MENU TOP ABOUT DIARY COLUMN HOBBY NOVEL WORD BBS

2005年5月

DIARY MAIN

2005年5月31日(火) ダイエットは続けてるんですよ

前日の時点で体重は先月末比+0.2キロ。実は今日の内に(瞬間的にでも)2キロ痩せないとサイト閉鎖だったので、朝から何も食べず飲まずでいたら、夕方になってもまだ1キロちょっとしか落ちなかったので、そのまま仕方なく家庭教師のバイトに。途中でファイブミニを飲んで必要な栄養素を最低限だけ摂取し、バイトから帰ってみると先月末比−2.2キロ。累計−10.4キロで今月の目標達成。来月からはノルマペースが月に1.5キロになるので、これから1ヶ月で1.1キロ痩せれば良い事に。

ちなみに夕飯食べて水分を大量に補給したら、1.6キロくらい戻りました。1キロくらいは水分。うわぁ……。

なので来月は実質2.7キロ減が目標ですね。早く暑い季節になって欲しい!


2005年5月30日(月) 誘惑に打ち勝つ

無事に学園祭も終わり、北極ラーメンの所為で無事じゃなくなった打ち上げも終わり、そして後輩(男)宅へ泊まりに行ったら、上半身裸&下半身トランクスだけという姿で誘惑されたが、その誘惑に僕が負ける事は無かった。

で、後輩と『真・三國無双4』をプレイ。おお、面白い。購入を決定。三国志とか全然知らないけど、取り敢えずアクションゲームとして面白い。競馬の事は知らなくても、『ダービースタリオン』が面白いようなものか。多分、真髄は理解できてないんだろうけど。

寝て起きたら午後0時。こんな時間まで寝てるなんて久し振り。外は雨が降っていて、「雨で憂鬱なんてのは、社会が生み出した幻想に過ぎない」という変な事を考えながら帰宅。そしてバイト。生徒の為に買っておいた問題集を家に置いて来たり、ヒゲを剃るのを忘れたりして、散々。


2005年5月29日(日) 口は災いの元

“口は災いの元”という言葉が有るが、僕の口は災いを呼び起こしまくっている。大抵の場合は、僕か他人に迷惑を掛ける。迷惑が掛かるのは僕か他人しかいないので、大抵じゃなくて絶対だったりする。

「この忌々しい口め!」と思ったので、特に災いを起こし易くなる(≒口が軽くなり易くなる)飲み会で出来る限り喋らない事にしたら、それはそれで不評のようである。「ゴシップ話をしないkasaになど存在価値は無い」とでも言いたげな、鋭く厳しい指摘が襲い掛かって来たりするのである。

「自分や他人に迷惑の掛からない話をすれば良いじゃないか」と思ってしまうが、人間というのは不思議な事に『自分以外の誰かに迷惑が掛かるような話』が大好きだったりする。そもそも僕自身も大好きである。となると口を開けばそういう話ばかりになってしまうのは自然な流れだ。自然な流れに逆らうのは、何となく負のイメージが有る。やはり喋るしかない。

――という感じで、今までは例えそれで自分の身に危険が迫ろうとも、と言うか実際に実害を被っても、色々と延々と散々と様々な事を喋り続けて来た訳なのだが、どうも最近は喋る前にブレーキが掛かってしまう様になった。何か一人で考え事をしている振りをしながら、実際に考え事をしたりしている。その考え事というのは「これを喋っちゃって本当に良いのかなぁ?」という価値判断ではなく、単に「あぁ、タバコが美味い」とか「明日は誰と飲みに行こう」とか「死にたい」とか、そういう日常的な思考である。

どうもタバコを吸い始めた時期と口数が減った時期が一致している気がする。単なる偶然なのか、それとも何らかの影響力が有ったのか、どちらかは割と謎だ。


2005年5月28日(土) ネタにされる、という事の男女差

女性は自分をネタにされる事を好まない。

またまた後輩の女の子から日記の削除要請が来てしまった。本当に削除するかどうかは思案中なのだが、女性に弱い僕の事なので「凄く傷付きました」とでも言われれば、すぐに削除に応じてしまうに違いない。

僕は男女とも同じくらいの割合で知り合いを日記のネタにしているつもりだが、削除要請が来るのは100%女性からである。男性をネタにする時は実名すら公開する事もあるが、女性は基本的に名前は出さない。そう考えると、どちらかと言えば男性からの削除要請が多い方が自然である気がする。

この齟齬は、どうして生まれるのだろうか? その一つの解答として、「女性は自分をネタにされる事を好まない」という傾向が有る気がする。

例えば僕の周囲では男性が集まると、知り合いの女性のランキング付け(誰が美人か、など)を行う事が有るが、これも女性には気に喰わない行為らしい。ランキングで下位になった女性が不服を唱えるなら分からなくもないが、このような行為は基本的に全女性が嫌う処のようである。

これが逆の立場だったらどうか? 即ち、女性が男性のランキング付けを行った場合である。そのような行為を男性が嫌がるかと言うと、殆どの人はそうではないと思う。と言うか、そういうランキングが有るなら是非とも見てみたい。自分が最下位でも良いから見てみたい。

以上より今日のイイタイコト。

女性は自分をネタにされる事を好まない。


2005年5月27日(金) SMILY

大塚愛の新曲『SMILY』のプロモーションビデオが凄い事になっている。

それはプロモーションビデオの冒頭で起こった。「また大塚愛の可愛い笑顔が見られるぜ、へへへへへ」と期待していた僕に、衝撃が走ったのだった。



……腹? なんだかイヤな予感。



いきなり男の、しかもお世辞にもカッコ良いとは言えない水着姿からかよ!

しかし悪夢は、これだけでは終わらなかった。





何なんだ、このパパイヤ鈴木とボブサップを足して2で割った、或いは曙を単体で3で割ったようなオジサン連中は。いや、マジで誰も望んでないから、こんな画は。

そして散々見たくもないオジサン達のセミヌードを観賞させられた後、ようやく我らが大塚愛が登場。





やっぱり大塚愛は可愛い。最高。この笑顔だけで寿命が延びそうな勢い。まぁその前のオジサン映像で寿命が縮んでいる訳だが。

ところが今回の大塚愛は、プロモーションビデオの中でとんでもない事をやらかしていたりするのである。



オジサンが嬉しそうな表情をしているのが、何とも興味深い。


2005年5月26日(木) 円満に別れる

興味深いアンケートだと思った。

関連リンク:「正解がわかった!」『われ思ふ ゆえに…』

ちなみに僕は「足で押す」派だ。

話は変わるが、とある男性から「彼女と円満に別れる為には、どうやって振れば良いか」という相談をされた。異性との交際経験が1度しかなく(同性との交際経験が有る訳ではない)、しかも別れた時には振ったのではなく振られた上、さらに円満だった訳でもない僕に相談するのは、どう考えても間違っていると思う。


