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2004年5月

DIARY MAIN

2004年5月31日(月) 今月のダイエットの結果

今月から始めたダイエット企画。『累計20キロ痩せるまで、毎月3キロ以上痩せないとホームページを閉鎖する』というルールでした。

気が付けば今日で5月も終わりです。という訳で、今月の結果を発表しましょう!



4.0キロ減。



やりました。今月の目標達成です。正直、昨日まで3日連続で飲み会に行ったりしたので「やばいかなぁ」と不安だったんですが、何とかなりました。

4キロというと、かなりの重量だと思うんですが、元々の体重が結構あった為に、あんまり見た目には現れていない、というのが哀しい処です。まぁ20キロへの道は、まだまだ始まったばかりですからね。一応、ズボンのベルトは前より穴2つ分ほど絞れるようになったんですが。これが今の所、唯一の成果かな。

という訳で、このサイトは来月も続けていける事が決定しました。そして来月も3キロ痩せなかったらホームページ閉鎖です。ダイエット完了まで残り16キロ。頑張ります。


2004年5月30日(日) 誤解を恐れずに……

「誤解を恐れずに敢えて言うと」という言い回しが有る。僕もよく使う。しかし考えてみるとこれは、「ココは誤解し易い部分ですよ。だから気を付けて読んで(聞いて)下さいね」という意味合いを持っており、十分に“誤解”を恐れている気がする。

じゃあどうして、それこそ“誤解”させるような言い方をするのかと言うと、実際に「ココは誤解し易い部分ですよ」とか言うのは、何となく差し障りが有る感じがするからだ。相手を見下したような感覚、或いは「はいはい、ここは難しい所ですよ〜」と、まるで先生と生徒みたいな関係が演出されてしまうのだと思う。

発言者にとっては主張を誤解されるのは恐怖だが、聞き手に「何をこいつ生意気に」とか思われるのも同様に恐怖である。だから両方を同時に解決する為に、「誤解を恐れずに敢えて言うと」なんて言い方をする訳である。

ただ「誤解を恐れずに敢えて言うと」と言うという事は、「自分では良い言い方が見付かりませんでした」と言っているようなもので、多用は禁物かも知れない。これからは使う際に気を付けようと思う。


明日は今月のダイエット成果の報告です。


2004年5月29日(土) 日記へのリアクション

日記を書いていて、その感想やら何やらのメッセージを頂く事がたまに有りますが、その中の8割くらいは女性からです。日記才人経由のメッセージを見てみると、最近10件のメッセージは全て女性。メールをくれるのも女性の方がかなり多いですね。(ネットの世界ですから“自称”ですが。)

普段から日記を読んでくれている方は分かっていると思いますが、このサイトは別に読者対象を女性に絞っている訳ではありません。寧ろ内容は男性向けの方が多いような気がします。実際、読者もどちらかと言えば男性の方が多いと思うのですが、では女性からのリアクションの方が多いとは、どういう事なんでしょうか。

可能性その1。「読者に男性が多い」というのが僕の勝手な妄想。実は女性読者の方が多い。
→もしそうなら嬉しい限りですが、有り得ないだろうなぁ……。

可能性その2。女性はメール好き。
→有り得そうな話です。少なくとも男性よりは好きな人が多いでしょう。

メッセージを受け取って思うのは、女性は結構手放しで誉めてくれる人が多いですね。「へぇ〜」的なものから「私も前からそう思ってました!」みたいな。純粋な“感想”を書いてくれます。
一方、男性は「確かにそうだけど、○○の部分は〜〜ではないか?」という、“意見”が多いです。大局的には賛同しつつも、自分の考えと異なる所を鋭く指摘してくる、という。やはり男性は議論が好きな人が多いですね。
“感想”にせよ、“意見”にせよ、メッセージを頂けるのは非常に有り難い事です。

そこでもう一度「どうして女性からのメッセージが多いのか?」を考えてみると、僕の日記は議論し難い、という事があるのかも知れません。例えば一昨日の日記『日本人は薄情になったのか?』では拉致被害者家族会に対するバッシングについて取り上げましたが、実は僕はバッシング自体については「良い」とも「悪い」とも言ってなかったりする訳です。

これは「どちらの立場にとっても公平な視点で自分の持論を展開したい」という考えから来ているのですが、しかし言い換えれば「立場が曖昧」とも言える訳で、そういう相手に対しては確かに議論はし難いでしょう。これがもし、「家族会をバッシングするなんて、何て非人道的な事をするんだ!」みたいな事を書けば、そうは思わない人から反論が来る可能性はかなり高いですよね。(それが正常な意味での“議論”になるかは別問題。)

今日のイイタイコト。

日記に対して、男性は“意見”をくれる。女性は“感想”をくれる。どちらも有り難い事に変わりは無い。


2004年5月28日(金) 五月祭の宣伝

申し訳無いですが、今日は学園祭の宣伝のみです。※下の方に追記しました!

明日と明後日は東京大学本郷キャンパス五月祭が行われます。(ちなみに“五月祭”は「さつきさい」ではなく「ごがつさい」です。)
僕が所属する東京大学奇術愛好会はステージマジックなどをやります。近くに住んでいる方などいたら、是非。ちなみに開場時間はコチラ

ただ、開場時間くらいに来ても、もしかしたらお客さんが一杯で入れないかも知れません。開演時間が迫る頃には、ほぼ無理です。ここ数年マジックブームで、結構お客さんが多いんですよ。早めに来て、どれくらい並んでるかチェックしておくと確実かも知れません。
何か不明な点が有れば、土曜日の午前中までに掲示板メールで聞いてくれれば返信します。

ちなみに僕は出演しません。3年前には出演してましたけど。演技をするのは僕の後輩たちで、僕は客席の何処かにいる筈です。
僕の3年前の写真は↓。



これは“四つ玉”という演技でして、僕は中学生の頃からやってた演目です。テレビとかじゃあんまり見掛けませんが、この業界(?)では割とメジャーです。

今日はこれから行われるリハーサルを見に行って来ます。これだけ宣伝しといて悪いんですが、実は僕もまだ後輩たちの演技を一度も見てないんですよ。ですから、リハーサルを見て来たら、今日の日記にさらなる宣伝文を追記しようかと。

――という訳で、続きは夜に更新します。

以下、追記分です。

――という訳で、リハーサルを見て来ました。明日はですね、洋傘が出れば和傘も出るし、鳩は舞うわ美女は刺されるわ……という感じです。

上で紹介した“四つ玉”という演目も有りますよ。演じるのは僕の中学からの後輩です。彼に限らず全ての演者が素晴らしい演技をしてくれる事は間違いありません。彼らは一人4分ほどの、そしてたった1回の演技の為に、昨年から練習をしているんです。(土曜日と日曜日では出演者が異なります。)

全体としては、例年より演目数が多めなので、お得です。全部で1時間弱のステージマジックショー。是非ともご来場下さい。


2004年5月27日(木) 日本人は薄情になったのか?

