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2005年11月

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2005年11月30日(水) ライフスタイル

家庭教師が19時30分開始だと、30分延長したら22時になってしまい、自宅に着くのは23時を過ぎる。御飯を食べてお風呂に入ると日付が変わる。割と疲れる。


2005年11月29日(火) 値段当てゲームの勝敗決定

ある商品の値段当てゲームをしたとしよう。その商品の価格をAさんは「1万円」と言い、Bさんは「2万円」と言った。本当の価格は1万4千円だった。さて、AさんとBさんとでは、どちらがより正解に近いか。

普通なら、Aさんは4千円の誤差でBさんは6千円の誤差だから、「Aさんの方が惜しかった」となるだろう。しかしBさんは以下のように反論する。「正解は私の予想価格と30%しか違わない。しかしAさんの予想価格とは40%違う。私の方が惜しい」と。

この反論には一理有る。極端な話をすれば、1億円の商品を100円と予想するのと2億円と予想するのとでは、単純な価格差は前者の方が小さいが、明らかに後者の方が惜しいと思う。

つまり値段当てゲームの勝敗決定というのは、必ずしも正解との誤差だけでは測れない側面が存在し、だからよくテレビ番組でやってる高級料理の値段当てとかは、もう少し勝敗決定法に気を使って貰いたいと思うのである。


2005年11月28日(月) 集中力不足

新宿のとあるショップを求めて徘徊。記憶していた場所に見付からない。おかしい。

こういう事ってよくある。よく食べ物屋が見付からない。集中力不足?


2005年11月27日(日) 眠った

寝続けた。ヤバイくらい眠ってたと思う。


2005年11月26日(土) 眠い

休日なのに朝からバイトだったのでヘトヘト。疲れた。眠い。


2005年11月25日(金) クリスマスの1ヶ月前

クリスマスの1ヶ月前である。そんな季節。酷く寒い。

近年はどうやってクリスマスを過ごしていたのか、気になったので過去の日記を読み返してみた。

2004年:イタリアワイン『ラクリマクリスティ』を飲んだ。
2003年:鳥を丸ごと2羽食べた。
2002年:プレステソフト『ドカポン〜怒りの鉄拳』をクリア。
2001年:映画『ハリーポッターと賢者の石』を見た。

さらに記憶を遡ると、

2000年:男3人でヒッソリと過ごした。
1999年:プレステソフト『クロノクロス』をクリア。

だったハズである。さて、今年のクリスマスや如何に!?


2005年11月24日(木) クリスマスイヴの1ヶ月前

気付けばこんな季節。


2005年11月23日(水) 勤労感謝の日

アルバイトは勤労と言えるのか? 言えるなら僕は感謝されるのか?


2005年11月22日(火) マラソン

一昨日の日曜日ほど、スポーツが湧いた日も珍しかったですね。男子ゴルフ・女子ゴルフ・マラソン・フィギュアスケート・スピードスケート。特に盛り上がったのは、やはりマラソンの高橋尚子でしょうか。

昔はマラソンって、つくづく不思議なスポーツだと思ってたんですよ。と言うのも、「マラソンは駆け引きが大事」とか言われるじゃないですか。でも僕は「最初から最後まで同じ速度で全体力を使い果たすように走れば、それ以上の自己ベストは無い。よってマラソンに駆け引きは無用」とか考えていたので。

でも実際には、そんな走りは出来ない訳ですよ。体調とかの影響も大きいし。だからこそ駆け引きが重要な訳ですね。

しかし今までの高橋尚子は、世界新記録にこだわり過ぎて、序盤からスパートする事が多かった気がします。これって要は、博打に近い走り方ですよね。他者との駆け引きを放棄してる。

