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2005年6月

DIARY MAIN

2005年6月30日(木) 読者層調査のお願い

以前に某所で「50万ヒット達成したらオフ会をやる」と書いたのですが、その数字が現実味を帯びて来た事で戦々恐々としています。このペースだと9月下旬〜10月上旬の時期に達成しそうです。

「オフ会をやる」なんて無謀な事は、50万ヒットなんて夢のまた夢だった時期に勢いだけで書いてしまったのです。何故オフ会が無謀なのかというと、幾つか理由が有ります。

まず僕にはオフ会を主催した際に話題の中心になれるだけの話術が有りません。しかも人見知りしまくる方なので、きっと何も喋れません。このサイトの読者の方には、僕が「軽薄でイヤラシイ事ばかり考えている留年が趣味の大学生」と思われているかも知れませんが、これは実際にその通りで、それ以上のスキルは何も無いのです。主催者が何も喋らないオフ会。有り得ません。

次に参加者が集まるかどうかの問題が有ります。恐らく集まりません。いや、一人も集まらなかったらしめたもので、幾らでも話を捏造する事が出来ます。「いや〜、昨日は初めてオフ会を主催して来ました。メチャメチャ盛り上がって楽しかったです」とか。しかし問題は一人だけ参加者が集まった場合です。僕の他に一人です。しかも僕は喋れません。どうしようもありません。

最も怖いのは、その一人だけの参加者が女性で、その女性が参加者が自分だけだと知った時点で参加を取り消す事です。恐らく僕は立ち直れません。もしかしたら死ぬかも知れません。

つまりオフ会を開催しようとする事には、僕の生死が掛かる訳です。下手をすれば死んでしまうかも知れない――そんな状況下でオフ会なんぞ出来るでしょうか。いや出来まい。

――と、そこまでは冗談としても、どうなんですかね〜、オフ会。そもそも最近の読者層が全く分からないので、その辺を取り敢えず調べてみようかと思います。そこで去年の同時期に行ったアンケートと同じ質問をしてみようかと。ズバリ「あなたの性別と年齢を教えて下さい」です。ちなみに去年の結果は↓です。



母集団が少ないながらも、40代以上女性の多さに驚きました。さて、今回はどうでしょう? 去年回答してくれた方も、そうでない方も、是非ともアンケートにご協力下さい!


2005年6月29日(水) 女の子をまもります

トップページ左上にバナーを貼ってみました。



こういうのを貼れば知り合い女性の読者が減って、これまで以上に書きたい事が書けるかも知れません。

細かな趣旨はバナーのリンク先を読んで貰えば分かるとして、僕が激しく賛同したのは以下の部分です。

我々オタクが、常に世間の荒波と戦いながらも、
「きっといつの日か、マンガやディスプレイの中からスクール水着を着た娘さんが飛び出してくるに違いない」
と、いつか来るであろう栄光の日を信じ、堅忍不抜の精神で生きている


(中略)

オタクはかわいい女の子が大好きです。
それはすなわち、かわいい女の子が辛い目に合うのを断固否定するものです。
世の中のかわいい女の子は、ボクたちオタクの共通の妹なのです。
妹の小さな胸に秘めた幸せをまもらずして、どうして兄の面目が立つというのでしょう。


という訳で、僕はオタクだからこそ女の子をまもります


2005年6月28日(火) もうどうでも良いんです

「もう全てが、どうでも良い」――そんな風に考えてしまう瞬間は無いだろうか。例えば僕の場合、数学が理解できなくて「あぁもう単位なんか取れなくて良いや」という思考が始まり、それがエスカレートした結果として「もう全てが、どうでも良い」という結論に達する事が有るのだが、こういう絶望的な心情に陥ってしまった場合、どのように抜け出せば良いのだろうか?

極端に言ってしまえば、この解決法は2種類しか存在しない。その絶望の根源を消去するか、そこから目を逸らして生きて行くか、である。そして前者が出来るなら絶望する必要が無いし、後者が出来ないからこそ絶望しているのだという事を考えると、恐らく絶望から抜け出す方法というのは全てが問題を有耶無耶にして誤魔化してしまおうという消極論でしかない。

そうやって自分で自分を誤魔化し続けるのには限界が有り、何時かは何処かで精神的な堤防が決壊してしまうだろう。そうなった時にどのような行動を引き起こすかは個人レベルでの差が大きいだろうが、正常な思考の下に行動している訳ではないという意味に於いて、そうなった人間全てが危険である。僕も何をやらかすか分かったものじゃない。いきなり誰かとカラオケボックスに入って歌い出すかも知れない。(僕は人前で歌うのが極度に嫌いなので、カラオケには行かない事にしている。)

精神が多少不安定になっても普段と全く変わらないように見える人も居れば、ちょっとした事ですぐにヒステリックになって周りの人間では手に負えなくなる人も居る。しかし表面的な行動は大きく異なっていても、その頭の中で考えている事は同じだったりするのだ。即ち、「なんでこんなに上手く事が進まないんだろう?」という不満である。

そもそも世の中に対して絶望するのなんて、何かが上手く行っていない時くらいしか有り得ないのである。今日の日記もそうである。ここまで書いておきながら、何を書きたいのかサッパリ定まらない。あぁもうどうしようもない。あぁもう全てが、どうでも良い。


2005年6月27日(月) ブックバトン

昨日『バトン』に関して書いたばかりだが、『ANY COMMENT?』のmatsumonさんから『ブックバトン』が回って来た。「趣味:読書」と嘘吹いている僕としては、回答せねばなるまい。

1.持っている本の冊数
→漫画を含めると1200冊くらい。
→含めなければ500冊くらい。

2.今読みかけの本or読もうと思っている本
→読みかけなのは以下の通り。
→「複雑系」とは何か(吉永良正)
→ほら男爵 現代の冒険(星新一)
→その他、数学書を10冊弱。
→読もうとしていると言うか、買ったまま手を付けずに家に置いてある本は、50冊くらい有るので書き切れません。

3.最後に買った本
→ヴぁんぷ!U(成田良悟)
→Missing13 神降ろしの物語・完結編(甲田学人)

4.特別な思い入れがある本(5冊まで)
→殺戮にいたる病(我孫子武丸)
→ミステリーの最高峰だと思います。
→タイム・リープ あしたはきのう(高畑京一郎)
→これを超えるタイムスリップ物が有るなら、是非とも紹介して欲しいです。
→ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王(上遠野浩平)
→アニメ『エヴァンゲリオン』が到達できなかった結論に達している気がします。
→バッカーノ! 1931 鈍行編/特急編(成田良悟)
→最高にクレイジーな構成に脱帽しました。
→しあわせの書 迷探偵ヨギガンジーの心霊術(泡坂妻夫)
→執筆するのがどれだけ大変だったか、途方も無い事がよく分かります。

5.次にわたす人
→えーと、『ミュージカルバトン』の時に渡し先に散々罵倒されたので、今回は無しで。


2005年6月26日(日) 『ミュージカルバトン』と「不幸の手紙」

『ミュージカルバトン』は「不幸の手紙」以上に悪質さを秘めている可能性が有る。

一昨日の日記で紹介した『ミュージカルバトン』だが、この他にも『ブックバトン』など、類似の企画が存在するようだ。これらはネット上で「不幸の手紙」と評される事が多いが、『ミュージカルバトン』や『ブックバトン』(以下、総称して『バトン』)が、「不幸の手紙」と決定的に異なる点が2つ有る。