小泉首相再訪朝の結果と、それを受けての日本社会の反応に、家族会から戸惑いの声が上がる。首相に怒りをぶつける場面が放送されると、批判が殺到した。26日までに電話は数百件、電子メールは1200件に達した。 当初は家族会への批判が中心だったが、それが報じられると、こんどは支援の声が寄せられるようになった。それでも全体の3分の2は批判的な内容だという。
家族会は、日朝首脳会談があった22日夕の記者会見で、「予想した中で最悪の結果」と訪朝を評した。その日深夜には、首相と面会した家族会メンバーが、首相を厳しくただす場面が、テレビで放送された。直後から反響が殺到した。
   ――朝日新聞より

これに対して精神科医の斉藤環氏は「日本人は『主張する弱者』に受け入れ難い感情を持っており、それがバッシングに繋がっている。イラクでの人質事件と同じ構図だ」という趣旨のコメントを発表しています。これは噛み砕いて言うと、「日本人は弱者が弱者らしく振舞っている分には同情するが、弱者が強者の態度を見せると手の平を返す」という事になるでしょうか。しかし僕は、これは少し違うんじゃないかと思います。

僕は家族会に届いた批判メールの内容は、無意識の内に「偉そうな事言ってんじゃねーよ! 何様のつもりだ!」的な罵詈雑言が大半を占めているのかと思っていました。「バッシング」という言葉が使われていたからです。が、今朝の朝日新聞には批判メールの代表として、以下の3つが掲載されていました。

最後のメールはともかく、上の2つは「バッシング」でしょうか? “家族会に対する批判”である事は確かですが、これは寧ろ“家族会の言い過ぎ”に対する「忠告」という意味合いが強いのではないでしょうか? 少なくとも単に非難しているだけではない事は、最初のメールのちょっといいすぎじゃないの“ちょっと”や、2番目のメールのあせる気持ちもわかりますがといった言葉から読み取れると思います。

これは思いっ切り私見ですが、日本人は「弱者が強者の態度を取ると同情しなくなる」のではなく、「弱者で同情されるべき状況に置かれていても、だからと言って何をやっても許される訳ではない、という事を言いたがっている」のではないでしょうか。だから、日本人は家族会に対して批判はしても、同情していない訳ではないのではないか、と思います。

今日のイイタイコト。

確かに日本人は、家族会の小泉さんへの対応に対して、批判的な意見を持っている人が多い。しかしだからと言って、家族会の方々を同情していない訳ではない。


2004年5月26日(水) 日本人に貧乳が多い理由

今日は昨日の続きです。

日本人女性の体型は最近10年間で、身長は伸びなかったがウエストが細くなり、バストは大きくなった。ウエストが細くなったのはダイエットブームの為だろうが、バストが大きくなったのは何故だろうか。そもそもどうして日本人女性は貧乳の人が多いのか? 今日はこれについて、無根拠のまま考えてみたい。妄想を巡らす、とも言う。

最近になってバストが大きくなったのは、「食生活の変化が原因ではないか?」という事が最初に考えられるが、しかしこれだと身長が伸びていない事が説明出来ない。他の原因を考えないといけないだろう。

実は大昔の女性は皆、貧乳だったという話が有る。バストというのは子供が生まれた時に授乳する為に必要な訳で、それ以外の時に使用される部分ではない。バストは人生の大半に於いて、必要の無い器官だったのだ。だから普段は別段、大きい必要は無かった。事実、今でも女性は子供を生んで授乳の必要性が出てくると、バストが大きくなる。

しかし人類が進化して衣服を身に付けるようになって、状況は一変する。女性のバストには、授乳以外にもう一つの役割が生まれる事になったのである。それが所謂“セックスアピール”だ。

それまで女性のセックスアピールの役割は、性器が担っていた。しかし衣服を身に付けると、それは完全に隠れてしまう。バストだって隠れる訳だが、そこで女性は“巨乳化”という道を選択した。つまり、バスト自体を見せなくても、衣服の膨らみでバストの大きさを異性に伝えようとしたのである。

従来のセックスアピールの手段だった性器を目立たせる方に進化しなかったのは、それをやると男性と混同されてしまうからだろう。(←意味、分かりますよね?)

――という訳で、女性は衣服を身に付けた事により、バストを大きくしていったのである。

しかし「こんなのは大昔からの話じゃないか。何故現代になってまで影響するんだ?」という考え方も出来る。確かにその通りだ。しかもこれだと世界中の女性が現在でも巨乳化し続けていないといけないが、そういうデータは出ていない。そこで、さらに妄想を広げていってみたい。

何故、日本人女性だけが今になって巨乳化しているのか。これは日本の特殊なお国柄が影響しているのではないだろうか。

縄文時代や弥生時代がどうだったかは知らないが、少なくとも平安時代以降の日本は、女性には奥床しさを求めていた。女性らしさは精神的な部分で表現するべきもので、肉体的なセックスアピールの類の行為を行う機会は殆ど無かったと考えられる。そもそも日本固有の衣服(着物など)は巨乳を強調し難い。時には“さらし”を巻いて、バストを徹底的に隠そうとする。このような時代は日本では数十年前まで続いていた。

一方でヨーロッパではコルセットが15世紀に発明されている。少なくとも、それくらいの時代からは女性はバストを強調しようとしていた、という事だ。(ちなみにブラジャーが発明されたのは1912年。)

つまり、昔の日本人女性は外国の女性と異なり、バストを大きくする必要が無かったのである。

その長い間、日本人女性はセックスアピールの重要度が極めて低い環境の中で進化を続けて来た為に、世界でも稀に見る貧乳人種となってしまったのではないだろうか。そしてこの数十年でようやく女性がセックスアピールをする事が社会的に認められて来た。だからこそ今になってようやく巨乳化しているのではないだろうか。

以上より今日の結論。

日本人女性は特殊な自国の文化の為に巨乳化する必要が無かった。今ではセックスアピールをする必要が有るので、これから欧米人並みのバストを持つようになる可能性は有る。

一部根拠が有る部分も有りますが、基本的に妄想ですので、「そういう可能性も有るかも知れないな」くらいで読んでくれると助かります。


2004年5月25日(火) 日本人女性の体型

日本人女性のスタイルは良くなっている。

大手下着メーカー「ワコール」の2004年4月の調査によると、日本の20代女性の体型が「ウエストは細く、バストは大きく」変化している事が分かった。1990年前後と2000年前後のデータを比較すると、身長は0.1cm伸びただけだが、ウエストは0.9cm細くなった。一方、バストはCカップ以上の割合が12.5%から21.3%へ大幅に増加した。

ウエストが細くなったのは、明らかにダイエットブームの影響だろう。それにしては成果が小さいような気もするが、実は日本人女性のウエストは世界的にみて元々かなり細い、というデータが有る。

再び「ワコール」の2001年の調査『世界女性のこころとからだ』によると、世界12都市の中で東京の女性は体重が最も軽く、バスト・ウエスト・ヒップの周径バランスは、サイズにメリハリのある“X型”に分類されている。これはバスト・ヒップに対してウエストが細い、という事だ。

一般的に日本人女性はバストが小さかったり身長が低かったりする為に「スタイルが悪い」と言われがちであるが、実は体型全体から見ればスタイルは悪くないのである。

しかしながら理想体型を最も厳しく見ていたのも東京の女性だった。東京の女性は世界で最も体重を軽く、ウエストを細くしたがる傾向が有った。これが現在のダイエットブームに繋がっているのだろう。

以上より結論。

日本人女性のスタイルは悪くない。しかし理想が高いので、これからさらに良くなるかも知れない。

ところでウエストが細くなった事には説明が付いたが、バストが大きくなったのは何故だろうか? 明日はこれについて考えてみようと思う。



トップページの『NEW DIARY』には“日記才人に投票”ボタンが設置してありますが、今までとちょっと変えて毎日のダイエット状況を表示するようにしました。
「男のダイエット状況なんて読者は知りたくないんじゃないか?」とも思いましたが、まぁその辺は様子を見ます。これで投票が激減したら辞めよう……。


2004年5月24日(月) 会話が無い

弟と会話をしなくなって6年が経つ。

僕には1歳年下の弟がいるのだが、弟が高校に入学した頃からお互いに会話をしなくなった。多分、向こうが僕を無視し始めたのがキッカケだが、最初の2年くらいはこっちも意地になってしまい、「向こうが話しかけて来ない限り、こっちも話しかけるもんか」などと考えていた。今ではもうそんな事は思っていないが。

弟は2年ほど一人暮らしをしていた(今は自宅にいる)ので、同じ家に住みながら会話が無いのは実質的には4年間だ。まぁそれでも十分過ぎるほど長い。普通は喧嘩をしたって、1,2日くらいで元通りになるものじゃないだろうか。長くても1週間とか。

弟とはそれ以前から仲が良くなかった。小学生の頃は毎日のように喧嘩していた。殴る、蹴る、引っ掻く、髪の毛を引っ張る、噛み付く、相手の持ち物を壊す……。
――こうして書いてみると、ほんとにガキの喧嘩だなぁ。