2005年5月25日(水) 手の込んだ迷惑メール

最近は迷惑メールも手が込んで来たものだ。5月21日に以下のようなメールが来た。

私のメールボックスにエクセルらしき添付ファイル付きでメールが来てたんですが…どんなご用件でしょうか?
送信者アドレスが私の知らないアドレスだったので、何か間違いかと思って。
添付ファイルの内容はもしウィルスだったらと思って開いてません。
4458_sumi_15.xlsと言う名前のファイルです。
もし重要な書類だったらと思いメールしたんですが…。


僕は勿論そんなメールは送っていない。しかも僕のパソコンには、ワープロソフトも表計算ソフトも入っていない。明らかに返信を狙った迷惑メールである。

しかし、これで終わりではなかった。次の22日に以下のようなメールが来た。

私の方でもパソコンに詳しい知り合いに聞いてみたりして調べたんですが、多分いたずらかウィルスじゃないかと言う結論になりました。
ただ、開かなかったのでウイルスに感染してはいないようです。
お騒がせしてごめんなさい。


無論、再び無視。しかし23日に続きが。

無神経かもしれませんが…もし良かったらメル友とまではいきませんがメール交換でもしませんか?
実は先週離婚して今、実家に居るんです。
近くに誰も話相手もいないし。突然届いたメールに返信してしまったと言うのもあるんです。
もし暇なお時間とかあるんでしたら、お話し相手にでもなってくれませんか?
無理にとは言いませんので。気が向いたらでいいです。お返事下さい。


「遂に本性を表したな!」という感じである。「早くメールに返信しろ」と言わんばかり。当たり前だが無視である。しかし、24日にはさらなる続きが来たのである。

何もする事が無く、迷惑かと思いつつメールに手が伸びてしまいました。
メル友をお願いしたとは言え、何も知らない私にメールするのも微妙ですよね…。
一応自己紹介しておきます。
32歳で、先週離婚したばかりです。子供は居ません。
今は実家に一時的に住んでいます。
離婚の原因は…夫の浮気です。
2週間も家に帰って来なかった時期があったりとずっと前から怪しかったのですが。
色々と調べた結果、会社の部下と浮気を2年していた事が発覚して。
まぁ、よくある話ですが自分にまかさ起こるとは思いませんでした。
こんな話をするのは少し気が引けたのですがお話を聞いてくれる相手もいなくて。
勝手に私一人盛り上がって迷惑をかけるのも嫌なのでこの辺で。
またメールしてしまうかもしれませんがお願いしますね。


何も知らない私にメールするのも微妙ですよね→分かってるじゃないか。微妙。
2週間も家に帰って来なかった時期があったり→明らかにおかしいだろ。3日くらいで気付け。
またメールしてしまうかもしれませんがお願いしますね→マジか。もし続きが来たら、また日記で紹介しよう。

しかしここまで手が込んで来ると、思わず返信してしまうような心の優しい人が居そうである。僕の心は荒んでいるので騙されないが、未だにオレオレ詐欺に引っ掛かるような人が居るくらいだ。このサイトの読者であればメール交換は歓迎(但し返信は遅いです。すいません。)だが、こういうメールに返信すると、どういう反応が来るんだろうなぁ。その辺をレポートする為にも、1回くらい捨てアドで返信してみるのも面白いかも知れない。


2005年5月24日(火) 「確率」と「確立」

もう止めようよ。「確率」を「確立」と変換を間違えるのは、もう止めようよ。基本的な漢字の使い分けが出来ないなんて、小学生みたいでカッコ悪いよ。もう止めようよ。

もう止めようよ。「確率」を「確立」と変換を間違えているのを見付けて「間違ってるぞ」と有頂天になるのは、もう止めようよ。周りの皆は分かってるんだから、わざわざ指摘するのなんてカッコ悪いよ。もう止めようよ。

もう止めようよ。「確率」を「確立」と変換を間違える事について議論するのは、もう止めようよ。直らない人は直らないんだから、そっと見守っていられないなんてカッコ悪いよ。もう止めようよ。
(↑自己矛盾)


2005年5月23日(月) 小説

前回(SKIM OVER STORY 第3話『出会い side:A』)/過去ログ

SKIM OVER STORY 第4話『出会い side:B』

 ――1991年7月2日(火)

 誰かが後ろから近付いてくる足音が聞こえたので、私はゆっくりとそちらを振り向いた。
 そこには私と同い年くらいと思われる男の子が立っていた。微かに見覚えのある顔をしている。多分、同じ小学校の生徒だろう。
 私と向き合う形となった彼は、ちょっと緊張したような表情をしていた。見知らぬ私の存在に警戒しているのかも知れない。
 私は思わず微笑んでしまった。心の中を隠さず、ありのままの感情を顔に表す彼を見て、その純粋さに心打たれたからだ。それは、いつの間にか私の中からは消えてしまったモノである。
 しかし彼はますますその緊張の度合いを強めてしまったようだ。よく考えてみれば、知らない人物にワケも無く微笑みかけられたのだから、確かに恐怖を感じても不思議ではない。というよりは当然だ。
 ――悪い事したかな?
 私は反省し、こちらから彼に話し掛ける事にした。
「こんにちは。君、私と同じ小学校の子だよね。校内で何回か見掛けた事あるモン。ねぇ、何年生?」

 私は平松泉。小学校6年生。赤と青――それが大空で混ざり合ったのが、私。
 悟が死んでから丁度、一週間が経っていた。
 私にとって、たった一人の兄弟である弟――それだけにショックは大きかった。
 しかし忌引きも終わったので、今日からまた小学校に通わなければならない。だけど、そんな短期間で私の心が癒されているハズがなかった。
 予想通り授業にはまったく身が入らず、終始ぼんやりとしてしまった。明日からは頑張ろう――そう思いながら下校していると、無性に海が見たくなった。
 弟の遺骨はお墓の下には無い。粉にされて、海に撒かれたのだ。
 ――だから海を見たい。少しでも弟を感じていられる場所に居たい。
 気付くと、私は近くの海岸に向かって走り出していた。

 ……私は海に向かって走っている。だけど、それで私はどうするつもりなのだろう? これから私は何処に向かい、そして何を求めるというのか――?
 海岸に着いて最初に目に映ったのは、真っ青な海と真っ青な空だった。それらの真青色が持つ神聖さは、私に対しては無言のプレッシャーにも皮肉にもなり得た。
 このままでは、私はこの世界から弾かれてしまう――そう感じられるのは、何故なの?
 ……青。あぁ、赤と別たれた、神聖なる青。そして穢れた私の中にも、その青が――

 私は毎日、彼と会い続けた。正確には、会っていた訳ではない。何もお互いに約束し合ったわけではなく、私も彼もその海岸に来続けた結果、自然とそうなったのだ。
 一緒に遊ぶでもなく、ただ彼と同じ時間と空間とを共有するだけ――それだけで私は何かが満たされていくのを感じた。
 そして一ヶ月くらい海岸に通う日々が続くと、私は段々と弟を失った辛さが軽減されていった。すると私は海岸に行くのを止めてしまった。
 彼には何も言わずに。

 ――1994年7月5日(火)

