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2004年8月

DIARY MAIN

2004年8月31日(火) 今月のダイエット結果

注意:殆どの読者は知っていると思いますが、このサイトは僕が毎月3キロ痩せないと閉鎖されます。これは累計で20キロになるまで続きます。

――という訳で。今月初めには「夏だし今月は3キロくらい余裕だろ」とか思っていたら、昨日の時点では2.2キロ。全然、余裕じゃありませんでした。別に食べ過ぎたりトレーニングをサボったりしてた訳じゃないんですが、平気で焼肉食べ放題に行ったり酒を飲みまくったりしてたので、当然の報いかも知れません。

仕方ないので、昨日は外出の予定は無かったのですが、無意味に外を歩いたり、無意味に体を動かしたりして、最後の悪足掻きをしてみました。で、今朝、体重計に乗ってみると……

今月:3.0キロ減
累計:13.6キロ減


多分、身体の水分量が一時的に減少して体重が落ちただけだと思うので、本当のダイエットになってない気もしますが……別に、そういうのがイケナイという規定は作ってないので、今月もクリアです。ちょっとズルイ気もしますが、その分、来月が厳しくなりますから、その辺は大目に見る、という方向で。

9月は半ばに試験期間が有るので、後半が勝負です。ちょうど禁酒もした事だし、来月こそは余裕でクリアしたいものです。では来月もよろしくお願いします。


2004年8月30日(月) 各都道府県の年齢分布

地方には老人が多いが、子供も多い。

平成12年国勢調査に拠れば、老年人口(65歳以上)の割合が高い都道府県は、

の順であった。一方、老年人口の割合が低いのは、 である。一般に、老年人口の割合は首都圏では低く、地方では高い。

では逆に、年少(15歳未満)人口の割合は首都圏で高く地方で低いかというと、そうでもない。年少人口の割合が高いのは、沖縄県・滋賀県・佐賀県といった地方であるし、年少人口の割合が最も低いのは東京都の11.8%で、これは2位である山口県の13.2%を大幅に下回っている。

つまり、老年人口の割合も年少人口の割合も共に首都圏では低く、地方では高いのである。

これは、その中間層である生産年齢人口(15歳以上65歳未満)の割合が、首都圏で高い為だ。生産年齢人口の割合が70%を超えている都道府県は、埼玉県・神奈川県・千葉県・東京都の1都3県だけである。この地域に企業が集中している為だろう。

以上より今日の結論。

首都圏には老人も子供も少ない。地方には老人も子供も多い。


2004年8月29日(日) 禁酒

禁酒を決意した。

昨日はサークルに顔を出した後にバイトに行って、その後はサークルの後輩と渋谷で飲んでいたのだが、最近あまりにも飲み過ぎる傾向が強い。案の定、昨日も途中から記憶がはっきりしない。気付いたら今日の昼で、しかし自宅でちゃんと寝ていた。

そもそも酒は医者に禁じられているのだが、全然守っていなかった。寧ろ、禁止されてから飲酒量が激増していた。

飲酒量が増えたのは何故なのかを考えてみると、自分の中に精神的な逃げ道として、無理に酩酊しようとしている衝動が有る事に気付いた。簡単に言えば「現実逃避したい」という願望だ。

先日、言うべきだが面と向かっては言い難い事を言う為に、酒の力を借りて言ってしまう、という事が出来るようになったのは最近の話で、昔は酔っ払うと単に失言が多くなるだけだったと書いたばかりだが、冷静に考えてみると今の自分には上述のようなメリットよりも、単に「現実逃避したい」という欲求の方が強いように感じた。

別に一時的に「現実逃避したい」と思って酩酊するのは構わないと思うのだが、僕の場合は「現実逃避したい」理由が簡単に消えてくれる訳ではないので、延々と飲み過ぎる事を繰り返してしまう。このような事を、このまま続けて行くと、以下のようなデメリットの発生が予想される。