しかし中学生くらいになると、そういう喧嘩はパッタリと止まった。あまりにも喧嘩し過ぎて、「喧嘩って意味無いなぁ」と気付いたからだ。それで兄弟仲が良くなった訳でもないが、当時は会話もそこそこ有ったし、今と比べれば全然普通の状態だった。

だから、どうして高校生になってから無視されるようになったのか分からないのである。これが今でも僕の方から話し掛けられない理由となっている。(同じ家に住みながら、そもそも顔を合わせる機会が少ない、という事情も有る。)

6年……か。長いな。そろそろどうにかすべきなのかも知れない。かといってどうすりゃ良いのか、さっぱりだが。


2004年5月23日(日) 日記の文体

日記の文末を『だ・である』調にするか、『です・ます』調にするか、毎日悩んでいます。

『だ・である』調の方が説得力を感じるので基本的にはそちらで書きたいのですが、その日の内容によっては酷く馴染まない時も有り、そういう時は最後に文末だけ書き直しています。今日も書き直しました。

で、「他のサイトはどうしているかな」と思い、『だ・である』調と『です・ます』調とではどちらが多いのか、集計してみる事にしました。ちなみに終始話し言葉調だったり、体言止めしか使ってなかったり、理解不能な言語を使用しているサイトは除外しています。

まずは日記才人の新作リストから無作為に50サイト調べると、『だ・である』調が19サイト、『です・ます』調は31サイトでした。『です・ます』調の方が多いんですね。

次に僕がマイ日記才人(ブックマーク)に登録しているサイトの中から無作為に50サイト調べると、『だ・である』調が26サイト、『です・ます』調は24サイトでした。『だ・である』調が僅かに逆転しました。

最後に「人気サイトはどうしているかな」と思って、日記才人のランキング上位のサイトを50サイト調べると、『だ・である』調が27サイト、『です・ます』調は23サイトでした。

人気のサイトだと『だ・である』調の割合が高くなるようですが、決定的な差とは言えませんね。文末はそんなに気にしなくても良いようです。

ただ集計していて、人気サイトだと日記の有る場所が分かり易い、という傾向ははっきりと感じました。殆どのサイトはトップページに最新の日記が置いてありますね。一方、新作リスト経由のサイトだと、3クリックでようやく日記に辿り着ける処もありましたし、そもそも日記まで辿り着けない(リンクが分からない)処も幾つか有りました。そういうサイトは明らかに損してますね。

それにしても集計は大変でした。一応文末をチェックするだけでなく日記をちゃんと読ませて頂いたので、2時間以上も掛かってしまいました。(「暇人め」という嘲りの声が聞こえて来るようです。)


2004年5月22日(土) ダイエットの中間報告

僕はダイエット中です。今月3キロ痩せないと、このサイトが閉鎖されます。詳しいルールは5月6日の日記に。

今日は今月2度目の中間報告。12日の時点では1.4キロ減だった訳ですが、さて、今日の結果は――2.6キロ減でした。

まずまずです。一日に100グラムちょっとずつ痩せている計算になりますね。今月はあと9日有りますから、残り400グラムは普通にやってりゃ大丈夫ですね。

前回の中間報告の時点では「特に何もやってない」と書きましたが、先日歩数計を購入しました。性別やら体重やらを入力すると消費カロリーや燃焼した脂肪の量を表示してくれるやつです。これによると僕は1日に6000〜7000歩ほど歩いているようです。

驚いたのは、この程度では脂肪は15グラムくらいしか燃焼しない、という事です。少ない……。ちょっと歩いたくらいでは痩せないようですね。ダイエットに挫折する人の気持ちがよく分かるなぁ。

という事で、次はいよいよ今月末の結果発表です。来月以降もサイトを続けられるように頑張ります。


2004年5月21日(金) “転職志向”離れ

最近の新入社員は“終身雇用”を望んでいる。

昨日に引き続き、財団法人社会経済生産性本部の『第15回2004年度新入社員意識調査』から。

「自分が馴染めない仕事を我慢して続けるのは無意味だ」と考える新入社員は1998年の51.2%をピークに年々減り続け、2004年には32.6%にまで低下した。「無意味だとは思わない」と考える新入社員は67.4%だ。現在では3人に2人以上が「仕事が自分に合っていなくても、やり続ける事に意味が有る」と考えている事になる。
また、「条件の良い会社が有れば、さっさと移る方が得だ」と考える新入社員も1999年の43.6%から、2004年は33.7%まで減っている。

以上の事から、ここ数年で「一度就職したら、基本的にはその職場に居続けたい」と考える新入社員が急増している事が分かる。最近は“転職志向”が強くなっていると言われていたので、これは意外な結果だろう。

昨日の日記では、最近の新入社員は“能力主義”から離れて来ていると書いた。そして今日は“転職志向”からも遠ざかっている事が分かった。そして“年功主義賃金”や“終身雇用”といった旧来の日本的システムを支持している。これは何故だろうか?

思うに、“能力主義”や“転職志向”はある意味で公平だが、実際には一部の本当に実力の有る社員しか得をしないからではないか。だから多くの“普通の”社員は、わざわざ損をするシステムを肯定したくないのである。(普通の社員が“能力主義”だと損をする理由は、昨日の日記を参照。)

“能力主義”も“転職志向”もアメリカで実践されて来た。そして日本では(特にマスコミが)アメリカ的システムを無差別に支持する傾向が強い。だからこれらは21世紀の日本の目指す雇用形態のように言われ続けて来たが、実は日本人には貧富の格差を拡大するようなアメリカ的システムは合っていないのではないかと思う。

以上より今日の結論。

日本の新入社員は早くも“能力主義”や“転職志向”というアメリカ式雇用形態を否定し始めている。


2004年5月20日(木) “能力主義”離れ

最近の新入社員は“能力主義”から離れて来ている。

財団法人社会経済生産性本部の『第15回2004年度新入社員意識調査』によれば、日本の企業にも浸透して来ているアメリカ式の“能力主義賃金”が新入社員に敬遠され始めている事が判明した。

自分の能力に応じて給料が変化する“能力主義賃金”だが、依然として支持率は66.7%と高水準ではあるものの、これは2年前よりも6.6%低下しており、1997年以来最低の数値を記録している。一方で加齢と共に給料が上昇する“年功主義賃金”を望む新入社員の割合は1997年以降、過去最高だ。

日本では“能力主義”は益々浸透していくと思っていたので、これは意外な結果だった。せっかく賃金方式を変えた企業にとっては頭の痛い話かも知れないが、これは現実に即した結果だと思う。というのも、「能力や成果に応じて賃金を決定する」という方式は聞こえが良いものの、実は現状と比べて過半数の人間は損をするシステムだからである。

“能力主義賃金”でも“年功主義賃金”でも、全社員の賃金の平均が一定であると仮定しよう。そうなると前者の方式では偏差(給料の格差)が大きくなり、後者の方式では偏差が小さくなると考えられる。問題は“能力主義賃金”で偏差が大きくなる原因にある。

平均的なサラリーマンが年収500万程度だったとして、“能力主義賃金”によって実力の無いサラリーマンの給料がどれだけ下げられるかというと、これは物理的に言って500万までしか下げようが無い。現実的には100万とか200万下げるのが精々な筈だ。一方で実力の有るサラリーマンは年収が1000万を超える(平均よりも500万以上高い)事になるだろう。

つまり、“能力主義賃金”で偏差が大きくなるのは、給料が大幅に下がる人間が居るからではなく、給料が大幅に上がる人間が居るのが原因である、という事だ。これは数学的に言って、過半数の人間は(幅は小さいにせよ)給料が下がる事を意味する。つまり、大幅に給料が上がる人に対して平均的な人たちが少しずつ給料を負担している、という構図が出来上がってしまうのである。