しかし日曜日の高橋尚子は、しっかりとライバル達と駆け引きしてるように見えました。世界新記録じゃなくて、1位を狙う走り方ですね。

この走り方なら、まだまだ勝ち続ける事が出来そうな気がします。何しろ未だに優勝を逃したのは2回だけですからね。驚異的な勝率だよなぁ……。


2005年11月21日(月) カレーの消費量

日本人の1人当たり年間カレー消費量は約58食分。

後輩に連れられて、渋谷の『リトルスプーン』というカレーチェーン店に行った。辛さは「甘口」「ノーマル」「辛口」「アブノーマル」という4段階で、僕は「ノーマル」を食べたが割と辛かった。サイトによると、「アブノーマル」はR−15指定らしい。

カレー自体は美味しかったのだが、店内に「日本人は週に4回ほどカレーを食べているという統計が有る」というポスターが貼ってあった。僕は「そんなに食べてる訳無いだろ」と思ったので、カレーライスの消費量について調べてみた。

ところがカレーライスというのは、固形ルウで作ったり、袋ごと温めればOKなレトルトが有ったりする。その所為か、包括的なカレーライス消費量を表した統計は見付からなかった。(この点、『リトルスプーン』が何処から統計を探して来たのかは謎である。)

そこでカレー粉の生産量に着目して、カレーライスの消費量を算出してみた。

農林水産省・食品流通局の調査では、2003年のカレー粉の生産量は約11400トンだった。これが全て消費されたと仮定して考えよう。エスビー食品株式会社によれば、カレー1食当たりのカレー粉消費量は約1.5グラムだと言う。従って日本では1年間に、11400×1000×1000÷1.5=7600000000(76億)食分のカレーが食べられている事になる。これを日本の人口である約1億3千万人で割れば、76億÷1億3千万=58.4……となる。

以上より今日の結論。

日本人の1人当たり年間カレー消費量は約58食分。週に約1食なので、『リトルスプーン』の「日本人は週に4回ほどカレーを食べているという統計が有る」という広告は疑問。


2005年11月20日(日) 3周年

今日で『complex fraction』は(『kasa's legitimate square』時代も含めて)3周年を迎えました。3年というのは長いものですね。約1000日。という事は、その間に書いた日記も約1000日分。(半分以上は手抜きですが。)

コラムは約150本。書評は約400冊分。一体どれだけの時間をサイト更新に費やしたのか、想像も付きません。軽く見積もっても2000時間くらいは有るんじゃないでしょうか? という事は1日平均2時間。最近はそこまで時間を割く事は有りませんが、去年は本当にサイト更新に時間を使いまくっていたので、こんなもんかも知れません。

3周年ですが特別な企画をやったりする訳では有りません。すいません。コラムのリンク切れだけ点検しておきましたが、多くの読者には意味が無い事でしょう。

そんなこんなで4年目に突入します。


2005年11月19日(土) 統計的な迷惑メール

やたらと統計的な迷惑メールが来た。以下、引用。(一部、読み易いように抜粋しています。)

逆援助とは?
女性がお金を払って性を満たすこと。男性の援○交際の逆。主に出会い系サイトなどでおこなわれている模様。
まずはナゼ逆援助が急増しているのか? 科学的に検証! 下の図をご覧あれ!

〜独身女性数の上昇〜
日本の結婚数
1970年 ■■■■■■■■■■■■■■  1,029,405件
2000年 ■■■■■■■■■■□□□□   798,138件
2001年 ■■■■■■■■■■□□□□   799,999件
2002年 ■■■■■■□□□□□□□□   757,331件
2004年 ■■■■□□□□□□□□□□   740,220件

日本の離婚率
1980年 ■■■■□□□□□□□□□□ 18.3%
1990年 ■■■■□□□□□□□□□□ 21.8%
1997年 ■■■■■■□□□□□□□□ 28.7%
2001年 ■■■■■■■□□□□□□□ 33.1%
2004年 ■■■■■■■■□□□□□□ 38.4%
(厚生労働省調べ)

明らかに女性の結婚願望が衰退してますね…『一人の方が楽』『男はすぐに裏切るから嫌』『子供嫌い』『面倒臭い』などの理由で独りを選んじゃう女性が急増中とのこと。
でも……『寂しい…』『エッチが…したい…』と思うのが人の性(さが)。男が風俗に行くように、女性も手軽な出会い系サイトについ、走っちゃうのです。
お金を出せば、割り切れる。でもそのお金は?と、思うかもしれませんが、意外や意外!リッチな女性は巷に溢れかえっているのです! 事実をとくとご覧あれ!

