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2005年4月

DIARY MAIN

2005年4月30日(土) O&N

早朝の新幹線で東京に戻り、サークルに行ってバイト2件をこなし、一旦自宅に帰って後に後輩2名(O&N、共に5年生)とラーメンを食べに行きました。店はラーメン○二郎赤羽店。ココは麺の量が多い事で有名ですが、僕は昼食にピザの食べ放題、バイトでそれぞれケーキを1個ずつ食べた状態で行きました。それでも余裕で完食。「本当は小食なんだけど」という台詞は、しばらく使えないっぽいです。

その後は一方の後輩宅(O)に泊まりに。居心地が良くて別荘のようです。次の日の計画を立てつつ就寝。

という訳で今月は月末に体重を計る時間が無かったので、ダイエット計画は5月1日の数値を採用する事にします。それに拠ると今月は1.6キロ減で累計8.2キロ減。5月は1.8キロがノルマになります。実は今月は実質的にはそんなに痩せてない筈で、1日に動き回ったのが幸いしたのでした。ふぅ、危ない危ない。


2005年4月29日(金) 

昨年11月に結婚した従姉妹が今月1日に出産したので、その子供を見に行きました。

28日のバイトを終え、最終の上越新幹線で新潟県燕三条へ。3人席の真ん中だったのですが、両脇の女性が共に美人でウキウキ。某御方方から「写メを!」とか「ナンパだ!」とかいう指令を受けましたが、ヘタレですんで両方とも出来ませんでした。ってか、後ろの席には母親が座ってたんですが。

駅について車でさらに小一時間ほど進み、取り敢えず母親の実家へ。既に午前1時でしたので、その日はそのまま就寝。

次の日、従姉妹が子供を連れてやって来ました。彼女と会うのは結婚式以来でしたが、やはり中学生の頃と全く変わっていないです。平日昼間に歩いていると警察官に呼び止められる(当人は22歳看護師)そうで、何年かしたら「姉妹ですか?」と言われる親子になるに違い有りません。本人に悪意たっぷりに「昔と変わらないね」と言ったら、「そんな事ない!」と強く否定されました。

さて、肝心なのは従姉妹よりも子供です。赤ちゃんです。赤ちゃんは女の子でした。そこで取り敢えず名前を聞いてみました。すると名前は――





萌(もえ)





なにーっ!? いや『萌』という名前が実は人気が有るとか、そういう話は知ってたんですが、オタクな僕からしてみたら彼女が成長した時代にも「萌え〜」なんて言葉が残ってたら激しく嫌と言うか何と言うか。

まぁでもそんな萌ちゃんに、僕は萌え萌えだったりする訳ですが。

さて、萌ちゃんの写真を公開です。(両親の許可無し)



やべー、なんじゃこの可愛過ぎる生命体はー。去年の結婚式を見てちょっと結婚したくなったと書きましたが、今度はちょっと子供が欲しくなりました。影響され易いのかな、俺。

もう萌ちゃんのお世話しまくりですよ! 母親である従姉妹が『真・三国無双』なるゲームを始め出して、その間1時間以上抱きっ放し。最初は激しく泣かれましたが、30分くらいで眠ってくれました。


↑従姉妹がやってるゲームを眺めながら萌ちゃんを抱っこし続けるkasa

言うまでもなく萌ちゃんはまだ喋れませんが、しっかりと耳元で「あきみつ(←僕の本名の下の名前)おじさんは良い人だからね」と、刷り込みのように何回も囁いておきました。これで萌ちゃんが成長しても、僕の事が大好きな可愛い少女になる事は間違いありません。従姉妹には激しく嫌われましたが。

色々あって、従姉妹の旦那さんとは会えず。同い年なので是非とも喋ってみたかったのですが。夜には従姉妹の父親(つまり僕の叔父さんですが)と飲みました。この叔父さんは滅茶苦茶厳格な人だったんですが、孫が出来てすっかり丸くなったようです。孫の力、恐るべし。

あー、マジで子供欲しー。


2005年4月28日(木) 考えた事5

僕は鬱病である事を公開しているが、その原因については曖昧に書いている事が多い。別に隠す事でも無いので言ってしまうと、数学が分からないからである。

自慢以外の何物でもないが、僕は大学2年まで数学で苦労したという事が無かった。小学4年生で中学生の内容までは全て履修していたし、中学3年生の頃には東大の過去問を解いていた。多分、当時既に東大受験生の平均点以上は取れていた筈である。大学に入ってからも状況は同じで、数学の講義は入学直後に1回出席しただけで、後は全く出なかった。数学の試験でも範囲はテキスト100ページくらい有ったが、3時間くらいで一通り読み終わったし、後は頭の中で証明し切れなかった定理を2,3個チェックするだけで楽に“優”が取れた。

一方で不幸自慢以外の何物でもないが、僕は決定的に記憶力が無かった。いつか書いたと思うが、アルファベット26文字(大文字・小文字を区別すれば52文字)を覚えるのに3ヶ月かかったし、掛け算の九九を覚えるのにも3ヶ月掛かった。この“3ヶ月掛かった”と一言で書くのは簡単だが、毎日1日8時間くらいやっての3ヶ月である。ハッキリ言って致命的なまでに、記憶能力というのが欠如していた。小文字のfとqを覚えるのだけで、1ヶ月くらい掛かっているのである。そういうレベルなのだ。

それが原因で大学では語学の単位が取れずに2年留年した訳だが、それだって全然勉強していなかったかと言うと実はそうでもなく、少なくとも英語などは殆ど全出席していた。東大では英語は出席点というものが有り、全出席していればそれなりに点数が加算されるのだが、それでも最初の3年間は不可を取り続けた。普通は全欠席しても単位は取れるものだそうだ。去年ようやく英語(と中国語)の単位が来た訳だが、そこに至るまでに直前の1ヶ月は300時間くらいは勉強した筈である。英語ばっかり。死ぬかと思った。と言うか、試験勉強後半ではアルファベットを見ると気持ち悪くなって、本当に吐いたりしながら勉強していた。あまりにも情けなくて泣きながらノートにひたすら英文を書き写したり、日本語に訳したりしていた。そこまでやって、辛うじて“可”である。

そんな状況の中でも僕が『開成→東大』という受験的には難関なコースを歩めたのは、どう考えても数学(算数)の御蔭である。数学というのは、僕の唯一の心の支えだったのである。僕は小学生時代に、塾を3ヶ所・スイミングスクール・お絵描き教室・ソロバン教室・少年野球チームに同時に通っていた時期が有るが、どれもこれも才能が開花したどころか、その片鱗も見当たらないようなモノばかりだった。スイミングスクールではクロールや平泳ぎは割合すんなりと出来たのだが、背泳ぎ25メートルのクラスを合格するのに1年間かかった。普通は1ヶ月で合格である。

「どんなに詰まらない人間でも取り得の1つや2つは有るものだ」という言葉が有るが、僕はそれを結構信じていて、僕にとってそれは数学だった。だから今、数学が分からなくて、とても苦しい。


ナンちゃってばっか言っちゃって ツッコめない
本当はもうちょい踏み込んで なんだって知ってたい
恋愛観も将来設計も聞きたい
あーだこーだ言って もっとくっついてたい
今日はナンかちょっとだって ヘコんだ
ダイジョーブって言ったけど ちょっとヘコんだ
携帯は着信もないまんまのミッドナイト
そんなんだって恋は勇気になる   ――鈴木 あみ (THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY)


2005年4月27日(水) 考えた事4

例の列車脱線事故、先輩の妹の同級生が亡くなったらしい。被害者そのものの悲劇は勿論、被害者の関係者の悲劇というのも物凄いモノが有るような気がする。

こういう事件が有った場合、僕達は多分“被害者の親類の知り合いの知り合い”くらいまでに被害者が居ると、その事実を知ったりする。1人の死者に対し、30人の親類が居たとして、その親類それぞれに250人の知人が居たとして、さらにその知人それぞれに別の知人が200人くらい居たとする(“知人の知人”が単なる“知人”の場合を除いた)と、それだけで被害者の関係者は30×250×200=150万人にもなる。今回の事故での死亡者数は約100人。単純計算で150万×100=1億5千万人という“被害者の関係者”が存在する事になってしまい、日本の人口を超えてしまう。

無論、実際ここまでは極端な話ではないにしろ、死亡者数100人というのはそれだけ巨大な規模を持った何かを内在する程の事故であり、あまりにも物凄い規模過ぎて途方も無いと言うか想像も付かないと言うか、とにかくそれだけ圧倒的な存在である。

……そんな一方で僕は明日、新たな生命の誕生を祝って来たりするのだ。ココまで激しく揺れ動くものなのか、状況というヤツは。


2005年4月26日(火) 小説

前回(SKIM OVER STORY 第1話『仔猫1』)/過去ログ

SKIM OVER STORY 第2話『仔猫2』

 ――1990年10月6日(土)