新入社員の方々は、この現状を敏感に察知したのではないかと思う。以上より結論。

“能力主義”では過半数の社員が損をする。


2004年5月19日(水) 迷惑メール多過ぎ

最近、迷惑メールが1日に100通以上来るんです。多い時は1時間で20通とか。しかも9割くらいは同じ業者から。イジメでしょうか。

迷惑メール防止法が施行されたのは2年前でした。ですが、全然迷惑メールは減ってません。確かに法律に基づいて配信停止する為のメールアドレスを記載している迷惑メールは増えましたが、「この手のアドレスには返信してはいけない」というのがネットの通説じゃないですか。どうしようもないですよ。

現在はインターネットは繋ぎ放題(定額制)が基本ですが、メールに関してだけは携帯電話のように従量制にしても良いような気がします。1通送信するのに0.1円くらいが妥当じゃないでしょうか。これなら普通の人は殆どメール代は掛からないでしょうが、1日に数百万通もメールを送信している悪徳業者には大きな痛手になると思うんですが。

取り合えずメールチェックした時に50通全部が迷惑メール、という状況はとことん萎えます。プロバイダ業界が一致団結してやってくれないかなぁ。



今更ですが『名探偵コナン 銀翼の奇術師〈マジシャン〉』を見て来ました。最近アニメばっかりだな……。

池袋の映画館だったんですが、女性客ばかりなのに驚きました。しかも皆さん20代後半くらいの年齢層。実は『コナン』って女性に人気が有るんですか? もうゴールデンウィークが終わった所為か、子供の姿は皆無でしたね。ちなみにオタクっぽい男性は僕だけでした。

物語は3部構成になっていて、謳い文句になっていた「コナンvs怪盗キッド」は第1部だけです。第2部は毒物殺人事件、第3部は飛行機トラブルに主眼に置かれてます。各パートは30分ずつくらいで、全部で90分。

第2部の推理パートはイマイチですが、第1部はコメディとしてなかなか。コナンがキッドに嫉妬するトコとかは笑えます。で、特筆すべきは第3部ですよ。パイロット達が第2部の事件の影響でフライト中にダウンしてしまって、素人であるコナン達だけでどうやって着陸するか――という感じなんですが、なかなか見所が多いです。飛行機に関して、かなりしっかりした調査をしたようで、コックピット内の描写にリアリティが有るんですね。子供の姿をしたコナンが副パイロット席に座るという致命的な不自然さはあるものの、その他の点では説得力が有って良かった。この辺りが「日本のアニメはレベルが高い」と言われる理由の一つでしょう。

ちなみに帰りにはオタク御用達のとらのあな池袋店に立ち寄って来ました。この店に何の違和感も無く入店できる事にちょっと自己嫌悪。


2004年5月18日(火) 文中リンクのデメリット

アクセス解析によると、この一週間ほどアクセス数(ページビュー)の伸びが凄い事になってます。プレッシャーだなぁ。

昨日の日記で文中リンクについて書いたら、再び幾つか反響が有りました。「基本的に情報は公開する、アクセス数を還元するという考え方」などです。

そもそも僕がこんな事を考えたのは、D-Pointの龍成さんの日記才人内の掲示板に於ける様々な書き込みに触発された為でした。「色々とサイト間の繋がりを強めようじゃないか」という意図を感じまして、「それなら――」と思ってあのような提言をしてみました。

という訳で昨日は文中リンクのメリットを語った訳ですが、今日は逆にそのデメリットを語ってみようかと。既に読み日記で書いた事と重複しますがご勘弁を。

文中リンクには昨日も述べたように“個人サイトの活性化”という効果が有りますが、一方で“サイト間での意見交換(簡単な議論)”という役割も有しています。“個人サイトの活性化”という意味では、文中リンク以上に効果的な手段は無いと思います。ところが“サイト間での意見交換”という意味では、文中リンクは必ずしも最良の方法では有りません。

これには3つの理由が考えられます。1つ目は、サイトを持っていない人は文中リンク自体が不可能な為、意見交換に参加出来ない、という事です。2つ目は、アクセス解析を付けていないと、何処からリンクを貼って貰ったか分からない、という事です。

そして最後の3つ目は、文中リンクの網が多方面に波及し過ぎると、一般読者が着いて来る(全部を読む)のが大変になってしまう、という事です。これは由々しき問題で、“個人サイトの活性化”の為の文中リンクだったのに、逆に読者離れを引き起こすキッカケになりかねない危険性を有していると思います。

ところで、これらのデメリットは掲示板を用いれば全て解決する事でもあります。掲示板は誰でも書き込めますし、議論の場が1箇所に集中しますから気付かれなかったり読むのが大変だったりしません。しかし残念ながら掲示板では、もう一方の“個人サイトの活性化”という目的は果たせません。

――という訳で、文中リンクと掲示板への書き込みは、ケースバイケースで使い分ける必要が有りそうです。目新しい意見を紹介したい時は『文中リンク』、既成のテーマについて意見表明したい時は最初の内は『文中リンク』で盛り上がってきたら『掲示板への書き込み』、とかいう感じでしょうか。

以上より今日のイイタイコト。

文中リンクと掲示板の書き込みは使い分けが大事。
(「昨日あんなこと書いた癖に!」とか思われると心苦しいですが、文中リンクの可能性を否定した訳じゃないんで、その辺りはご理解下さい。)

P.S.
僕は基本的に文中リンクは読み日記でやるつもりですが、隙有らば(?)通常の日記でも、やってくつもりです。


2004年5月17日(月) 文中リンクの効果

先日、読み日記の方で「自分のサイト内で他のサイトの感想を述べる、という手法は面白い」と書いたら、幾つか反響が有りました。僕がこの方法を面白いと思うのは、

という理由からです。中でも重要だと思うのは最後の『読者の流動化』です。

インターネット初心者の頃は「自分のホームページをwebに公開したら沢山の見知らぬ一般人に見て貰える」という幻想を抱いたりしがちですが、現実はそんなに甘くない訳ですよね。10人の読者(ここでは定期的に見てくれる人、の意味)を獲得するのだって、最初は大変です。

アクセスアップの為には“良いテキストを書く”のが重要ですが、それは「必要条件であって、十分条件ではない」とも言われています。つまり「良いテキストを書かなきゃ読者は増えないが、良いテキストを書いても読者が増えるとは限らない」――これが今のインターネットの現状な訳です。

これでは将来、弱小サイト管理人が「頑張って良い文章を書こう!」という意欲が薄れていってしまうように感じます。ネットでは後発が不利になる事が多いですし。となると、このままでは個人サイトは廃れていってしまうんではないかと思うんですよ。

ところが『サイト同士の間で読者の流動化が起り易い』という状態は、『“良いテキストを書く”事をアクセスアップの為の必要十分条件とする』可能性を秘めていると思うんですね。例え単発でも良いテキストが書ければ、それなりの御褒美(アクセスの上昇)が有る、というネットの理想形に近付けるんではないか、と。

僕が利用している日記才人には『日記じゃんくしょん』という“他サイト宣伝専用掲示板”が有りまして、これも非常に面白い機能だと思うんですが、投稿者があまり多くありません。これは公共の場で他サイトを宣伝をする、という行為が気軽さを失わせている為だと思います。しかし自分のサイト内ならば管理人の完全な自由ですし、これ以上気軽に自分の思った事を書ける場は無い筈です。

――という訳で、自分のサイトで他サイトについて思った事を書く、という行為には大きな可能性が秘められているのではないかと思います。以上より今日のイイタイコト。

もっともっと文中リンクを活性化させませんか?


2004年5月16日(日) バスに勝った

昨日、バイト先からバスに乗って帰ろうとすると、僕がバス停に着く直前に、乗る筈のバスが行ってしまいました。そこで現在ダイエット期間中の僕は、「ただ待ってるだけなのも時間が勿体無いし、一駅か二駅分くらい歩けば待ち時間も減るだろう」と思い、一つ先のバス停に向かって歩き始めました。

直後に僕の横を通り過ぎて行く、もう一台のバス。

僕の乗ろうとしていたバスは都内なのに30分に1本くらいしかない路線です。通常はこんなにすぐに次のバスが来る筈がありません。つまり、最初に僕が乗れなかったバスは、かなり遅れて停留所に着いた、という事です。まぁバスってのは電車と違って、時間通りには来ない事は分かっています。分かっていますが――

こういう状況って物凄く悔しくないですか? 理解してもらえるかどうか分かりませんが、僕は「余裕ぶってたら足元すくわれた」みたいな屈辱感を感じるんですよ。本当に悔しい。

そこで僕が思ったのは「次の停留所までにバスを追い抜かそう」でした。

こういう状況って物凄く燃えませんか? 理解してもらえるかどうか分かりませんが、僕は「人間が機械に勝った」みたいな優越感を感じるんですよ。本当に気分が良くなります。

という訳で、猛然と走りましたよ。スピードでバスに勝てる訳はないのですが、『信号無視』という裏技を行使する事により、バスを追い抜く事に成功しました。

やりました。もうこの優越感といったら!


