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2005年8月

DIARY MAIN

2005年8月31日(水) 崩壊の予兆

先程ノートパソコンを起動させようとしたら、

Primary hard disk drive 0 failure
No boot device available
No bootable devices--strike F1 to retry boot, F2 for setup utility


という表示が出て来て、起動できない状態でした。色々と弄って何とか正常起動させる事に成功しましたが、もしかしたらパソコンが壊れる前兆なのかも知れません。

なので、もしかしたら日記をオヤスミする事になるかも知れません。何か有りましたら掲示板でお知らせする事になると思いますので、何日も更新されなくなったら、そちらを見てみて下さい。

取り敢えずバックアップを取っておかないと……。


2005年8月30日(火) 整体

整体に行って来ました。今回で3度目。

今日は初めて施術中に「ん? 何か押しが強いな」と思って、「少し弱めで」と言ってしまいました。僕の身体は物凄く凝っていて、今までマッサージ中に痛みを感じる事なんて皆無だったんですが。

終了後、知り合いの女性に「今日やってくれたのは、力が強い人だったんですか?」と聞いたら、「いや、私が『強くやっといて』って言っといた」と言われました。な、なるほど……。

その所為か、今は身体がフニャフニャになってます。まぁ僕の腹部は元々フニャフニャですけれども! さぁ腹筋、腹筋。


2005年8月29日(月) 今日は29日

高校時代の友人から「29日から四国行かない?」というメールが来たのですが、29日というのは今日の事だと思うのですが。いや、そんな「ちょっと渋谷まで飲みに来いよ」くらいのレベルで言われても。でも参加者に女性が居たので、かなりかなりかなり悩みました。って言うか、行けば良かった。

本日はカラオケで歌うという拷問を受けて来ましたので、この辺りで日記は御終いにさせて頂きます。お休みなさい。


2005年8月28日(日) 現実とネットに於ける喧嘩の性質の違い

何と言うか、ネット上には喧嘩ばかりしている人達が居たりする。僕は「喧嘩は傍から見ている分には面白い」という性格悪い人間なので、適当に傍観して楽しんでいる。僕のサイトにも喧嘩腰のメールが来たりするが、極めて稀な頻度なので特に被害は被っていない。

世の中には「喧嘩するほど仲が良い」という言葉が有るが、ネット上で喧嘩している人達は本当に仲が険悪そうである。とても「実は仲良し♪」という関係には見えない。「喧嘩するほど仲が良い」は現実に於いても必ずしも正しいとは言えない言葉ではあるが、ネット上では常に間違っているのではないか、とさえ思えてならない。

これは現実とネットでは、喧嘩する原因に決定的な差がある事に起因すると考えられる。現実での喧嘩の多くは、一言で言ってしまえば人間関係が絡んでいる。街で強面のお兄さんに因縁を付けられて……という喧嘩も有るだろうが、そういう喧嘩は日常的に見れば稀である。現実では基本的に見ず知らずの人間とは喧嘩しない。

これは現実での喧嘩が、それなりに高度に構築された人間関係の上で成立している事を示している。つまり喧嘩する両者の間には何らかの接点が存在し、それを元に何らかの人間関係が築かれている筈なのである。お互いに仲が悪い場合も有るだろう。しかし現実に於いて仲が悪い二人は、意識的に互いの距離を取る事が多い。仕事の都合など回避不能な場合を除いて、仲が悪い人間とは一緒に居ないものである。

だから「仲が悪けりゃ互いに近付かないから、そもそも喧嘩など出来ない」のである。そしてこの対偶を取ると、「喧嘩するほど仲が良い」という事になる訳だ。

一方でネットでは不思議な事に、仲が悪い同士でも接点を持とうとしてしまう傾向が有る。例えば「このサイト、いつも言ってる事がムカつくんだよなぁ」とか思っても、そのサイトを見続けてしまうというケースが多いのである。「ムカつくなら見なけりゃ良いのに」という感じだが、その論理がネットで通じない事は某巨大掲示板での“叩き”や“粘着”を見ていれば明らかである。

もう仲が悪い同士が積極的に接点を持つのだから、喧嘩になるのは必然とすら言える。いや、ちょっと大人になってムカついてもグッと堪える心を双方のどちらかでもが持っていれば喧嘩など起こらない筈なのだが、どうもそう上手く行かないサイトも多いようだ。

基本的に仲が悪い者同士が喧嘩するのだから、仲はもっと悪くなる。どちらも“大人な心”を持っていないのだから、譲り合いなど起きようも無いからだ。泥沼である。どちらかが喧嘩に飽きるまで延々と誹謗中傷が繰り返され、後には当事者の不快感と傍観者の脱力感が残るばかりである。いや、僕は楽しんでるんだけども。

以上より今日のイイタイコト。

現実とネットに於ける喧嘩は、互いの性質が大きく異なる。その為に「喧嘩するほど仲が良い」という言葉が、ネットでは当て嵌まらない。


2005年8月27日(土) 眠くて眠くて

久し振りに日常日記でも。

最近、眠くて眠くて仕方ありません。朝は普通の時間に起きられるんですが、昼間に強烈な睡魔が襲ってくるんですよ。で、昼寝をしてしまう。それでバイトに遅刻したり、精神科に行けなかったりと、踏んだり蹴ったりです。

という訳で読者の方々、何か良い眠気覚ましの方法を知っていたら教えて下さい。メール掲示板にヨロシクお願いします。

ちなみにオフ会参加希望者も、まだまだ受付中です。現在の所、僕を含めないで男性4名に女性3名です。優しい方々ばかりです、多分。そんなにマニアックな会合にはならないと思います。僕が付いて行けないので。「〜〜の調査に拠れば……」なんて会話には絶対にならないでしょう。安心して参加して下さい。