〜女性の給料〜(SP〇調べ)
---- 社名 ---- -- 職種 -- -- 年齢 -- --- 月収 --- --- 年収 ---
朝〇新聞社    記者    34歳    75万円    1,050万円
ソ〇ー       広報    29歳    55万円     850万円
日本〇BM     SE    32歳    39万円     700万円
UF〇銀行     営業    31歳    45万円     630万円
セブン〇レブン   SV    26歳    33万円     590万円
私立幼稚園の教員                   500〜600万円
※主婦のお小遣い                   100〜360万円

昔と違い、女性も男性と変わらない位に稼いでいるんですね、実際は。外資系企業のキャリアウーマンともなると2,000万円を超える女性もいるとか!?
アパレル業界でも、年収800万円はざら! 割り切り料の1、2万など彼女達にとってはタバコ代程度ある町の主婦のヘソクリ平均はなんと230万だったとか! 使いたくなるのもウナズケル金額ですね。


以上で引用終わり。厚生労働省のデータを持って来る辺りがニクイですね。


2005年11月18日(金) 悲しいのは誰?

例えば、外国で貧しくて生きる為に売春をしている少女の存在って、何だか無性に悲しい。その少女が無邪気に笑ってたりしたら、もっと悲しい。

僕を含めた多くの人達は、割と性的な事を重大に見ているように感じる。だから誰かが自己の性的魅力を金に換える行為を正当化できないし、したくもないと考えている。判断能力が充分な大人ならまだしも、精神的に未熟な子供が行うべきではないと考えている。

そして僕の場合は、百歩譲ってどうしようも無しにそういう道を歩まざるを得なくなったとしても、心の中ではそんな状況に陥った自分自身を嫌悪していて欲しいと考えている。だから無邪気な笑顔を見せられたりすると、凄く裏切られた気分になるのだ。そんなに屈託無く笑えるべきじゃないんだよ、君はもっと不幸だしそれを自己認識すべきだ、とか無意識の内に思っている。(あくまでも僕は。)

表面的には「悲しい」という感情だけが顕れる。実は本当に悲しい存在なのは売春している少女より、そんな事を考えている僕自身に違いないのだが、普段はそれに気付かないフリをして生きている。

そしてまた何かを悲しむのだろう。最早、偽善ですらない。何かの行動に移さなければ単なる思考に過ぎないし、それは例えばレイプの想像と何も変わらない。本当に微かな“必要”なだけだ。


2005年11月17日(木) おーい ここにいるよ

失恋したばかりの女性を慰めるフリして良い仲に……というのは、僕のようにモテない男性にとって数少ない貴重な手段の1つなワケですが、昨日の『トリビアの泉』では、そんな時にどんなメールを打つと効果的か、という事をやってました。

結果。

件名:おーい
本文:ここにいるよ

うーむ。「ここにいるよ」ってのは、ちょっと自己主張が強い気がするけど、その女性と割と仲が良かったならアリではあると思う(但し番組では「下心が見えないような」という条件が有ったが、下心は見え見えだろう)んですが、件名の「おーい」はイマイチな気がします。軽過ぎない?