どれもこれも発生したら嫌なデメリットばかりである。という訳で、禁酒する事にした。

今月は多分7,8回くらい飲みに行ったが、その殆どで酩酊している。しかし今月初めのオフ会と、今週の水曜日の飲み会だけは、「現実逃避したい」という気持ちで飲んだのではなかったので、酩酊しなかった。きちんとした飲み方をしていれば、程々の酔いで良い気分になれるのである。それを毎回出来るようにする為、しばらく頭を冷やす事にする。

取り敢えず2ヶ月くらい酒を断ってみる。多分その頃にダイエット計画が終了する(20キロ減に成功したら終了)と思うので、それを目処にしてみる。

今日のイイタイコト。

大人な飲み方が出来るようになりたいので、しばらくは禁酒。


2004年8月28日(土) 感情のバランス

感情のバランスを正常に保つのは難しい。

例えば誰かに仕事を頼む時、その相手に応じて「これくらいのレベルで仕上げて来てくれるだろう」という信頼の気持ちが根底に流れている。ところが、その予想が的中しない場合が有る。

期待以上の仕上がりを見せてくれたなら「信頼しなさ過ぎて悪かったな」と思う。まぁその場合は、まだ良い。しかし、もしも期待を下回る結果を見せられると、「あぁ、こいつを信頼し過ぎた自分が馬鹿だった」という負の感情が生じ易い。

これが精神衛生上、良くない。この場合は“信頼”という感情のバランスを上手く取れなかった事になる。

男女関係でも同様の事が言える。お互いがお互いに依存し過ぎていたり、或いは逆に無関心だったりする場合は、(端から見てそれが幸せと言えるかどうかは別として、)二人の間では幸せだろう。二人の間で感情のバランスが取れている結果だ。

しかし一方が依存したがっているのに、もう一方が無関心でいたいと思っていたら、感情のバランスが正常に保てず、その二人の間には何らかの溝が生じてしまうだろう。

他人との関わりに於いて、相手に応じて適した感情のバランスを取れるという事は、非常に大切なスキルだと思う。それが出来ないと、無意味にパニックに陥ったり、どうしたら良いのか分からずに途方に暮れてしまう事になる。

以上より今日のイイタイコト。

相手に応じて適した感情のバランスを取れるという事は、非常に大切なスキルである。


再び試験期間が近付いて来たので、またエッセイ形式の日記(≒雑文)が増えると思います。ちなみに試験期間は9月13日〜15日。それが終われば2週間ほど秋休み。


2004年8月27日(金) 今日だけは、短く

相手が楽しいと思うから、自分も嬉しい。
相手が哀しいと思うから、自分も悲しい。

――そんな単純な感情を忘れてしまう所だった、怠惰な理系大学生。


2004年8月26日(木) 高望みな男性

男性の方が女性よりも、セックスに対して多くのモノを望んでいる。

イギリスのDurex社は昨年、日本人を対象に「あなたにとってセックスとは何ですか?」というアンケート(複数回答可)を実施している。その結果は、以下の通りだった。

× 男性 女性
大切なコミュニケーション 71% 69%
愛情の確認 67% 65%
快楽 66% 35%
癒し 37% 25%
ストレス解消 29% 14%
子作り 13% 12%
健康維持 10% 11%
若さの確認 10% 9%
義務 5% 9%
お金 1% 1%
特に無い 2% 7%

男女ともセックスに対して「大切なコミュニケーション」、「愛情の確認」であるという意識が高い事が伺える。とても良い事だと思う。

一方でセックスを「快楽」、「癒し」、「ストレス解消」として捉えているのは、男性の方が明らかに多かった。逆にセックスを「義務」と捉えているのは女性の方が多い。

つまり、男性の方が女性よりもセックスに対して、より多くのモノを求めている事になる。

僕は「騎乗位推進論」の中で、日本人男性は肉体的負荷の高い正常位を行っている為に、セックスの満足度が低いと書いているが、男性のセックス満足度が低いのは体位だけの問題ではないのかも知れない。セックスに対して高望みし過ぎれば、満足度が下がってしまうのは当然だ。