 弟が居なくなって3年が経った。私は3年前に弟を失った辛さを乗り越えてなどいなかった事に、ようやく気付いていた。
 私は――何をしているのだろう?
 何となく寂しさを感じた私は、あの海岸に行って海を眺めた。弟が眠っている海――そして私は今、此処にいる。
 視界の中では赤と青の鬩ぎ合いが目まぐるしく展開して行き――突如として、背後から足音。
 ――何故だろう? 確信が有った。
「久し振りね」
 考えるよりも先に言葉が口から出て行った。私は振り返ってもいない。
「何を――見てるんだ?」
 何を――? ……私は何を見ているんだろう?
 ――分からない。私には、自分が何を見ているのか、そして何処に向かっているのか、何も分からない。
「……ずいぶん乱暴な言葉使いするようになったのね。でも、まあ仕方ないか。もう君も中学生だモンね」
 彼の質問に答えられなかった私は、話を強引に逸らしてしまう。しかし、そこで彼が再び同じ質問をして来る事は無かった。
 あぁ、なんて居心地の良い――
 ――そして二人は沈黙する。遠くには美しい水平線が見える。これだけは、いくら時間が経っても変わらない。私がどんなに変わってしまっても。

 ――しばし後、私は自宅に帰る事にして。
 私が自宅の玄関のドアを開けようとした瞬間、ドアのすぐ傍に見知らぬ人物が佇んでいる事に気付いた。
 泥棒――!? 瞬発的にそう感じ、身を硬くした。動けない。
 しかし相手は私の緊張など何処吹く風といった様子で――私に対してゆっくりと語り掛けて来た。
「平松……泉さん、だね?」
 私は答えられない。何故か目の前の人物からは圧倒的なプレッシャーを感じる。
「君に動いて貰うのは……そう、今から丁度9ヵ月後だ。それまでは束の間の自由を楽しみなさい」
 その人物は掌を広げ、私の顔を覆うようにして近付けて来る。まだ私は動けない。
 遂に相手の掌が私の顔面に直接触れるに至り、私の視界の大部分は遮られる。煙草の臭いが染み付いた手だ。
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
「……これがあの平松悟の姉か。何とも呆気無かったな。まぁその方が私には好都合だが――」
 相手の声は私の耳を素通りするだけだった。ただただ通り過ぎて行くだけの音に過ぎない。
 その人物は不敵に哂うと、この場を去って行った。
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――
 そして、私は――

次回、SKIM OVER STORY 第5話『魔女』――2005年6月19日掲載予定。

【後書き】
平松泉と松下和馬は本来もう1回会っているのだが、それを平松泉の視点から描くのは諸事情により不可能なので、その部分を仕方なく削っている。なので『出会い side:A』『出会い side:B』という対称的なタイトルなのに、形としては対称ではないという歪な体を為してしまった章。非常に残念だ。このエピソードで「プロローグ」に充たる部分は終了予定だったが、もう少し追加したいシーンが出来たので、本編は第6話からとなる。


2005年5月22日(日) 不機嫌じゃなかったらしい

今日のサークルに行き夜まで練習を見て飲んで帰るという極めて平凡な一日を過ごしてしまったのだが、今日は昨日と同じようにしていたのに不機嫌そうには見えなかったらしい。自分では違いがよく分からない。


2005年5月21日(土) 不機嫌? 怖かった?

午前中からサークルに行き夜まで練習を見て飲んで帰るという極めて平凡な一日を過ごしてしまったのだが、今日は珍しい事に帰る途中で複数の後輩から「今日はkasaさんは不機嫌だったんですか?」とか「怖かったです」という事を言われた。

僕は普段からニヤニヤとしたイヤラシイ表情をしていたり「彼女が欲しい」という発言ばかりしているような人間なので、上記のような事を言われるのは極めて稀である。実は飲み会の最中は確かに疲れていて少し憮然とした表情をしていた自覚は有るのだが、どうも朝から不機嫌に見えたようである。

不機嫌だった可能性としては「人生で何をやっても巧く行かない」といった些細な問題から「今日の夕御飯は何を食べようかなぁ」といった極めて重大な問題まで、様々な思考要素が絡んでいたと考えられるが、それにしてもこんな事は普段から頭の片隅に置いている事であり、今日に限ってそれが表情に顕在化したとは考え難い。

実は先日、精神科医に「君のライフスタイルを見ると、サークルとアルバイト(家庭教師)にエネルギーを使い過ぎている」という指摘をされた。「それを取られたら人生の楽しみが3%くらい減るんですが」と思ったが、どうにもその言葉が引っ掛かっており少しテンションを低めに生きて行く決意をした記憶が微かに残っている。僅か2日前の話なのに酷く虚ろな感じだ。


2005年5月20日(金) 真実と虚偽と冗談

僕は冗談しか話さない。

日常会話に於いて、僕の言葉の9割以上は真実ではない。じゃあ僕は虚偽の内容ばかり話しているのかと言うと、そうでもない。

例えば「今日の講義、憂鬱だなぁ」という言葉を言ったとして、それが本当に「憂鬱だ」と本気で思うほど憂鬱に感じているかと言うと、殆どの場合はそこまでではない。何と言うか、「大学まで行くのがちょっと面倒だ」とか「今日は苦手な科目だ」とか、そういう微細な理由が折り重なって「今日の講義、憂鬱だなぁ」と言っているだけで、正確にはその講義自体がそこまで僕を憂鬱な気分にさせる訳ではないし、しかしながら何処かで負の感情は感じたりしている。そういう意味で「今日の講義、憂鬱だなぁ」という言葉は真実とは言い難く、また虚偽とも異なる。

もっと端的な例を挙げれば「今日は死ぬほど○○した」という表現が有るが、これなんかは全てに於いて真実ではない。本当に「死ぬほど」なら実際に死んでいるか、若しくは生きていたとしても瀕死状態くらいになっていないと、「死ぬほど」という表現は何処か不適当である。一方で、ではそれらが全て虚偽の報告かと言えば、それも一概には肯定できない命題だ。

思うに人間というのは物事をやや誇張して話す傾向に有り、それが結果的に「真実でも虚偽でもない」という中途半端で宙ブラリンな状態を作り出している。僕はこの状態を全て「冗談」という表現で表している。これも不適切な名称だが、だが何らかの認識の役には立っているのではないか、という薄っすらとした微かな希望が有る。

そもそも文頭の「僕は冗談しか話さない」という一文ですら、「冗談」であると言える。僕が幾ら「冗談」の定義を拡大したとしても、「冗談しか」話さないという事は有り得ないだろう。ところが「殆どが冗談」である事は確かに言えるのだ。

この真実とも虚偽とも付かぬ滔々とした「冗談」の渦は、年齢を重ねる毎に巨大化して行っている気がする。仕舞には僕は真実も虚偽も殆ど喋れない、本当に99%が「冗談」で占められた人間になってしまうのではないか、そういう嫌な予感が有ったりする。


2005年5月19日(木) 続・キリテ

『キリテ』を聴き続けています。今回は神秘的なサウンドが多いですね。


2005年5月18日(水) 交渉人 真下正義

映画『交渉人 真下正義』を見て来た。大ヒット作『踊る大捜査線』の番外編的な存在とあって、周りは平日昼間なのにカップルだらけだった。やはり『名探偵コナン』や『クレヨンしんちゃん』とは客層が違うな。(←アタリマエ。)