どっちかと言うと、実際に会ったりした場合は、言葉が軽くても良いと思うんですよ。真剣に相手の事を考えてれば、それは伝わると思うし。でもメールは文字情報が全てだからなぁ。「おーい」は人を選ぶと思うんだよなぁ。でも一般には、これくらい軽い方が良いんでしょうか。


2005年11月16日(水) お知らせ

しばらく前から自宅の回線の調子がおかしく、満足にサイトを更新できない(=FTPソフトでファイルの一部しか転送できない)状態が続いています。その為に多くのページで、“途中までしか表示されない”という不具合が発生している可能性が有ります。申し訳有りません。

現在、プロバイダに原因を調べてもらう手続きを取ったばかりで、復旧のメドは全く立っていません。正直、トップページのファイルを最後まで転送するだけでも30分くらい掛かってしまい、流石に更新作業が精神的にもキツイです。

実はパソコン自体も壊れかけていて、OSを立ち上げるのに40分かかる状態です。以上の事から回線が復旧するまでの間は、再びサイト更新が滞る事になると思います。恐らく今回は1,2週間程度だと思います。

それでは。


2005年11月15日(火) 人参

足が腫れちゃった……じゃなくて、田舎で取れたニンジンです。


2005年11月14日(月) 帯に短しタスキに長し

「帯より短く、タスキより長い」のは、1メートル80センチ以上4メートル29センチ以下。

「帯に短しタスキに長し」という諺が有るが、急に「それって、どれくらいの長さなんだ?」という事が気になったので調べてみた。

まずは帯についてだが、帯には様々な用途が有る。柔道で使うのも帯だし、刀を差すのも帯である。が、ここで言う“帯”とは、着物の帯と考えるのが妥当な所だろう。

ところが、着物の帯にも色々と種類が有るらしい。明治時代までは『丸帯』という帯が主流だったそうだが、これは重くて締め難い事から敬遠され、現在では『袋帯』という帯が礼装や盛装にも用いられるらしい。「帯に短しタスキに長し」という諺が出来たのは大昔だろうが、僕としては現在の「帯に短しタスキに長し」の長さを知りたいので、『袋帯』の長さを基準とする事にする。

『西陣織工業組合』に拠れば、袋帯の長さは一般的に4メートル29センチと決まっているらしい。そうか、「帯に短しタスキに長し」は4メートル29センチ以下(正確には未満)という事か。

一方、タスキの長さには諸説有り、どうも決まった長さというものは無いようだ。「134センチ」と細かく規定しているサイトも有れば、「200〜220センチ」と主張しているサイトも有る。どれも個人サイトなので信憑性に欠ける所だ。(このサイトも個人サイトなので信憑性は怪しい。)

そんな中で見付かったのは、『びわ湖大学駅伝』のチームエントリー要綱である。ここでタスキの長さ1m60〜1m80、幅6cmを標準とする。基準を満たさない場合は、大会本部の用意したものを使用すると明記されており、今回はこれを基準とさせてもらう事にしよう。従って「帯に短しタスキに長し」は、1メートル80センチ以上である。

以上より結論。

「帯より短く、タスキより長い」のは、1メートル80センチ以上4メートル29センチ以下。


2005年11月13日(日) 小説

前回(SKIM OVER STORY 第6話『急襲と萌芽』)/過去ログ

SKIM OVER STORY 第7話『螺旋と告白』

 ――1990年10月6日(土)

 朝――登校して上履きに履き替えようとした平松悟は、自分の下駄箱の中に1通の手紙が入っている事に気が付いた。薄いピンク色の可愛い便箋に綴られていたのは、「今日の放課後、学校の裏庭で待っています」という短い文章だけだった。差出人の名前も無い。その告白の予感を思わせる甘いシチュエーションとは裏腹に、何とも素っ気無い印象も受ける手紙だった。

 そして放課後、学校の裏庭――そこでは芦野絵里が、窮地に陥っていた。彼女は気丈に振る舞いながらも、クラスメートの理不尽な行動に辟易し、そして同時に一抹の寂寥感を抱いていた。そしてそれが、この現代に降り立つ“魔女”の誕生した瞬間でもあった。強いて名付けるなら、彼女は“multiply witch”――<増殖の魔女>だった。彼女は孤独で、だから何時か耐え切れなくなり、仲間を探し始めるだろう。仲間が見付からなければ、“造って”しまえば良い。それが彼女のこれからの人生に於いて、背負って行かざるを得ない呪縛となった。