以上より今日の結論。

日本人男性のセックス満足度が低いのは、肉体的負荷の高い正常位ばかり行うからだけでなく、セックスに高望みし過ぎているからである。


2004年8月25日(水) 完全なる敗北感

先日、僕は読み日記の方で、飲み会に対する次のような言及をした。

僕も飲み会が持つ独特なテンションが好きで好きで堪らないのだが、最近は言い難かった事(でも言うべき事)を、酒の力を借りて言ってしまう事も多い。一方で、酒は嫌いじゃないが、飲み会は嫌いだと言う人も居る。何でも暴露しちゃうような雰囲気が駄目だそうだ。確かに飲み会には、言わなくて良い余計な事まで言わせてしまう魔力が有る。その悪魔の囁きに対抗しつつ、飲み会のメリットを最大限に活用出来るようにしたい。

言うべきだが面と向かっては言い難い事を言う為に、酒の力を借りて言ってしまう、という事が出来るようになったのは最近の話で、昔は酔っ払うと単に失言が多くなるだけだった。今でも失言は多いのだが、上述のようなメリットも出て来たので、ようやくトントンといった所か。

僕は酒の席で数限り無い程の失言をして来てしまったが、その中でも特に心に引っ掛かっていたのは、もう一年以上も前の飲み会で、サークルの後輩に言った或る一言だった。それにより、その後輩は酷く傷付いてしまい、そして少々ヒステリックな行動に出たのである。

その話を聞いた別の後輩には激しく諌められた記憶が有る。その時の僕は、非常に駄目な先輩だった。

僕が傷付けてしまった後輩とは、元々そんなに付き合いの有る方ではなかった為、何時の間にか一年以上の時間が経過してしまっていた。僕としては明らかに僕に非が有る為、何とか謝りたかったのだが、あまり付き合いが無いというのが災いし、謝るタイミングという物を完全に見失ってしまっていた。

ところが先日、その後輩からメールが届き、向こうから当時の自分のヒステリックな行動について、謝罪して来たのである。これは僕を二重の意味で、非常に驚かせた。

一つには、サークルのシステム的に、その後輩と僕とは別にこれから付き合いを持つ必要は全く無いような立場に置かれていた、という事だ。無視しようと思えば、無視しても全く問題無かったのである。

もう一つは、やはりこちらが「何となく謝り難いよなぁ」と、ある意味で怯えにも似た感情を抱いていたくらいなのに、その後輩はそれを乗り越えて直接僕にコンタクトを取って来た事だ。

なんて僕はガキだったんだろう、と思った。僕が後輩を傷付けてしまったのに、その後輩の方から謝って来るなんて。何だか完全なる敗北感のような物を感じた。「この有様は先輩として、どうなんだ!?」と。

……取り敢えず今日、一年以上前に謝れなかった事を謝って来ます。


2004年8月24日(火) 北島康介の実家

世間はアテネオリンピック一色という感じだが、僕は今回のオリンピックを諸事情で、あまり見ていない。唯一見たのが、北島康介が登場した平泳ぎ200メートル決勝だ。いや、彼は強かった。

何故それだけ見たのかというと、北島康介と僕の弟が中学の途中まで同級生だったからだ。やっぱり身近に感じられる人間は、応援したくなる。

という訳で、今日は彼に関するトリビアを一つ。(“トリビア”なので「だからどうした?」というツッコミは勘弁して下さい。)

アテネ五輪の競泳平泳ぎで2冠に輝いた北島康介選手の実家、東京都荒川区西日暮里の精肉店「北島商店」のメンチカツが23日から、上野松坂屋(台東区)でも売り出されることになった。   ――Yahoo!ニュースより

北島康介の父親は確かに精肉店に勤めているが、それは彼の実家ではない。(←「へぇ〜」と言うトコです。)

「北島商店」は北島康介の祖父が経営する精肉店で、そこに父親が勤めてはいるが、別に北島康介の“実家”ではない。しかし各種メディアの報道では「北島康介の実家は精肉店」という事になってしまっている。

この報道に対して北島康介の母親は、「ウチは精肉店じゃないのに……」と盛んにボヤいているそうだ。まぁ今回の件での実害は全く無いだろうが、報道メディアの正確性なんてものは、普段からこの程度のものなのだろう。

