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“アクセス数=無言の感想”という捉え方

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“アクセス数=無言の感想”という捉え方をすれば、サイト閉鎖の危機を乗り越えられるかも知れない。

関連リンク1:「終了」『「いんちき」心理学研究所』
関連リンク2:「「いんちき心理学研究所」の終了」『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』
関連リンク3:「沈黙のオーディエンス」『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』

上記リンク全てを簡単に要約すれば、「アクセス数が増えても、読者からのメールが増える訳ではない。読者が増えても反応が少ないという状態は、書き手の孤独感を増して行く。結果として、サイト閉鎖に至る」という事になるだろうか。

「読者からのメールや書き込みが少なくて寂しい。もっと反応が欲しい」という事は僕自身も何度か書いたし、今でも同様に思っている。僕の場合、月に1,2回くらいの割合で“(自分的には)自信作”のテキストが書けたりするのだが、そんなテキストでも反応が一つも無いという事の方が多いし、そういう時は孤独感を味わう事も有る。

ただ孤独は孤独なのだが、だからテキストを書くモチベーションが下がるかと言うと、僕の場合はそうでもない。

思うに、「アクセス数は多いが反応が少ないサイト」と「アクセス数は少ないが反応が多いサイト」とを比較すれば、どちらのサイトが自分にとって好ましいかは人それぞれだろう。しかし、「アクセス数が多いが反応が少ないサイト」と「アクセス数が少なくて反応も少ないサイト」とを比較するとどうだろう? 確かに「アクセス数は多いが反応が少ないサイト」では孤独感を味わうかも知れないが、テキストを書くモチベーションが高くなるのも、僕の場合は「アクセス数は多いが反応が少ないサイト」の方である。

これは『アクセス数』というモノの捉え方に拠る部分が、重要な位置を占める気がする。ココのようなテキストサイトにとって、アクセス数が増える最も大きな要因は、個人ニュースサイトからのリンクである。

関連リンク4:「ネット上での親近感」
関連リンク5:「ネット上での信頼感」

リンク先で書いたように、僕は他サイトの管理人さんに対して親近感や信頼感を感じる事が有る。個人ニュースサイトからリンクされるというのは、例えコメント無しでリンクを貼られたとしても、何らかの親近感や信頼感が存在していると僕は信じている。そして、その親近感や信頼感の結果が、『アクセス数の増加』として顕れているのではないか、と思うのだ。

そうなると『アクセス数』というのは、親近感や信頼感が産み出した『無言の感想』だと考える事が出来る。確かに読者からメールなどを貰わなければ、自分のテキストがどう思われているかは分からない。肯定的に受け取られているのか、それとも逆に否定的に思われているのか、それすら分からない。しかし、そういう区別が付かないという事を除けば、アクセス数は『感想』の一種ではないか? 即ち、『無言の感想』だ。

『アクセス数という名の感想』は無言だが、読者がテキストを読んで何にも感じないという事は有り得ない。その裏には肯定や否定、納得や反感などの様々な感情が隠されている。反応が無いのは寂しいが、その隠れた感情を察知する事で、テキストを書くモチベーションを維持する事は可能なのではないだろうか?

もしかしたら“アクセス数=無言の感想”なんて考え方は詭弁かも知れない。しかし少なくとも僕はそう信じているし、だから孤独を感じたとしても、モチベーションを下げずにいられるような気がするのだ。

以上よりイイタイコト。

アクセス数が増加しても読者からの反応が無いと、確かにインターネット独特の孤独を感じる。しかし『アクセス数の増加』を、何らかの親近感や信頼感のような感情が顕在化したモノだと考える事で、“アクセス数=無言の感想”と捉える事が出来る。これにより、サイト運営のモチベーション低下を防ぐ事が可能である。


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