 時を同じくして――深沢周平は、さらなる窮地に立たされていた。謎の集団に突如として襲われ、そして負傷している。しかし彼は“目覚め”つつあった。芦野絵里が<増殖の魔女>として覚醒したように、深沢周平も何か畸形なる存在へと。それは余りにも強大で、恐らく世界を引っ繰り返せる程の力を有する存在だ。ただ彼が“世界の敵”となる事は有り得ない。深沢周平の精神力は、どんな状況にも対応し切るだけの柔軟さと、どんな困難にも打ち勝つだけの強靭さを併せ持っていたからだ。言わば彼は“世界最強の盾”である。盾はそれ単体では何の意味も為さない。矛の攻撃を防いで初めて効果を発揮するのだ。しかし相対する矛が“世界最強の矛”だったら――“世界最強の盾”が“世界最強の矛”と出会った時の展開は、誰にも予想が出来ない。それは文字通り、運命と言う名の神ですら……。

 ほぼ同じ場所で――直前に弟と別れた平松泉は、その深沢周平が襲われている光景を目の当たりにしながら、そのまま通り過ぎて行った。自分に大きな喪失感を抱えながら、自分が変質していく様を視覚として捉えていた。超然たる赤と青の交配。2色がグチャグチャに交じり合った時、何かが新しく生まれ始める。それは彼女を大いに悩まし――その為に薄弱した精神は、他者に利用されてしまう事になる。“世界最強の矛”の小道具として。

 ――そして再び平松悟。

 彼は一旦は帰途に着いたが、しばらくして学校に戻って来た。今朝の差出人不明の手紙の事を思い出したからだ。下駄箱置き場を素通りし、裏庭へ通じる戸を開ける。まず目に入って来たのは、小さな池だ。取り敢えず池に近付いてみる。
 ……少し臭う。池を取り囲む石にビッシリと生えている苔の臭いだ。平松悟は少し顔を顰め、そして思い出したように辺りを見渡す。
 上級生の女子達が何人か見える。彼は「掃除当番だろうか」と思ったが、実際には裏庭は生徒が掃除をする訳ではないのだった。平松悟が見たのは、芦野絵里が虐めに遭っている場面である。しかし彼は、その事に気付かなかった。
 彼は「手紙を出したのは、あの人達じゃないよな」と考え、他を見てみる。すると池の反対側に、何時の間にか一人の少女が立っていた。平松悟の同級生――吉野恵美である。彼女は、ゆっくりと微笑んだ。

 しばらくして――

「ごめん、まだ俺、そういうのに興味無いから」と言い残し、平松悟は去って行った。残された吉野恵美。その表情には屈辱の色が見て取れる。そして近くの木陰から、数名の女子が出て来た。その中の一人が口を開く。
「恵美、今回はあんたの負けね、珍しく」
 すると吉野恵美は、忌々しそうに顔を歪めて応えた。
「煩いわね、分かってるわよ!」

次回、SKIM OVER STORY 第8話『救出』――2005年12月4日掲載予定。


2005年11月12日(土) 当たり前2

スパークリングワインを飲んだら酔いました。酒を飲んだら酔うのは当たり前ですが。


2005年11月11日(金) 当たり前1

ビールを飲んだら酔いました。酒を飲んだら酔うのは当たり前ですが。


2005年11月10日(木) 無かった事に

日記を現実の世界に追いつかせる為、この日は無かった事になりました。


2005年11月9日(水) 『信用』と『信頼』の違い

速水は佐々木の人間性など信用してはいない。しかし、策士としての佐々木の能力は、高く評価していた。佐々木は抜け目がなく、油断のできない男である。だが、だからこそ、速水は安心して、佐々木に身を任せる事ができる。
速水は佐々木を信用していない。だが生命を預ける事ができるほど、『信頼』はしている。考えてみれば、奇妙な関係だった。   ――高畑 京一郎(Hyper Hybrid Organization 00-03 組織誕生 51頁)