以上より今日のトリビア。

北島康介の実家は精肉店ではない。


2004年8月23日(月) テレフォンセックスの実態

「男の性癖NG率ランキング」によれば、日本人女性の96%は「テレフォンセックスが好きな男性はNG」だそうだ。

何度も引用しているが、Durex社の2003年の調査によれば、日本人のテレフォンセックスの経験率は12%である。最も高いのは30代の17%。30代の6人に1人はテレフォンセックスの経験が有るらしい。

しかし男女別で見ると、男性の経験率は14%なのに対して、女性の経験率は10%である。どちらかと言えば、男性の方が女性よりも経験率が高い。やはり女性にとって、テレフォンセックスは嫌なものなのだろうか?

ところが先進国の中で、これほどテレフォンセックスをしていないのは日本くらいなのである。同調査ではアメリカ人の54%、イギリス人の52%がテレフォンセックスの経験が有る、と回答している。米国や英国では過半数の国民がテレフォンセックスを経験している事になる。

一方で日本人の経験率12%というのは、世界35ヵ国中、ベトナムの8%に次いで2番目に低い数値だ。

もしもアメリカ人女性やイギリス人女性が、日本人女性並みにテレフォンセックスを嫌悪しているとしたら、このような結果には成り得ないのではないか。となれば、世界の中で日本人女性だけが、テレフォンセックスを極度に嫌悪している事になる。

ちなみに「男の性癖NG率ランキング」には、テレフォンセックスが好きな男性はNGである理由として以下のようなコメントが記載されていた。

全く酷い言われようだと思う。個人的に非常に納得が行かない。

以上より今日の結論。

殆どの日本人女性は、テレフォンセックスを嫌悪している。その影響で日本人のテレフォンセックス経験率は、世界的に見ても異例の低水準となっている。


2004年8月22日(日) 連鎖する“個人ニュースサイト”

ニュースサイトは連鎖出来ている。それが羨ましい。

気付いている人も居るかも知れないが、実は数日前からアクセス解析が凄い事になっている。「ネット上での親近感」というテキストに複数のサイトからリンクを貼られたからだ。

「ネット上での親近感」にリンクを貼ってくれたサイトの多くは、“個人ニュースサイト”と呼ばれるタイプのサイトだ。僕も“読み日記”というのをやっているが、これを特化したようなサイトが“個人ニュースサイト”である。

僕は以前“読み日記”に関して、このヒトとその周辺の何人かって文中リンク推進とかいってやたらリンクはり合ってるけど、いっつも同じメンバーなのが藁えると見事に自分の中での悩みを指摘されてしまい、これに対して僕は、自分が直接見に行くサイトの数には限界が有るし、そうなるとどうしてもメンバーが固定される。まぁそれ自体は仕方ないとしても、鎖のように繋がらずにリング状に回ってるだけだと効果が薄いと回答している。しかし、“個人ニュースサイト”は、見事なまでにサイト間が連鎖しているのを感じた。

今回の「ネット上での親近感」へのリンクにしても、恐らく最初に取り上げてくれたのは『黒板ぽ〜ぽた〜ん♪』さんで、そこからリンクが次々と派生していった。ニュースサイトは連鎖出来ている。それが羨ましい。

ニュースサイトはニュースサイトで、何やら葛藤を抱えている(他サイトとネタが似通って独自性を出し難い、など)管理人さんも多いらしいが、複数のニュースサイトで取り上げられるというのは、取り上げられる側からしたら、物凄く「このテキストを書いて良かった」と思える。読者の方からメールを頂いたりするのとは、また違った力を貰えた気がした。

以上より今日のイイタイコト。

“個人ニュースサイト”は狭いリング状に留まる事無く連鎖出来ている。それはとても羨ましい事だ。

以下は「ネット上での親近感」を取り上げてくれたサイト一覧&コメント引用。正式名称が違っていたり、気付いてないサイトが有ったら申し訳ない。(指摘が有れば修正します。)


2004年8月21日(土) とあるダイエッターの日常

高校時代の友人から「彼女が出来た」という報告をされた。その時、僕は昨日の日記『えろたん(仮)』を書いていた。この天地ほどの落差は何なんだ、一体。

腹筋・背筋などのトレーニングで疲れたら無性に焼肉が食べたくなったので、数人を引き連れて昼間から焼肉の食べ放題に行って来た。トレーニング、無効化。

社会人の友人が急に「今日、渋谷で飲みたい」と言って来た。何故か面子集めを押し付けられた。14人も誘い、その内で来たのは3人。僕と社会人の友人、どちらに人徳が無いのか? 「両方に無いんだろ」という結論に。

結局、朝まで飲む。一晩で1.2キロの増加。今月3週間で痩せた分が、殆どリセット。あと10日で3キロ近く痩せろ、と……?