1つ目は、「不幸の手紙」は悪意の下に成立しているのに対して、『バトン』はそうではない、という事だ。多少の悪戯心は混じっているかも知れないが、基本的にはサイト上で堂々と受け渡す相手を公開するので、そこに悪意が混じり込む要素は少ないと言える。

それを考えると『バトン』はトラブルの無い安全な「不幸の手紙」と考えられてしまいそうだが、しかし実はそうでもない気がする。

関連リンク:「Musical Battonが回ってこない サイト閉鎖続出」『バーチャルネットほら吹き娘 燕17歳』

上記のリンクは所謂“嘘ニュース”というヤツだが、実際『バトン』が回ってこず、疎外感を感じているサイト管理人は多いのではないか? 『バトン』は既に、回って来ないサイト管理人に孤独感を植え付けるくらいまで広く出回ってしまっていると思うのだ。

『バトン』が「不幸の手紙」ともう1つ異なる点は、『バトン』を受け取った側が気付かない可能性が有る、という事だ。基本的に『バトン』の受け渡しは自サイトから呼び掛けたりリンクを貼ったりするだけなので、受け渡された側が受け渡した側のサイトを見ていないと受け渡しが成立しない。

この辺りは個人差が激しい所だろうが、全ての巡回サイトを毎日欠かさず熟読している人は、どれくらい居るだろうか? 何かの予定で見れない日が有ったとしても、過去ログを遡って全てに目を通すという人は、どれくらい居るだろうか? 僕の場合は正直に言うと、そこまで気合いを入れて見ているのは数箇所に過ぎない。

となれば、それ以外のサイトから『バトン』を受け渡されても、それに気付かない可能性が存在する。『バトン』は「スルーしてもOK」という事になっているので、本来の規則に忠実に従えば気付かなくても何のトラブルの心配も無いが、このような原則は守られないのが常である。「せっかく『バトン』を受け渡したのに反応してくれないヤツが居る。きっとこのサイトを読んでくれていないに違いない。相互リンクまでしているのに!」などと思う人が出て来るのは必然に近い気がする。

つまり『バトン』は、悪意が無いからこそ回って来ない時に孤独感を感じ、回されても気付かない為に無用のトラブルを引き起こす可能性が存在している。全員がネットマナーをキチンと守っていれば問題無いが、それは残念ながら期待できない。

以上より今日の結論。

『バトン』は「不幸の手紙」とは違う。しかしその相違点により、新たなトラブルを招く可能性が存在する。


2005年6月25日(土) 小説

前回(SKIM OVER STORY 第4話『出会い side:B』)/過去ログ

SKIM OVER STORY 第5話『魔女』

 ――1990年10月6日(土)

 表に捲られたタロットカードを眺めながら、私は話し始めた。
「泉さん――貴女は“鏡”だわ。自分というものを確固として持たず、全ては他を反射しているだけ。貴女のようなタイプは、取り敢えず自分を支えてくれる強固な“柱”を求めるものだけど、泉さんの場合は少し変わっているわね。貴女は他人にも“鏡”を探している。まるでそれで自身の本質を写してくれる事を期待しているかのように。でも――それは無理な事だわ。鏡の前に鏡が置かれても、それは“合わせ鏡”になるだけで、そこには何処まで深く見ても終わらない、無限の世界が広がっているだけだから。そして途方に暮れてしまうでしょう。幾ら自分の探しても、そこで自分は見付からないわ」
「じゃあ、私はどうするべきなのかしら?」
「そうね……」
 私は返答に詰まり、再びタロットカードを操り出す。何枚かのカードの配置を変え、そして1枚のカードを引っ繰り返した。
「色々な事を経験すると良いと思うわ。そこから朧げに自分の輪郭が浮かび上がって来るのを期待するのよ」
 学校の放課後――私は1つの占いを終えて、そして帰途に着いた。

 私の名は芦野絵里で、学年は小学5年生。2つ下に妹が居て――なんて呑気に自己紹介している場合じゃないんだった。
 私は正に今、“狩られ”ようとしている。

「なに澄ました顔してるの? それとも、あれかしら。こういう場面でも“魔法”で、どうにかしちゃうのかしら?」
 嘲るような口調で私に語り掛けて来た相手は、同級生の一人だった。彼女とは同級生というだけの、それだけの仲だ。少なくとも友達じゃない。
 彼女の周囲の連中も同様だ。挙って私を敵視し、そして排除しようとしている。
 原因は単純――私が“魔女”だから。そういう事らしい。
「そうね……それも良いかも知れないわね」
 余裕たっぷりに言い返してやる。見知った、しかし自分の敵である存在に囲まれて、そんな余裕は到底無いのだが。
 ここは学校の裏庭。小さな池や鳥小屋が有ったりするけど、普通の生徒は立ち寄ったりしない。どうして私がこんな処に居るのかと言うと、所謂“呼び出し”が掛かったからだ。目の前の彼女達から。
 私は校舎の壁を背にし、それを取り囲む10名程度の女子。彼女達の狙いは何なのか、私には全く理解できないしする気も無いが、何とかこの場は問題無く潜り抜けたいものだわ。

「で、貴女達は私をどうしたいのかしら?」
 私は自分を取り囲んでいる面々の顔を等しく見渡しながら、少し微笑んで言った。
「この状況を見て分からないの? 人間じゃない貴女を“裁く”のよ」
 彼女達の代表格である少女は、私の哂いを“挑発”と受け取ったらしい。事実、その通りではあるのだが。
「私は魔女なんでしょう? こんな状況くらい切り抜けられない、とでも?」
 私の自信満々な発言を聞いて、取り巻きの内の何人かは露骨に不安そうな表情を見せる。
 ――浅はかな。魔女なんて存在が本当に居るとでも思っているのだろうか?
 いや、確かに思っているのだろう。でなければ幾らなんでもこんなイジメに、クラスの大半の女子が参加する筈が無い。
 何故こんな事になってしまったのか。私は単に占いの類いが趣味なだけだというのに。――まぁ良いか。それよりは、これからどうするか、だ。
 と、その時、裏庭に入って来た人影が見えた。遠目に映ったのは、見覚えの有る男の子だ。
 泉さんの弟の――悟君、だったかしら?
 一瞬、助けを呼ぼうかという思いが頭を過ぎったが、すぐにその考えは引っ込めた。こんな事で――そう、本当にこんな些細な事で誰かに頼っていたら、私は私でなくなってしまう。