こういう事なんだよな、信用と信頼って。昔、そういう風に言ったら友達に「それはおかしい」って全否定されたんで、ちょっと自信が無くなってたんだけど。

しかし高畑さんの思考は、本当に僕と似ている。一度で良いから、対談とかしてみたい。


2005年11月8日(火) 自分が何らかの原因で凶悪犯罪者になったら

自分が何らかの原因で凶悪犯罪者になった時の事を考えてみた。別に凶悪犯罪を行う予定は無いが。

最近は犯罪者のブログやホームページの内容が報道される事が多い。既に逮捕された犯罪者では直接取材する事は難しい。今までは犯罪者の人柄を知る為に、近所の住人や旧友に対してインタビューしたりして来た訳だが、それならば本人自身によって書かれた日記などのテキストを紹介した方が説得力が有るのだろう。

僕が凶悪犯罪者になったら、間違い無く『complex fraction』がモザイクをかけられながらも、テレビ画面に映される事だろう。そして、そこに書かれたテキストから、僕ならぬ『僕』が製造されて行くのだ。

問題はどんなテキストが注目されるのか、である。恐らく報道されるのは、メインの分析系コラムやエッセイ風日記ではなく、家族との不仲だったり精神科に通っていた事だったりするに違いない。あぁ、僕自身どころか、『complex fraction』自体が偏った紹介をされる可能性が高い訳である。そりゃあ『僕』も変な存在になってしまうだろうさ。

つまりは自己の一部の露出としてのサイトなのに、場合によってはその為に自己が捻じ曲げられてしまうという、皮肉な話になる訳だ。


2005年11月7日(月) 憂鬱だった出来事

1:山手線が止まった。
2:迂回した京浜東北線も止まった。
3:迂回した埼京線までもが止まった。
4:出る気満々だった一限に出られなかった。
5:サークルの一年生がまた練習してなかった。
6:いつもの本屋で電撃文庫の早売りがされてなかった。
7:家庭教師で即答できない問題が有った。
8:mp3ウォークマンのイヤホンが壊れた。
9:ジャンプでハンターハンターがまたまた休載だった。
10:憂鬱だった出来事がキリの良い10個まで思い浮かばなかった。


2005年11月6日(日) 「好き」とか言ってみたいんですけど

「最近どーよ?」と聞かれて「何にも有りません」と答えるのも心苦しくなって来たので、そろそろ「○○さんが本気で好きなんですけど」とか言ってみたいのだが、その『○○さん』の○○に入る固有名詞が決定できないので困っている。

何か物事の順序がおかしい気がするがそれは置いておくとして、好きな人がいないというのはどういう事なのか。昔の僕だったら「どうせ好きになっても(恋が成就する勝算が無いから)意味無いし」とかいう消極的理由が考えられたワケだが、もう別に好きになるのに勝算とか気にするような年齢でもないしなー、という感じだ。勝算自体が上がってないのは問題と言えば問題だが。

そもそも昔は好きな人の名前を言うのには大変な勇気が必要だった気がするのだが、あれは何だったんだろう。今となってはよく分からない。小学生の時は性器付近の毛が恥ずかしかったが、中学生になると途端に恥ずかしくなくなるようなものか。

話は戻って誰を好きになるかという問題だが、どういう条件を満たせば「好き」と言えるのか、最近はその辺りが朦朧としてよく分からない。「分からないのは今は誰も好きではないからだ」とか思ったりもするが、本当にそれだけなのだろうか。


2005年11月5日(土) 第一なのは自分の考えなハズだから

例えば何か良い事をしても、全く誰もが気付いてくれなかったとしよう。ホンの僅かな賞賛で「やって良かった」と心が温まるのに、そんな優しい言葉をかけてくれる人は一人もいない。そんな状況である。