「果たして自分はマトモな“ダイエッター”なのだろうか?」と不安になり、ダイエッター度鑑定をやってみた。

ダイエッター度:80

ダイエッターなあなた。頑張ってますね♪ エライエライ! あんまりがんばりすぎて、体を壊さないようにしてください。何事も程ほどに、楽しく、頑張りましょう♪


ダイエットは頑張っているが、それに反する行動(≒飲み会)も頑張っているのが問題か。


2004年8月20日(金) えろたん(仮)

昨年末に『萌える英単語・もえたん』という辞書が、一部のマニアの間で大流行した。僕は大学の生協で『もえたん』を堂々と立ち読みしたが、ページの端々に萌え系の可愛い美少女のイラストが印刷されている事を除けば、中身は案外マトモな英単語集であった。ちなみに僕は『もえたん』は買っていない。

そして昨日、近所の本屋に立ち寄ると、『もえたん』の隣に『えろたん(仮)』なる書籍が並べられていた。

え、えろたん……!?

どうやら『えろたん(仮)』とは、「エッチな用語や萌えな単語を、用例代わりのショートストーリー付きで解説した辞書」という事らしい。

「なぁんだ。『もえたん』の二番煎じかぁ」と思ったのも束の間。僕の瞳に一つの単語が飛び込んで来た。それは即ち――“騎乗位”

この『えろたん(仮)』には、“騎乗位”についての解説が掲載されている、というのだ。これを知ってしまっては、「騎乗位推進論」を掲げている僕が購入しない訳にはいかない。僕は値段も見ずに、颯爽とレジへ『えろたん(仮)』を持って行った。(ちなみに価格は税込みで1365円だった。)

帰宅して早速、“騎乗位”についての解説ページを読んでみた。

騎乗位(きじょうい)名詞
仰向けになった男性の上に女性が馬乗りになり挿入する体位。男性が「上になってよ」といったら騎乗位のことを指す。女性は、腰の角度が自由に調節できる為当り具合や気持ちいいポイントを自分で探す事ができる。男性は腰をそんなに動かさない為快感に集中でき、正常位よりイキやすい。腰の動かし方は上下運動では男性が気持ちよく、前後運動では女性が気持ちいいようだ。ただし、騎乗位は精子が自然に女性器から流れ出やすくなってしまうので妊娠したいカップルにはオススメできない。(と言っても絶対妊娠しない訳ではないので、妊娠を望まない人はきちんと避妊しましょう。)


以上が“騎乗位”の解説。この後に“騎乗位”の用例として、“騎乗位”シーンが含まれたショートストーリーが付いている。(多分18禁なので、こちらは引用しない。)

解説は意外と普通で残念だったが、まぁそれが普通じゃなかったら、ただの成年誌か……。

しかし、この『えろたん(仮)』、かなり売れているらしく、今月3日に初版だったにも関わらず、9日には第2刷が発行されている。これは異例の早さではないか? やっぱり、こういう書籍って売れるんだなぁ……。

以上より今日の女性に対してイイタイコト。

男性が「上になってよ」と言ったら、騎乗位の事を指す。

最近、特に女性の知人から、白い目で見られている気がしてならない。やはり、ここの日記が原因なのだろうか。


2004年8月19日(木) 究極の愛とは“腹上死”