――と、ここまで書いて読み返してみると、自分の人間としての器の小ささをヒシヒシと感じました。うーん……。


2004年5月15日(土) 両性具有

人間には『ふたなり』願望が存在する。

芸能界では昨年辺りからオカマブームだ。正直、勘弁して欲しい。ところが成人向け漫画の中には以前から『ふたなり』というジャンルまである。

『ふたなり』というのは所謂『両性具有』の事で、一つの個体に男性器と女性器が両方備わっている事を言う。女性を妊娠させる事も出来れば、自分が妊娠する事も出来る。もっと言えば、自己受精(他者との性交無しで、自分単独で妊娠する事)も可能だ。カタツムリは全て両性具有である。

成人向け漫画では両性具有は大抵が“(外見上の)美少女に男性器が生えている”というシチュエーションで描かれている。“不細工なおじさんに女性器が付いている”という表現は絶対に為されない。これは商業上の(「そんなの誰も買わねーよ!」という)理由からだろう。

両性具有の起源は非常に古く、ギリシャ神話には既にその存在が記載されている。有名なのが哲学者プラトンの著書『饗宴』だ。これによれば人間は元々、男性と女性の他に両性具有という第3の性別が存在していたが、異性には全くの無関心だった。そして両性具有は能力的に非常に優れていた為に神に恐れられ、身体を半々に引き裂かれる事になり、男性と女性に別れた。だから強制的に別れさせられた男性と女性は互いの半身を取り戻す為に恋愛(性交)という行為を行うようになった。一方で元々男性や女性だった存在は今でも異性には無関心で、これが今日でいうホモやレズとなっている――という事らしい。

ここで興味深いのは、両性具有が通常の男女よりも優れた存在である、と考えられていた事だ。似たような考え方は広く見られる。例えば原始社会では成人式の行事の中で“男性が女装する”というイベントが含まれている事が多かった。これは優れた存在である両性具有願望から来ていると考えられる。

しかしそれならば逆に“女性が男装する”という文化が広く伝わっていても良さそうなものだが、そのような事実は僕が調べた限り存在しない。これは「禁忌の中に聖なる存在を認める」という考え方に拠っていると思う。女性は長い間、“不浄の存在”とされて来た。しかし、だからこそ女性の内部には男性には無い聖なる存在が内包されていると考えられていた訳だ。

以上より結論。

両性具有は人間の理想形と考えられて来た。人間には両性具有願望が存在する。

正直な話、現在では男性の方が圧倒的に不浄だと思う。成人向け漫画で美少女の外見をした“ふたなり”が描かれるのは、今や不浄な存在と化した男性の中の聖なる存在を美少女に付加する為なのかも知れない。(男性の中に“聖なる存在”が有るのかは疑問だが。)
という事でもう一つ結論。

女性が不浄とされる社会(昔)ならば男性的な両性具有(或いは女装)が求められ、男性が不浄とされる社会(今)ならば女性的な両性具有(或いは男装)が求められる。

関連リンク:女性の男装が認められる理由


2004年5月14日(金) あじくわ

先週の金曜日の話なんですが。

渋谷駅の山手線ホームで中東アジア系の外国人男性の方に話し掛けられました。どうやら「目的地への行き方が分からない」といった様子。しかし「あじくわ、あじくわ」と言うばかりで、何の事かさっぱり分かりません。

ちょっと困ってしまい、しばし立ち往生。
僕:「あじくわ?」
男性:「あじくわ」
埒が明きません。

彼はその他の日本語は結構マトモなのです。断片的にですが「シブヤ」とか「ワカラナイ」とか、そういう単語は発するんです。しかし「あじくわ」だけ意味不明。しかし暫くすると、突然彼が「ドッグ、ドッグ」と言い始めました。

ドッグ? ああ、ハチ公の事か? ――僕はそう思いましたね。ところが、ハチ公への道順を説明しようとした瞬間、再び男性の口が開きました。「キャット、キャット」と。

キャット!?

ハチ公じゃないのか……。また何も分かっていない状態に逆戻りです。でもこのままじゃどうしようもありません。ここで僕はふと思いました。――英語なら通じるかな?

しかし僕が英語を使う事はありませんでした。だってもしも僕が「イングリッシュ、オーケイ?」とか言った後に、相手の英語を全く理解できなかったら、とことん恥ずかしいじゃないですか。僕は英語の単位が取れなくて2年も大学を留年したんですから、この不安は当然です。

仕方なく僕は駅員さんの処に男性を連れて行く事にしました。
僕:「あの、すいません、この人が道が分からないらしいんですけど」
男性:「あじくわ! あじくわ!」
駅員:「あー、ハチ公ね。ハチ公はアッチよ」

何故“あじくわ”だけで“ハチ公”と理解出来るのだ、渋谷駅の駅員よ。そして“キャット”って何だったんだ、外国人男性よ。

何となく納得行かないモノを感じながら、その日は飲み会へ向かったのでした。


2004年5月13日(木) アニメ3本

最近DVDで映画を3本ほど見ました。『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』、『クレヨンしんちゃん アッパレ! 戦国大合戦』です。今初めて気付いたんですが、全部アニメですね。

『攻殻機動隊』は先日『イノセンス』を見たので、その流れで。良い映画だとは思いましたが、流石に内容が古かった。もう9年も前の映画ですので、その頃に見ていたら凄いと思ったんでしょうが。……いや、9年前だと僕は13歳か。理解は無理だな。良い作品に適切な時期に出会う、というのはなかなか難しい事のようです。
『攻殻機動隊』と比べると『イノセンス』はかなり洗練された印象でしたね。カンヌ取れるかな?

『オトナ帝国の逆襲』は以前にテレビで見て、良さは知っていました。普通に良いです。「20世紀は良かったなぁ〜」って話です。今回は大人と子供が対立するんですが、しんちゃんにも、しんちゃんの両親にも共感できます。両方に共感出来る作品ってのはなかなか無いんじゃないかと。

『戦国大合戦』は「クレしん映画で最高傑作」との声が最も高かった作品ですが、僕は見てませんでした。で、見てみると――素晴らしい。確かに文化庁で表彰するだけの事はあります。(『戦国大合戦』は第6回文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞しています。)
戦国時代の武将と姫様が恋をする話なんですが、ストーリー上で“子供映画”としてのお約束を悉く覆しているのが堪りません。是非とも「所詮は子供映画」と侮りながら見て欲しい作品です。


トップページの見た目を変更しました。これは某サイトのパクリと言われても仕方ないですねぇ……。この機会に本当はサイト名も「怠惰な理系大学生による留年一直線な日々」とかに変えようかと思ったんですが、流石に辞めときました。
取り合えず何か不具合など有れば、掲示板に書き込みよろしくお願いします。


2004年5月12日(水) ダイエット計画5月期第1回中間報告

詳しいルールを知らない人は5月6日の日記を見て下さい。簡単に言うと「今月中に3キロ痩せなかったらホームページ閉鎖」です。

5月4日の体重を基準にしているので今日で8日が経った訳ですが、現在の所の中間結果は――1.4キロ減。これ、ちゃんと夕食を食べ終えた直後に測りましたから、最悪でも1.4キロ減と言えると思います。どうですか、順調でしょう?