2005年8月26日(金) 母親と子供の睡眠時間

母親が早寝早起きだと、子供も早寝早起きになる。

『睡眠文化研究所』の調査に拠れば、「子供の早寝遅寝と母親の就寝時刻の関係」という項に於いて、次のような結果が出ている。

日本において特徴的だったのは、子供と母親の就寝時刻の相関関係が高いという点にあります。つまり、母親が早寝だと子供も早寝、母親が遅寝だと子供も遅寝なのです。驚くことに、早寝の子の母親と遅寝の子の母親で1時間以上も就寝時刻に差があります。一方、父親はどうかというと、全く相関関係がありませんでした。

ここで言う“子供”とは、1,2歳児の事である。21時より早く寝る子供の母親の平均就寝時間は22時36分だったが、22時より遅く寝る子供の母親の平均就寝時間は23時48分だった。

また母親が専業主婦か否かで、子供の睡眠時間は変わってくる。母親が専業主婦の子供は平均10時間32分寝ているのに対し、母親が有職者の子供は平均9時間30分しか寝ていない。

一方で母親が有職者だと、子供は早起きするというデータも存在する。母親が専業主婦の子供の平均起床時間は7時35分なのに対し、母親が有職者の子供の平均起床時間は7時丁度だった。これは有職者の母親の方が早起きをせねばならない、という事情からだろう。

つまり母親が専業主婦の子供は“早寝遅起き”、母親が有職者の子供は“遅寝早起き”である訳だ。これは母親のライフスタイルと一致していると言える。

以上より今日の結論。

1,2歳児の睡眠時間は、母親の睡眠時間と相関関係が有る。専業主婦の子供は“早寝遅起き”、有職者の子供は“遅寝早起き”だ。ちなみに父親の睡眠時間は全く関係無い。


2005年8月25日(木) “夢”の意味と“初夢”の定義について

“夢”という単語には、主に2つの意味が有る。1つ目は「睡眠中に見る幻覚」で、2つ目は「将来実現したい願い」だ。ところが後者の「将来実現したい願い」は、以前から“夢”と呼んでいた訳ではないようだ。

広辞苑を調べると、“夢”の項に「将来実現したい願い」という説明が加わるのは1983年に発行された第三版が最初で、それ以前の第二版までは“夢”に「将来実現したい願い」という意味は無かった。日常的に使用されていても辞書に登録されるまでにタイムラグが存在するとは言え、「将来実現したい願い」という意味が派生したのは早くとも1970年代からと考えられる。

一方で“初夢”という単語の意味は曖昧な所が有る。辞書で“初夢”を調べると、

1.その年最初に見る夢。元日の夜または正月二日の夜に見る夢。
2.節分の夜に見る夢。


となっており、「結局いつ見た夢を“初夢”と言うんだ?」という感じである。そもそも「元日の夜」という言葉からしてハッキリしない。「元日の夜」というのは、大晦日から元日にかけての時間なのか、元日から2日にかけての時間なのか、そこの所が不明である。

そこでさらに調べてみると、『お江戸でござる おもしろ講座』というサイトに行き当たった。『お江戸でござる』はNHKのコメディ時代劇番組である。これに拠れば“初夢”の定義は、江戸中期以降に「落ち着いた二日の夜に、落ち着いて見た夢が一番ふさわしいのではないか」という事で、二日に落ち着いたとある。

以上より今日の結論。

広辞苑で“夢”の意味に「将来実現したい願い」が加わったのは、1983年に発行された第三版から。また“初夢”の定義はハッキリしないが、「年が明けて落ち着いてから見た夢」を“初夢”とするのが有力である。


2005年8月24日(水) 初夢が正夢に

ここ数日、「避妊総論」のページにアクセスが集中していた。「避妊総論」は1年以上前に書いた古いテキストであり、しかも原稿用紙20枚以上の分量が有って、このサイトのコラムにしては非常に長い部類に入る。恐らく読み難い箇所も多かったと思うが、そのようなテキストに注目して貰えるのは嬉しくもある。

最近書かれたテキストは自分自身が宿っているような感じがするが、古いテキストは自分の子供みたいな感覚だ。今回のアクセス増加は、自分の子供が他人に誉められたように感じた。まぁ子供も居ないのに、こんな事を言うのも変かも知れないが。

ところで今回、「避妊総論」にリンクを貼ってくれたサイトの中に、『TBN』という大手ニュースサイトが有るのだが、実は今年の僕の初夢は、「『TBN』にリンクを貼られる」というものだった。初夢が正夢になった訳だ。こういう事って、本当に有るんだな。

こうなったら来年は「大学を卒業する」という初夢を見たいものである。何とかお願いします、神様。(僕は無神論者だが。)


2005年8月23日(火) 50万ヒット達成&オフ会のお知らせ

本日、当サイトは50万ヒットを達成しました! サイトを開設してから1006日目、約3年での達成となりました。読者の方々、ありがとうございます!

まぁ50万ヒット達成したからと言って、別にサイトでやる事が変わる訳でも何でも無い訳ですが、そこはそれ。やっぱり区切りは区切りですから。自分で自分をお祝いしておきます。パチパチパチパチ!

――さて。はしゃぐのは、これくらいにして。

前々から仄めかしていた、50万ヒット記念オフの事ですが、開催を決意しました。そこで、参加希望者を募集します。

【『complex fraction』50万ヒット記念オフ】
開催日:2005年10月8日(土)
時間:恐らく18時頃〜20時頃。2次会の有無は、当日のノリ次第。
場所:池袋or新宿or渋谷の居酒屋orバー。
イベント:全く未定。アイデア募集中。
参加条件1:kasaに会いたい人。外見に期待しないように。直接の知り合いは不可。
参加条件2:居酒屋やバーに居ても、補導される心配の無い人。微妙な人は応相談。お酒は飲めなくても可。
備考:現在の所、参加希望者は6名。男性4名&女性2名。


以上を読んで「行っても良いな」と思った方は、タイトルに“オフ会参加希望”と書いてメールを送信して下さい。本文中にハンドルネームは必須、出来れば性別と年代を教えてくれたりすると、場合によっては僕が飛び上がって喜ぶかも知れません。但し、嘘は厳禁。特に『20代・女性』とか嘘つかれると、当日泣くかも知れません。

「まだ予定がどうなるか分からない」という人でも、メールが最終決定じゃないので遠慮無く応募して下さい。その他、何か疑問など有りましたら、メール掲示板で。今の所、締め切りは特に決めていませんが、出来れば早めにお願いします。

ではでは、多数の読者の方の参加をお待ちしています!