 ――その後に遭ったのは、特に記すまでもなく、単純にして陰湿な……。
 あぁ、さっきまで私を恐れていた人間達ですら、今は――

 私は魔女。生まれたての魔女。
 私を魔女たらしめる存在が有る限り、その呪縛から逃れる事は出来ないに違いない。

次回、SKIM OVER STORY 第6話『急襲と萌芽』――2005年7月10日掲載予定。

【後書き】
時間ばかりが長くなってしまった“プロローグ”もようやく終わり、次回から本編に入る事が出来そうです。序盤の大まかな流れとしては『タイムキーパーvsタイムマスター』という2人の特殊能力者の対立を軸に、次への伏線である謎の組織『エレメンツ』の事も少しは書けたら良いなぁ、と思います。『タイムキーパーvsタイムマスター』は今回の話の日付1990年10月6日(土)から始まり、1998年5月に終了する筈です。この7年半のストーリーは既に頭の中で完全に出来上がっているんですが、まともにやると書き終えるのに2年くらい掛かりそうなのがネックですね。やってられませんね。どうにかしよう……。


2005年6月24日(金) ミュージカルバトン

何やら『ミュージカルバトン』なるネット版“不幸の手紙”的企画が有るようで、僕も指名されてしまいましたので、回答してみたいと思います。ちなみに僕に回して来たのは、娘(Rちゃん)至上主義サイト『エキスパートモード』のかじりんさんです。

1.パソコンにある音楽ファイル容量
→外付けハードディスクを入れるならば、mp3が60ギガ、プロモーションビデオが100ギガくらい。
→パソコンのハードディスクは少ないので、1ギガも入ってません。

2.今聞いている曲
→『THE END OF EVANGELION』の「甘き死よ、来たれ」
→誰かの首を絞めたくなった時に聴きます。

3.最後に買ったCD
→『PARAISO TERRESTRE』(スタジオアパートメント)
→最近はスタジオアパートメントを頻繁に聴いてます。

4.よく聞く、もしくは特に思い入れのある5曲
→『ゆずれない願い』(田村直美)の「ゆずれない願い」
→初めて買ったCDだから。
→『クロノクロス サウンドトラック』(光田康典)の「時の傷痕」
→この曲に出会わなかったら人生が変わっていただろうから。
→『globe』(globe)の「FREEDOM」
→比喩抜きで10000回以上は聴いてるから。
→『BPM143』(TWO‐MIX)の「BECAUSE I LOVE YOU」
→デジタリックなサウンドのラブソングが好きだから。
→『フレンドシップ』(H Jungle With t)の「フレンドシップ」
→何となく言葉では言い表せない魅力を感じるから。

5.バトンを渡したい5人
→回せる人が5人もいないです。
→という訳で、『ナーヴァナ』『ナーヴァナ』『ナーヴァナ』『ナーヴァナ』『ナーヴァナ』でヨロシク!


2005年6月23日(木) 人格の可逆変換

こうやって普通に日記を書いていると、知り合いが一方的に僕の私生活を知っているという状況が容易に発生する。僕は相手のプライベートなど、欠片も分からないというのに。

これは考えてみると気味の悪い事であるような気がしないでもない。まぁ別に僕の生活を全て公開している訳でもないし、そもそも僕が勝手に書いている日記なので何をどうこう言おうという気は無いのだが。

では何が気味悪く感じているかと言えば、それは日記に於ける僕の人格が拡大解釈され、大袈裟な表現をするならば、この日記を書いている僕が完全な僕だと思われてしまう可能性である。

日記で表現されている僕は全体の僕の数%に過ぎないと思われるが、そんな事は殆どの人が理解している筈である。ここで問題なのはその数%というのは僕という人間性全体から滲み出て来た数%で、それは100%を相似的に縮小しただけなのではないか、という事である。

つまり数%から100%を読み取る事は不可能ではなく、実際僕自身も可能だと思ったりしているが、このような可逆変換は国語の読解問題のように、しばしば誤答が存在する。現実には許容できるレベルの正答に辿り着く事すら稀であり、多くの場合は僕は誤解される。

「サイトの人格をリアルと一緒だと思わないで下さい」という常套的な言い逃れが存在するが、そんなものはそれを信じていない人間には全く無意味で、それこそ無制限に人格誤解を招く一因となっているような気がするのだ。

まぁ本当に僕を心底から理解してくれなんて、僕自身にも無理な事を他人に言うつもりは無いが、心の何処かでは上記のような微妙な引っ掛かりを感じている事は確かなのである。


2005年6月22日(水) 寝てばかりのライフスタイル

人間は普通、8時間寝て8時間仕事して8時間休む、というのが理想的な生活スタイルだと言われていますが、僕は今日、16時間寝て8時間ゴロゴロしていました。

起きたのが午後6時だったので、「やった、明日未明のコンフェデは楽に起きて見てられるぞ!」と思ったのですが、何故か午前2時には眠りについたようです。眠り過ぎ。赤ちゃんか俺は。

いや実際、最近は従姉妹の娘(生後2ヵ月半)に萌え萌えですから、幼児化願望とか有るのかも知れないですが。決定的に違うのは、赤ちゃんは可愛いが、僕は可愛くないという所ですね。まぁ可愛くなくてもカッコ良ければ問題無いんですが、そういう訳でも無いですからね。(←あぁ、自虐自虐。)

そろそろ今月もダイエットを頑張らないと目標が達成できなそうなので、ボチボチ歩き始めます。


2005年6月21日(火) 誤植

僕は所謂「エロゲー」(成人向けゲーム)はやらないが、所謂「エロ漫画」(成人向け漫画)は割と結構好きである。特に好きなジャンルはロリ……(以下、省略)

関連リンク:「嫁にエロゲ見つかった箱作」『憂鬱な昨日に猫キック 不安な明日に猫パンチ』

やっぱりと言うか何と言うか、一般的な女性は「エロゲー」や「エロ漫画」に抵抗感が強いという事だ。ここで「エロゲー」はやらないが「エロ漫画」は読む僕としては、「エロゲー」と「エロ漫画」とではどちらの方がより女性の抵抗感が強いのか、という事が気になる。どちらかと言えば「漫画くらいならギリギリOK」という女性が多い事を期待しているが、真相や如何に。

……という日記を書いてみたが、段々と心配になって来たので最低限の防衛線を張っておく事にしよう。

えーっと上で所謂「エロ漫画」(成人向け漫画)は割と結構好きであるとか「エロゲー」はやらないが「エロ漫画」は読む僕とか書いてあるのは嘘です。つーか誤植です。


2005年6月20日(月) 厚さ0.03ミリの壁

池袋の『LOUNGE BAR EIGHT』で飲んで来ました。開店して半年程度だそうですが、かなり良い感じでした。オススメです。お客さんが殆ど居なくて経営が心配になりましたが。

で、ですね、男2女2で飲んでたんですが、女性の1人が先に帰りまして、その後にメールで映画に誘ったんですが、返信メールで見事にその話題はスルーされてしまいました。これが悲しくて悲しくて。

スルーされた理由を勝手に考察してみました。

1.kasaは嫌われている。

これはどうしようもないですね。どうしようもないだけに残念です。

2.kasaは危険視されている。

どういう意味で危険視されているかは不明ですが、確かに僕は色々な意味で危険なので、やっぱりどうしようもないですね。どうしようもないだけに残念です。

3.kasaは嫌ってもいないし危険視もしていないが、2人で映画を見に行く(≒デートをする)のは微妙だと思われている。

それだけ僕に魅力が無いという事ですね。この場合どうすれば魅力が出るのかを教えて貰いたいです。やっぱり痩せなきゃダメですか。それはそんなにすぐには無理ですね。今の時点ではどうしようもないですね。どうしようもないだけに残念です。