 小学校が終わって帰宅しようと校門を越えた所で、背後から急に声を掛けられた。悟だ。私の可愛い弟。
「姉ちゃん、一緒に帰ろ!」
 私は頷き、そして再び歩き始めた。が、さして進まぬ内に、悟が忘れ物をしたと言って教室に戻って行ってしまった。
「先に行ってて」と言われたので、私はゆっくりと自宅に向かった。
 途中、学校近くの空き地で何人かが争っているのを見掛けた。一人はバットを振り回しているようだ。ただの喧嘩にしては、物騒過ぎる気がする。それとも、これくらいが彼らにとっての普通なのだろうか?
 どうも小柄な一人が集中的に攻撃されているらしい。イジメ、というヤツだろうか。
 そして私はそれを止める事もなく、何も無かったかのように、その場から離れた。変な事に巻き込まれたくなかったし、私一人で何か出来る訳でもない。
 ――私は「イジメはいけない」という安っぽい、しかしそれでも大切な正義感すら失くしてしまったのだろうか?
 失くしてしまったのだろう、と思う。そして、こうも思う。
 ――私は、いつからこんなにも子供じゃなくなっていたんだろう?
 そんな自分に対して何処となく不気味さを感じている現実に、私は気付いた。
 同時に、全く同じ事を8日前にも考えていたという事実を、私は認識した。
 何故か自然と笑みが零れた。

 空を越えて赤と青が混ざり合い、それは異質な存在へと変貌し、そして――
 あぁ、あぁ、なんて素敵で綺麗で……なんて醜い。そして私は――

 突然、私の視界に何かが飛び込んで来た。――猫だ。仔猫。先週に悟が拾って来たのとは、種類が違うけれど。
 その小さく憐れな存在は、しかし私を塀の上から泰然と見下ろしている。そして一つ、大きな欠伸。
 私が静かにジッと見詰めていると、その仔猫は塀の向こう側に飛び降りて行ってしまった。
 私は猫が嫌いだった。猫は気紛れな動物だと聞く。それがなんだか自分と同属な気がして――堪らなく、嫌。
 私は――きっと私は、誰も何も好きになれないんだ。人も、動物も、何もかも。好きになる資格も無いんだと思う。
 全てが美しく――同時に穢らわしく感じてしまう私には、きっと無理なんだ。
 赤と青。それが大空で混ざり合ったのが、私――

 結局、私が家に着くまでに悟が追い付いてくる事は無かった。忘れ物が見付からないのだろうか? それとも――
 純粋な悟……正義感の強い悟――あぁ、そうだ、きっと悟はイジメを見逃したりなんかしない。私とは違って。
「大丈夫、かしら……」
 少し心配になると同時に、何だか安心した。私がどんなに変わっても――どんなに子供という枠から逸脱しようとも――彼が私の可愛い弟である事に、変わりは無いのである。

次回、SKIM OVER STORY 第3話『出会い side:A』――2005年5月8日掲載予定。

【後書き】
弟を持つ女性にはブラザーコンプレックスの人が多いと聞く。正直、僕には兄弟愛とかを理解出来ないのだが、それが過剰に行き過ぎてしまった形というのは、こんなんではないかなぁと思ったりしている。一方で自分は汚い人間なんだという思い込みも割と一般的な感情のようだし、こちらは僕にも理解できる。ただこの手の場合、実際に何らかの原因を自ら引き起こしていたりするのが常で、だから強ち「自分は〜〜」と考える事は誤ってはいない。平松泉の場合もそうで、恐らくハッキリと原因が自分の中に有る。それを正しく認識するのが難しいんだけど。


2005年4月25日(月) 考えた事3

嘘とは虚偽の内容を報告する事だけではない。例えば状況によっては沈黙する事が嘘に成り得る。知っている事を知らないかのように振る舞う事も、嘘の一種だろう。

嘘を上手く付くには、なるべく他に影響を与えない部分で、しかし出来る限り根源的な箇所で偽る事だ。そしてもう一つ重要だと思うのが、必要でない――自分の状況を全く有利にしない、時には不利にさえしてしまうような――嘘も適度に混ぜる事だ。これにより嘘には一定の方向性が失われ、結果として嘘を付かれた方にとっては嘘か真実かの判断基準が大きく削られる事となる。

しかし以上で書いたような嘘のテクニックは、あくまでも基本原則に過ぎない。世の中にはもっと圧倒的な――正に実も蓋も無いような嘘が存在する。信じていたのに――などという淡い期待は一掃され、何処までが真実で何処からが嘘なのかの境界が、想像すら付かなくなってしまう程の驚異的とも言える嘘が。

そういう嘘を付かれた場合、大抵は嘘を嘘とも思えぬままに時が過ぎ去って行く訳だが、所詮は人間のする事なので完全という事は無い。完全な嘘も存在しない。どんなに途方も無くても、それが嘘だとバレる可能性は常に存在する。

ひょんな事から嘘を見破ってしまったとしよう。この時、嘘の発言主にその事実を突き付けるかどうかも大問題だ。特にその嘘が余計な波風が立たないように、という特に悪意が有る訳でもなかった嘘の場合――でも真実を知って傷付いた人が発生してしまった場合、これはどうすれば良いのか?

こんな時、僕は本人に真相を聞き出したい気持ちで一杯になるのだが、これは自分の好奇心を満たすだけで、その嘘を付いた本人の事はまるで気に掛けていなかったりする。実はそれが割と好意を寄せている相手だろうが何だろうが、そして恐らく僕の為に嘘を付いたのだと半ば予想されながら、それでも真実を当の本人の口から聞きたいという衝動は抑えきれない物が有る。

嘘――虚偽の内容の報告ではなく、沈黙を以て成す嘘。そういう嘘がバレなかったら、どんなに楽だろうか。


木曜日(28日)に都内某所で20時30分まで家庭教師をした後、21時46分の最終新幹線で燕三条(新潟)へ。土曜日(30日)は7時3分の新幹線に乗り込み、10時からサークル、15時から家庭教師1件目、18時から家庭教師2件目というハードスケジュール。従姉妹の赤ちゃんはガッツ石松に似ているそうです。ちなみに女の子です。


2005年4月24日(日) 閑話休題

『考えた事』シリーズは今日はお休み。

関連リンク1:「これ以上ないくらいムダな話 2005年4月21日」(『風ノコエ』

これを読んで何となく思い出したのが、自分が以前に書いたテキストだった。

関連リンク2:「両性具有願望」
両性具有は人間の理想形と考えられて来た。人間には両性具有願望が存在する。

有性生殖をする生物が雌雄2つ1組で両性具有の体を成していると考えれば、単一性の空間に於いて雄の雌化あるいは雌の雄化が起こり得る事は想像に難くない。

ホモやレズの話からは離れるが、以前は男性の女装が多かったのは事実である。気性が激しい事で有名な織田信長も、祭りの際には一般民衆の前で堂々と女装して参加したと言う。


今週、山奥に籠って来ます。土曜日に帰宅予定です。


2005年4月23日(土) 考えた事2

医療漫画『ブラックジャックによろしく 第11巻』が発売された。現在は精神科篇をやっており、鬱病の僕としては見逃せない漫画の一つである。(但し漫画で描かれているのは、殆どが統合失調症の患者である。)

このエピソードの中に、「寂しい」という感情を紛らわせたくて適当な男と次々に肉体関係を持ってしまう少女が描かれている。ドラマなどでは割と平凡な設定だが、この少女の気持ちは何となく分かる気がする。少女は「1人にしないで……」と心の中で叫びながら、男の前で裸体を晒す。

この少女は男を利用しているだけだ。自身の寂しさの紛らわせの為だけに、身体を重ねている。一方で男の方は自分の性欲を満たす為に、少女を抱く。言わば、男女共に寄生していると言うか、まぁ良く言えば需要と供給がマッチした共存共栄なのだが。

この手の話について常に問題にされるのは、(望まない)妊娠と性病に関する事だ。ところで漫画中の少女は妊娠をし、それが大元の原因となって精神病棟に入院する事になるのだが、ここで微妙な問題なのは、妊娠や性病を防ぐ――まぁ基本的手法としては男性のコンドームの使用だが――さえ行っていれば、この少女はセックスをし続けても良かったのだろうか、という事である。

作中の精神科医と少女とは、以下のような会話を行っている。

精神科医:私はあなたにあなたの信じていない事を押しつけるつもりはありません……。もしもここを退院したいと言うのならば自由だし……あなたの性についても何も申し上げる事はありません……。
少女:私はヤリマンですか……?
精神科医:性の価値観は自由です……。SMだろうが乱交だろうが……そこにお互いの合意があり法に触れない限り価値観の問題です……。絶対的な正常と言うものはありません……。多数派は正常で少数派は異常……ただそれだけの事かもしれないんです……。
少女:先生のお話は難しくてよく分からないわ……。
精神科医:私は医者です……。妊娠と性病には十分に気をつけて行動して下さいと言う事です……。

台詞の言い回しには漫画的なものを感じるが、言っている内容そのものは当たり障り無いと言うか、まぁこう言うしか無いだろうな、という事しか言っていない。というのも、これ以上この話題に関して深く掘り下げるには、性倫理という確立しているんだかしていないんだかも分からない、極めて不安定な理論を持ってこざるを得ないからだ。勿論そういう論理を振りかざす人も居るのだろうが、それは単なる感情論に終始しがちだ。

ただこの少女には、もう一つ気になる点が存在する。作中では小沢と言う統合失調症患者がこの少女に恋心を抱き、そして少女も満更ではない感じだったのだが、彼女は病棟内で全く別の男性患者とセックスをするという“事件”を引き起こす。男性に無理矢理という訳ではなく、少女の方から誘ったのである。この事について精神科医と少女は次のような会話を行っている。

精神科医:ひとつお訊きしてもいいですか……? なぜ小沢さんじゃなかったんでしょう……? あなたのセックスパートナーとなるべき人は……小沢さんではないんですか……?
少女:あの人は違う……。あの人は汚しちゃいけないの……。
精神科医:それはつまり……小沢さんが特別な人と言う事ですか……? これは私の価値観ですがね……私は特別な人としかセックスをしません……。

ここからは少女がセックスを汚らわしいものと捉え、だからこそ自分の好きな小沢を相手にはセックスを出来なかった、というニュアンスが感じられる。これは少女がセックスを寂しさの紛らわせの手段として考えている事が影響しているものと思われるが、それにしても何かが腑に落ちない。セックスする基準というのは、大多数の人が精神科医の言うように「特別な人としかセックスをしません」という事だと思うのだが、そういう常識に囚われているいないに関わらず、もっと根本的な処で何か違和感が有る。

“寂しさの紛らわせ”という行為は“汚らわしい”のだろうか。セックスに限らず、寂しさを埋める為に特別な人を(言い方は悪いが)利用するのは汚らわしいのか?