僕は『踊る大捜査線』はドラマも映画も見ていないのだが、取り敢えず内容を理解するのに支障は無かった。地下鉄車両のコントロールを掌握されるという都市型テロに対し、警視庁初のネゴシエーター真下正義が挑む。

感覚的にはドラマ『古畑任三郎』の最終話「最後の事件」や『機動警察パトレイバー劇場版2』を思わせる展開だった。と言うか、足して3で割ったような感じ。“3で割った”という事は、それだけ不満点が多かった、という事である。

別に映画の出来自体は悪くないと思うのだが、何か足りない。犯人が出してくるクイズも今一つ必要性に欠けるし、そもそも犯人が真下正義に拘る理由も分からない。

そしてこれが決定的だったのだが、「この映画に真下正義というキャラクターは必要無いのではないか?」と思えてしまったのが最大の痛手。“警視庁初の交渉人”と言う肩書きだが、その交渉術は稚拙さを感じる。映画を見ている間ずっと「これから凄い活躍を見せるに違いない、違いない……」と思い続けていたのだが、その期待は呆気無く裏切られた。地上を捜査していたヤクザ風のサングラス刑事の方が、余程カッコ良かった。

途中の笑い所はツボを突いて来る物が多かったが、外している物も多かった。要は数が多過ぎて、せっかく構築した緊迫感を無為に壊している場面が何箇所か有ったのが残念。

……と、貶してばっかりですが、でもまぁ悪くはない出来だと思います。ホントに。多分、周りがカップルばかりで、僕の気が立っていたんでしょう。


2005年5月17日(火) キリテ

遂に、遂に明日なんです。明日は『キリテ』の発売日なんです!

『キリテ』は、ゲームソフト『クロノトリガー』や『クロノクロス』の音楽を担当した光田康典と、同ソフトのシナリオを担当した加藤正人とのコラボレーションアルバムです。光田康典は従来のゲームミュージックに民俗音楽の要素を取り込む事により、独自の音楽世界を構築するに至りました。僕は大学受験を2ヵ月後に控えた1999年末、受験勉強などそっちのけで『クロノクロス』に嵌まりました。未だに僕の中では『クロノクロス』がNO1ゲームです。『クロノクロス』のオープニング曲(『時の傷跡』)を用いて、ステージマジックも行いました。

そんな『クロノクロス』を製作した中心人物の2人がタッグを組んだ『キリテ』が、素晴らしい作品である事は間違いありません。この2人なら駄作を作る方が難しいでしょう。『キリテ』の発売を知った数ヶ月前から――僕はこのアルバムを聞く為だけに生きて来たと言っても過言ではありません。

あぁ、『キリテ』がもうすぐ目の前に……!!! 聴きたい、早く聴きたい……!!

ちなみに『キリテ』発売後は、『ファイナルファンタジー]U』の発売を心の支えにして生きて行く予定です。2005年春発売予定ですが……“春”って何月の事でしょうかね? 映像作品『ファイナルファンタジーZ アドベントチルドレン』の方は、9月14日に日米同時発売だそうです。どっちも随分と遅れたなぁ……。


2005年5月16日(月) 沖ノ鳥島

千葉県民の友人に対して「日本に於ける千葉県なんて、東京に於ける沖ノ鳥島みたいなものだろ」と言ったら、「死ね!」とだけ返されました。

ところで僕は沖ノ鳥島を東京都だと思っていたのですが、平成11年からは国の直轄地域に移行したそうですね。知りませんでした。一応、郵便番号110−2100の東京都小笠原支庁小笠原村だそうですが、実質的には東京都の手からは離れているようです。


2005年5月15日(日) 恋と愛は両立しません

kasa:4次元の世界ってのはさぁ、時間が距離になるって言うけど、じゃあ5次元の世界では何が新たに距離になるんだろうなぁ?
後輩O:それはきっと……愛ですよ。
kasa:ほぅ……愛か。じゃあ4次元の世界では愛が流れてるんだねー。でも5次元だと負の愛ってのも存在する訳だ。負の愛って何だろうねぇ。憎しみ?
後輩O:でも愛と憎しみは両立し得ますよ。
kasa:なるほど、確かに。じゃあ一体なんだろう。
後輩O:恋……じゃないですかね。恋と愛は両立しません。
kasa:おお! なるほど!!
後輩O:僕は恋が欲しいです。
kasa:僕は愛が欲しい。

こんな会話を繰り出す数時間前には、僕は後輩の女性に「“ご主人様”って呼べよ!」などという不謹慎極まりない発言をしていたりするのでした。


2005年5月14日(土) 内装工事の余波

今日の日記は超フライング更新。

昨日から自宅の一部で内装工事をしている。

という事は、工事している部屋の家具やら何やらは全て他の部屋に移さねばならない。で、その矛先となったのが僕の部屋である。両親曰く「お前は自分の部屋を全く使っていないから、物を置いたって問題が無い」との事。


↑物が置かれた自室東側

↑物が置かれた自室西側

↑殆ど何も無くなったリビング

確かに僕は自分の部屋を殆ど使っていなく、一日の大半をリビングで過ごしている。寝るのもリビングの絨毯の上で、布団も敷かずに寝る。通常時に於いて、僕は自分の部屋は物置程度の役割しか持たせていない。

しかし今回の内装工事では、リビングも工事範囲に入っているのである。あくまでも僕はリビングが有るから自分の部屋を使わないのであって、リビングも自分の部屋も仕えない状態で、工事の期間中は何処で寝ろと言うのか。と言うか、普段も何処に居ろと言うのか。居場所は風呂場とトイレと洗面所くらいしか無いじゃないか。(玄関とリビングと台所が、今回の工事現場である。)

そういう事になっているので、この日記は自宅の洗面所にパソコンを持ち込んで書いている。傍から見たら、何とも憐れな状態に違いない。


2005年5月13日(金) 卵が先か、鶏が先か

僕は家庭教師のバイトで基本的に数学しか教えないが、生徒が高校生の場合には適宜(月に1回程度)、生命論や心理学や哲学などに関する簡単なエッセイ風の読み物を渡す事にしている。これは高校生の内に様々な種類の学問が存在する事を知って貰いたく、そして願わくば大学受験の際の参考になれば、という考えからである。僕自身が高校生の時に無知で実はその事を後悔していて、せめて家庭教師の生徒にはそういう思いはして貰いたくないからだ。何処まで効果が有るかは不明だが。

原則としてコピーしたプリントを渡すだけだが、指導時間が中途半端に余った時などは、一緒に読んだりもする。僕が知っている事実などを補足しながら読んだ方が、一人で読むよりは理解が深まるのではないか、という淡い期待の下にである。

で、先日の事であるが、その読み物の中で「卵が先か、鶏が先か」という言葉が出て来た。この言葉は知っての通り、「鶏が産まれたのは卵からである。その卵を産んだのは鶏である。その鶏が産まれたのは……」という際限の無い議論と言うか物事を示す言葉であるが、この言葉を生徒は知らなかった。僕としては「卵が先か、鶏が先か」は中学生以上であれば誰もが知っている言葉だと思っていたので、少々意外な思いをした。

