア(マスコミ)では得られなかった、目新しい情報や論理を知る事が出来るからだ。これは現在のインターネットが有する、最大級の特徴の一つと言えると思う。

つまり現在の主張系テキストサイトというのは、“対マスコミ”という構図で成立しているという事だ。マスコミが何かを主張すると、「いや、それは違う」とテキストサイトが反論する、という図式だ。

僕はこれだけでも主張系テキストサイトは充分に有意義なものと言えると思う。価値観を多様化させるからだ。これからテキストサイトが増えていく事で、益々インターネットは(様々な問題を内在しながらも)充実したものになっていくだろう。

ところが最近は新しい問題が発生してきた。その一つが「サイト管理人がアクセス数を気にし過ぎる事による弊害」だ。この問題は何が新しいかと言うと、「決してマスコミが取り上げる事は無いだろうが、社会的にはマイナスな影響を及ぼす事象である」という事だ。

「テキストサイトの管理人がアクセス数を気にするあまり、書きたい事が書けない」などというジレンマを、マスコミで取り上げられる事は、まず無いだろう。それによる弊害は「個人サイトの閉鎖」などの、極めて公共性の低い問題にしか発展しないからだ。しかし、そうやってテキストサイトが衰退していく事は、価値観の多様化を阻害し、確実に社会的にマイナスであると考えられる。

アクセス数を気にする事によるネガティブな影響により、そのサイトは書きたい事が書けない。場合によっては閉鎖する。そういう事が相次ぐ。しかし、それをマスコミは取り上げない。従って“対マスコミ”たるテキストサイトも取り上げない。そしてさらに他のテキストサイトの管理人たちが、アクセス数のジレンマに陥っていく――これでは負の連鎖である。

「テキストサイトの管理人がアクセス数を気にするあまり、書きたい事が書けない」というジレンマ――もっと大きく言えば、「マスコミが取り上げないようなネット上の問題」を解消するには、テキストサイトが“対マスコミ”だけでなく、“対インターネット”という構図を持つ事も必要なのではないだろうか。“対マスコミ”だけでは、結局はマスコミを介した主張しか為されなくなってしまう。“対インターネット”という構図を取り入れる事により、ネットは今以上に多様性に富んでいくと思う。

以上よりイイタイコト。

主張系テキストサイトは、“対マスコミ”という構図を持つだけでは、マスコミに過剰に依存している事になる。これは皮肉な結果だ。同時に“対インターネット”の構図も持ち、マスコミの呪縛からの脱却を図った方が良い。そうすれば主張系テキストサイトは、一つのメディアとして自立していけると思う。


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