――うーん、まだ何か“違う”気がするな。考えが纏まり切らないので今日はココまで。


すっかり忘れていましたが、30万ヒット達成しました。有難う御座います! 記念に、と言っても誰も嬉しくないと思いますが、新しい写真を公開。今まで公開していたのは4年前の写真でしたので、数日前に撮ったものに切り替えました。前の写真よりも明らかに顔がふっくらしているのが判りますね。後輩曰く、これでも「かなり写りの良いヤツでしょう」との事。実際の僕はもっと変な顔らしいです。


2005年4月22日(金) 考えた事1

好きな異性に告白するという行為が意味するものは何だろうか。

普通に考えればそれは、両者がお互いに“恋人”という“友人”よりも強い関係である事を確認し、一定期間その関係を保ち続ける為の契約だと考える事が出来る。“契約”という単語に拒否反応を示す人は居るかも知れないが、大筋では間違っていないと思う。

勿論個人によって“恋人”の定義は違うし、そういう認識の違い(価値観の違い)に拠って上手く行かなくなって別れてしまったカップルは多いと思うのだが、それはあくまでも局所的な感情の差異に過ぎず、恋愛というものを大局的に捉えようとする場合に於いては問題にならない。

寧ろココで問題にしたいのは「どのくらい好きならば告白に至るべきなのか、何処までなら止めた方が良いのか」という事である。と言うのも、例えば僕は「何が何でもこの相手じゃないとイヤだ」とか、そういう風に思えた事が無いのだ。

この書き方は誤解を受けそうなので補足させてもらうと、「何が何でもこの相手じゃないとイヤだ」と思わないと言っても、それは別に「誰でも良いや」とか思ってる訳ではなく、少なくともその時点で僕の中では1番の女性である事は間違いが無い。僕は割と冗談で「(彼女になってくれるなら)誰でも良いや」という発言を頻発するが、これは別に「多くの女性は嫌いではない」というレベルの意味で、当たり前だが本気の本気で何人もを好きだとか、そういう訳ではない。

本気で好きだったら告白するし、実際に今までに告白した女性は3人いた。(ちなみに告白された事は無い。)23歳で3人というのが多いのか少ないのかは分からないが、まぁ「多過ぎる!」というレベルでない事は確かだろう。そうなると少なくとも相対的に見れば、僕の本気はそんなに本気じゃない訳でもなさそうだ。(知り合いに年に5回くらい告白する奴がいるが、そいつよりは真剣だと言えるに違いないと密かに思っている。)

ただそれでも「何が何でもこの相手じゃないとイヤだ」と思えないのである。まぁそういうのも自分ではアリだと思っていたりするのだが、例えば名作漫画『タッチ』では、「何が何でもこの相手じゃないとイヤだ」と思えるくらいじゃないと本気とは言えないそうである。(南ちゃんのお父さん談。)他人に訊いてみても、実際にそこまで固執するかどうかは別問題として、そういう風に思うというのは割とメジャーなようだ。

そういう話を訊くと僕の本気というのは本当に本気なのか、という疑念が湧いてくる。自分で本気だと思ってるなら、まぁ良いじゃんという考え方も有るのだろうが、問題なのはその解答では僕自身が納得しないという事である。

こんな事を書いていると、「今までの告白は全てそんなモヤモヤとした感情の上での事だったのか、失礼じゃないか」とか言われるかも知れないが、こういう風に考え出したのが最近なのだから仕方ない。

全く同じではないにしろ、似たような事を考えた事が有る人というのは、それなりの数が存在する気がする。この辺りの問題をどのようにクリアするのかが、現在の僕の第一の問題点だろう。(と言っても、誰かに告白しようとか、そういう次元で悩んでいる訳ではない。)

だから言葉なんて要らないという事で、とりあえず手を握るところから始めようか。
怒っていいですか?
ダメ。でも手は握って欲しいしキスもそれ以上の事もして欲しいお年頃、俺。
紀田くんは、誰にでもそんな事言うけど……本当に好きな子は誰なの?
俺? 好きだって告白した奴はみんな好きだぜ? 心からな! もちろん杏里の事もムッチャ好きだから。いやマジでマジで。   ――紀田 正臣 & 園原 杏里 (デュラララ!!×2 56頁)


帰宅して母親に「御飯食べるの?」と言われ、お腹が特別に減っている訳でも無いが好きな物だったら食べたい、という腹具合だった僕は、「今日は何なの?」と聞き返すと、「御飯だよ」と返された。「だから、御飯って何なのよ?」と訊くと、「御飯って言ったら白い米の事に決まってんだろ!」と怒鳴られた。「日本語で『御飯』というのは確かに『白米』を示す場合もあるが、どちらかと言えば『食事』を意味する事が多い。僕はそっちの意味で訊いているのだが」と言うと、「白い米だって言ってるだろ!」と再び怒鳴られた。そこで「食事内容を聞いて白い米とだけ答えるという事は、おかずは何も無く米だけを食べさせるという事を意味するのだろうか、それならば今は要らない」と答えたら、「おかずは魚に決まってるだろ、魚だよ!」と三度怒鳴られた。「何故そのように決まっていると言えるのか、その理由が全く分からないんだけど」と言うと、「お前は理屈っぽい。言葉が通じない。人間じゃないからだ」と日頃から毎日のように言われ続けている言葉を投げ掛けられた。確かに僕は理屈っぽい人間だからそこは否定し無いが、恐らく母親の方が日本語は通じない。


2005年4月21日(木) しばしの休息

ちょっと考えたい事が出来たので、日記は休むかも知れません。考えた事を日記に書くかも知れませんが。

私信:何週間か大学にも行かないと思いますが、元気だと思いますんで心配とかは不要です。何か特別に用が有る人は、平日昼間は本駒込図書館に居ると思います。自宅に直接来るのは厳禁です。携帯に出るかどうかは不明です。


2005年4月20日(水) 人生の豊かさ

高校野球で「甲子園には魔物が棲んでいる」という言葉が有るが、そんな事は非常に当たり前な気がする。

野球というスポーツは一見、投手と打者の対決の連続に見えたりする事が有るが、実は守備陣は打者の特性に応じて守備位置を変えたりするし、巧い人になると投手が球を投げた瞬間に動き出し、適切な守備位置に移動したりする。状況に応じて打球の軌道を予測する訳だ。

つまり野球とは局所的にすら独立した1対1ではなく、多数の1対1が絡み合った状況で展開されるスポーツであると言える。そんな複雑化した場に於いて、“何か”が棲んでいない訳が無い。そもそも人間が2人も居れば、その間隙には沢山の“何か”が展開される訳で、そういう風に考えると“何か”が無数に重なり合った存在を“魔物”と表現するのは、割と自然のように感じるのだ。

それを限界まで単純化して――つまり人間が2人だけいた時の事を考えてみよう。その時、その2人の間に何が起こっているのか、傍からは分からない。それどころか本人達にも本質は掴めていなかったりする。2人の間それぞれの“何か”の存在で、双方がもう一方を直視できないとでも言うか、とにかく当人同士の事の筈なのに、何故かサッパリ事態を飲み込めないとか、そういう思いをした人は多いのではないか。

もっと困った事に、言わば与えられた仮初の現実を否定不可能な完全なる現実だと認識してしまう事で、実は必要の無い所で落ち込んだり、逆にぬか喜びしたりしてしまう事が有る。別に一喜一憂するなという訳ではないのだが、もうちょっと見方を変えたりする事で随分と認識が変わるんじゃないのかな、という――

『フリクリ』という小説のヒロインに、「ときにはまずいラーメン食ってみたりするのも人生の豊かさってやつ」という台詞が有る。僕はこの言葉が非常に好きなのだが、それは何処と無く現状がどんなに不利で悲惨なものだったとしても、それでも前進していくという強い意志というか、ある種の蟠り(わだかまり)を吹っ飛ばすだけの力を感じるからだ。これこそが究極の現状肯定であり、そこで初めて“進歩”という道を歩めるのではないか――そんな気がする。