2005年8月22日(月) 「萌える」=「利息がつく」

僕が『ウィキペディア』で「萌え」という単語を調べていたら、

「利息がつく」も「萌える」と言う。

という一文が目に入った。どうして僕が「萌え」なる単語を調べていたのかは、この際どうでも良い事である。

「これは裏を取らねば」と思い、早速『goo 辞書』で「萌え」を調べたら、

芽が出る。芽ぐむ。きざす。

という意味しか掲載されていない。「もしかしてガセネタか?」と思ったものの、念の為に買ってから数回しか使った事の無い『広辞苑 第五版』で「萌える」を調べた所、

1.芽が出る。きざす。芽ぐむ。
2.利息がつく。


という説明が有った。恐らく「貯金を元に利息が生み出される」という構図が、「種子から芽が出る」様子から連想されて、「萌える」の意味が派生したものだと考えられる。

以上より、「萌える」=「利息がつく」が証明された。

しかしそれでは超低金利時代の今は、「あんまり萌えない」とか「萌えが少ない」とか言うのだろうか。そこら辺は謎だ。


2005年8月21日(日) 同情という名の価値観の押し付け

家の外に出た瞬間、そこかしこにセミの死骸が見えた。夏も終盤である。

セミは成虫になってから、1週間くらいしか生きられない。地中生活は長いものの、実質的には極めて短い一生である。それに関して僕は、どうとも全く思わない。

一方で死んでいるセミを見た時に、それがコンクリートやアスファルトの上だったりすると、何となく心を揺り動かすものが有る。これは恐らく同情心なんだろう。

ウチの周辺は東京23区内の割には緑が多い地域なのだが、それでも土の上で一生を全う出来ないのかな、と感じる訳だ。そしてコンクリートの上で死んでいくのは可哀想だ、とも。

しかし冷静に考えれば、それは価値観の押し付けに過ぎない。セミも案外、コンクリートの上で死ぬ方が幸せだと思っているかも知れない。何処で死のうが同じなのかも知れない。(後者の可能性は高いと思う。)

結局の所、「セミがコンクリートやアスファルトの上で死んでいくなんて可哀想だ」などというのは、傲慢な考え方なのではないか。もっと言えば、同情する事によって自己満足を得ているだけなのではないか。そんな気がした。


2005年8月20日(土) 離婚と結婚指輪

夫婦が離婚した場合、結婚指輪はどうなるのか?

結婚指輪というのは夫婦の象徴的な存在だが、離婚した場合はどうなるのだろうか。夫婦関係が解消される訳だから、どうにかして処分するのが妥当な所だと思うのだが、現実はそうでもないらしい。

楽天の2004年4月の調査に拠れば、「離婚後に結婚指輪はどうしましたか?」という質問に対する回答は、以下のようになっている。



何と「そのまま持っている」という回答が27.9%でトップだった。未練が有るからなのか勿体無いからなのか分からないが、離婚しても結婚指輪をそのままにしておくというのは珍しい事ではないらしい。

但し男女別の回答を見ると、面白い事にどちらも「そのまま持っている」がトップではなかった。代わりに最多だったのは、男性は「捨てた」で35.4%、女性は「相手に返した」で18.4%であった。まぁこれは想像通り、という気がしないでもない。

一方で「売った」という回答は、男性が2.5%だったのに対し、女性は6.8%だった。やはりこの辺りは、女性の方が強かだという事か。

以上より今日の結論。

夫婦が離婚した場合、結婚指輪は「そのまま持っている」人が最も多い。

さらに今日のイイタイコト。

女性は結婚指輪を売ったりもする。きっと新しく指輪を買う為に違いない。


2005年8月19日(金) 地震の頻度

今年の地震は観測史上最多ペースである。

「今年って地震が多いな」と感じている人は多いのではないか。つい最近も、宮城県で震度6弱の地震が有ったばかりだ。そこで気象庁の震度データベース検索で、1926年以降の東京都千代田区大手町の震度別地震回数表を作成してみた。(1996年9月以前の震度5、6は、震度5弱、6弱として扱っている。)










上の表によれば、これまでで最も有感地震(震度1以上の地震)が多かったのは、1931年と1953年の74回である。

そして2005年(今年)は58回だ。しかし2005年のデータは、8月17日まで(229日間)のものである。そこでこのままのペースで有感地震が発生したと仮定すると、今年の有感地震回数は92回という事になり、過去最多の74回という記録を大幅に超えてしまう。やはり「今年って地震が多いな」という意識は当たっていたのである。

気象庁の震度データベース検索では、日本全国の地震頻度を調べる事が出来る。自分の住んでいる地域はどうなのか、調べてみると良いかも知れない。

以上より今日の結論。

今年の有感地震は年間92回のペースで、これは観測史上最多である。


2005年8月18日(木) 破りたい写真

漫画『タッチ』で、達也と南が結婚式場パンフレットの為にモデル写真を撮り、それを見た和也が写真を破り捨てようとするシーンが有るのだが、どうもこの場面には以前から違和感が有った。和也は嫉妬心だけで、そんな事をするようなキャラクターには思えないのである。

とは言え設定では彼等は中学三年生だし、和也は心から達也を認める一方で、何処か達也を畏れていたような描写も多い。もしかしたら単なる嫉妬だったのかも、という考えも捨て切れなかったのだが、最近ようやく別の解釈も出来るのかな、と思い始めた。

端的に言えば、あれは嫉妬だったんだろう。しかしそれは第三者的な視点からの感情に過ぎず、当の本人である和也はそんなつもりは全然無くて、もっとよく分からない感情に突き動かされたんではないかと。例えば後に明かされる達也の心情と同様、未来に於ける三人の関係の崩壊を擬似的に感じさせられ、ただその時期を少しでも延ばしたかった、とか。