さて、ダイエットの為に具体的に何をやっているのかというと、実はあまり何もやってなかったりします。

くらいでしょうか。1つ目は独り暮らしだと当然でしょうが、自宅生だとなかなか難しいんですよね。特にウチは母親が作りたい時に作ってしまいますから。だから日曜日とかだと朝食10時、昼食14時、夕食17時なんてことも余裕であるんですが、僕がそれに合わせるのは辞めました。しかも食べる量も問題で、ウチの母は新潟出身なので御飯を茶碗1杯しか食べないとキレたりするんですよ。母親の料理は美味くないので別に僕は1杯食べれば充分なんですが、あんまりにも怒鳴られるのが鬱陶しいので大学生になった頃からは仕方なく食べるようにしてたんですよ。しかし、それも辞め。現在、毎食キレられてます。

2つ目が唯一、努力らしい行動ですかね。僕はレモンジュースが大好きなので、これはかなり辛いんですが。特に500ミリペットボトルを買うのは完全に辞めました。

3つ目は、「家で本を読んでいる時間をダイエットに充てられたらなぁ」と思ってやってるんですが、文庫本を読みながら部屋の中を延々とグルグル回り続ける光景は怖いものがありますね。辞めてしまうかも知れません。

――とまぁ、こんな感じで。今月はこれだけで充分目標を達成出来そうな勢いですので一安心。減らなくなってきたら何か特別にやろうかと思いますが。

それでは続きは第2回中間報告で。


2004年5月11日(火) もしも投票率が下がったら

今日は昨日の続きです。

投票率が下がると創価学会のような特殊な集団の影響が必要以上に大きくなってしまう。既に前回の参議院選挙の投票率(約55%)では実際の2倍近くの創価学会会員が日本に存在するのと同じ事になっている。

今日はこれよりもさらに投票率が下がるとどうなるかを考えてみたい。前回の参議院選挙は投票率56.44%(5714万票)で、比例代表党派別得票数は自民党が2111万票、民主党が899万票、公明党が819万票であった。ここで昨日と同じように公明党の800万票が投票率に関係の無い固定のものと仮定して、投票率が50%(5062万票)まで下がった場合の事を考えてみる。(他党については得票数が創価学会会員以外の投票率と比例するものとする。本当は低投票率ならば自民党が有利だが。)

計算した結果、投票率が50%まで低下すると、自民党は1831万票、民主党は780万票、公明党は816万票となる事が分かった。なんと投票率が前回よりも6.4%低下しただけで、比例代表では公明党が第2党に躍り出る事になるのである。

さらに投票率が25%(2531万票)まで低下したと仮定しよう。この時の各政党の得票数は自民党が744万票、民主党が317万票、公明党が807万票となる。公明党が自民党を抜いて第1党になる結果となってしまった。

全国選挙の投票率が25%まで低下する事は直ちには考えられないが、地域毎の選挙では20%台というのは珍しい話ではない。投票率20%台というのがどれほど異常な事態なのか、この試算結果が表しているのではないだろうか?

という事で結論。

もしも投票率が25%まで低下すると、参議院比例代表で公明党が(創価学会の力で)第1党になる可能性がある。


2004年5月10日(月) 低投票率のデメリット

投票率が低下する事に関してはメリットも多いが、致命的なデメリットも存在する。

あんまりにもマスコミが選挙の度に「投票に行きましょう」と叫び続けるので、テキストサイトでは「投票率は低くて良いんだ」という主張が多い。例えば、
世捨て人の庵みんなにあげるな選挙権
憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々投票率は低いほうが良い?
などを見てみると良い。これらの主張は確かに正しいと思う。

一方で、投票率の低下には致命的なデメリットが存在する。それが昨日話題にした、創価学会の存在だ。

創価学会は2003年の段階で公称会員世帯数821万世帯・公称学会員数1000万を誇る日本最大の宗教団体だ。ただ、この手の団体は人数を水増しして発表するのが常である。選挙結果(公明党の得票数)から考察すると、実数は800万程度だと言われている。これでも相当な人数である事は変わりない。

問題は創価学会が公明党を全面的に支持している事だ。と言っても、この場合の“問題”とは所謂「政教分離の原則」の事ではない。

昨日の日記で書いたように、創価学会の会員は選挙に対して非常に熱心である。わざわざ公明党の議員を家庭訪問までして推薦してくるくらいだ。当然、学会内の投票率は非常に高いと思われる。(流石に創価学会会員だけの投票率、というデータは見付からなかった。)

創価学会会員が選挙に熱心という事は、選挙の投票率に関わらず公明党は一定の得票を得られる、という事である。ここでは単純化して、全体に関係なく学会内の投票率が100%で変化しない、と仮定してみる。

つまり公明党は投票率に関係なく800万もの票を得る事になる。日本の有権者数は約1億人であるから、これは8%を占める数値である。これだけの票数が宗教絡みである事が既に気持ち悪さを感じるが、これは仕方の無い事だとも思う。だって実際に日本国民の8%が創価学会会員なんだから仕方ない。まさか無宗教の人間だけに選挙権を認める訳にもいくまい。

問題は、全体の投票率は100%ではない、という事である。例えば2001年の参議院選挙の投票率は56.44%で、投票者数は約5700万人であった。この内、800万が創価学会会員である。これは全投票者数の14%を占める事になる。(ちなみに実際の選挙結果は公明党得票数が820万票・得票率が15%であった。)

ここで大きな問題が発生する。実際には日本国民の8%を占めるに過ぎない創価学会会員が、選挙結果上では14%を占めるのと全く変わらない事になってしまうのである。さらに投票率が低下すれば、この問題はもっと大きくなる。が、そのシミュレーションは明日。

以上より今日の結論。

投票率が100%に達しない限り、創価学会の選挙に対する影響は、必要以上に大きくなる。


2004年5月9日(日) 参議院選挙

選挙権が与えられてから、選挙が近付く度に創価学会に所属する知り合いが自宅まで訪問して来るようになった。その知り合いとは単に幼稚園が同じだった、というだけの縁である。それだけで毎回毎回「公明党の○○議員をよろしく」と延々と散々喚いて行くのである。どう考えてもマイナス効果しかないと思うのだが。

今日、その知り合いが今年7月の参議院選挙の為に早速来た。まだ2ヶ月以上前の、この時期に。「公明党の沢ゆうじ議員を宜しく」との事だ。よし、沢ゆうじか、覚えたぞ。絶対こいつには投票しねぇ。

「そんな子供じみた事言うなよ」と思われるかも知れないが、この創価学会に所属している知り合いは、1回の選挙に付き、3,4回は自宅訪問をしてくるのである。今回もこれから2週間に1回くらいのペースでウチに来るに違いないのだ。正直言ってかなりウンザリですよ。

はっきり言って僕は「こんな事やらせてる候補者になんか投票しないよ」と、その知り合いに言っても良いのだが、それは親に止められている。その知り合いとは幼稚園が同じなので、必然的に親同士も知り合いだ。その所為で「近所付き合いを考えろ」という事らしい。面倒な話だ。ウチの親だって家族で誰も読みもしない聖教新聞を取らされたりして十分迷惑を被っている筈なのに、それよりも近所付き合いが大切らしい。

今日のイイタイコト。

今年7月の参議院選挙では、僕は絶対に沢ゆうじ氏&公明党には投票しない。

明日は低下する投票率について考えてみたい。


2004年5月8日(土) ポジティブに生きよう

今日は反省文。

僕は「自分は周りと比較して物凄くどうしようもない奴なんではないか」と思う時と、「世の中はなんて馬鹿な奴らばかりなんだろう」と思う時がある。この2つは矛盾している。

前者は例えば休日に何もせずにダラダラしてしまって一日を終えようとしている時とか、或いは何かに対して物凄く頑張っている人を見た時とかに思う。「あー、こいつはこんなに頑張ってるのに俺は……」みたいな。
後者は例えば僕が凄いと思ったり大いに認めているモノを共感してもらえなかった時とか、或いは僕が全く同意出来ないような事を言われたりした時とかに思う。「あー、こいつは何にも分かってないなー」みたいな。