歩んだ道を正確に戻る事は不可能だ。そこには必ずズレが生じる。
それは後退の失敗ではなく、別次元の前進である。   ――kasa


2005年4月19日(火) 意思疎通可能性

当然だが自分は他人にはなれないので、本当の意味で他人を理解するのは不可能である。理解したと思っても、その実体は自分の中で勝手に作り上げた他人であったりして、それは他人自身でないばかりか、往々にして他人の中の他人(つまり自身で作り上げている外観的イメージ)とも異なっている。

例えばセックスの快感は「女性は男性の10倍以上気持ち良い」とかいう話を聴いたりするが、そんな事は「気持ち良さに10倍も何もあるか」などという根源的な否定を含まずとも、実証性は皆無に等しい事は明らかである。もしかしたら女性の快感を電気信号に変えて男性にも流してみれば分かったりするのかも知れないが、そうなると今度は全く同じ出来事に出くわしても個人それぞれで受け取り方が違う、という問題で躓いてしまう。

……と、ここまで来ると自明だが、性差などはホンの小さな問題で、実際には同性だろうがどんなに近しい親友だろうが、実は自分は相手の何も理解していないのではないか、という気がしてくる。

ところが少なくとも自分の中では、それぞれに於いて理解度が異なっていると考えているのも事実である。例えばそこらの犬・猫と友人とを並べた時、「両方とも理解できないから、自分にとっては同程度の存在だ」と言う人は、まずいない。(犬・猫フリークは除く。)

この差は何処から生まれるのかを考えると、まずは「意思疎通できるか否かかな」と思ったりする。不思議な事に僕達は他人の事を何も理解していないのに、主に言語という媒体を通じて意思を疎通させる事が出来る。仲が親密だったりするとアイコンタクトで意思が伝わる事も多い。

しかしさらに考えてみると、例えば英語を全く話せない日本人が英語しか話せないアメリカ人を全くの異生物のように感じるかと訊かれれば、これは多分に否定せざるを得ない。ある程度はボディランゲージなどで意思疎通が出来る、という事を差し引いても、それはハッキリと否定する事が出来る。

では、これは何故なのか? ここで重要なのは意思疎通そのものではなく、“意思疎通可能性”の方であるようだ。英語が全く話せない日本人でも、その知り合いにアメリカ人と英語でコミュニケーションを取れる人は居るかも知れない。仮に居なくとも、何らかの情報媒体を通じてそういう人が居る事を我々は知っている。

だから逆にどんなに人間に近しい姿を取った宇宙人(地球上の言語は話せない)が現れたとしても、最初は意思疎通可能性が有ると考えて近付くかも知れないが、一旦それが否定されれば全く言語が通じなくとも未開の地に住む地球人の方に親近感を抱くのではないだろうか。

以上より今日のイイタイコト。

我々の仮初の理解は、意思疎通そのものではなく、“意思疎通可能性”から生まれている。そこから理解しているモノは、相手でも自分でもない。相手と自分との中心に位置する“何か”だ。


2005年4月18日(月) デスノートとハンターハンター

今日の日記は週刊少年ジャンプを読んでいないと意味不明です。

『デスノート』連載再開――

な、なんなんだ、この展開は! ニアは予想通りだが、問題はメロ(↓)。少年漫画誌上、ここまで凶悪な顔付きの正義の味方(しかも女性)がいただろうか!?



ってか、悪役だろ? 明らかに。こういうのを「自明」と言うんだ。そもそもメロの部下が「(デスノートを)一冊得れば殺しは簡単に…」とか言ってるし。殺す気満々かよ、と。

どうやらニアが基本的にL路線で、メロは甘い物好きという要素だけを引き継ぎ、その他は敢えて正反対のキャラクター(強引な手法を用いるなど)にしているようだが……この3つ巴路線、果たして巧く行くのか? ってかニアとメロは何故に協力してないの!? 謎だ……。その辺の過去の話なんかも今後に影響してくるのかな?

『ハンターハンター』は最近は、「なんでこんな雑魚戦に何週間も掛けてるんだよ」とか思っていたのだが、今週号は作者らしい展開。しかしここでまだ雑魚戦が続くとは。せめて師団長クラスが相手じゃないと盛り上がらないと思うのだが。あと旅団を絡めたいのか絡めたくないのか、イマイチ分からない。


2005年4月17日(日) 喪失と価値

「失って初めて自分にとって、どれだけ大切だったか」を知らされる事は多いが、同時に「失って初めて自分にとって、どれだけ無意味だったか」とか「失って初めて自分にとって、どれだけ悪影響を受けていたか」を知らされる事もまた多い。

結局の所、物事の価値というのは失ってみないと正確な評価が出来ないのではないか。例えば1冊の本を捨ててみて、後で後悔するならその本には価値が有った訳だし、いつまで経っても後悔しなかったならば価値が無かった訳である。

こういう事は所有し続けていると、なかなか気付けないものだ。だからと言って所有物の破棄を薦める訳ではないが、自分にとって価値が有ると思っていた物が実は全然価値の無い物なのではないか、という懐疑は割と恐ろしい事のような気がする。

この辺りは物に限らず人にも当て嵌まる。家族とか、恋人とか。家族なんかは一度失ったら二度と戻って来ないが、失って初めて価値を知らされる代表例だろう。(全ての人間が死んだ後でしか家族の価値を実感しない、と言っている訳ではない。)

たまに別れたり復縁したりを繰り返して忙しないカップルがいたりして、周りの人間としては「おいおい、またかよ」とか思ったりするが、実はそういうカップルというのは互いの価値を確かめ合っているのかも知れない。そう考えてみると、ちょっとした喧嘩で別れてその数日後には何事も無かったかのように交際を再開しているというのは、なかなか理に適った付き合い方なのかも知れない。

逆に別れてみて、それで「あぁ別にこれでも良いな」と思ったりする事も有るだろうし、さらには「おお、なんて楽なんだ」と思う事も有るだろう。これが即ち、「失って初めて自分にとって、どれだけ無意味だったか」とか、「失って初めて自分にとって、どれだけ悪影響を受けていたか」という感情な訳だが、気を付けたいのはこれはあくまでも相手の価値評価であり、自分自身の評価は入っていないという事だ。

自分は自分と別れる事が出来ない為に、自分に対して正当な評価が出来ない。“自分を喪失する”という行為は、例えば一時的な記憶喪失などで局所的には不可能ではないとも思えるが、まぁ大抵の場合は無理である。

無理なのだから出来なくても仕方無いが、しかしまぁ自分が自己評価を出来ていない事を自覚しておく事は可能である。そしてその自覚というのが、人生を送っていく上で非常に大切な事のように思えてならない。自身に対して全く自覚の無い無頓着な人間というのは、割と迷惑な存在な事が多いからだ。

以上より今日のイイタイコト。

自分自身を喪失する事は出来ないが故に、自分の価値を正確に把握する事は出来ない。しかしその事自体は自覚する事が可能な以上、そうする事で自分を迷惑な存在に成り下げるのを回避する事も可能な筈だ。

P.S.
新携帯電話の余りに多過ぎる新機能と格闘しています。すみません、メールの返信は来週までには何とか……。


2005年4月16日(土) スパゲッティは音を立てずに食べたい

連絡事項1:10日の日記で、後輩Aが後ろに並んでいた5歳位の女の子を、しきりに「可愛い、可愛い」と繰り返していたと書いたが、「僕は『可愛らしい』と言ってたんです、『可愛い』なんて言ってません!」とクレームが来た。あんまり変わらない気がしたが本人が「全然違います!」と断固として主張するので、改めて訂正します。

連絡事項2:昨日初めて小説を掲載した訳だが、いきなり「小説なんて詰まらないものを載せるな」という意見を複数から言われた。しかし先月31日の日記で、小説は「詰まらない」と言われても書きますから!(←主に知り合いに対して。)と明言しているので、その批判は低レベルであるとしか良いようが無い。想定の範囲内ですよ。もっと高度に貶さないと!