幾ら写真を破いたって時間の流れは遅くならないし、南は一人しか居ない。最終的には達也と和也、どちらかは南を諦めなければならない。そんな事は分かってる。でもそんな未来の現実を、現在の目の前に突き付けなくても良いじゃないか、という気持ち。

写真というのは思い出のモチーフとして用いられる一方、動きも言葉も無いだけに、逆にそれだけ厳然たる現実を力強く眼前に叩き付ける効果も有る。それだけ写真は残酷な物なのだ。

写真ってのは、色々な意味で残酷だ。


2005年8月17日(水) ブログによる一般人の芸能人化

多くの国民がブログやホームページを持つ事で、一般人が芸能人化してプライバシーが流出する。

ブログやホームページに書かれる事の多くは、日常生活で起こった出来事などだ。かなり詳細な内容を書く人も多い。一種のプライバシーを公に晒している訳だが、自分がした事について書くのであれば、何の問題も無い。しかし例えば、「今日は○○という友人と××に行きました」的な事を書く場合には注意が必要だ。と言うのも、「その友人が××に行った」というのは他人のプライバシーである筈であり、本来は無断で公開しては不味い情報だからである。

「まぁ『一緒に何処かに行った』くらいの情報は良いじゃん」と思う人は多いかも知れない。しかし正月にハワイ旅行に行ったりとか、ディズニーランドでデートしたりとか、そういう軽いプライバシーを週刊誌やワイドショーで報道されるのを嫌がる芸能人は多い。正直、僕はその程度のプライバシーの流出は、嫌がる程ではないと思う。しかしそれでも芸能人がその手の報道を嫌うのは、理由の一つとして“プライバシー報道の過熱化”が有るからではないか。

例えばディズニーランドでデートしているのを発見された芸能人は、次にはラブホテルの出入りをチェックされたりする。“決定的瞬間”というヤツを撮る為だ。ハワイ旅行に行っても、現地で誰と会ったとか、そういう所まで調べ上げられる。そして報道される。多くの芸能人は、これが嫌なのだろう。

本来は冷静を要求される報道メディアですら、この有様である。これが個人で運営されるブログやホームページだったらどうなるか。最初は何気無く「今日は○○という友人と××に行きました」というレベルだった内容が、何時の間にか無意識の内にもっと内面に入り込んだ事項になって来るのは必然に思える。実際、僕は何の変哲も無い普通の大学生だが、知り合いに送信したメールがそのままコピー&ペーストされてブログに掲載されたりしている。既にプライバシー流出の過熱化は、身近な所でも起こり始めているのだ。

以上より今日の結論。

多くの国民がブログやホームページを持つ事で、プライバシー流出の過熱化が起こり、一般人が芸能人化する。


2005年8月16日(火) コスプレサービスあれこれ

日本は空前のコスプレブームです。猫も杓子もコスプレです。僕が読んでいる最中の小説もコスプレ物です。もう「コスプレ無しでは現代日本を語れない」と言っても良いでしょう。これでコスプレイヤーの皆さんがマイナーなアニメのキャラクターなんかではなく、女子中学生のコスプレとかばかりやってくれれば僕は何も言う事が無いのですが、世の中そうは上手く出来ていないようです。

しかしこうなって来ると、コスプレを何でも商売にする人が出て来る訳です。例えば有名所では、メイドホテル「もえるーむ」が有りましたね。既に知っている人も多いと思いますが、

かわいくて従順なたくさんのメイドたちと田舎ならではの最高のロケーションが、ご主人様に最高の癒しを約束します。この内容の他、ここでは言えない数々のサービス有り!!

という謳い文句で先月オープンしましたが、今月になって既に閉館しました。早っ!

この他にも色々とコスプレを利用したサービスが存在するようです。少し調べてみました。 やはり全体的に飲食系が多いようですが、それにしても色々と有るものです。「全部制覇したぜ!」って猛者は居るんでしょうか? 僕はメイドバーに惹かれました。行きたい……。

関連リンク:「コスプレ好きなブルガリア人」


2005年8月15日(月) 「邪推しないで」とか言ってる時には邪推して欲しかったりするものだ

1ヶ月以上も放置していたメールや掲示板の返信を書きました。何か2ヶ月くらい前に来たメールに返信してない気がするんですが、元のメールが見当たりません。「返事が欲しかったのに返信来てねぇぞ!」って人がいたら、請求して下さい。

ここで一部のマニアな人は、「どうしてkasaが急にメールや掲示板に返信し出したのか?」という事が気になるかも知れません。その中で妙に勘が鋭い人は、「分かった! 掲示板に19歳の女性からの書き込みが有ったからだ!!」とか勝手に結論付けるかも知れません。

でもそれは誤解です。大いなる誤解なんです。偶然なんです。たまたま昨日、突如として返信を書く気力が湧いて来たんです。それが理由です。どうして返信を書く気力が湧いて来たのかは諸事情により書く事が出来ませんが、真相はそういう事なんです。

あぁ、それにしても19歳。良い響きですね。未成年ですよ、未成年。僕もこの前まで未成年だった気がするんですが、それは5年も前の話でした。5年前には大学1年生だった記憶が有りますが、どうして5年後になっても大学4年生なんでしょうね。時の流れは不思議です。

という訳で未成年の皆さん、5年なんてアッと言う間です。僕が確実に言える事は、学校を卒業できる程度には勉強した方が、絶対に幸せになれるという事です。勉強しましょう、勉強。


2005年8月14日(日) 考察系サイトの憂鬱

このサイトは“分析系コラム”っていうジャンルをウリの1つにしてる訳ですが、最近は何かを分析したと言うよりは、単なるトリビア的な日記が多い気がして、それが憂鬱なのです。