この生徒は誰もが知っているという程ではないがかなりの進学校に所属し、その中でも学力的には最も高い“特進クラス”というヤツに入っている。だから彼が特に常識が無いとか、そういう訳では決して無い筈である。(有名進学校に所属していない人間は非常識だと言っている訳ではない。)僕は最初ド忘れしているだけかと思い、「卵が先か、鶏が先か」の意味を説明したのだが、それでも今までに一度も聞いた事の無い言葉だと言う。

「卵が先か、鶏が先か」という言葉はそう頻繁にではないにしろ、通常の日常生活の会話の中で出て来る範囲内の語彙だと思う。ならば可能性としてはまず生徒が聞いた事が有るにも関わらず、それを全く覚えていなかったというのが思い浮かぶ。これは知らない事を耳に入れても知ろうとしなかった生徒の怠慢だが、だがそれよりも恐ろしいのは本当にそれまでの人生で一度も「卵が先か、鶏が先か」という言葉を聞いた事が無かった、という可能性の方である。

これは「卵が先か、鶏が先か」という言葉が発せられるような環境下に、生徒が常にいなかった可能性を示唆している。その可能性というのが、僕には凄く怖いもののように感じられるのだ。「最近の若い者には常識が無い」とは昔からの格言だが、そのような常識を育む環境が整っていないのだとしたら、それは若者ではなく社会の、即ち先人達の責任が大きい。

別に「卵が先か、鶏が先か」という言葉を知らない人間が居ても他人は困らない。しかし知らないと他人に迷惑を掛ける常識というのは無数に存在し、そのような致命的な常識と「卵が先か、鶏が先か」という言葉の常識との間には、情報伝達という面から見たら何の境目も無いシームレスな状態が広がっているだけのような気がしてならない。


2005年5月12日(木) 露出狂おじさんとロリコンと社会の窓

出掛けたら途中でズボンのチャックが開いているのに気付いた。俗に言う“社会の窓”(※1)というヤツである。危うく「若い女の子に自分の恥部を見せ付けて喜ぶ露出狂おじさん」みたいな存在になる所だった。まだ閑静な住宅街を抜け出す前だったのが、不幸中の幸い。

……と思っていたが、「若い女の子に自分の恥部を見せ付けて喜ぶ露出狂おじさん」というのは、得てして閑静な住宅街に出没するものな気がして来た。そう考えると、段々と落ち込んで来た。僕はまだ“おじさん”と呼ばれる世代ではないが、若い女の子(≒女子中学生とか!)にとっては、23歳は最早“おじさん”かも知れない。あぁあぁぁ……。

ちなみに僕は「若い女の子に自分の恥部を見せ付けて喜ぶ」ような事はしないが、若い女の子自体は当然の如く大好きである。14歳以上なら守備範囲だったりする。だってロリコンだから。ちなみに同年代や少し年上の女性も大好きである。しかし僕を好きな女性は極めて希少だ。どうして世の中、こうも巧く行かないのか。僕はこんなにも女性が好きだというのに。あぁ、愛するよりも愛されたい。

ところが或るロリコンな友人に言わせると、14歳なんてのはもう全然ロリータじゃないらしい。年齢が2桁になるかならないか、くらいが一番の“旬”だそうだ。ロリコンの道も奥が深い。と言うか、危険だ。(僕も充分に危険だ、という説も有る。)

※1
そう言えば何故ズボンのチャックを“社会の窓”と言うのか? 調べてみると、昭和20年代のNHKラジオに『インフォメーションアワー 社会の窓』という番組が有り、これは“社会の裏側を鋭く突く”というのをウリにしており、コレから何かを隠しているものを“社会の窓”と言うようになったが、何時の間にかズボンのチャックだけが“社会の窓”と呼ばれるようになったそうだ。しかし“社会の裏側”と“ズボンのチャック”では、隠されている物に相当の隔たりが有ると思うのは気のせいだろうか?


2005年5月11日(水) 両親

「あんな親から、よくこんなに出来た子供が生まれたもんだ」と思う事は多いが、同時に「子も子なら、親も親」とか思う事もまた多い。そして勿論、「親は素晴らしい人なのに、子供の方は……」と思う事も頻繁だ。

僕は親嫌い&自信過剰男なので、当然最初のケースに当て嵌まると平然と言ってのける人間だが、まぁ自分の話は抜きにして他人の話に限っても、割と両親がダメだな、と思う事が多くなって来た。

エイプリルフールの日の日記に書いたように、僕は小学生までは両親なんて頭も悪ければ正常な倫理観も無い人間なのが普通だと思って来た訳だが、ある一定の時期からは「それってどうも、ウチだけみたいだぞ?」という疑念に駆られ始める。どうも「隣の芝生は青い」状態に捕らわれてしまったようで、友達の両親の話なんかを聞いてると、「なんて素晴らしい親なんだ」とか勝手に感動したりしていた。

ところがさらに時間が経って感じたのは、それでも素晴らしい親ばかりではないんだ、という事だった。どうもウチの両親のように、他人に暴力を振るったり精神的苦痛を与える事が楽しみな親というのも、それなりに存在するようだ。では何故その存在に気付かなかったかと言うと、そういう両親の子供は基本的に家族の話をしたがらないのである。

そういう身内の恥部を晒したくないという気持ちは理解出来なくはないので納得なのだが、そうなると「自分だけが不利な環境下で何とか成長して来た」という、ささやか自負は脆くも崩れ去る事になる。まぁそんな自負、無い方が良い気もするが。

或る意味で、これまでインプットされて来た“両親”という項目の情報は、既に他人からのアウトプットの段階でフィルタが掛けられていた訳で、そうなると様々な場面で勘違いや不適切な対応をして来たな、と多少の後悔の念に駆られたりする。

僕は先日、実は当の昔に別れたとは知らなかったカップルの女性の方に、「○○君をヨロシクね!」などと言ってしまい、後で真相を聞いて焦った事が有ったのだが、「他人の両親は素晴らしいものだ」という勘違いに起因する後悔は、これに似た要素を持っている気がする。巧く言葉で説明出来ないので、これ以上に詳しく語れないのが残念だが、そういう感覚が何となくだが存在するのだ。


2005年5月10日(火) 小説

前回(SKIM OVER STORY 第2話『仔猫2』)/過去ログ

SKIM OVER STORY 第3話『出会い side:A』

 ――1997年08月12日(火)

 楽しかった、あの夏の日々が戻って来る事は、もう無いのだろう。
 いや、あれは現実ではなく、単なる僕の『夢』だったのかも知れない……。

 ――だとしたら、僕は一体何をしていたのだろうか……。そして、これから何をするのか……。どうしたら良いのか……。

 ――1991年07月02日(火)

