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分岐点という仮想敵

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人生に分岐点という物が在るのは間違い無いが、それがどの程度連続して存在しているのかは、判断が難しい所である。絶えず分岐点が連続しているようにも感じるし、殆ど選択肢らしい選択肢も与えられないままに生きているような感じもする。選択肢を与えられていたとしても、そう感じているのは実は自分だけで、その選択肢に対する反響としての応えは、全てが同じ方向を指しているかも知れない。

人生に於ける分岐点は、時に「苦渋の決断」と呼ばれるし、時に「チャンス」とも呼ばれる。幸運が味方すれば、「贅沢な悩み」にもなるだろう。これらは全く性格を異にするが、やはり全て“分岐点”である事は確かだ。そういった様々な性質の分岐点に於いて、しかし多くの場合に的確な選択を出来る人は少ない。確率的には不自然な程に、損か「損ではない」と辛うじて言えるレベルの選択ばかりを繰り返したりする。

これは恐らく選択肢の数を見誤っている事に起因する現象だ。今日の日記の最初の一文――人生に分岐点という物が在るのは間違い無いが、それがどの程度連続して存在しているのかは、判断が難しい所である――を読んで、「いや、そんなん難しく無いだろ。常に分岐点じゃん」と即座に否定できなければ、分岐点という仮想敵に対して正解の選択肢を選ぶ事に於いて、確率的に対等になれない気がするのだ。言葉にしてしまうと当たり前過ぎるのだが、微視的に見れば今この瞬間だって無数の選択が行える筈であり、そしてこの事実を常に認識しながら生きている人だけが確率的な不利を払拭出来るのではないか。

大抵の人は「人生は分岐点の連続だ」という事を認識した経験は有るだろうが、だが一方で常にそれを認識し続けている人は少ないように思う。だって難しいし。そんな事をいつも考えながら生きるって、それはそれで息苦しい感じだ。

だから普通の人間は、分岐点に於いては常に確率的な不利性を強いられていると言える。これは仕方ない。しかしここぞという時に、周囲を冷静に見渡す事によって分岐点に対し、対等を保てるようにはなりたいと思う。

関連リンク:「選択肢の罠」


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