去年なんかは、ネットで色んな統計や資料を見付け出して、そこから自分の好きなように思考を巡らせて、そしてそれをテキストにする、という事をやってた訳ですが、なんか今はネタも無いし時間的にも厳しいし、という感じで。そうなると必然的に考察の少ない、単なる事実の提示だけでチョコッと「へぇ」と思うような、トリビアに偏ってしまうんですね。

まぁ以前から言ってるように、あんまりテキストの方向性を縛り過ぎると息苦しいし、それでサイト閉鎖とかになったら微妙だし、だから息抜きはしても良いと思うんですよ。まぁ最近のこのサイトは息を抜き過ぎてる気もしますが。

でもいざ「今日は“分析系コラム”を書こう!」と思った時は書けないとね。悲しい訳ですよ。しかもいつも単なるトリビアっぽい日記になってる。余計に悲しい訳ですよ。これがもう何とも表現しようの無い、全く新種のテキストになってれば気も晴れるんですがね。

何と言うかトリビア的日記ってのは、考察系コラムと対極にあるテキストのように感じるんですよ。さっきも書いたように、トリビアってのは考察無しで成立してしまう物なので、それが嫌悪感の原因ですかね。

しかしトリビア的日記を排除すると、それはそれで苦しいものが有りまして。いやぁ難しいですね、考察系サイト。ホームページ全体の中の考察系サイトの割合って、結構少ないように感じるんですが、その辺も影響しているんでしょうか。

まぁこんな事を書きつつ、やっぱり明日からも何気無い顔をして更新するに違い無いんですが。

さて、その考察系サイトの(最高峰と僕は思っている)『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』さんがサーバ移転により、URLが変更になりました。新URLは、http://simple-u.jp/です。ドメイン名が良いですね。


2005年8月13日(土) 恋愛バトン

現在アメリカで武者修行中である、後輩のゆきんこさんからバトンが回って来たので、今日はそれを。

■Q1■理想の恋人像を教えてください。

僕に優しくて、ゲームとライトノベルが好きで、広末涼子みたいに可愛くて、しかも何でも我侭を聞いてくれる人。
こんな彼女がいたら、間違い無く僕は堕落しますね。

■Q2■恋人選び、見た目と性格を重視する割合は?

僕には“7割ルール”というのが有りまして。
“7割ルール”とは、同年代の全女性を見た目だけで判断すれば、7割くらいの女性は「可愛い」と判断される、という法則です。
拠って、見た目:性格=3:7くらいでしょうか。

■Q3■今日は一日好きな人と一緒。あなたの考えるデートプランを教えてください。

映画観て、買物して、飲んで、ホテル行きます。
あぁ、これ付き合ってない想定ですか?
でも行きます。

■Q4■好きな人と、はじめて二人でカラオケにいくことになりました。さぁ、どんな曲を歌いますか? また、相手には何を歌ってもらいたい?

極度のカラオケ嫌いなんですが……。
それでも強いて言うなら、H Jungle With tの『GOING GOING HOME』でしょうか。
歌って貰いたいのは、大塚愛の『さくらんぼ』です。

■Q5■夜の遊園地、はじめて二人で観覧車に乗りました。ドキドキクライマックス! 手をつなぐ? つながない?

手を繋ぐだけじゃ、満足出来ないなぁ。
あぁ、これ付き合ってない想定ですか?
でも満足出来ません。

■Q6■楽しいデートの時間はあっという間。いつの間にか、終電がなくなっていました!

じゃあ、RESTじゃなく、STAYで。
ホテルのベッドは寝心地が良いです。

■Q7■相手をかなり気に入ったあなた。告白は自分からする? 相手からされるのを待つ?

告白される事って一生体験出来ない気がするので、自分からしますよ。

■Q8■ずばり、いま好きな人、気になる人がいますか?

いますが、何か?

■Q9■Love Batonをまわす5人の人たち。

省略。


2005年8月12日(金) 小説

前回(SKIM OVER STORY 第5話『魔女』)/過去ログ

SKIM OVER STORY 第6話『急襲と萌芽』

 ――1990年10月6日(土)