 僕の名は、松下和馬。小学校4年生だ。僕はいつも通り、学校から帰るとすぐに、家の近くにある浜辺へと走った。
 海水浴シーズンだというのに毎年全く誰も泳ぎに来ないその海岸は、僕のお気に入りの『領地』だった。僕にとって、その余りに広大な『領地』は、宝の山でもあった。綺麗な貝殻、踏むとキュッという小気味良い音が鳴る砂、真っ青な海……。
 ただ今日はいつもと違い、僕の大切な『領地』が誰かの侵入を許していた。僕が近付くのにも気付かず、ただじっと遠くの海を眺めていた、その『侵入者』は――

 ――咄嗟に「こいつは敵だ」って思ったね。あまりにも『自分』とは違い過ぎたから。

 その『侵入者』は、女の子だった。僕は最初、どう対応したら良いか分からず、戸惑った。僕はクラスの男子の中では大きい方だったが、彼女はその僕と、ほぼ同じくらいの背の高さだったのだ。
 ひょっとしたら『中学生』という名の『異星人』かも知れない。だとしたら、もうこの『領地』は諦めなければならない――そう考えていると、突然、彼女が僕の方を振り向いた。
 ――急襲だ! 気を付けろ!
 僕は即座に臨戦体制に入った。僕は、この未知の相手が怖かった。しかし、そんな僕に対して、彼女はいきなりニコッと笑いかけて来た。
「こんにちは」
 僕はまるで何かの薬でも飲まされたかのように、意識が少し遠のいた。既に僕には、彼女を直視する事が出来ない。
「君、私と同じ小学校の子だよね。校内で何回か見掛けたことあるモン」
 僕はハッとした。大きな勘違いをしていたのだ。彼女は『敵』ではなく、『仲間』だったのだ。
「ねぇ、何年生?」
 僕は素直に答えた。
「4年……」
「へぇ、学年の割に大きいのね。私は6年生。あと半年もしたら卒業なの……」
 何故か彼女は寂しそうに言った。

 ――小学6年生って言ったら、まだまだ子供な年齢だが、彼女は妙に大人びて見えた気がする。何と言うか、『全てを見透かされてる』って感じがした。

 次の日も、そしてまた次の日も、僕は海岸で彼女と会った。別にそこで2人で一緒に遊ぶという事は無かったのだが、あの時僕たちは確かに同じ時間、同じ場所を共有していた。しかしその間ずっと、彼女が寂寥以外の表情を見せる事は無かった。
 そして、そんな日々も長くは続かなかった。ある日からぱったりと彼女が海岸に現れなくなったのだ。その時に感じた、心にぽっかりと穴が開いたような感覚は、今でも忘れることが出来ない。
 そして夏が過ぎ、僕もあの海岸に行く事が無くなった。

 ――「もう会えないんだ」って思うと、無性に泣きたくなったりするよな。どんなに些細な相手でも、『別れ』って辛いんだ。でもその代わり、忘れてくのも早くて……。

 ――1994年07月05日(火)

 13才の夏――
「今日の夜、皆で幽霊退治に行こうよ」
 ――今日の昼休み、突然そんな事を言って来たのは、幼馴染の相田香織だった。近くには浦部輝彦と芦野結里が居る。学校的には「問題の4人組」らしい。僕は何も問題なんか起こしていない……それどころか寧ろ香織たちがやろうとする事を止めている立場なのに、何故か怒られてばかりだ。
「勘弁して欲しいよなぁ、幽霊退治なんて……」
 香織のその台詞の所為で、それからというもの僕はずっと憂鬱な気分だった。幽霊とか超常現象とか、そういうのが決定的に苦手な人間なのだ。
 幽霊――その存在を頭の中では否定しながら、それでも何かが否定し切れずにいる。滓のような物が脳内に溜まっている感じだ。堪らない。
 幽霊なんている訳無い――そうは思いながらも、何かを恐れている自分がいる。冷静に、そう認識している自分が。
 そんな自分が、何の因果か幼馴染3人と一緒に幽霊退治をする為、夜の学校へ忍び込む事になった。
 ――憂鬱だ。
「8時、だったか……。まだ随分、時間が有るな」
 ボンヤリと考えながら、足は自然と例の海岸へ向かっていた。この3年間、1度も行く事の無かった海岸に。
 そして、彼女はそこにいた。やはり遠くの水平線の方を眺めながら。
「久し振りね」
 振り向きもせず、彼女はそう言った。僕は少なからず驚いた。
 足音で誰かが近付いた事は分かったかも知れない。でも、それが僕だとは何故――?
 しかし僕は内心とは裏腹に、冷静を装ってそれとは関係の無い事を尋ねた。
「何を――見てるんだ?」
「……ずいぶん乱暴な言葉使いするようになったのね。でも、まあ仕方ないか。もう君も中学生だモンね」
 結局、訊いたことには答えてくれなかったが、何故かもう一度訊く気にはなれなかった。
 仕方なく僕は別の話題を探した。
 同時に、何か話さなきゃ、と思っている自分がおかしかった。
 3年前に度々会っていた時は、別に何時間もお互いに話さなくても平気だったハズだ。
 そう思ったので、その後は僕から口を開くことはなかった。

 ――あの頃は、何に対しても一生懸命だった。……意地を張ることにも。

 そしてその年も夏が終わりに近付くと、あの娘はまた来なくなった。
 その日、海岸に着いて誰もいないのを知ると、急に息苦しくなった。
 それからはその海岸を意識的に避けるようになった。

 ――この時には、はっきりと彼女が好きだった気がする。でも当時の僕には、その気持ちをどう扱えば良いか分からなかったんだ。

 ――1997年08月12日(火)

 さらに3年が過ぎ、16才の夏になった。
 その日、僕は3年振りにあの海岸に行った。また彼女に会えるのでは、と思ったのだ。何となく、だけれど。
 そして――彼女はいた。例の如く、遠い目をしながら。
「来たんだ……」
 例によって振り向きもせず、彼女はそう言った。
「ああ……」
 そして彼女は振り返った。6年前のように。
「ハハ……背、伸びたね」
 もう僕は彼女より頭一つ分、大きくなっていた。
「何を――してるんだ?」
 また答えをはぐらかされるかと思ったが、意外にもちゃんとした返事が来た。
「海を、見てるのよ」
「――何故?」
「何故ですって? 海を見るのに理由がいるのかしら」
「そんなコトないケド……」
「でしょう?」
 彼女は僕をからかうようにして笑った。
 僕も何となく笑った。カラカラと笑った。理由は無い。笑うのに、理由なんて要らなかった。笑いたいから、笑ったのだった。
 ただ――その日以来、彼女が海岸に姿を現す事が無くなった。

 ――人間てのは、汚いよな。どんなに純粋だったものも時間が経てば、みんな汚れていくんだ。……泣けるよな。

 僕は次の日、何故か涙を流した。
 いや、涙を流すのに『何故』なんて関係無い。
 そこには、何かを失った悲しさがあるだけだ。

 ――『人間の価値』は、その人がどんな時に泣けるかで決まる、って誰かの言葉が有ったな。……僕は正しかったかな?