こうして改めて書いてみると「俺って心が狭い奴だな」と再び自己嫌悪だが、それは置いとくとして。

まぁそうやって他人に劣等感を抱いたり逆に馬鹿にしたりってのはある程度誰でも有る事なんだろう。でも最初に書いたような矛盾が起こってしまうのは万人に起こる事ではない気がする。

問題なのは、特殊な事象を極度に一般化して捉えてしまう事だろう。自分より優れている人が居たとしても「自分は周りと比較して物凄くどうしようもない奴なんではないか」とまで思う必要は無いし、逆もまた同様。

自分の意見を否定されると、人間性を全否定されたかのように感じてヒステリックな反応をする人がたまにいる。他人からすると結構迷惑な性格だ。これも特殊を一般化してしまった所為だと思う。という事は、僕はそういう人と同じ思考過程を踏んでしまってる訳で、問題だ。その所為で他人に迷惑を掛けてしまうかも知れない。いや、もう掛けているのかも知れない。

って訳で、必要以上に劣等感を持つのは辞めよう、と。ポジティブ志向が支持されるのには、こうした理由も有るのかな。


昨日は飲み会だった。御徒町のニジュウマルという飲み屋は良い店だった。そこで出た話題は「ナース服と聴診器」について。「そりゃ誰だって着せてみたいよね」という僕の意見は見事なまでに全員に否定された。あと、後輩に「格下ですね」と言われた。…………ポジティブに生きよう。


2004年5月7日(金) 官房長官辞任とデスノート

福田官房長官(67)は7日午前の閣議後の記者会見で国民年金未納問題への対応の不手際を理由に辞意を表明した。

僕はこのニュースを聞いて、先週号のジャンプの『デスノート』(←殆どテニス漫画になってた回です)を思い出しました。

先週の『デスノート』は互いにテニスをしていながら、いつ「仲良くしている現状は茶番だ」という事を言い出すか? という鬩ぎ合いが描かれていました。“現状打破”は自分自身を不利な状況に追い込む訳ですが、先手を打つ事で相手を大きく牽制できる、と。

今回のニュースも構造としてはそっくりだと思うんですね。福田さんも菅さんも“辞任”という切り札を持っていた。自らを“辞任”という窮地に追い込む事で、逆に相手をそれ以上に追い詰める事が出来る、という。自ら辞任すれば、ある程度責任を感じている事をアピール出来る上、しかも相手は辞任という責任の取り方がし難くなります。どうしたって後発は印象が悪いですからね。

だからこそ、“辞任”という切り札を先に切って先手を打った福田さんがL、攻めているようで実は遅れを取った菅さんがライトに見えた訳です。

以前も書きましたが、僕は福田さんのモロに「本音は全然別で、建前を話してますよ」って喋り方を人を馬鹿にしたような態度でするのが好きでして、あのトークが暫く聞けなくなるのは残念です。


今日は飲み会なので早めに更新しておきます。いきなりダイエット(←昨日の日記参照)の敵が登場ですが、何とかします。


2004年5月6日(木) ダイエット計画

僕は高校3年生の冬(1999年末〜2000年初め)くらいから太りだしまして、それから幾度となく「ダイエットするぞ!」と思っては来たのですが、いつもいつも長続きしませんでした。しかし、いつまでもこんな状態で良い訳がありません。痩せなければ。ただでさえ僕は“オタク”という世間的なマイナスのレッテルを持っているので、このまま痩せなければ“デブヲタ”という名の恐ろしい称号を永遠に我が身から外せなくなってしまいます。考えただけで恐ろしい……。

しかしダイエットは、どのような方法であれ長続きしないと成功しないでしょう。しかし僕は好きな事以外には意志がとことん弱いのです。何となく飽きてしまうんですね。が、これではいけません。何としても今回のダイエットは成功させたいと思います。

問題は長続きさせる方法です。意志の弱い僕が、どうすれば飽きずに続けられるか……。やはり、続けなかったら何らかのペナルティを課す、というのが良いでしょうね。何か好きな事を辞める、とか。…………決めました。



今月中に3kg痩せなかったらホームページ閉鎖。



これで行こうと思います。以下、細かいルール設定を。

・一昨日(5月4日)の体重(Xkg)を基準とする。
・5月31日の体重測定でX−3kg以下ならば今月はクリア。
・X−2.9kg以上ならば失敗で、ホームページ閉鎖
・今月がクリア出来たら、今月末日の体重を新たな基準の体重とし、翌月以降も同様の設定で行う。
・全部で20kgの減量に成功したらこの計画は終了とし、ホームページは続行する。

ダイエットの進行状況は日記のネタが無い時に適宜、お知らせしたいと思います。ちなみに応援メッセージやアドバイスは大歓迎ですが、「20キロもダイエットしなくちゃいけないなんて、一体今は何キロなんですか?」という質問にはお答え出来ませんので、ご了承下さい。


2004年5月5日(水) “巨乳”という言葉について

昨日の日記『巨乳嫌いな女性』をアップした後、googleで“巨乳・馬鹿”という単語で検索したら、このサイトが15600サイト中2番目に表示される事が発覚。複雑な心境。

ついでに“巨乳・偏差値”という単語で検索したら、今度はデリバリーヘルスやアダルトビデオのサイトが多数出て来た。「これは一体どういう事なんだ?」と思ったら、この業界には“巨乳偏差値”なる単語が存在するらしい。「当カレッジは巨乳偏差値75以上の名門です」とか。これが本当に偏差値を出す公式を用いて弾き出された数値ならこのサイトで喜んで取り上げさせて貰うのだが。残念。

そもそも“巨乳”という言葉は従来、日本語には無かった単語だ。マトモな辞書には載っていない筈である。試しにgoo辞書で検索してみたが、やはりヒットしなかった。

“巨乳”という単語が何処で使われ始めたのかは、はっきりしない。が、「洋物AVのタイトルに使用された」或いは「松坂季実子(AV女優)が『FLASH』という雑誌で“巨乳の19歳女子大生”と紹介された」のが始まりではないか、というのが有力説らしい。いずれにせよ、アダルト関連の世界で使われ始めたのは確かなようだ。その後、AVの世界では急速に“巨乳”という言葉が浸透していった。

“巨乳”という言葉が一般的に使用されるようになったのは、グラビアアイドルのかとうれいこや細川ふみえが登場してからである。この頃からグラビア雑誌のキャッチコピー等に“巨乳”が使われ始め、“巨乳”という単語は市民権を得た。現在では“巨乳”から派生して“爆乳”等の単語が使われる事もある。

ちなみに『日経エンタテインメント!』という雑誌が2000年9月号で巨乳の定義を「バスト90センチ以上」と定義している。これは相当厳しい基準で、山田まりあ(バスト87)・藤原紀香(バスト88)・優香(バスト87)といった面々ですら“巨乳ではない”とされてしまう。実はかつて“巨乳”とされたかとうれいこのバストも86で、90には達していないのである。
昨日の日記で取り上げた井上和香のバストが90だから、彼女はギリギリ“巨乳”だという事だ。何だか井上和香が女性から嫌われる理由がより分かった気がする。


巨乳に関する日記を続けて書いてしまった。もしかして僕の事を巨乳好きだと思う人が居るかも知れない。が、それは大きな勘違いで、僕は巨乳は好きではない。僕の好きなタレントは広末涼子で、彼女のバストは77cmである。(出産した現在はどうなのか知らないが。)


2004年5月4日(火) 巨乳嫌いな女性

先日、女性誌が行った“20代の女性が選ぶ嫌いな女”というアンケートでグラビアタレントの井上和香が1位となった。その理由としては「胸以外に何があるのか」が多数を占めたという。

以前、僕は「巨乳は馬鹿じゃない」というテキストの中で、「巨乳は馬鹿だ」という誤った認識は男性の願望の現れだと書いたが、女性の中にも「巨乳は馬鹿だ」論を支持している人がいる、という事だろうか? これに関してアイドル評論家の北川昌弘氏は次のように分析している。