 僕の名は深沢周平。何処にでもいるような平凡な小学3年生だ。少なくとも、自分ではそう思っていた。
 しかし、だからと言って現実的にもそうだとは、何とも……。

 避けられたのは、全くの僥倖だった。
 小学校からの下校途中、背後に不自然な雰囲気を感じた僕は、身体を左に逸らしつつも後ろを振り返った。
 瞬間、左肩を掠める細長い棒状の物体――それは振り下ろされた木製バットだ。
「な――!?」
 ガキーン、という鈍い音が辺りに響き渡る。バットが諸に地面に直撃したのだ。その衝撃で木製バットは半ばから見事に折れ曲がる。
 あまりの事に一瞬、事態が飲み込めなかった。思考が硬直する。
 ――でも一瞬だけだ。それ以上は状況が許してくれない。再び今度は逆方向から別のバット――それは金属バットだった――が振り下ろされようとしていたのだ。
「なんだって――くっ!」
 言い終わる前に僕はそのバットに対して、右手の掌底を思い切って突き出していた。避けるのは間に合わないと判断し、なるべくバットと接触面を大きくして、衝撃を和らげようと思ったのだ。
 幸いな事に掌へのダメージは小さかった。――しかしそれは『思ったよりも』に過ぎない。鈍くジーンとした痺れが右腕全体に伝わる。これで右手は殆ど使い物にならないか!?
 そしてバットの第二撃を防いだ僕を待っていたのは、脇腹に繰り出されようとしていた拳撃――三人目の男のものだ――であった。僕はそれを、何故か気持ちの中では躊躇いつつも、左腕でガードする。
 ――瞬間、とてつもなく不吉な予感が身体中を駆け巡る。なんだ、この感情は!? しかし、もう何か出来るタイミングじゃない。
 ガチッ、という硬い物同士がぶつかったような鈍い音と共に僕を襲って来たのは、今度は予想を遙かに上回る激痛だった。
「ぐをわっ――!!」
 痛覚に直接的に反応したかのような言葉にならない悲鳴が、僕の意に反して強制的に発声される。
 男の拳を見ると、親指以外の4本の指が何やら銀色に光っている。――メリケンサックだ。
 ――な、何なんだ、こいつら!?
 今や僕はバットを持った男2名(木製バットの方は既に折れてしまっているが、それでも充分に凶器である。)に、メリケンサックを装着した男1名の、都合計3名に襲われている事となってしまった。――なんてこった! どうして僕がこんな目に…?
「何なんだよ、お前ら一体!?」
 僕はヒステリックにも聞こえるくらい必死になって叫んだ。が、相手はそれに対して何らかのリアクションを取ってくれる気配はない。いや、それどころか――
 目の前の男たちは、そもそも何かこう……感情そのものが無いんじゃないか、と思わせるような表情をしていた。こうして僕に苛烈な攻撃をしているにも関わらず、彼らには僕に対する敵意とか狂気とか、とにかくそういうモノが一切感じられなかったのだ。あたかもアニメ等でよく出てくるような、『誰かに操られている状態』にそっくりだった。
 僕はこの場から脱出するのが最優先事項だと感じた。しかし廻りは完全に囲まれている。不意打ちを防がれた彼らは一先ず体勢を立て直しに掛かったようだが、僕がこの場から強行突破するのを黙って見逃してくれるほど甘くはないだろう。
 ――どうする?
 そしてこの一瞬の間ですら、相手は見逃してくれなかった。
 まずは木製バット野郎がバットを捨て、素手で殴りかかって来た。それを僕はメリケンサック野郎の側に軽くステップを踏みながら避けつつ、その勢いを利用してメリケンサック野郎の左脇腹に蹴りを入れる。が、それは敢え無くガードされてしまう――だけでなく、右足をがっちりと掴まれてしまった。
「ちっ…!」
 僕は右足が完全に動かせない事を確認すると、膝から踵に全体重を掛けるように力を入れ、さらに残った左足で思い切り地を蹴った。そして身体が地面と平行になるくらいまで上半身を倒す事によって左足の位置を高め、それをメリケンサック野郎の右肩を目掛けて振り切った。
 バキッ!
 今度は“相手の顔に”クリーンヒットした。上半身を倒し過ぎて、ほとんどオーバーヘッドキックのような体勢になってしまったらしい。怪我の功名ってやつだ。
 しかし、そうそう良い事ばかりでもなかったようだ。右のこめかみを強襲されたメリケンサック野郎は、僕の右足を掴んでいた左腕を緩めざるを得ない。だが僕は“上半身を倒し過ぎて”いた。
 ――頭から落ちる!
 咄嗟に僕はまだメリケンサック野郎の頭部付近に残っていた左足の足首に全神経を集中し、身体を180度回転させつつ、足の甲をメリケンサック野郎の右肩に引っ掛ける。勿論、これで身体の落下が停まるわけではない――が、勢いを殺すには充分だ。そして僕は衝撃を少しでも緩衝するために左手で受身を取ろうとして――そこで激しい不安感に襲われた。
 ドクゥッ!
 心臓が高鳴る。手を当てずとも分かる、この異常な心拍は何だ――!? 脳へと送られる血液が瞬間的に激増し、全神経が過剰なまでに鋭敏になった感覚に囚われ、そして――
 ――コノママデハ、イケナイ!
 脳内に――いや、身体中に響き渡る警告音。何か――このままでは、何かがヤバイ!
 寸前の処で慣れない右手での受身に切り替えるのと同時に、ゴンッ、という激突音が地面を伝わる。僕が左手を着こうとしていた位置に、バット野郎その2が所謂“大根切り”の要領でバットを振り下ろしていたのだった。もしも直撃を受けていたら、複雑骨折は免れなかっただろう。
 素早く体勢を立て直した僕は、先程の頭部への蹴りが効いたのか、ふらふらしながら倒れ込んでいくメリケンサック野郎の姿を確認した。これで包囲網に穴が出来た。ふとこのまま逃げようかとも考えたが、どう見ても相手は高校生くらいであり、小学生の僕の足で逃げ切れるとは思えなかった。とすると――やるしかないのか? これも充分、不可能な気がするのだが……。
 その時ようやく僕は『誰か助けを呼ぶ』という事を思いついた。事態が切迫している時には基本的な事項に思いが至らない場合が多々としてあるものだ、という誰かの科白を思い出した。
「だ、誰かーっ! 助けてーっ!」
 腹に力を込め、僕は有らん限りの声を出して叫んだ。

次回、SKIM OVER STORY 第7話『螺旋と告白』――2005年8月28日掲載予定。


2005年8月11日(木) 人生案内

読売新聞には“人生案内”という読者相談コーナーみたいな欄が有るんですが、昨日付けの相談が何とも言い難い内容になっていました。全文を引用してみようと思います。

18歳の学生です。私は女に生まれて損ばかりしてきたと思います。
男には生理がないけど、女にはある。男は立ちションができるけど、女にはできない。男は夏の暑い時期、家の中だったら、パンツ一丁で過ごすことも可能だけど、女はたとえ家の中でもきちんとした服を着ていなければならない。男はあぐらをかいても平気でいられるけど、女はきちんと正座していなければならない。
男は自分で子どもを産まなくていいから、楽して子どもを残せるけど、女は妊娠、出産をして、大変な思いをしなければ、子どもを残せない。
このように男は得なことだらけ、女は損なことだらけです。最近はイライラばかりが募ります。


まぁあからさまにツッコミ所が満載な訳ですが、ここは一つ律儀にツッコミを入れて行きましょう。

男には生理がないけど、女にはある。

まぁこれは不公平に思うのも分からなくはないですが、男にだって夢精というものが有って、それを経験すると物凄くやるせない気分になるんですよ!