連絡事項3:携帯電話を機種変更した。これでF502i→F504i→F901iという変遷を辿った事になる。次はF904iくらいかな。富士通の回し者に見えるかも知れないが、ウチにある富士通製品は携帯電話くらいだ。それにしても使い慣れない携帯は使い難い。使い易く設定し直すだけで日曜日が終わりそう。メインの説明書だけで600ページ以上有るが、こういうのは全て隅から隅まで読まないと気が済まないので。でもパケホーダイにしたので、これからは携帯でもネットやり放題。3日くらいで元が取れるに違いない。ちなみに機種変更の所為でバイトを30分遅刻した。「電話すれば良いや」と思っていたら、機種変更中なので電話が出来ない事に気付いた。

連絡事項4:明日、某国家権力のキャリア組の人と銀座で寿司を食べる約束を取り付けたが、果たして覚えてくれているだろうか? 僕は寿司屋と言えば、田端駅と西日暮里駅付近の回転寿司しか行った事が無い。と言うか家族で外食って、その2箇所と浅草の天ぷら屋にしか連れて行って貰った事が無い。後は高速道路のパーキングエリアだけだな。それくらいが普通だと思っていたのだが、どうも世間一般ではそうでもないらしい。

よく考えてみるとナイフやフォークを使う所に連れて行って貰った事は皆無だな。23年間。ファミレスすらない。ウチではスパゲッティは、僕以外は全員が箸で食べるし。僕がスパゲッティをフォークを使って食べるとキレるのは、どうにかして欲しい。さらにラーメンのように音を立てて食べないと、「なに不味そうに食ってんだよ!」と殴られる。鬱だ。僕はスパゲッティは音を立てずに食べたい。


2005年4月15日(金) 小説

SKIM OVER STORY 第1話『仔猫1』

 ――1990年9月28日(金)

 私は平松泉。小学校5年生。女子としては背が高い所為か、よく中学生と間違われる。でもランドセルを背負った中学生なんて居ないから、そういう時に声を掛けて来る人の多くは、単なるお世辞を言っているだけ。こういう年頃の女の子に「大人っぽく見える」なんて言っておけば、取り敢えず誉めた事になると思ってるんだわ。
 私は、いつまでも子供のままで居たいのに――

 言葉使いがどんなに変わっても、彼が私の可愛い弟である事に変わりは無いのだから。

 そんな弟が、今日はダンボールを抱えて学校から帰って来た。中には子猫が二匹入っている。
「悟、それどうしたの?」
「帰り道で拾ったんだよ。捨てられてたみたいでさ、可哀相だろ? だから俺が飼ってやろうと思ってさ」
 私の問い掛けに満面の笑顔を応える悟。その表情は、私には余りにも眩しい。私は目を逸らすように箱の中の仔猫に視線を送った。
 二匹の仔猫。とても可愛らしく、でも、だからこそ憎らしい。
 ――あなた達は捨てられたのよ。惨めで、可哀想な境遇。その不幸が、あなた達を愛らしい存在と化しているに過ぎないの。
 あぁ、私は何を考えているのだろう。どうして仔猫を相手に、こんな事を思ってしまうの。どうして……?
「でも……お母さんが飼っても良い、って言うかしら?」
「えっ……」
 途端に曇る悟の表情。どうやら、そこまでは考えていなかったらしい。
 思った事をすぐに行動に移す直情径行タイプの悟。それが私には羨ましい。私には出来ないから。思った事を素直に表現し、行動するという事が、私には出来ない。きっとそこには醜い私が顕れるだけだから。
 赤。視界が一瞬、赤に染まる。あぁ、これはきっと、醜い私……。醜く、汚く、そしてこれから、さらに穢れて行く私。それが、この赤なんだわ。
「駄目って言われるかなあ? 言われたらどうしよう、姉ちゃん」
 でも悟は――無垢な悟は、こんなに醜い私を頼ってくれている。なのに私には仔猫への憎らしさから、こんな返事しか出来ない。
「どうしようって言われても……駄目なら元の場所に返してくるしかないよ」
 どうして、どうして私は……こんなに醜いのだろう。ねぇ、答えて。ちゃんと答えて。確かに私に聴こえるように、誰か私に答えて――
「そんな可哀相じゃないかよ。放っといたらこいつら、死んじゃうかも知れないんだぜ?」
 しかし悟の正義感は、さらに私の精神を岸壁に押し詰める。このまま、飛び降りて壊れてしまえれば良いのに。“私”という存在が壊れてしまえば――きっと私は幸せになれる。
 捨てられた猫を憐れむ悟。それに協力的な態度を取れない私。
 私は、いつからこんなにも子供じゃなくなっていたんだろう? もう後戻りは出来ないの? もう少し、せめて1年前――いえ、半年前でも良い。時間よ、逆向きに廻り始めて……!

「いけません」
 ま、とにかくお母さんに訊いてみなさいよ――という私の言葉に従った悟だったが、あまり動物好きとは言い難い母は、案の定の反応を示した。なおも悟は母に喰い下がっていたが、『お許し』が出る事はまず無いだろう。
 リビングに置かれたダンボールの中では、二匹の子猫が「ミャア、ミャア」と、か弱そうな声で鳴いていた。
 ――まるで自身の愛らしさを精一杯に表現して、何としてでもこの家で飼ってもらおうとしているみたい。
「馬鹿ね。そんなわけないじゃない」
 自分で自分に向けて、そう呟いた。何故か自然と笑みが零れた。
 赤。どす黒い、とても鮮やかとは言えない、暗い赤。再び視界が、その赤で覆われる。あぁ、これは3ヶ月前の――
 いつまでも子供でいたい私の――
 子供でなくなってしまった私の――
 そんな自分に対して何処となく不気味さを感じている現実に、私は気付いた。どうして私は嗤ったのだろう?

 結局、悟は仔猫を飼う事を諦めた。勿論、本意ではない筈だが。彼の表情を見れば、そんな事は簡単に分かる。
 ――それで良い、と私は思った。

 悟が仔猫たちを元の場所に返しに行く時、私も一緒に附いて行った。
 仔猫を置き去りにした時、何だか私自身の一部も失ってしまったような気がした。
 青。先程の赤とは対称的な、空をも突き抜けるような神聖な青。私の中で、赤と青が交じり合った。そしてそれは、さらなる変貌を遂げて……。
 ああ、これは私なんだ。赤も、そして青も私の一部。そして、そこから新たな私が――生まれる?
 いえ、そんなのじゃなく、例えばそれは、大空を羽ばたく鳥達のように――
 高く、高く、空よりも高く――
 ――あぁ、空を突き抜けた、その先に視えるのは……一筋の……赤と、青の、饗宴が……。

次回、SKIM OVER STORY 第2話『仔猫2』――2005年4月24日掲載予定。

【後書き】
僕が『SKIM OVER STORY』の原型のような話を考えたのは高校2年生の頃で、当時は平松泉を神秘的なイメージのする女性としていた。その神秘性は『SKIM OVER STORY』の主人公の1人である松下和馬との出会いを通じて明かされる筈だったのだが、そういう完成された人物というのは特殊な状況でしか出演させ難い事に気付いた。そこで彼女には他の場面でも活躍して貰う為に、一転して“痛い”感じのする少女を演じて貰う事にした。本当は平松泉は僕の理想の女性像だったので、とても残念だ。ちなみに最初の4話くらいまではプロローグ的な展開で、本編はその後から始まる予定。


2005年4月14日(木) 自殺

先日、日暮里駅付近で“自殺者を減らしましょうキャンペーン”みたいなものをやっていた。「日本は自殺で死ぬ人が交通事故で死ぬ人数の4倍も居る。これは異常な事だ。何とかしなければ」という趣旨らしい。

確かに近年の年間自殺者数は3万人を超えており、交通事故死亡者数8千人の約4倍である事は事実だが、この“4倍”という数値に何か意味は有るのだろうか。もっと言えば、自殺者数と交通事故死亡者の数を比較する事に意味は有るのだろうか。単に死亡者数が多いというだけの理由でそれを特別視するのには何となく違和感を感じる。

どちらかと言えば、それがどんなに望まれた境遇でなかったとしても自殺というのは本人の意志であり、逆に交通事故というのは全く予期せぬ死であった筈で、死者の無念さという点では交通事故死亡者の方が大きい気がする。まぁ自殺者にしても、そのような状況に追い込まれてしまった事それ自体は無念だろうが。

ただ確かに“助ける”という点では、交通事故よりも自殺の方がやり易そうだ、という気はする。交通事故は誰もが或る程度は気を付けている筈で、それでも起こってしまうから“事故”なのである。まぁ飲酒運転などの救えないケースも有るが、それは別問題で。

一方で自殺と言うのは孤独であるとか借金であるとか、そういう心理的・経済的な不利が原因である場合が多い。このようなケースは突発的に自殺まで到る訳ではなく幾つかの段階を踏む筈だから、その段階の途中で支えてやれば自殺を未然に防ぐ事は可能だろう。少なくとも絶対に無理とは言い切れない。

結局の所、死亡者数という数値そのものは大した意味を持たなく、「助けられる可能性が有るから助ける」という姿勢が“自殺者を減らしましょうキャンペーン”に繋がっているのだと思う。しかし、だからこそ、「日本は自殺で死ぬ人が交通事故で死ぬ人数の4倍も居る。これは異常な事だ。何とかしなければ」などという事は言って欲しくなかった。

ちなみにWHOの2004年の調査では、日本の自殺率(1年間で10万人中、何人が自殺をするか)は24.1人(この数値は2000年のもの)で、99ヶ国中10番目に高かった。アメリカは10.4人、イギリスは7.5人だ。先進国の中ではフランスが高めで17.5人だが、やはり日本と比較すると少ない。

自殺率が最も高い年齢層は、世界の多くの国々(平均寿命が著しく短い国は除く)は75歳以上の層なのに、日本だけが55〜64歳の層だというのも特徴的だ。ホセ・ベルトロテ博士は次のようなコメントを発表している。

日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向だ。

自殺が日本以上に社会問題となっている国もある。その1つがロシアだ。ロシアの自殺率は38.7人で世界第2位。この内、男性の自殺者が90%近くを占め、男女間の平均寿命差にまで影響を及ぼしている。ロシアの女性の平均寿命は72.1歳だが、男性の平均寿命は58.4歳だ。一般的に平均寿命は女性の方が長いが、この差は極めて大きいと言わざるを得まい。