昔は“胸の大きな女性は頭が悪い”というイメージがあった。典型的なのがマリリン・モンローで彼女はセクシーなだけという印象です。しかし、井上はモンローと同じスリーサイズながら、頭の回転が速く、バラエティー番組で司会もこなせる器用さを併せ持っている。井上は天が“二物”を与えてしまった女性。同性からみるとやっかみの対象です。好感を抱くはずがありません。

“井上和香は本当に頭の回転が早いのか”という議論は置いておくとして、男性だけでなく女性も巨乳に対するコンプレックスが存在するのは確かなようだ。となれば女性も「巨乳は馬鹿だ」という誤った認識を持ちたがる傾向が有る可能性は十分に考えられる。

ところで男性と女性で異なるのは、男性は全員が等しく巨乳女性にコンプレックスを感じるのに対して、女性は自分よりも巨乳な相手にのみコンプレックスを感じる、という事だろう。

しかし井上和香の身体サイズは、身長165cm、スリーサイズは上から90・60・90で、かなり良いプロポーションをしていると言える。1995年のワコールの調査によれば日本人女性の平均的身体サイズは、身長158.8cm、スリーサイズは上から82.4・65.2・87.8である。両者の差は一目瞭然だ。しかもバストのサイズは井上和香がFカップなのに対し、日本人女性の平均バストはAカップである。大多数の女性が井上和香よりも貧乳な事は明らかで、それが“20代の女性が選ぶ嫌いな女”ランキングで1位を取ってしまった事の一因であるようだ。

以上より結論。

男性ほどではないにしろ、女性も巨乳にコンプレックスを持つ傾向が有り、「巨乳は馬鹿だ」という誤った認識を持ちたがる。



“日記読み日記”を始めてみました。トップページの通常の日記の下にあります。取り合えず1週間くらい続けてみて、面白そうなら正式なコンテンツにしようかと。


2004年5月3日(月) 中学受験アンケート結果

先日、当サイトで「中学受験をする事は、その人の人生に対して、メリットとデメリットのどちらが大きいと思いますか?」というアンケートを行いました。20人の方が回答してくれました。結果をコメントと合わせて紹介してみたいと思います。コメントは文字化けしているものや、個人的な部分は割愛させてもらいました。


自分は中学受験を経験したが、メリットの方が大きいと思う。……13票

・分からん。俺の場合は良かったけど、一般的に言うとどうなのかは、どうなんだろうねえ。
・自らの意思で受験校を決めた場合に限る。親に受けさせられているようではデメリットのほうが大きい気がする。
・やっぱり世間の目の見られ方が・・・
・ただ、高校受験っていかにも青春って感じで羨ましい。自分がやってないからかもしれないけど。


自分は中学受験を経験していないが、メリットの方が大きいと思う。……2票

・中学受験のために小学校の勉強をしっかりとすることで、一般常識程度の基本的なことをきちんと学べるので良いと思います。
・餓鬼の頃からストレス溜めなきゃならんほどメリットではないと思うけどね。


自分は中学受験を経験したが、デメリットの方が大きいと思う。……2票

・小学生くらいの年代は、勉強よりも遊んでいた方がいいんじゃないかと。


自分は中学受験を経験していないが、デメリットの方が大きいと思う。……3票

・どっちもどっちだけど、なんとなく。
・自分は公立中学でしたけど、私立中学に行ってもそんなにメリットはないと思います。


20人中15人が中学受験経験者でした。明らかに世間の平均(中学受験経験率は10%強)からは掛け離れていますが、これはある程度予想された事でした。回答をわざわざ中学受験経験の有無で分けたのは、この為です。

さて、まずは中学受験経験者の結果から見てみると、15人中13人が「中学受験はメリットが大きい」と考えています。これは恐らく自分の人生を顧みて、割と満足の行く中学生生活を送った人が多かったからでしょう。ただ中学受験経験者の中に、自らの意思で受験校を決めた場合に限る。親に受けさせられているようではデメリットのほうが大きい気がするとか、小学生くらいの年代は、勉強よりも遊んでいた方がいいんじゃないかととかいう厳しい見方をしている人がいたのは興味深いです。

一方、中学受験を経験していない方は票数が5票と少ないですが、結果は分かれました。自分は公立中学でしたけど、私立中学に行ってもそんなにメリットはないと思いますという方のように、特にメリットが無いから公立の方が良いのでは? と考えている人が多いようです。

僕の質問が悪かったのですが、中学受験にメリットが有るとした人は、「受験勉強そのものが良い」という考えと「私立中学に通っておけば後々に有利になる」という考えに分かれていたようです。「受験勉強そのものが良い」派の代表は中学受験のために小学校の勉強をしっかりとすることで、一般常識程度の基本的なことをきちんと学べるので良いと思いますで、「私立中学に通っておけば後々に有利になる」派の代表はやっぱり世間の目の見られ方が・・・でしょうか。この辺りを分けて質問しておけば、もう少し興味深い結果が得られたかも知れません。僕は「受験勉強そのものが良い」派ですが、中学受験はデメリットが大きいとした人は、小学生くらいの年代は、勉強よりも遊んでいた方がいいんじゃないかとというコメントから分かるように、どちらかというと「受験勉強そのものには意味が無い」と考えているようです。

今回のアンケート中に、数年前まで大手中学受験専門学習塾に勤務していた方からメールを貰いました。塾としては中学受験のメリットを「私立中学=中高一貫教育という事で、高校受験を免れる点、よって長いスパンで大学受験への準備が出来る事、公立中学の学級崩壊」として説明しているようです。しかし一方でこの方は「6年生に至っては週5日間、夜9時まで授業があり、日曜のテスト次第で席順やクラスが替わります。このストレスは子どもにも親にもものすごい負担です」とも言っています。従って「良いか悪いかは、一概に言えない」との事。

――以上でアンケートの結果報告を終わりにします。全てが貴重な意見だったので、僕の個人的な意見を結論にはしません。アンケートに協力して下さった方々は、本当にありがとうございました。


2004年5月2日(日) 波田陽区

今日の日記は波田陽区の芸風で読んで下さい。(知らない人はすいません。)

昨日の♪ 「サディスト診断」の結果♪ 理想の奴隷のイニシャルに♪ “P”が有る事に関して♪ “林家パー子しかいねーじゃねーか”と書いたら♪ 友人が♪ “ピーコがいるじゃねーか”って♪ ……言うじゃなぁい♪

…………でもピーコは男ですから! 残念っ!! 芸能界のオカマブーム斬り!!!


肩の力を抜く日記は今日まで。明日からまた気合を入れて書いていこうと思う。


2004年5月1日(土) サディスト診断

「サディスト診断」というのをやってみた。僕は自己意識としては完全なSだと思うのだが、結果や如何に――

診断結果

あなたは本物の「サディスト」でございます。
あなたはご自分が「サディスト」という事に気づいておりますね。一日も早くあなたが満足できる「奴隷」をみつけだし、調教を開始しあなたの理想となる「奴隷」をつくりあげてください。

詳細
サディスト度・100%

あなたの「SMライフ」
あなたは「SMごっこ(プレイ)」に興味があるのでは? プレイにさらなる磨きをかけましょう。

あなたの理想の「御主人様」のイニシャルは残念ながらおりません。
あなたの理想の「奴隷」のイニシャルは「A」・「F」・「K」・「P」・「U」・「Y」さんです。


やはり予想通りの結果。素晴らしい。これは確かに当たっている。
が、一つだけ納得行かないのは、“理想の奴隷のイニシャル”として“P”というのが有る事。イニシャルが“P”って誰がいるんだよ。僕は“林家パー子”しか知らないぞ。



長く同じパソコンを使っていると、どうしても細かい所に汚れが溜まっていく。という訳で今日はパソコンを掃除していた。すると何故か内部まで綺麗にしたくなってきたので、OSを再インストールする事にした。午前11時だった。ところが未だに再インストール以前の環境に戻す事が出来ていない。現在、日が変わって2日の午前0時30分。どうもあと半日は掛かりそうだ。頑張ります。


今日今日のアクセス数/昨日昨日のアクセス数/累計累計のアクセス数
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