誰もが自分を正当に評価してくれない。つまり、自分を理解してくれない。そんな場面は、実は頻繁に出現している気がする。

当たり前である。自分の事を最も理解してあげられるのは自分であり他人ではない。「そりゃそうだけど、正当に評価できるくらいには理解してくれよ」と思う人もいるかも知れないが、それは恐らく小さな要素の欠落が、やがて大きな波紋を生み出すかのように、自分と他人が≠である以上は無理なのである。どんなに自分を伝えても、それが自分自身である事は無いのだから。

そもそも「他人に正当な評価をして貰いたい」というのは、何だか自分が他人の為に行動しているみたいである。それはきっと勘違いで、人は自分の考えの為に行動している。自分の為でも他人の為でもなく、自分の考えの為だ。


2005年11月4日(金) メール回数ランキング

僕の携帯は、購入時から誰と何回メールしたかが分かる『メール回数ランキング』が表示できるんですが、それによれば僕はこの半年間で56人とメールして来たようです。案外、多い気がします。しかし、その内の49人は大学のサークル関係者でした。狭いよ、世界が狭すぎるよ!

メール回数は送受信を合わせた回数なのですが、50通を越えている(毎週1往復以上)のは16人、100通を越えている(毎週2往復以上)のは5人でした。350通を越えている(毎日1往復以上)人はいませんでした。

実際の所、携帯のメールは1回で何往復もする場合が多いので、コンスタントに週1回以上メールをしている人は、皆無かも知れません。

ちなみに総メール数は、約2100通。1日平均6往復くらいですか。確かに、そんなもんかなぁ。やっぱり偏差が大きいので、最も頻度が高いのは1日1,2往復くらいだと思いますが。


2005年11月3日(木) 結局はAさんの立場が一番悲しいんじゃないか、っていう話

Aさんに「Bさんは君を騙そうとしてるよ」と言われたら、その人はAさんかBさんのどちらかに騙されようとしている。若しくは何らかの原因でAさんが勘違いしている。

しかし、いずれにしても悲しい話である。誰かに騙されるというのが悲しいのは言うまでもないが、Aさんが勘違いしているケースでも、『Bさんが他人を騙そうとしている』というのは明らかに何らかの悪意が介在した勘違いであり、世界の何処かで悲しい意志が存在している。

いずれのケースでも悲しいという帰結しか得られない。ならばAさんが親切心から「Bさんは君を騙そうとしてるよ」と言おうとしている(つまりAさんが騙そうとはしていない)場合でも、その台詞は飲み込まなければならないのか?

そんな事は無い。その人は騙されようとしているのだから、事前に忠告してあげるに越した事は無いハズなのだ。騙されようとしているという事実より、騙されてしまったという事実の方が、悲しい結末だからである。

しかし――しかしそれでは、結局はその人を悲しませる事になってしまうAさんは、どうなるのだろうか? 「その人を幾らかでも良い方向へ誘導したのだから満足しろ」とでも言うのか。そんな馬鹿な。


2005年11月2日(水) フォトンベルト

こんな(トンデモナイ)説が有るらしい。

関連リンク:「フォトンベルト」『ウィキペディア』

>フォトンベルトは銀河系に存在し、2012年〜2013年頃に太陽系がフォトンベルトに突入する
>地球はまもなくフォトンベルトに突入し、2000年間続く
>フォトンベルトに突入すると強力な電磁波により太陽や地球の活動に大きな影響が出る
>地球人類は肉体を維持できなくなり、気体状の生命体に進化する

人類が液体状になれば、人類補完計画ですな。あれは2014年だったか。


2005年11月1日(火) IQテスト

よく分かんないけど、やってみた。

http://iqtest.dk/main.swf

後半の問題は分からないの多かったけど、IQは126でした。こんなもんかな?


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