 目の前には広大な海が広がっていた。僕は海岸に立っていた。もう彼女は現れない海岸に。
 どうやら気付かぬ内に過去の回想に浸っていたらしい。
 僕は思わず苦笑した。何故かは分からない。ただ、そうするのが自然だと思えたのだ。
 そして自然と僕は、思い出の浜辺を歩いていた。遠くの海を眺めながら。
 今となっては『あの娘』が誰だったのかを知る術は無い。
 そもそも彼女は実在の人間だったのだろうか? 僕は彼女の名前すら知らないのだ。
 ひょっとしたら、あの年代の少年特有の『夢』が夢を見させてくれただけかも知れない。
 しかし、そうではないという可能性が消えることも無いのだ。

 ――人間は磁石みたいなもので、両方が引き合わなくちゃ上手くいかないんだ。だから、僕たちは……。

 何日か後、再び海岸を歩いてみた。もう彼女は居ない、あの海岸を。
 すでに浜辺の砂は踏まれても気持ち良い音を出してくれない。
 この辺りもずいぶん開発が進んで、同時に汚染も進行したのだ。
 それでも僕は、ゆっくりと思い出をかみしめるように一歩一歩、歩いて行った。
 外観は大きく変わってしまったが、一つだけ変わっていないものもあった。
 水平線である。
 僕はそれを眺めながら、浜辺を歩いていた。

 ふと視界の隅に入るモノがあった。
 僕は立ち止まり、ゆっくりと顔をそちらの方に向けた。
 そして、目を大きく見開いた。

次回、SKIM OVER STORY 第4話『出会い side:B』――2005年5月22日掲載予定。

【後書き】
これが人生で初めて書いた小説(の一部)だったと思う。もう随分と原型を留めていないけれど。書いたのは中学生くらいの頃だったか。懐かしい。この話は既に3回くらい書き直しをしていて、かなり多くの部分で整合性を失ってしまったのが残念なのだが、どうも僕は昔に書いたモノを再利用せずには居られない性格のようだ。この『出会い』のイベントは全編を通じて見れば、さほど重要な意味は持っていないのだが。この2人が出会うのって、この時だけの予定だし。それにしても、世の中こんな少女ばっかり居たら、さぞかし怖いだろうな。


2005年5月9日(月) 予定バニッシュ

予定が急に空いてしまった場合、僕の行動パターンは、

という3種類しか存在しないのだが、今日は珍しく新宿を散策するという行動に出てみた。

……無意味に疲れた。明日からはバイトラッシュなので、何かリフレッシュしないと。しかし最近は楽しい事があまり無いのが辛い所だ。


2005年5月8日(日) ゴロゴロ

ゴールデンウィーク最終日にして、ようやく初めて一日中屋内でゴロゴロと出来た。と言っても、パソコンで動画編集やら音楽ファイルの整理やらをやって15時間くらいは消費してしまったので、残りの時間では寝る事くらいしか出来ない。

ようやく日記がリアルタイムに追い付いて来たので、何だか凄く安心した。


2005年5月7日(土) 上遠野浩平

僕がしきりにオススメしている上遠野浩平ですが、「世界観が分かり難い」「どういう順番で読み始めたら良いのか分からない」「ってか、何シリーズ有るの?」という声が有るようなので、僕なりに整理してみたいと思います。

――という訳で、まずは作品リストから。現在の所8シリーズ28作品が発売中。その内、1つが完結、もう1つが完結予定、2つが単発作品だと思われます。但し、上遠野浩平の作品は出版社の枠を越えて全作品が繋がっています。

次に読む順番についての注意点を挙げてみます。 以上を総合すると、以下の順番で読むのが妥当ではないか、と思います。

『ブギーポップは笑わない』〜『夜明けのブギーポップ』→『ナイトウォッチ』シリーズ→『冥王と獣のダンス』→『機械仕掛けの蛇奇使い』→『ブギーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師』〜『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』→『しずるさん』シリーズ→『ソウルドロップの幽体研究』→『ビートのディシプリン SIDE1[Exile]』〜『ビートのディシプリン SIDE2[Fracture]』→『ブギーポップ・スタッカート ジンクス・ショップへようこそ』→『ビートのディシプリン SIDE3[Providence]』→『事件』シリーズ→『ブギーポップ・バウンディング ロスト・メビウス』


2005年5月6日(金) 知恵の輪

人生で初めて“知恵の輪”というヤツを購入しました。↓がその写真。



……取り敢えず“輪”ではありませんね。

頑張って解いてみました。↓がその写真。



これは割と難しい部類に入る物らしいんですが、確かに僕は全然解けなくて、ムカついて投げ付けてたら勝手に外れました。良いのかな、こんなんで。

一度外れると中の構造が分かって、今度は簡単に解けるだろうと思ったら、やっぱり解けなかったので投げ付けてたら、またまた外れました。“知恵の輪”と相性が良いんだか悪いんだか分かりません。


2005年5月5日(木) 隣の芝生が本当に青かった場合

「隣の芝生は青い」と言うが、確かに何らかの不平不満を言っている人の多くは、単に自分の置かれた状況が少々悪化しただけで実は平常の範囲内である事を、しかし悪化したという事実だけを取り出して嘆いたりしているだけのように思える。

しかし中には本当に、どうしようもない程に不幸な境遇の板挟みになって足掻いている人がいるのも事実だ。問題なのは、その両者の見極めが傍からも、そして当の本人からも判断のしようが無い事が多く、だから少し気の弱い人だと明らかに異常な事態を「世の中、こんなもんなのかなー」と平然と受け入れたりしてしまう。

勿論それで受け入れていられる内は良いのだが、ところが大抵は何処かで破綻が起こる。何処でどのタイミングでかはケースバイケースとしか言えないが、しかしそれでも何らかの歪みのような存在が、その実体を僅かずつだが顔を見せ始める。

そうなったら問題を根本的に解決するしか無いが、難しいのはそこまで実体化してしまった歪みを元の正常な範囲まで押し戻すのは、並大抵の努力では成し遂げられない、という事だ。歪んで食み出してしまった部分を押し戻すと、その勢いで他の部分が飛び出て来たりして、後はもう終わりの無いイタチゴッコになってしまう可能性すら存在する。

だから全体の矯正には、それなりのショック療法が必要だったりするが、それが大胆な方法であればあるほど、それに関わっている人間は尻込みをしてしまい、結局は何の対処も出来ないという事も少なくない。当人としては「そこまでしなくても」とか思っているのかも知れないが、そういう提案をされた時点で「そこまでしないと」と思っている人間がいる事は厳然たる事実なのに、そっちからは目を逸らしたりするのである。

結果として、それは周りの人間に多大な負担を掛けたりする事になる。僕は日本人的な古い考え方(伝統を重視したり世間体を気にしたり)は嫌いではないが、どうも日本人にはそうやって他人に迷惑を掛ける人が多いように思えてならない。良い意味でのスタンダードと言うか、そういう物が存在する筈なのに、それが間違って認識され過ぎている――そういう印象だ。


2005年5月4日(水) 考えた事6

「余計なお世話」という言葉が有るが、基本的に人が他人を心配するという行為は、その殆どが「余計なお世話」と呼ぼうと思えば呼べなくはない。

無論「余計なお世話」ではない心配の仕方というのも存在する。しかしそれは、どちらかと言えば心配された方の感情如何で変化する相対的なものであるような気がする。所謂“お説教”というヤツなんかは、その典型だろう。親に“お説教”されて、素直に従う子供もいれば、反発する子供もいる。