いずれにしても要は残念なんですが。悲しいんですが。誰かこんな僕とでも「映画を見に行きたい!」「飲みに行きたい!」という女性は居ませんか? 居ませんか?(←何故か連呼。)寂しいよぉ。

PC:magic.player@nifty.com
携帯:magic.card@docomo.ne.jp(←携帯からのメールしか受信出来ません。)

ちなみにタイトルの意味は分かる人だけ分かってくれれば結構です。


2005年6月19日(日) 更新頻度とアクセス数の増減との関係

更新頻度が落ちなければ、読者数は減少しない。

どうやら今月中に40万ヒットを達成しそうです。読者の方々に感謝。

僕のサイトは現在ページビューで1500、ユニークで1000程度のアクセス数が有るのですが、この数値は最近でも少しずつ伸びているようです。昔から読んでくれている方々には繰り返しになりますが、このサイトは昨年1月までは1日30〜50ヒットでして、これは全て自分の知り合いのアクセスでした。昨年2月から一般向けのテキストを書くようになり、『日記才人』などのリンク集に登録した事で、割と早く1日100ヒットを達成しました。

その後は100〜150程度の時期が数ヶ月続きました。当時「テキストサイトのアクセス数の伸びは3ヶ月で止まり、後は新規読者が現れても同じスピードで読者が離れていく」というテキストを読みまして、「あぁ、これくらいで頭打ちなのかな?」と思ったりしたのですが、幸いな事に「騎乗位推進論」「医療器具だったバイブレーター」「コスプレ好きなブルガリア人」などのテキストが各ニュースサイトで取り上げられ、昨年末の時点でページビューが1000、ユニークが700程度の規模となりました。

ここで2つの事に気付きます。1つは当たり前ですが、ニュースサイトの影響の大きさです。「ニュースサイト経由の読者は定着し難い」というのは事実だと思いますが、それを補って余りある程ニュースサイトから流れてくる読者の方々は多いので、結果的に新規読者を獲得する貴重な機会となっていると思います。もう1つは、「テキストサイトのアクセス数の伸びは3ヶ月で止まり、後は新規読者が現れても同じスピードで読者が離れていく」なんてのは確実に言える事ではない、という事です。恐らくコレは、管理人のモチベーション(特に更新頻度)が3ヶ月程度で落ちてしまう事が多いからではないでしょうか。

そして不思議なのが今年になってからの、このサイトの動向です。僕は今年からは、あまり“一般向けのテキスト”というのを意識せずに書く事が多くなりました。具体的に言えば、「昨日は朝まで飲んでました。疲れました」みたいな感じの日記です。明らかに知り合い以外に読んで貰っても仕方ないテキストですね。

ところが、それでも少しずつなんですが読者数は増えているんですね。これが不思議な所です。勿論そういう日記ばかりではアクセスは減るんでしょうが、時々は“一般向けのテキスト”を書いていると減らない印象です。

ここで1つ考えてみると、「テキストサイトのアクセス数の伸びは3ヶ月で止まり、後は新規読者が現れても同じスピードで読者が離れていく」というのが、管理人のモチベーションの低下(更新頻度の減少)が主要因であるならば、逆に更新頻度が減少しなければ読者離れは防げるのではないでしょうか。これは完全に主観ですが、自分も割と惰性で見ているサイトというのは沢山有りますし、見なくなるサイトというのは更新されなくなる事が原因な事が多いです。

以上より今日の結論。

「テキストサイトのアクセス数の伸びは3ヶ月で止まる」というのは、管理人のモチベーションの問題。更新頻度が落ちなければ、読者数は簡単には減少しない。


2005年6月18日(土) 女性が襲われている所に偶然通り掛かり、それを助ければ効果的だ

今月に入って酒を飲まなかった日が2,3日しか有りません。昨日も飲みました。

それでも昨日は、自分の進路について重大な話し合いをしに行くという比較的マトモな目的が有ったのですが、そんなものは30分で終わり、その後は「如何にして女性に告白すれば効果的か?」というテーマに移り、「女性が襲われている所に偶然通り掛かり、それを助ければ効果的だ」という結論に至りました。最早「告白」ではないですね。この計画の致命的な所は、女性が襲われるという女性にとっては冗談じゃ済まない事態が起こらないと前提条件が満たされず、さらにそこに偶然通り掛からなければならないという確率的な低さが有ります。そして、そんな暴漢に勝たなくてはいけません。僕は殴り合いの喧嘩は大好きですが、でも弱いです。

あぁダメだ、こんなんじゃ。やっぱり「好きです、付き合って下さい」で行こう。残された僅かな問題は、誰に告白するかが全く決まってない所ですね。

今月10度目くらいの朝帰りをしてパソコンを向かったら、2歳年上の女性にメッセンジャーで話し掛けられました。以下、その内容。

「さだおくんは毎日8時に家を出て、時速10キロで学校に向かいます。今日は8時12分に忘れ物をしたことに気付き、近くの公衆電話から家に電話をしお母さんに持ってきてもらうことにしました。連絡を終えた時間は8時13分で、さだおくんは時速15キロでうちにむかって戻り始めました。お母さんは、8時15分に家を出て、時速12キロの速さで学校に向かいました。二人は途中で出会い、忘れ物を受け取ったさだおくんは時速20キロで学校に向かいました。するといつもより5分遅れて学校に着きました。さだおくんの家から学校までの距離は何キロですか?」

「一辺6センチの正4面体の体積は?」

算数の質問でした。早朝家庭教師開始。サクッと終了。「今度、算数勉強会してよ」と言われ、「じゃあ代わりにデートしてよ」と返し、「良いよ」とOKされました。この女性は4年前の今頃、僕に「どうして○○さん(←モトカノ)に告白しないの?」などと余計な事を言い放った人物ですが、今日も唐突に「どうして○○さん(←モトカノ)と復縁しないの?」と言い出し、挙句の果てに「意地張り合いだよねー。痛々しい。。。。」と半ば馬鹿にされました。その割には結婚相談所とか合コンとかを勧めて来ます。意味が分かりません。

さて、ちなみに僕のメッセンジャーのアドレスは、magic_card@msn.comですよ。特に他意は無いですが、知り合いでもそうじゃなくてもジャンジャン登録してくれて全く構いませんよ。


2005年6月17日(金) 告白

昨日はバイト後に後輩を呼び出して飲み、その後にその後輩の彼女を巻き込んでサッカーを見ようという事になり、下北沢のダーツバーで夜を明かしました。そのカップルはダーツ未体験の僕に対して勝負を挑んで来て、見事に4000円をセシメ取られました。ちなみに飲み代は全て僕の奢りでした。彼らの交際費を僕が出しているような気がしてなりません。その内ラブホテル代とかも僕が出す事になるに違いないと思うので、「さっさと別れてしまえ」と100回くらい連呼しました。

