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明治時代の塾通い

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明治時代にも子供の苛烈な塾通いは存在した。

現代というのは大変な時代である。小学生が中学受験の為、日付が変わる頃まで毎日勉強していたりする。僕も中学受験したクチだが、進学塾が終わるのが午後9時。自転車を飛ばして15分で帰宅し、遅くとも午後10時には寝ていた。ところが彼らは塾が終わって家に帰ってからも勉強するので、そんな遅い時間まで起きている事になるのである。

だが星新一『明治の人物誌』には、以下のような記述が有る。明治13年の話だ。

新政府の教育平等の方針によって、各地に小学校が作られていた。しかし、士族階級はそれだけでは満足せず、子弟をさらに塾にも通わせるのが一般の風潮だった。
すなわち、夜明け前に起きて塾で講義を受け、帰宅して朝食。それから小学校。放課後にまた塾で学ぶのである。まったく、日本人は勉強好きである。そして、それが日本の発展をもたらしたわけだが。
   ――本文329ページより

なんと明治時代の士族の子供は、1日に2回も塾に通うのが常識だった、というのである。学校制度が今と大きく異なるとは言え、正に恐るべし、だ。

しかしココで考えてみる。1回は小学校が始まる前に塾に行っていた訳だ。何時間の講義だったのかは不明だが、恐らく1時間半〜2時間程度だろう。小学校が始まるのが午前8時、朝食を摂るのが午前7時と考えると、士族の子供は午前4時頃には起きないと、早朝の塾には間に合わなかった筈だ。

となれば明治時代の士族の子供達は、早寝早起きが徹底されていたと考えられる。昔の日本人が幾ら勤勉だったと言っても、現代のように日付が変わるまで勉強して、それで午前4時に起きてまた勉強、という生活が(大人ならいざ知らず)子供に出来る訳が無い。

塾通いが大変な現代の子供達。その所為で生活リズムが激しく乱れているとされている。しかし明治時代の子供達は今以上に苛烈な塾通いをしながら、規則正しい生活を送っていたのである。

以上より結論。

塾に通っているから規則正しい生活が出来ない、というのは言い訳に過ぎない。明治時代の士族の子供達は現代以上に苛烈な塾通いをしながら、規則正しい生活を送っていた。


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