何やら中途半端だが、今日はこの辺で終了。


2005年4月13日(水) 迷い

「動きに迷いが無い」というのは格闘技や芸術的要素の強いスポーツなどでは一般に良い事とされているが、それは其処に到るまでに迷わなかった事を意味する訳では無い。寧ろ途中で迷いに迷って色々と考えて、その結果が何らかの高みに達するという形で結実する事の方が多い。

そもそも“迷い”とは何だろうか。この言葉の定義からして不明瞭だ。僕は後輩のマジックを見て、「動きが迷ってる」という批判をした事も有れば、「動きに迷いが無さ過ぎる」という批判をした事も有る。これだけ聴くと、さぞ僕が理不尽な事を言っているように感じるかも知れないが、自分でも理不尽な事を言っていると思う。

少し解説させて貰うと、前者は自分がどのように動くかが定まっていないという批判で、後者は動きに遊びの部分が無さ過ぎるという批判なのだが、こういう事を考えるに、“迷い”というのは一義的ではない。多義的と言うか、寧ろ時と場合で反対の意味にすらなってしまう。

こうなると“迷い”というのは必ずしも絶対悪ではなく、かと言って善でもない事が分かる。言ってみれば次元の異なる“迷い”というものが複数存在し、普段その中で僕達は迷っている事になる。

「備え有れば憂い無し」という言葉が有るが、株式相場の世界ではコレを文字って「備え有れば迷い無し」という格言が有るそうだ。

株式相場の世界では、先人が、その経験を基にして、さまざまな格言を残している。備えあれば迷いなしも、そのうちの一つである。投資を行う際に必要なことは、自分なりの相場観をしっかりと持つことであるということをあらわす格言。そのためには、投資をおこなおうとする先をよく研究する必要がある。たとえば、株式に投資をするのであるならば、その会社の業績や財務内容を調べ、自分にとって自信が持てるものでなければならない。自信が持てるものであれば、投資した後の株価の動きが多少不安定であったとしても、また、たとえば、他に値上がりしている銘柄が多少よく見えたとしても、迷いや焦りは少なくなるはずである。

この場合は“迷い”をネガティブなものとして捉えている訳だが、そもそも最初から株式で自信を持てと言う方が無理である。例え自信を持っていたとしても損をするだけだろう。

こういうのは何回も失敗や成功を繰り返して、それでようやく自分なりの法則みたいなものを見出せるのであって、初めから手に出来るものではない。そしてその失敗や成功の影には、筆舌に尽くし難い程の多くの“迷い”が交錯していた筈なのだ。「売るべきなのは今か? まだ待つか?」と迷って迷って迷い切って――という思いをしていない訳が無い。

つまり迷い無く正しい選択が出来る“決断力が有る”という状態は、その沢山の交錯した“迷い”の上に立っている事になる。「迷いが迷いを消失する」――そういう感じだ。何となく逆説的ですらある。

でも、いつまで迷ってれば迷いが消えるんだろう。何だか永遠に迷い続けるような気もするし、ホンのちょっとしたキッカケで迷いが霧散するような気もするし。あぁ、迷いがいつ迷いでなくなるかで迷ってたら本末転倒だな。気を付けよう。


2005年4月12日(火) 寝過ごした

死ぬ思いでワケの分からないレポートをやって起きたら午後2時10分だった。大学は午前10時〜午後2時30分。家から大学までは1時間。言うまでもなく完全にアウト。午前3時過ぎに睡眠薬なんて飲むんじゃなかった。その後に小説なんて読むんじゃなかった。

映画『名探偵コナン 水平線上の陰謀』を観に行きたいが、一緒に行ってくれるような人が居ない。映画『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃』を一緒に観に行ってくれるような人は、もっと居ない。寂しい。


2005年4月11日(月) リーダー

社会人の方からすれば「何を当たり前な」とか「いや、そんな事は無い」とか思われるかも知れないが、僕の経験からすると集団で何かをやろうとする時に、責任の所在をハッキリとさせないで物事が巧く進んだ例が無い。そして勿論責任を背負った人間には、それなりの権力が与えられるべきである。

集団の方針決定法としては、例えば構成員に拠る多数決とか討論とかそういう手法も考えられる訳だが、そのような場合に於いても何らかのリーダーのような存在を決定しておくべきで、そうでない場合というのは実は責任を分散させて事態を有耶無耶にするだけだったりする。「船頭多くして〜〜」という諺が有るが、アレは船頭(責任者)が多い訳ではなく、全員が船員という平階級ばかりな状態を指すのではないだろうか。全員で微小な責任を分け合い、結果として見当違いな結末を迎えてしまったりする。

勿論リーダーが駄目だと集団としても困った事になる訳だが、その辺りは集団全体の見る目の無さと言うか、そういうのも問題の一つではあったりする。集団の構成要素が増えれば増えるほどリーダーとしての資質も高いものが望まれるようになるが、それに従ってリーダー候補も増加している筈な訳で、結果的に悲惨な結末となった場合はリーダーが責任を取るのは当然ながら、それを選出した側にも問題は無かったのか、という事を考える必要が有るだろう。

最も悪いのは責任だけ押し付けられて権力が与えられず、何かプランが有ってもそれを分かり易く説明するだけの時間も機会も無く、そして権力が無い為にそれを強制する事も出来ないという状態だが、あまり巨大でない集団の場合は得てしてこのような事態に陥り易い気がする。自由に手腕を奮えないからヤル気も続かないし情熱も湧かない。こうして泥沼化して、でもその集団が構成員にとっては個々の人生に於いて大した意味を持たない、いや、そういう風に思われていただけでも、泥沼化している事に気付けないし、気付けたとしても時既に遅し、というケースが多い。

本当はそれなりに真面目に取り組んで成功を収めれば意味が無くはない筈なのだが、成功しないのでそれに気付けない。気付いたとしても失敗しているという現状を認識するのがイヤなものだから、気付かないフリをしたりする。競走馬のハルウララは負け癖が付いているのでどんなにレースをしても絶対に勝てないという話を聞いた事が有るが、人生に於いても失敗癖が付いてしまうと余程劇的な転機が訪れない限りは失敗を永遠に続けてしまうのではないだろうか。

――と、こんな風に考えてみると、人生を失敗し始め集団でも常に外側にいようとする僕なんかはどうなってしまうんだ、という気がして怖くなって来たので、以上で終了。

【今日の講義内容】(多様体)
・復習
→平面曲線
→y=f(x)とf(x,y)=0との関係
→パラメータ表示との関係
→3次元実数空間内の曲面
→一般次元の陰関数定理と逆関数定理
→一般的な局所座標系の定義


2005年4月10日(日) ラブ備え付け

この2日間(+α)の行動の全記録。

就寝(9日0:00)→起床(8:00)→田端駅(9:15)→渋谷駅(9:45)→駒場東大前駅(9:55)→サークル(10:00)→駒場東大前駅(14:00)→渋谷駅(14:15)→日暮里駅(14:45)→家庭教師(15:00)→日暮里駅(17:30)→池袋駅(17:45)→本屋で買物(17:55)→高校時代の友達としゃぶしゃぶ食べ放題(18:05)→池袋駅(21:00)→上野駅(21:30)→上野公園でサークルの友達と花見(21:45)→上野駅(23:30)→駒込駅(10日0:00)→田端駅(0:05)→東十条駅(0:20)→後輩A宅に遊びに行く(0:30)→DVD観賞(1:30)→就寝(3:00)→起床(9:00)→後輩Aに同棲話を持ち掛けられる(10:00)→断る(10:01)→後輩Aとモスバーガーで朝食(13:00)→後輩Aとショッピング(13:30)→後輩A宅に帰る(14:00)→後輩Aに煙草の煙の拡散運動の状態を表す方程式の導き方を教えて貰う(15:00)→後輩Aと初級シスアドの勉強(16:00)→後輩Aと添い寝(17:00)→起床(19:00)→十条駅(19:10)→池袋駅(19:20)→上板橋駅(19:40)→後輩Aと『蒙古タンメン中本本店』で夕食(20:00)→上板橋駅(21:00)→下赤塚駅(21:20)→後輩Aと後輩B宅に遊びに行く(21:40)→ゲームソフト『街』の面白さを伝えようとするが伝わらずに終わる(22:30)→下赤塚駅(11日0:00)→池袋駅(0:25)→駒込駅(0:40)→帰宅(0:50)

高校時代の友達と集まったのに、その中に何故か女性が居た。男子校だったのに。その女性に無理矢理お腹を触られた。物凄く嫌がるフリをしたのに、それでもしつこく触られた。勿論、本当は女性に触られるのは嫌じゃない。

『蒙古タンメン中本本店』では『蒙古タンメン』というラーメンを食べた。辛くて普通は汗ダクになるらしいが、何故か僕は1滴も汗が出なかった。普段は何もしなくても汗ダクな癖に。でも確かに凄く辛くて、これ以上に辛いランクのラーメン(『北極ラーメン』とか)は無理だと思った。