あと3ゲームくらいやれば負けないぞ。

その後輩の彼女が「3万円のティファニーのネックレスを買ってくれるような人が居たら付き合っちゃう」とか言ったので、「3万円で人の心が買えるなら買ってしまうな」と言ったら、「やっぱり30万円くらいの」と言い直されました。君に30万円を使う気にはなれません。3万円だったら考えますが。いや、考えずに買ってしまうかも知れませんが。

冗談だって。

でも付き合ってたら30万円なんてアッと言う間に使ってしまうような気がするんですが。20回飲みに行ったら無くなりますね。20回なんて、3ヶ月しか保たないですね。あれ? 彼女って、そんなに金が掛かる存在でしたっけ? おかしいな。最近、脈無しの女性に貢ぎ過ぎだな。まぁ脈有りの女性なんて一人たりとも居ないんですが。

僕が一方的に好きな女性は居る訳だがな。


2005年6月16日(木) 13日の金曜日

13日は最も金曜日になり易い。

『中学への算数』(2005年6月号)を読んでいたら、面白い記事を見付けた。

現在のグレゴリオ暦の周期は、閏年を考えると400年である。閏年は4の倍数の年になるが、100の倍数の年は例外で閏年にならない。しかし400の倍数の年はさらに例外で、閏年になる。それ以上はない。

正確には1年(1太陽年)は365.2425日で、400年周期の閏年を考慮しても3000年に1日程度ずれてしまうのだが、その時はその時だ。3000の倍数で閏年になるとかならないとかいう話は聞いた事が無いので、まだ決定していないのだろう。グレゴリオ暦が採用されてから420年程度なので、1日分ずれるのは今から2600年も先の話だ。

さて、400年というのは、365×400+400÷4−400÷100+400÷400=146097日で、これを7で割ると丁度20871で割り切れる。つまり400年は20871週間ぴったりなのだ。これは例えば今日が2005年6月16日で木曜日だから、400年後の2405年6月16日も同じ木曜日だという事を表している。

これを元に考えると、特定の連続した400年間だけを抽出して調べる事で、各月13日が何曜日になるかの確率を算出する事が可能となる。で、実際に調べると、各月13日に何曜日になるかの分布は以下のようになる。

以上の数値を全て足すと確かに4800――400年×12ヶ月となっている。13日の金曜日になる確率は単純に7分の1――約14.29%のように思えるが、実際には約14.33%であり7分の1よりも僅かに高い事が分かる。

以上より今日の結論。

13日は最も金曜日になり易い。

――という日記を13日の金曜日に書きたかったのだが、次の13日の金曜日って2006年1月なんだよね……。


2005年6月15日(水) “ブログ”じゃなくて“テキストサイト”です

どうも最近、このサイトを“ブログ”だと思っている人が多いようだ。

確かにブログは日記として使っている人が大半だし、だから「日記がメインのサイト=ブログ」という認識が成り立ってもおかしくはないのだが、僕の中ではブログというのは記事毎にページが作られたり、それに対する個別のコメントが書き込めたり、トラックバックできるという性質を兼ね備えた物が“ブログ”であり、そうでないのは“テキストサイト”だと思っているので、どうにも違和感が有る。

このサイトは少し時間が経てば原則的に個別記事にリンクを貼る事は出来ないし、コメントを書き込んだりも出来ないし、勿論トラックバックも出来ない。「出来ない」「出来ない」「出来ない」ばかりだが、事実なので仕方ない。実はブログへの移行を考えた事が無い訳でもないのだが、既にテキストだけで5メガ(原稿用紙6000枚以上!)を超えたサイトを完全移行するとなると、コピー&ペーストを繰り返すだけでも膨大な手間がかかる事が容易に想像できる。正直そこまでやるくらいなら、何か他にテキストでも書いた方が良いな、と思う。

今のサイト構成に満足しているというのも大きい。僕のhtmlの知識は極めて乏しい部類に入るが、トップページが理想形に限り無く近いので、これを変えたくない、という気持ちが有る。これからやりたい事も山積みなので、そちらを早く片付けたい。ちなみに、このサイトで早くやりたい(やり終えたい)のは、

辺りか。書評は本来は昨年末に終わっている筈だったのだが、当時に購入した本が未だに埃を被ったまま放っとかれている始末である。夏休みこそ完成させたい。


2005年6月14日(火) 「嫌われている」という疑心暗鬼

人は自分が嫌いでない相手に嫌われるという事を極端に恐れる傾向に有る。そういう心配が高じると、実はそんなに嫌われている訳でもないにも関わらず、「自分は誰彼に嫌われているのではないか?」という疑心暗鬼に囚われたりする。

えー、自分が人に嫌われてんじゃないかって心配してる皆さん。安心して下さい、そういう場合は大抵、本当に嫌われてます。問題なのは、自分が人に嫌われてるのが分かってない人の方で……   ――古畑 任三郎 (古畑任三郎 第1部第7話 ピアノレッスン)

まず第一に認識しておくべきなのは、本当に最悪なのは正に「自分が嫌われているにも関わらず、そういう自覚が無い」という状態であり、例えばこの文章を読んで「自分が誰かに嫌われてたらどうしよう」と心配になるような人は、実はそんなに憂う程の事は無かったりするのである。

僕は他人からかなり嫌われ易い人間である。例えば相手もTPOもわきまえずにイヤラシイ話題ばかりを振り撒くので、そういう会話がNGな女性からは大抵嫌われている。「そういう嫌われている人間と親しいように思われたくない」という計算高い女性からも、当然嫌われている。まぁ僕が全面的に悪いので、僕を嫌う女性をどうこう言うつもりはなく僕もその相手を嫌いになる程度だが、世の中にはそんなサッパリとした嫌われ方だけではなく、もっと心の何処かに杭を打ち込まれたかのような、とても痛くそして忘れる事が難しい嫌われ方というのも存在する。

しかしながら、所詮そんなものは主観でしか有り得ない。本当はどの程度嫌われているのかなど、嫌われている(と思っている)側からは判断なんぞ出来ない筈なのだ。確かに古畑任三郎の言うように、「嫌われていると思っている人間は本当に嫌われている」かも知れないが、それが人間性全てを嫌っているとか、そういう深刻な所までの嫌われ方を必ずしているかと言えば、それは微妙な処だ。

例えばAとBという二人の人間がいて、たまにAもBも双方が「相手に嫌われてる」と悩んでる場面にそれぞれ遭遇したりする事が有るのだが、そういうのを見ると本当にちょっとした擦れ違いが大きな悩みを生んでいるんだなぁ、と実感する。「相手に嫌われてる」と悩んでいる時点で自分は相手に嫌われたくない訳だから、当然自分は相手を完全には嫌ってはいない筈である。そんな二人が友達として巧く行かない訳は無いのに、何故かいつまで経ってもギクシャクしていたりする。勿体無い話だ。

無論、嫌われている自覚の為にある程度の疑心暗鬼は必要なのだが、その使い所が間違っているととても損だ、という話。


2005年6月13日(月) 彼女なんて

年下の従姉妹とメールしていたら、次のような事を言われた。

あんまり飲み過ぎないよーに
学生なんだから勉強しろっ
あと友達に迷惑かけるなっ
彼女なんて働いてからでいいよ
やっぱねぇ学生より社会人と付き合いたいもんだよ!