男は立ちションができるけど、女にはできない。

小学生の頃、男がトイレの個室に入るのに、どれだけ気を使うか知らないんですか。しかも入る所を見付かったら最後ですよ。クラス中の男子に笑われるワケですよ。その点、女は苦労しないじゃないですか。

男は夏の暑い時期、家の中だったら、パンツ一丁で過ごすことも可能だけど、女はたとえ家の中でもきちんとした服を着ていなければならない。

いや、これは家の慣習であって、自宅で裸同然の格好をしてる女性も居ると思うんですが。少なくとも“きちんとした服”じゃなくても良いでしょう。

男はあぐらをかいても平気でいられるけど、女はきちんと正座していなければならない。

いやいやいやいや、明らかに女性だってあぐらをかいても良いし、益してや正座を強要されるって何時の時代ですか?

男は自分で子どもを産まなくていいから、楽して子どもを残せるけど、女は妊娠、出産をして、大変な思いをしなければ、子どもを残せない。

その子どもが確かに自分の子孫であると分かるのは女性だけです。まぁ最近はDNA鑑定とか有りますが、わざわざそんな調査をするって事は妻を疑うって事になる訳で、現実的には簡単な方法とは言えません。

全体を通じてみると、この18歳の女性は随分と旧い考え方をする家庭に育ったんだろうなぁ、という印象ですね。


2005年8月10日(水) ウェルテル効果

自殺は連鎖する。

著名人、特にカリスマ性の高い人物が自殺すると、後を追って自殺する人間が多く出現する。近年では、1998年にバンド『X Japan』のメンバーだったhideが自殺した際に、女性ファンの自殺が急増した。このような現象をウェルテル効果と言う。(hideは自殺ではなかったという説も有るが、ここでは別問題なので置いておく。)

ウェルテルという名称は、ゲーテの著書『若きウェルテルの悩み』に由来する。作中で主人公のウェルテルが自殺した事により、ヨーロッパで若年男性の自殺者が急増した為だ。

ウェルテル効果に拠る自殺の特徴としては、後追い自殺する人間が、その原因となった人物と同じ方法で自殺する、という点が有る。1986年にアイドル歌手の岡田有希子が飛び降り自殺をした時は、やはり後を追った人間の多くが飛び降り自殺を図った。実際、女性の飛び降り自殺者数は、1985年は49人だったにも関わらず、1986年には161人まで増加した。また岡田有希子自身、自殺の原因はレーシングドライバー萩原光が前日に自殺した事だったのではないか、という説も有る。

ウェルテル効果が発生してしまう要因としては、テレビや新聞などのメディアが著名人の自殺を美化してしまう事が挙げられる。勿論メディアは直接的に自殺を助長するような事はしないが、一方で自殺した人間の生前の美談などは積極的に報道する。これにより自殺した人間のカリスマ性が急激に高められ、それと同調したいという欲求を持つ人間を自殺に至らしめてしまう訳だ。

この「自殺した人間を美化する」という現象は近代になってからの特徴であり、実際に多くの国々では自殺は犯罪ではない。ところが歴史的には自殺は犯罪とされた時代が長く、特にキリスト教やイスラム教では自殺を禁じている為、自殺者の葬式を許可しないなどのペナルティが存在していた。その為このような時代には、ウェルテル効果は発生しなかったと考えられる。一方でヒンズー教では夫が死んだ場合に妻は焼身自殺をする慣習が有るなど、宗教に拠って自殺の捉え方は様々である。

また近年では、自殺系サイトに拠るウェルテル効果の発生も数多く、自殺の連鎖は益々増えているのが現状だ。自殺の予防策は幾つか存在するが、富山医科大学の研究に拠れば、魚を多く摂取する人の自殺率は、そうでない人の1割強にまで減少するという。

以上より今日の結論。

ウェルテル効果に拠り、自殺は連鎖する。


2005年8月9日(火) 寝てばかり

体力回復の日!


2005年8月8日(月) 帰って来ました

午前7時まで飲んでたのに、午後5時からも飲んでいるという現実。


2005年8月7日(日) 合宿で

飲んでばかりいましたよ。


2005年8月6日(土) 役に立たない文章を書く意味

僕にとって「日記を書く」という行為は、ある種のストレス発散になっている。日記サイトを作っている中では、似たような人も多いのではないか。

このサイトを含めwebに氾濫している日記や記事の大部分は、他の大多数の人達にとっては取るに足らないテキストだろう。「役に立たない文章なんか、チラシの裏にでも書け」と言う人も居る。僕自身、「こんなどうでも良い内容の日記を、わざわざwebで公開してもなぁ」と思う事が無い訳でもない。

しかしそれでも、それを人目に触れないチラシの裏に書き散らして「ハイ、終わり」と出来ないのは、露出狂の人が自宅で全裸になっても満足出来ないのに似ている気がする。

文章というのは、それを書いた人物の人間性の一部を表しているのは間違い無いと思う。多くの人達は、これを晒したくて仕方無いのだ。その曝け出す対象が特定の集団(友人とか)だったり不特定多数だったりと違いは有るものの、どちらにせよ「他人に自己を露出させたい」という欲求が底辺で流れている事に変わりは無いように思う。

以上より今日の結論。

役に立たない文章を書いて何が悪いのか。少なくとも書いた本人には、充分に意義が有る。ある意味で「webに日記を公開する」という行為は、「自己の露出」であり、その為にストレス発散の効果が有る。

「その役に立たない文章を読まされる読者の立場はどうなるんだ?」という意見は有るだろうが、それはそれで別の問題だと思う。


2005年8月5日(金) 合宿

実は明日からサークルの合宿に行ってきます。今年は本当に一部のサークルメンバーにしか僕が行く事を伝えていませんが、僕がサプライズ的に合宿に来たからと言って、何か特別に感動したりとかする人は皆無でしょう。行き先は群馬県沼田市利根町。月曜日に帰って来ます。


2005年8月4日(木) 定理

ここにホモビデオとレズビデオが在ったとして、少なくともどちらかを見なければならない。さて、どっちを見るか?