後輩Aである小俣君が「ウチが『女人禁制』だと思われてて困る。寧ろ女一人で来い!」と嘆いていたので、その発言をココで公開しておく事にする。そういう事らしいので、誰か行ってやって下さい。ちなみに彼は、『蒙古タンメン中本本店』で僕達の後ろに並んでいた5歳位の女の子を、しきりに「可愛い、可愛い」と繰り返していた。サークルでは『女性嫌い』で通っている彼だが、そういう趣味だったのか。人は見掛けに拠らない。

3日前の日記で、友人から何の前触れも無く、ただ「富士山のぼろーよ」とだけ記載されたメールが来た。「いつだよ!?」とか思ったが、任意の日時に於いて登る気など起きない事に気付いたので、「のぼりたくなーい」と返しておいた。と書いたが、後輩Aが毎年富士山に登っていると聞いて、彼が一緒なら登っても良いと思った。ついでに山梨県の実家に行って、ご両親に「息子さんと良い交際をさせて貰っています」と挨拶しに行こうと思った。本当にやるかも知れない。


2005年4月9日(土) 彼女が

紹介サイト:『彼女が出来ました』

ログの最初から読む事をオススメします。こういう彼女、良いなぁ。僕はSですけど。


2005年4月8日(金) ピタゴラスとドレミファソラシド

“ドレミファソラシド”を作ったのは、数学者のピタゴラスである。

ピタゴラスという数学者の名前は、中学校で『ピタゴラスの定理』(三平方の定理)を学ぶので有名だろう。彼の数学者としての功績は数多い。三角形の内角の和が180°である事の証明や、正五角形の作図法を発見したのもピタゴラスである。(ピタゴラスの弟子だった、という説も有る。)

しかしピタゴラスには、ネガティブな印象を与えるエピソードも多い。その一つはピタゴラス教団の存在だ。ピタゴラスは優れた数学者であったと同時に、宗教の教祖的な立場でもあった。

ピタゴラス教団は輪廻転生を信じ、そこからの脱却を謀る為に数学を研究していた。つまり数学は“解脱”の手段だった訳だ。彼らは何よりも“自然数”を重視し、それが宇宙の全てを秩序付けていると考えていた。実際、当時の数学では有理数(分数で表される数)しか発見されておらず、自然数のみで全ての数字を表す事が可能だった。

ところがピタゴラスは自身のピタゴラスの定理により、無理数の存在を知ってしまった。自然数で表す事が出来ない数に出会ってしまった訳である。現在では無理数は有理数列の極限と考えられる事も可能だから、無理数が必ずしも自然数から逸脱した数であるとは言えないと思うのだが、まぁピタゴラスは慌てた訳である。宇宙の全てが自然数で表せると思っていたのに、単なる数字ですら自然数で表し切れない事に気付いたからだ。元々ピタゴラス教団で発見・証明された数学的事実は教団外に漏らしてはならない規則が有ったのだが、無理数の存在は特に極秘とされた。

ピタゴラス教団では宇宙の全てが自然数で表せると思われていたので、音楽も当然それに従って研究されていた。弦の長さを半分にすると1オクターブ高くなるとか、音楽をそのように秩序付けたのはピタゴラス教団が最初で、所謂“ドレミファソラシド”という音階を作成したのも彼らである。紀元前550年前後の話だ。

ピタゴラス教団は天文学にも精通し、この時代から地動説を唱えていたという記録も残っている。コペルニクスやガリレオが地動説を唱えたのは西暦1600年前後だから、その洞察力には恐るべき物が有る。

以上のようにピタゴラス教団は宗教団体でありながら、数学・音楽・天文学などの分野に於いて優れた業績を残している。恐らく徹底した秘密主義が、より優れた人材を集めるのに貢献したのだと考えられる。

以上より今日のイイタイコト。

“ドレミファソラシド”を作ったのは、数学者のピタゴラスである。


2005年4月7日(木) 定期券、買えず

昨日の日記。

明日こそ定期券を買えなかったら、発狂するかも知れない。

買えなかった。30分ほど余裕を持って家を出たら、明らかに30分じゃ消化し切れないだろう長さの行列が。発狂するかと思った。行列を見た瞬間、思わず「マジかよ!」と叫んだ。朝の渋谷駅構内で。

講義は全く理解不能だった。発狂するかと思った。苦痛な3時間半。去年、大学に行きたくなくなった気持ちを鮮明に思い出した。でも行かなくても意味が無かったので、今年は行く事にしよう。なるべく。と言うか、もっと勉強しよう。なるべく。

友人から何の前触れも無く、ただ「富士山のぼろーよ」とだけ記載されたメールが来た。「いつだよ!?」とか思ったが、任意の日時に於いて登る気など起きない事に気付いたので、「のぼりたくなーい」と返しておいた。

諸事情で雑誌『FLASH』を購入。こんなにヤラシイ雑誌だったっけ……?

【今日の講義内容】(複素解析)
・復習
→コーシーの定理
→線積分
→コーシーの積分表示
→一致の定理
→最大値原理
→関数列
→留数定理
→リーマン球面
→∞での留数

・Runge近似定理
→C上の場合


2005年4月6日(水) 通学証明書、貰えず

相変わらず3年生に混じって講義を受ける事に。講義開始30分前に到着したが、教室の鍵が開いたのは5分前だった。やる気、空回り。

今日の科目は、教官の日本語の発音が極めて不明瞭で困った。普通に音が聞き分けられない。その割に人名の中国語読みを気にしていた。是非とも日本語の発音を気にして欲しい。

先日(4月2日)の定期券が買えなかった件だが、事務室で通学証明書を貰おうとしたら、「学生証で駅員の人が満足出来ないなら、学部に電話して貰って下さい」と言われる。なんなんだ、一体。世の中、矛盾で満ち溢れている。

実はココに到るまでにもう一悶着有り、何だか駅と大学を盥(たらい)回しにされている気分だ。明日こそ定期券を買えなかったら、発狂するかも知れない。

【今日の講義内容】(群論・環論)
・群の定義
→演算の定義
→結合性の定義
→可換性の定義
→単位元の定義
→逆元の定義
→群の定義
→アーベル群(可換群・加群)の定義

・部分群
→部分群の定義
→巡回群の定義

・同型
→同型の定義
→共役の定義

・準同型
→準同型の定義
→像・核
→正規部分群の定義


2005年4月5日(火) 講義開始

今日から講義が開始。4年生だが3年生に混じって講義を受ける。

……いきなり理解不能。「去年も受けた講義なのに!」とか思ったが、去年も理解不能だったから単位が取れてないんだった。それにしても初回から理解出来ないとは予想外。

あぁ、今年度も悪戦苦闘の年になりそうだ。初日からストレスフルで、後輩を呼び出しまくって飲みに行く。何故か100回くらい「女性心理が知りたい!」と女性に対して連呼してた気がする。反省。

【今日の講義内容】(ルベーグ積分)
・Riemann積分の限界
→Riemann積分の定義
→極限操作に関してRiemann可積分性が閉じていない

・面積を測る対象の拡張
→有限加法族
→区間塊の面積
→Borel集合族

・面積概念の拡張
→Lebesgue外測度の定義


2005年4月4日(月) 真実

先日の4月1日の日記について、知り合いから何回も「何処まで真実なの?」という質問をされて困っています。まぁ100%真実なんですけど。

「じゃあ、なんで最後にわざわざ『今日はエイプリルフールか……。』なんて書くんだよぅ!」という事になる訳ですが、一部の真実ってのは曖昧模糊とした表現で表したいじゃないですか。ミステリアスな雰囲気を醸成したい訳ですよ。

まぁあの日記で「なんてミステリアスなんだ!」と思う人は居ないに違いない訳ですが。

久し振りに日記の更新が遅れ始めましたが、頑張って追い付こうと思います。


2005年4月3日(日) 友情>恋愛

昨年末に結婚した従姉妹が、今月1日に無事に出産を終えたそうです。予定日の前日でした。僕は結局見に行けませんでしたが、取り敢えず3秒間くらい「おめでとう」と心の中で思っておきました。旦那さんと出会ったのが昨年5月。スピード出産ですなぁ。

僕の親類は早婚傾向らしく、3歳年上(26歳)の従兄弟なんかは20歳で結婚して、既に子供が5人。近代日本の風潮に、真っ向から対立していますね。それにしても子供が5人というのは、子育てが大変そうです。さらに5年後には、子供が10人になってそうで怖いですが。

近親者で25歳まで独身だったのは母親の弟だけ(その人は今でも独身)で、2番目に到達しそうなのは僕ですね。あと1年2ヵ月です。アッという間ですよ。ははははは。(←乾いた笑い)

結婚は別問題として、恋愛はどうにかしたい23歳の理系大学生。まぁ友情が有るから良いか、と思えて来たのは良いのか悪いのか。

恋愛というのは良い意味でも悪い意味でも、相手に振り回されてしまう気がする。振り回される(≒影響される)という、それ自体が良い方に反映される(趣味が広がる、とか)分には問題無いけど、そうでないのには疲れたと言うか、まぁ少なくとも自分からどうこうしようという気力は無くなったと言うか。