来年も留年が確定しているkasaは、最後の一文に愕然としたのだった。


2005年6月12日(日) 誕生日、その後

この1週間は6日間くらい飲んでしまった。多分、摂取カロリーの70%以上は酒からだろう。これから頑張って消費しないと。

あれ? 今週は既に2回も飲み会がセッティングされているのは気の所為ですか? 来週の日曜日は焼肉食べ放題だったりするのは気の迷いですか?

いずれにしても、24歳の幕は開けた。24歳の抱負は、無事に25歳を迎える事です。死なずに。


2005年6月11日(土) 誕生日でしたよ

今日は24歳の誕生日だった。なので、その辺りの事を。

まず10日の夜から後輩(女性)と飲みに行った。池袋の『しょう助』という店。入って2名だと告げると、「カップルシートにしますか、向かい合ったテーブル席にしますか?」と訊かれた。「カップルシートで!」と言いたかったが、別にカップルでも何でもなかったので、断腸の想いで「テーブル席で」と答えた。今思うと、何て惜しい事をしてしまったんだ。

『しょう助』は客の年齢層が高かった感じがしたけど、池袋にしては結構雰囲気の良い店だった。隣の関西弁のサラリーマン風の客が、「2時間制とは言われたけど、30分前ラストオーダーとは聞いてないで」とゴネているのが面白かった。他はとにかくカップル客が多かった。まぁ僕らも傍から見たら、もしかして万が一にもそう見えたりしたかも知れないという可能性は否定し切れないけれども。ちゃんと彼女が出来たら、また来よう。何年先か分からないけど。

1軒目を出た所でもう一人の後輩(男性)を呼び出し。2軒目は近くの『東方見聞録』へ。日付が変わって「おめでとうございます!」とお祝い。23歳は『冬』の時代だったので、24歳は『春』の季節になるに違いない。

僕は朝まで飲む気満々だったのだが、普通に解散。ちょっと残念。従姉妹から娘の写真が送られて来たので、それを見ながらニヤニヤして僕も帰宅。やっぱり赤ちゃんは可愛いなぁ。その娘が大きくなったら、好かれるようなおじさんになりたい。「おじさん大好き(はぁと)」みたいな。

家に着いてパソコンを立ち上げてメッセに入ると、珍しくモトカノがログインしていたので、強制的に「おめでとう」と言わせ、さらに散々からかって唐突にサインアウト。こういうのも、また楽しい。(←向こうは迷惑。)まぁ先日「セックスが下手だ」とか、別れてから1年以上経ったのに、そんな事で罵られたりしたので、これで仕返しは終了。

4時過ぎに寝て、7時に起床。昼までダラダラしてサークルへ。サークル終了後に後輩(男性)と17時から渋谷で飲み。さらに後輩(女性)を2名呼び出し。1人からはプレゼントを貰った。ビックリ。いつも虐めて、ごめんなさい。

22時頃まで飲んで解散。とても楽しい1日だった。最後に謝辞を。

【誕生日に一緒に飲んでくれた友人達】

※内海さんは2日連続で飲んでくれて、しかもプレゼントまで頂きました。本当に、ありがとうございました。

【お祝いメールをくれた友人達】(上の4人は除く) ※今村さんはメールが0時0分に届きました。メチャクチャ嬉しかったです。
※稲田さんは可愛い娘の萌ちゃんの写真を送ってくれました。夏休みに、また会いに行きたいです。
※どさくさに紛れて何人かとデートの約束を取り付けましたが、本当に誘いますのでヨロシク。

【お祝いメッセージをくれたネット関連の方々】 ※パソコンのメールアドレスにお祝いを送ってくれた方々、どうもありがとうございました。近い内に御礼の返信を書きます。

ところで僕は6年なのですが、同学年から全く祝われてないのは、何かの陰謀ですか?


2005年6月10日(金) 現実と感情との齟齬による変質

世の中には信じたくても信じられなかったり、逆に信じたくないのに信じざるを得なかったりする場面が必ず存在する。そのような現実と感情との齟齬は、簡単に人間の精神を蝕み、そして“何か”を浸食していく。変えたくない自分自身の“何か”を。

何らかの困難を乗り越えるという事は素晴らしい事だと思われがちだが、それまで出来なかった事が出来るようになるという意味では、それは自身の変質を意味する。それは歓迎すべき変化に思われるかも知れないが、変化の影響が特定部に限定されるならば確かにそうだが、現実にはそんな事は有り得ない。生まれ変わった自分は様々な状況で新たな影響を与え続けていく。そして“何か”が変わった自分は、恐らく二度と元に戻れない。

だから自分自身の“何か”を変質させる、或いは半強制的にさせられる時、それが本当に将来に渡って自分の為になるのか、という吟味をする事が非常に重要になる。もしかしたら吟味している段階で既に人は変質しているかも知れないが、その影響を最小限に留める事は可能な筈だ。

だから変えたくない自分自身の“何か”が変化するという事は、それだけではプラスでもマイナスでもない。そしてプラスマイナスゼロである可能性は皆無だ。

現実と感情とが乖離を始めた時、人は必ず何らかの選択を迫られる。その結果がどのようなものになるのか、何のヒントも無いままに決断の時が近付く。その際に注意しなければならないのは、おろおろとしているだけでは選択肢そのものが消滅してしまうかも知れないという可能性がある事で、逆に自分で何も決定したくない時には、ただ一人で呆然と事の成り行きを見ているだけ、というのも良いのかも知れない。


2005年6月9日(木) 「千里」の道を「一歩」に縮める

恋人とか友達とか、そういう人間関係で巧く行っていない時というのは、概して悲観的になりがちだ。実はその「巧く行っていなさ」というのは、ちょっとした意思疎通のすれ違いとか、そういう少しの事の積み重ねだったりす事が多いのだが、いざその巧く行っていない状況を認識してしまうと、何かパニックにでも陥ってしまったかのように、理性的な判断が出来なくなってしまう。

或いは頭では理解していても感情がどうにもならないとか、そういう場合も有る。頭では理解しているのだから、その悪状況の打破まではもう一歩の所まで来ている筈なのだが、これまたその一歩が一歩に感じられず、まるで千里の道のりを一歩一歩無数に繰り返さないとゴールまで辿り着けないのではないか、という絶望的な不安が襲って来たりもする。

実際、他人にとっては「一歩」でも当事者にとっては「千里」だったりする事も多いから人間関係というのは本当に厄介なのだが、やはり客観的に見て「一歩」なのだったら、主観的にも「一歩」にする事は不可能ではない筈なのだ。それこそ主観の問題で、どうにでもならない筈が無い。

それにしても、どうして人間関係の問題というのは傍から見ると単純な構図に見えてしまうのか。恐らくそれは当事者だけが知りえている――と言うか、当事者だけが認識はしているものの、それが無意識的なものになっている、と言う方が正しいかも知れないが――様々な構図が隠されているからだ。それらが事態を複雑なものにしているのに、傍から見ているとそれを認識できないものだから、どうしても単純化されて見えてしまうのだ。