だから似たような状況の相手に似たような事を言ったとしても、その受け取られ方というのは全く異なったりするし、場合によっては同一人物に対してさえタイミングの問題で結果が分かれたりもしてしまう。

となると「余計なお世話」というのは、した方が良いのかしない方が良いのかサッパリ分からなくなってしまう。これは“お節介”な人間としてはホトホト困ってしまう所だ。

例えば「これまでの人間関係が崩れたら嫌だ」という理由で異性に告白するのを躊躇ったりした事が有る人は多いと思うが、「余計なお世話」もこれと似たような構造をしているようだ。巧く行けば良いが、散々に拗れて結局は何も状況に進展が無かったりもする。それでお節介の意味が無かった程度なら構わないが、それが原因で事態を悪化させてしまったりした日には、もうどうすれば良いんだか、である。

『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』の宣伝文句に、以下のようなものが有る。

君は知っているかな、あのホーリィとゴーストの伝説を? あの若い男女二人組の犯罪者はあまりにも誤解されすぎている。強盗、騒乱、破壊活動を繰り返した彼らは別に悪いヤツじゃあなかった。衝動で暴れていた訳じゃない。世の中に反抗していた訳でもない。二人はただひとつの選択をしただけ――それは“だって、ほっとけないし”という気持ち。だが哀れな世界の敵<ロック・ボトム>を解放しようとした彼女らの行動は数々の悪を呼び寄せ、遂には死神であるぼく、ブギーポップとの対面を呼ぶ――悪に依存せず、正義に従順でもない二人組が、後先考えない陽気な犯罪と空回りのあげくに辿り着く先は生か死か? あるいは――   ――表紙裏より

この“だって、ほっとけないし”という気持ちってヤツは、実はどうする事も出来ない。捨て去ろうとしても無理で、気にせずにやり過ごす事も不可能に近い。

しかしそんな事を言っていられないケースというのは頻出で、なんだかいつまでもこの中途半端な気持ちを抱えて行くのかと思うと、気が滅入って来たりする。あー、「余計なお世話」か否か、事前に判定できれば良いのに。


2005年5月3日(火) 1周年とK&N&T

バイトが終わるとモトカノから「今日で別れて1年だね」という意図も何もサッパリ見えて来ないメールが来ていた。なるほど、僕が新しい彼女を作る為にダイエットを決断したのが5月6日で、別れたのはその3日前だった筈だから、確かに今日である。(←そういう覚え方である。)

という訳で別れて1周年らしい。この1年に色々と有り過ぎたので、もう3年くらい経ったんじゃないかって気がする。まず何が変わったかと言うと、「kasaさん、彼女と別れてからサークルに来るようになりましたね」と言われるくらいサークルに行っている事。と言う事は、サークルに行かなくなり始めたら、新しい彼女が出来たという事になるのかも知れないし、そうでもないのかも知れない。

今日は後輩のN(3年生)と高輪台で焼き鳥を食べる約束をしていて、待ち合わせ場所に行くと何故かK(5年生)とT(3年生)も居た。これで4日連続で後輩と一緒に過ごしているぞ。良いのか、この生活。

そしてK&Tとは再び「今日は帰るよ〜」と言いながら午前4時半まで飲み。

ところで昨年5月3日の日記を見てみると、中学受験の話題を書いている。4日と5日は巨乳関連の話。別れたショックとか、そういうのが書いていない。日記の役割を果たしていないじゃないか。日記に書くほどの事ではないと判断したのかも知れないが。

オレにとってこの状態は、昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏なものだ。   ――クロロ・ルシルフル (ハンター×ハンター 第13巻 7頁)


2005年5月2日(月) 整体とH&M

整体に行って来た。

僕は首の凝りと肩凝りと背中の痛みと腰痛を抱える人物である。割と身体はボロボロだ。精神もボロボロ、という説も有る。

これは整体に行くしかあるまいと、知り合いの方がやっている気楽堂整体院に行って来た。僕が受けたのは整体の「45分全身基本コース」。これで3000円。他店を見ると10分1000円程度が相場のようなので、結構割安。

“整体”と言っても基本はマッサージで、変な所をグイグイ押して痛かったりとか、そういうのは無かった。僕は他人に傷みを与えるのは大好きだが、自分が痛いのは大嫌いという人間なので良かった。


という訳で皆さん、気楽堂整体院はオススメですよ!
(↑別に広告料を貰ってる訳ではありません。)


血行が良くなった所為か、昼食に辛口のラーメンを食べたら全身から汗が止まらなくなった。ガチガチだった肩も、少し柔らかくなった気がする。ただ僕の場合、全身が疲れ切っている為か、45分だと少し物足り無さも感じたので、次回は「60分全身満足コース」で行こうと思う。

その後サークルに行ったが誰も飲みに行く人が居なかったので、後輩のH(4年生)を自宅から呼び出す。Hには、やはり自宅に居たM(4年生)を呼び出させる。3人集まって飲みに。「今日は帰るよ〜」と言いながら気付けば午前4時半。


2005年5月1日(日) O&N2

前日に引き続き、後輩2名(O&N、共に5年生)と行動を共にする。今回の目的は『kasa改造計画』。計画の概要は、後輩数名に送った以下のメールを参照。

ぶっちゃけkasaってイケてないじゃないですか。ってか、ぶっちゃけなくてもイケてないじゃないですか。でも僕としてはイケてるようにはならずとも、イケてなくはない程度には成りたいと思ったりしてるんですよ。えぇ、思ってるんですとも。
そこでkasa改造計画ですよ。ファッション改造ですよ! 僕としたらどんな店でどんな服を買ったら良いのかサッパリ見当が付かないワケですよ。
そこで愛すべき5年生の登場ですよ。誰か僕を何処かへ連れてって「これを買え!」と命令して下さい。
ってーワケで、お店とか教えてくれる人を募集します。夏物の服を数点にズボン・インナー辺りも揃えたい所です。
日にちは今度の日曜日。5月1日で。時間は応相談。今なら洩れなくシャツを買いたがっているO君が付いて来ます!
どうか皆さんヨロシクお願いします。


これに応じてくれたのがN。池袋の丸井で揃える事になった。

丸井初潜入。こういう店は、僕が店内に存在しているだけで、その店を自分が汚しているような錯覚に陥り、とても一人では入れない。しかもやたらと話し掛けて来るお兄さんお姉さんのトークにも、とても付いて行けない。

N君やO君のアドバイスに従い、初夏用の服を幾つかとジーンズを1本購入。本当は帽子も欲しかった所だが、何を被ってもNとOに笑われた。果てはテンガロンハットまで被った。一番似合ってると言われたのが、ミッキーマウスをあしらった帽子。そんなん被れるかよ、と。

2時過ぎに入店した筈が、気付けば7時。服を買うのって疲れる。


今日今日のアクセス数/昨日昨日のアクセス数/累計累計のアクセス数
Read me! ページ最上段へ