ずいぶん勝手なこっちの都合で 今までやってきた
わかってる だいぶわかってる 悪いのは誰? なんて
そりゃ海を眺めて ボケッとしていりゃわかるさ
   ――H Jungle With t (GOING GOING HOME)

まぁ海を眺めなくても、悪いのが僕なのは分かる。だいぶ分かってる。

だから言葉なんて要らないという事で、とりあえず手を握るところから始めようか。
怒っていいですか?
ダメ。でも手は握って欲しいしキスもそれ以上の事もして欲しいお年頃、俺。
紀田くんは、誰にでもそんな事言うけど……本当に好きな子は誰なの?
俺? 好きだって告白した奴はみんな好きだぜ? 心からな! もちろん杏里の事もムッチャ好きだから。いやマジでマジで。
   ――紀田 正臣 & 園原 杏里 (デュラララ!!×2 56頁)

キスもそれ以上の事も、もう良いや。手を握るだけで寂しさは紛れるから。

自分の為に何故頑張れないのか不思議だ。利己的な人間なハズなのに。
利己的、って他人がいないと成り立たないからじゃないですか。
   ――kasa & 山崎 雄介

利己的になる為には、“他人”が必要なんだねー。


2005年4月2日(土) 不条理

新学期なので定期券を買おうとしたら、「学生証に書いてある大学の住所と行き先が違う。通学証明書を持って来い」と言われて買えなかった。去年は買えたのに。仕方なく通学証明書を貰う為に切符を買って大学まで行ったら、所属する学科の建物が平日しか開かない事になっていた。普通の理系の学科は日曜祭日も関係無しに実験とかしてるのに、なんなんだこの落差は。月曜日に、また切符で行かなくてはならない。

昨年11月にマジックショーでチャイナドレスを着ていた後輩(女)に、チャイナドレスにスリットが有る理由を教えたら、「へぇ」とだけ言われた。「君がチャイナドレス着てたから調べたんだよ〜」と言ったら、微妙な表情をされた。

僕と親しい後輩(男)が、そのチャイナドレスの後輩に電話番号やメールアドレスを訊かれていたのに、その場に居合わせた僕は訊かれなかった。その事で、その親しい後輩にメッセンジャーで馬鹿にされた。

日付    時刻   差出人  宛先 メッセージ
2005/04/03 1:16:18 u○○○y KASA はっは
2005/04/03 1:16:21 u○○○y KASA はっはっは
2005/04/03 1:16:27 u○○○y KASA うははははははー
2005/04/03 1:16:42 u○○○y KASA ひゃははははははー
2005/04/03 1:17:02 u○○○y KASA ぎゃははははは

メッセンジャーのログ公開の刑に処す。


2005年4月1日(金) なんで数学やってんだろ

僕が今でも数学をやっているのは、少なくとも中学生以降は「最も得意で好きな科目だったから」という明確な理由が有るのだが、それ以前――小学生の頃から僕は算数ばかりやっていた。が、その理由がイマイチ思い出せなかった。僕が誰に対しても「算数が得意です」と言えるくらいになったのは小学5年生の後半くらいからで、それまでは不得意ではなかったけれども、絶対の自信が有るとか、そういう訳ではなかった。

しかし最近になって、ようやく記憶の断片が蘇って来た。どうも僕は算数ばかりやるようになった理由を、無意識の内に自分で忘れようとしていたようなのである。僕は小学4年生以前の記憶が(一部の例外を除いて)殆ど残っていないのだが、算数をやるようになった理由と共に、その失われた記憶も徐々に戻りつつあるようだ。

僕の両親――特に母親は所謂“教育ママ”という存在で、僕が幼稚園児の頃に公文式に入れ、小学3年生の夏からは中学受験の為に学習塾にも通わせ始めた。父親は工業高校卒、母親は中卒という学歴なのだが、それが逆に学歴に固執する原因となったのかも知れない。

こうなると自宅でも公文式や学習塾の宿題、他に書店で買って来た問題集などを解いたりする訳だが、母親は絶対に僕に答え合わせをさせず、丸付けは母親自身がやる事になっていた。どうも僕に解答を持たせると、答えを丸写しにすると思われていたようだ。この辺の記憶は定かではないのだが、当時の自分自身の性格を考えると、過去に模範解答を丸写しするという“悪さ”を行っていた可能性は充分に有る。

だから解答を母親が管理するというのは極めて妥当な処置だったと思われるのだが、問題なのは僕が答えを間違えると母親が激昂する事だった。殴る蹴るというのは日常茶飯事で、押し倒して顔を踏み付けるとか、夜中にベランダに1時間くらい放置されるとか、熱したアイロンを肌に押し付けられるとか、包丁を投げ付けられる、なんて事も有った。包丁を投げ付けられた時は、幸い柄の部分がお腹に当たっただけで怪我も無く済んだのだが、恐らく現在では“児童虐待”というヤツに入るのだろう。

ただ僕自身には「虐待されている」という意識は全く無かった。そもそも“虐待”などという概念自体が、当時の僕の意識には存在しなかった。だから何となく「あぁ答えを間違えたんだから仕方無いよなぁ」とか、そういう風に漠然と感じていただけだった。熱したアイロンを肌に押し付けられた時は、母親は実際にそうしようという意識が有った訳ではなく、少し脅してやろうという意図だったようだが、大きく捲り上がった皮膚を見て最初に言われたのは「こっちにそんなつもりは無かった。勝手に逃げようとして動いたお前が悪い」という自己弁護の言葉だった。

この言い訳には多大な違和感を感じた。まずは火傷の心配をするか、でなければ問題を解けなかった事を非難すべきで、逃げようとした事を責められるのはおかしいと思った。(繰り返すがこれは当時の僕の意識であり、今では火傷の心配をするという選択肢しか有り得ないだろうと思う。)

だから、虐待は僕にとっては虐待ではなかった。殴られたりするのは嫌だったが、それも一定の責任(←答えを間違えた、という事で)は自分自身に有ると思っていたし、こういう実態というのは多寡の差こそ有れ、何処の家庭でも共通だと思っていた。

しかし当時の僕にも、どうしても我慢できない事が有った。例えば本当の答えが「3/4」である問題が有ったとしよう。それに対して僕が「21/28」と書いたとする。「3/4」と「21/28」とは数値的には全く同じであるが、約分していないという意味では“不正解”である。三角という見方は出来るが、少なくとも“完全な正解”ではない。だから、これを不正解だとされるのは仕方無かった。

ところが母親は「間違っている」としか言ってくれないのである。これも見方によっては「何処が間違えているか教えてしまっては、自分で間違いを発見する能力が養われない」というように捉える事が出来る。実際、僕も家庭教師でこのような手法を用いている。が、実の所、母親には「21/28」が約分すれば良いだけだという事が分かっていなかったのである。かなり後で知ったのだが、母親は中学まで出ているにも関わらず、出来るのは自然数の四則演算のみ(掛け算と割り算は、1桁同士でしか出来ない。)で、「21/28=3/4」という約分は出来なかった――と言うか、約分という概念そのものを知らなかったのである。

だから母親には僕の「21/28」という答えが、“数値が全く違う”という理由で根本的に誤っているように見えたに違いない。僕は僕で、途中の計算ミスや問題の解き方に誤りが有るのではないかと確認するが、まさか最後に約分を忘れていただけ、という事にはなかなか気付かない。だから何時まで経っても自分の答えが合っているようにしか思えない。何時間も経過して、ようやくそのミスに気付く。お陰で、どんな細かい処で自分が間違っているかを徹底的に検証するという能力が身に付いた。

約分のエピソードは、だからメリットも存在した訳だが、これは偶然の産物であり、何のメリットも存在しなかったエピソードも有った訳である。例えば因数分解の問題で、僕が「3x^2+5x+2=(3x+2)(x+1)」と解いたとしよう。これでもし模範解答が「(x+1)(3x+2)」となっていたら、容赦無く×が付けられた。「(3x+2)(x+1)」と「(x+1)(3x+2)」というのは全く同じで、模範解答を予測して完全に一致させる事は不可能だ、という僕の主張は全く聞き入れられなかった。

僕が何故そんな事を必死に主張したかと言えば、それは“意味の無い間違い直し”の時に間断的に殴られたり蹴られたりするのが嫌だったからだが、そういう時に僕が思ったのは、「こういう大人にはなりたくないなぁ」という事だった。

ただ先に述べたように小学3年生とか4年生までは、そもそも僕には“虐待”という概念が無かった訳で、つまり「こういう大人にはなりたくないなぁ」の“こういう大人”とは、“虐待をする大人”という意味ではなかった。“正しい事を正しいと認識できない大人”という意味だった。その頃からだ。僕が算数に傾倒して行ったのは。

小学5年生の頃には数々のテスト結果と模範解答を付き合わせて見せる事により、「模範解答と異なる表記でも正解となる場合が有る」事を母親に“証明”してみせ、ようやく算数(後の数学)に関してだけは自分で勝手に勉強を進めて良い事になった。ここまで来ると、もう本当に意地である。「“正しい事を正しいと認識できない大人”にはなりたくない」という意地――その余りにも子供染みた(実際、子供だったが)意地だけで、僕は算数をやっていたのだった。

以上が、僕が小学生の頃から算数ばかりやっていた理由である。

今日はエイプリルフールか……。


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