じゃあ主観的に「一歩」にするのは無理じゃん、とか思われてしまいそうだが、それは違うと思う。ハッキリと細部まで意識的に認識できないような瑣末な構図が事態を悪化させているなら、そんなものは「気にしない」事だ。よく悩んでいる人間に対して「そんな些細な事でクヨクヨするなよ」とか言って、でも当事者には何となく「重大」である事だけが感じられているので、「些細」という言葉に反発や憤怒されたりする事が有るが、そんな事は承知の上で、さらにもう一段上の次元の言葉ではないのだろうか。「気にしない」というのは。

勿論「気にしない」だけでも大変な苦労が有ったりするし、「気にしない事が出来ないから悩んでるんだよ」という反論も予想されるのだが、では何故その問題が自分を悩ませるという事は信じられるのに、「気にしないようにする」という行動が可能だとは信じられないのか、そこからして実は悩んでいる人間は矛盾している。僕とかね。


2005年6月8日(水) バンジージャンプの起源

バンジージャンプの発祥地は、エロマンガ島の在るバヌアツ共和国である。

<イニシエーション>というのは、通常では『通過儀礼』と訳される事が多い文化人類学の用語だ。
『通過儀礼』とは一つの社会の中で子供から大人になるなどの“区切り”に行われる儀式の事を指し、例えば世界中の民族で行われている成人儀式、日本では『元服』の儀式などの事を言う。共同体の正式な一員として認められるための儀式の事を呼ぶ場合が多いが、また同時に特殊な団体に入る際に行われる儀式もそう呼ぶ。
宗教結社や魔術結社もイニシエーションを通過する事で入団が承認される。ここで言っているのは、おそらくこちらの意味だろう。魔術の結社というのは、秘密結社であると同時に宗教結社でもあり、参入の際にはメンバーとして認められるための<イニシエーション>が行われる。また魔術結社の魔術師には実力に応じた位階が定められていて、上の位階に昇進する時、その節目にも<イニシエーション>が行われるらしい。
魔術師になるためには『魔術師になるためのイニシエーション』が必要だという話もあり、結社に入らずに魔術を志す人間が、自らの手で<セルフ・イニシエーション>を行う事があるという話も記憶にある。こういった宗教性の強い<イニシエーション>には、モチーフとして生と死…………つまり『今までの自分は死に、生まれ変わって新しい自分が始まった』というイメージを有した儀式である事がほとんどだ。バンジージャンプも、元は南国の民族が行っていた成人の儀式が元になっている。成人としての勇気を示す意味もあるが、そこで子供の自分が終わる意味もあるのだろう。
   ――空目 恭一 (Missing13 神降ろしの物語・完結編 110頁)

僕は怖がりである。どれくらい怖がりかと言うとディズニーランドのスペースマウンテンで「死ぬ!」と本気で感じてしまうくらいであるが、最後のバンジージャンプも、元は南国の民族が行っていた成人の儀式が元になっているという一文に注目し、バンジージャンプの起源について調べてみた。

ニューカレドニア地方に、小さな島々で形成されたバヌアツ共和国という国が有る。サント島はダイビングなどのマリンスポーツが、タンナ島は火山観光が盛んで、実際に旅行会社で観光ツアーなども組まれている。費用は1週間で30万円程度のようだ。

関連リンク:「南太平洋ネイチャリゾート、バヌアツ共和国 ニューカレドニア&ポートヴィラ7日間」

だが何と言ってもバヌアツ共和国で有名なのは、ゲームソフト『桃太郎電鉄』で一気に有名になったエロマンガ島の存在だろう。実際の発音は“エロマンガ”と言うよりは“エロマンゴ”に近いらしいが、それはそれで何となくヤラシイ感じがしなくもない。

そんなバヌアツ共和国だが、ペンテコスト島では実際にバンジージャンプが“成人の儀式”として伝統となっているらしい。勿論、他の国々で行われているようなアトラクションとしてのバンジージャンプとは異なり、弾力性の低いロープで地面スレスレまで落ちるという、かなり行うのに勇気が必要な代物だ。僕だったら落ちてる最中に発狂して死ぬと思う。

アトラクションとしてのバンジージャンプは、この伝統的な『通過儀礼』を目にしたニュージーランド人のA・J・ハケットが、1978年にパリのエッフェル塔(高さ324メートル)からダイブしたのがキッカケで作られた。

最初は「エッフェル塔からって、コイツはアホか」と思ったが、エッフェル塔からダイブする人間は多いらしく、先月16日にはノルウェー人の男性がエッフェル塔からパラシュートで降下しようとしたものの、失敗して墜落死している。ちなみにエッフェル塔は自殺のメッカでも有るらしい。日本の中央線みたいなものか。

以上より今日の結論。

バンジージャンプの発祥地は、エロマンガ島の在るバヌアツ共和国である。ついでに、エッフェル塔は自殺のメッカ。


2005年6月7日(火) タバコとダイエット

数ヶ月前からタバコを吸い始めたが、どうも僕はタバコを吸うペースが速いらしい。確かに飲み会などで吸っていると、何時の間にか3箱くらいが空になっている事も珍しくない。

先日、上野駅で時間を潰す事になり、ホームの喫煙所でタバコを吸いながら1本当たりのペースを算出してみたら、大体3〜4分くらいのスピードでタバコが消費されていった。1箱20本とすると、1時間ちょいで1箱が無くなる。

これは恐らく、かなり速いペースなのだと思われる。実際、長年タバコを吸っている人にも「速いね」と言われるから、本当に速いんだろう。

ところでタバコを吸い始めた狙いの一つに、「食欲を減退させて痩せよう」という意図が有ったのだが、これが見事に大外れで失望している。タバコを吸っても全く食欲が減らないのである。(今まで何回も繰り返しているが、そんなに僕は大食いではない。)

喫煙に拠って体重が減った、というケースは少なくない。これには主に2つの原因が考えられると言われている。

1つ目は、タバコに含まれているニコチンに食欲抑制効果が有る事だ。そして2つ目は、喫煙によって味覚を鈍らせ、美味しい物を美味しいと感じさせなくする事により、過食が防げるという事だ。

となると、僕にとって後者はアテにならない。僕は昔から食べ物の好き嫌いが極度に激しい人間で、常に(僕にとって)不味い物を食べ続けて来た。だから味覚が変わって美味しい物が不味く感じられようとも、全然平気なのである。

前者の効果を期待するのも、僕には問題が有る。どうも僕はタバコが常習化しないのである。吸い始めて3ヶ月くらい経つと思うが、例えば朝に起きて吸いたい気分にはなったりしないし、それどころか気付けば1週間くらい吸っていない事も多い。寧ろタバコを吸っていない期間が長い事に焦って、慌ててタバコを吸い始めるくらいだ。この辺りは吸うペースが速いのと相反しており、興味深い所だ。