以上の質問に対して、大半の男性は「レズビデオ」と答えるだろう。男性の裸なんて見たくない、けど女性の裸は見たい。僕自身もそうだ。だから迷わず「レズビデオ」である。

じゃあレズビデオと普通のアダルトビデオが在ったら、どうするのか? 多くの男性は普通のアダルトビデオを選択すると思われる。しかし、さっきの「女性の裸は見たいが、男性の裸は見たくない」という原則に則れば、レズビデオという事になるハズだ。

では何故、多くの男性は普通のアダルトビデオを選択するのか。この謎を解明する為には、『男性は女性の裸以上に、男女に拠るセックスを見たいのだ』という命題が真である事が必要不可欠であるように思える。うん、きっとそうに違いない。ここに新たな定理が成り立つ事が証明された。

定理:男性は女性の裸以上に男女に拠るセックスが見たい。

ところが、僕の個人的な趣向の話をすると、どっちかと言うと普通のアダルトビデオよりも、レズビデオの方が好きだったりする訳である。という事は、『KASAは男女に拠るセックス以上に女性の裸が見たい』という定理が成立してしまう事になってしまう。

まぁ或る意味、純粋だと言えるんではないか、と。言えませんか、そうですか。


2005年8月3日(水) 婚約指輪

婚約指輪に給料3ヶ月分も掛ける必要は無い。

婚約指輪の歴史は紀元前まで遡る事が出来るらしいが、それが広く伝わったのは西暦2世紀くらいだと言われている。19世紀までは婚約指輪と結婚指輪に差異は無く、1つの指輪で兼用していた。しかしキリスト教が婚約指輪を「邪教の慣習」とした為に、婚約指輪を贈るという慣習は一旦廃れる事となった。

再び婚約指輪が広まったのは、キリスト教が結婚指輪の交換を許可した10世紀になってからである。現在では一般的な、ダイヤモンドの婚約指輪が流行し出したのは15世紀後半からで、主にヨーロッパの貴族が好んで贈っていた。しかし当時はまだまだダイヤモンドの婚約指輪は高級品で、一般庶民に普及したのは、南アフリカでダイヤモンドの産出量が急増した19世紀後半からだと言われている。

日本でダイヤモンドの婚約指輪が流行したのはかなり遅く、1970年代になってからである。ダイヤモンド原石市場をほぼ独占しているデ・ビアス社が、「婚約指輪は給料3ヶ月分」という、あまりにも有名なフレーズで宣伝し始めたのである。ちなみにデ・ビアス社は、アメリカでは「婚約指輪は給料2ヶ月分」というフレーズで宣伝しており、何か日本がカモにされている印象を受ける。

では実際に「婚約指輪は給料3ヶ月分」は幾らくらいなのだろうか。人口動態統計月報年計概数(平成9年)に拠れば、日本の男性平均初婚年齢は28.5歳であり、賃金構造基本統計調査報告(平成9年)に拠れば、25〜29歳大卒男性の平均月収は25万9600円だった。となると婚約指輪の相場は、約78万円という事になる。

これは大変な価格である。この上に結婚指輪も買ったりする訳である。簡単に100万円を超えてしまう。結婚式にも膨大な費用が掛かるのに、一体どれだけの出費が強いられるのか。

ただ日本人も強かなもので、デ・ビアス社の「婚約指輪は給料3ヶ月分」というキャッチフレーズを鵜呑みにしていないデータが存在する。1998年のシチズンの調査では、「結婚指輪はいくら位が妥当と思われますか?」というアンケートを実施しており、この全回答の平均数値は57万円であった。これなら給料2ヶ月分ちょっとである。

一方でこのアンケートは男女差が際立つ結果となった。男性平均は45万円だったのに対し、女性平均は63万円だったのである。予想通りと言うか、やっぱり女性は高い貴金属が欲しいものらしい。

しかし現実は女性に厳しい。ゼクシィの調査に拠れば、実際の婚約指輪の平均購入価格は約37万円で、これは給料1.5ヶ月分程度である。僕はもっと安くても良いと思う。

以上より今日の結論。

婚約指輪に給料3ヶ月分も掛ける必要は無い。婚約指輪の平均購入価格は給料1.5ヶ月分程度である。


2005年8月2日(火) 初夜権

中世ヨーロッパでは権力者に、結婚初夜の処女と性行為をする権利が与えられていた。

新たに夫婦となったカップルにとって、結婚初夜というのは特別な意味を持つものだと思われるが、中世ヨーロッパでは権力者に対して、新郎よりも先に花嫁と性行為を行う権利が法的に認められていた時代が存在する。この権利を初夜権と言う。時代を考えれば、殆どの花嫁は処女だっただろう。その初めての相手が、愛する夫ではなかった訳である。

この初夜権は成文化はされていなかったものの、古代から未開部族を中心に広く見られた権利である。当時は処女との性行為に於ける出血が不吉なものと考えられており、その災いを取り払う為に一族の祭司や呪医などが処女と交わっていた。花嫁の婚前交渉の有無を確かめる意味も有ったとされる。我が国でも西日本を中心として、14歳を迎えた娘達が長老に身を捧げるという、似たような慣習が存在した。大分県の「ぼんぼぼ」という祭事などが、それに当たる。

そして初夜権を初めて成文化したのが、中世ヨーロッパである。「災害を忌避する」という目的は同じだったものの、しかし中世ヨーロッパでの初夜権が他地域のものと決定的に違ったのは、新郎が一定の税金を納める事により初夜権を拒否できたという点だろう。この時点で恐らく初夜権は、権力者の性的欲求を満たす為だけの形骸化した慣習となっていたと考えられる。

ただ一方で初夜権は「新郎が一定の税金を納める事により初夜権を拒否できた」という性質から、実質的には“結婚税”と化して実際に処女を領主などに捧げた女性は少なかったという説も有る。確かに支配地域内の人口に拠っては、初夜権をフルに活用していたら領主の方が倒れてしまいそうである。

以上より今日の結論。

中世ヨーロッパの権力者には、処女権が法的に与えられていた。


2005年8月1日(月) 貴金属特効

五反田へ。結局女の子は貴金属に弱いという、そういうお話。


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