結局の所タバコを吸い始めて良かったのは、飲み会の時に口数が減り変な事を喋る機会が少なくなった事で、それが今の所は唯一だ。割と虚しい。


2005年6月6日(月) 別に他意は無いんです

今週の土曜日はですね、僕の24歳の誕生日なんですよ。

いや、別に他意は無いんです。ただ僕の誕生日は6月11日だ、という厳然たる事実を伝えたかっただけで、それ以外に何か言いたいとか、そういう事は決して全く無いんです。

え、誕生日の予定ですか? 土曜日なんで休みですよ。一応バイトが午後に入ってますけど、何か特別な用事が出来れば空けられなくはないです。ちなみに今の所は特別な用事は入っていないので、バイトする予定です。でも特別な用事だったら、直前でもバイトの日にちを変更する事は可能ですよ。

いやいやいや、別にだからどうした、って訳じゃないですよ。ホントに。いや、ほら、何となく他愛無い情報を書きたくなる時とか有るじゃないですか。例えば無意味にメールアドレスを載せてみたりとか。

メール:magic.player@nifty.com

いや、本当に別に他意は無いんですよ。


2005年6月5日(日) 精神的な強さ

夢から覚めたか? ここは映画なんかじゃなくて、ただの現実なんだって事に。人と人とのケリなんざ、ハリウッドのB級映画みてえに簡単につけられねえって事に気付いたかよ。   ――戌井 隼人 (バウワウ! Two Dog Night 295頁)

別に決闘とかそういう形式に関わらず、人と人とのケリというものは本当に付け難いと思う。例えば「コイツと関わるのは、もう辞めにしよう」とか思っても、心の何処かでは「コイツは実は良い奴なんではないか?」とか考えていたりする。散々こっちが迷惑を掛けられていても、何となく縁を切るのは躊躇われたりするのだ。

戦闘力など――何の意味もない。たとえば……最強を名乗るフォルテッシモという男がいるが……奴など、無駄な力があるばかりに、いつもいつも迷っている始末だ……どこに行けばいいのか、自分でもわからぬ迷子に過ぎない……力など、それこそ無力だ。   ――柊[オキシジェン] (ブギーポップ・スタッカート ジンクス・ショップへようこそ 271頁)

この台詞は純粋に肉体的な強さを否定した言葉であるが、では精神的な強さこそが重要なのかと言うと、そうでもない気がする。何かで迷っている時、それは精神的に弱いから迷っているのかと考えると、一概には肯定できない。どちらかと言えば、迷いを断ち切るのは“割り切り”の方ではないか。

でも僕は「コイツと関わるのは、もう辞めにしよう」と割り切ってしまう事はしたくない。もしそれを「精神的な強さ」と表現するならば、そんな強さは要らないし、それに本当に精神的に強いというのは、こうやって迷った上で何らかの道を見出す事だと思う。

手前はあれか? 戦場で銃をもった子供が向かってきたら殺さないで同情して助けちまうとでもいうのかよ? 手前が言ってるのはそういう事だろこのボケ!
助けるけど、何か? 甘さや同情ってのは、強者だけが持ちえる特権だ。そして――俺は、強者だ。
   ――ラッド・ルッソ & クレア・スタンフィールド (バッカーノ! 1931 特急編 The Grand Punk Railroad 153頁)

弱者なのに甘さや同情を持ってるから、迷うんだろうな。


2005年6月4日(土) 「萌え」という感情を説明しよう

僕は日常生活で頻繁に「萌え」という言葉を使うのだが、どうもこの言葉をやたらとマニアックな意味合いだと勘違いしている人が多過ぎる。

「萌え」ってのは、こういうのを見た時に使うんだよ。

関連リンク:「こねこのぜんしん」『たぬふら』

ヤバイ。萌え〜。


2005年6月3日(金) 下手の横好き

先日の学園祭を通じて、またまた僕のサイトが知り合いの複数の女性に読まれている事が発覚してしまったのだが、その際に言われる事として最も多いのが、「毎日よく書く時間が有りますね」という事だ。

しかし大抵の人には歯磨きをする時間が毎日取れるように、日記もやろうと思えば毎日でも書けるものである。毎日パソコンの前に数分から数十分座るだけだ。これは一種の趣味のようなものである。

どちらかと言えば時間的な制約よりは、書く内容の制約の方が大きい。特に知り合いの女性に読まれている事が分かると、ちょっとアレな話題は控えようとか、そういう風に思ってしまう。まぁどうせしばらくすれば再び欲望丸出しの日記を書くに違い無いのだが、それにしたって連日のように書く訳には行かない。

だから毎日続けるコツは、書く内容のジャンルやレベルに拘らない事である。これはアクセスアップの原則とは相反する(アクセス数を増やす為には、同一ジャンルの質の高いテキストを、毎日でなくても良いから書き続ける事である。)が、過剰に内容に拘ると相当な才能を持っていない限り、必ず短期間で挫折すると思う。

後は「下手の横好き」と言うか、自分のレベルの低さを実感したとしても気にしない方が良い。どうも世の中には文章を書く才能に溢れている人が多くて、ついつい僕は絶望的な気分になってしまったりするのだが、それでも気にせずにやって行く訳である。これまた不思議な事に、世の中には僕の文章なんかでも読んでくれる人が居るのである。

勿論、下手は下手なりに努力したりした部分も有るし、現在の読者を獲得するのに年単位の時間が掛かっていたりするので、気は長く持たなければならない。

以上より今日のイイタイコト。

日記を長く続けるコツは、「下手の横好き」の精神を持つ事だ。


2005年6月2日(木) ネタが滑ったと言うか

関連リンク:「気の迷い」『TOHGA嬢の生活』

タイトル:そういえば
本文:別れてからちょうど一年経ったね〜。


何と言うか、朝から爆笑してしまった訳ですが。このメールを見た事が有る僕の知り合いは多いと思うんですが、って言うか僕が見せて回ったから多い筈なんですが、一体どう返信しろと。

取り敢えず、すぐに返信したのが以下のメール。

タイトル:RE:そういえば
本文:よく覚えてたねー。そうそう、一周年(笑)


「あんまりにも中身が無いメールを送ってしまった」と思い、次の日に送り直したのが以下のメール。(特定の人名は伏字にしてます。)

タイトル:ちょうど一年と一日
本文:何かもうちょっと話題が有るのかと思ったー(;¬_¬)
そいや転職の話はどうなったの? 資格試験って今頃だったんじゃなかったっけ? 何か忙しくてそれどころじゃなさそうな感じだけど。
まぁお疲れ様です。疲れてたら○○さんがやってる整体がオススメです。この前行って、凄く気持ち良かった。女性客なら○○さんが担当になると思う。
う〜、それにしても眠いzzz この1年で、すっかり早起きしなくなりました。よく寝るからか、今年は身長が何ミリか伸びました。


僕は文章にダブルミーニングと言うか裏の意図を含ませるのが好きで、このメールにも相手が好き(だった筈)な『不思議の国のアリス』へのオマージュが複数以上に入っていたりするのですが、今になって考えてみると僕自身以外には気付きようが無いような気もしなくもないですね。


2005年6月1日(水) 東北地方限定ハイチュウ

家庭教師の生徒から修学旅行のお土産として、東北地方限定発売のハイチュウ(ラ・フランス味)を貰った。

「これはサイトに写真をアップしなければ」と思ったが、帰宅する頃には中身が全て無くなっていた。

ガムとかアメとか、有るとすぐに食べ切っちゃうんだよなぁ……。


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