北野武監督は2年前、映画『Dolls』を完成させた際の記者会見で、「監督にとって究極の愛とは?」と質問され、「“腹上死”です」と答えたそうだ。

“腹上死”とは元来、セックス中に男性が女性の腹の上で死に至る事を指した言葉である。これによれば、正常位でのセックスでしか“腹上死”は有り得ない訳だが、実際には他の体位(例えば騎乗位とか!)だったり、女性側が亡くなった場合でも、“腹上死”という言葉は使われるらしい。要はセックスが原因で死んでしまう事は全て“腹上死”と呼ぶ訳である。

ただ「セックスが原因」とは言っても、正にその最中に死ぬ事は稀で、本当に危険なのは行為が終わった直後らしい。その際に血圧が上がり過ぎて脳溢血を起こしたり、心拍数が上がり過ぎて心拍異常が起こったりする訳だ。“腹上死”で死ぬのは圧倒的に男性が多いが、何か納得出来る気がする。“あの瞬間”に“果てて”しまうのだろう。

また、“腹上死”で死ぬ男性の75%は、年下女性との不倫中だったというデータが有る。果たして、どれくらいの男性が年下女性と不倫しているかが分からないと何とも言えないが、どう考えても世の中の男性の75%が年下女性と不倫している、という事は無いだろう。ならば、年下女性と不倫している男性は、“腹上死”に注意しなければなるまい。

以上より今日の結論。

年下女性と不倫している男性は、“腹上死”に注意しなければならない。というか、不倫をするな。

ちなみに自慰行為でも、“腹上死”同様の死に方をするケースが有るらしい。自慰行為による死者の数は、“腹上死”による死者の数の1割程度になるという。もしも僕がそんな状態で死んでしまったら、その後に家族に発見される事を考えると、死んでも死に切れない。


2004年8月18日(水) パラソル部隊の横暴

今日の日記、普段とキャラが変わっているような気がしなくも無いですが、いつもと同じ人が書いています。たまには良いかな、と。

一連の不祥事などの所為か、最近になってようやく数を減らしたかに見える、ヤフーBBの通称“パラソル部隊”。彼らの強引な勧誘などは当初から問題視されていましたが、昨日、僕は目を疑うような光景を見てしまいました。

それは家庭教師先へ向かう為に、JR西日暮里駅周辺を歩いていた時の事でした。一時期よりも少数になったとは言え、未だにしぶとく生き残り続けるヤフーBBのパラソル部隊。僕も何回か勧誘された事が有ります。でも彼らは「いや、ウチは光ファイバーですから」と言うと、あっさりと引き下がります。「所詮ADSL如きが、光ファイバーに敵う訳無いんだよ!」というオーラを発散させるのです。いや、実際はコストパフォーマンスではADSLに軍配が上がる筈ですが、彼らには何か光ファイバーに負い目でも有るのか、面白いようにオズオズと引き返していきます。

で、昨日は僕は勧誘されなかったのですが、僕の隣を明らかに足腰の弱った80歳くらいの老人が歩いていたのです。老人は杖を突いて、非常にゆっくりとした足取りで進んで行きます。そこにヤフーBBのパラソル部隊が目を付けました。

「今なら最低2ヶ月無料でインターネットが……」という決まり文句。しかしながら明らかにその老人は、意味がさっぱり分かっていません。多分、『パソコン』という単語が辛うじて分かるような感じではないでしょうか。

いや、人を見た目で判断してはいけないのは分かりますよ。実際に、お年寄りの方でサイト運営を頑張ってる方も居る訳ですし。僕が読んでいる中では、『66歳のまさこの日記』というサイトが有ります。66歳にして基本的に日記を毎日更新している上に、僕と同様ダイエットもしているという、本当に脱帽するしかない管理人さんの一人です。66歳ですよ、66歳。僕の年齢(23歳)のトリプルスコアの方でも、充分にインターネットを使いこなしている人が居るのは事実です。

しかし、しかしですよ。昨日、僕の隣を歩いていた老人は、申し訳無いですが何処をどう見ても、そのような事に精通しているようには見えないのです。パラソル部隊を見て、明らかに「何なんだ、この人達は?」という困惑の表情をしていましたから。

しかしながらパラソル部隊は、老人の足取りがあまりにゆっくりな事にチャンスを見出したのか、普段以上に積極的にモデムを渡そうとしています。足が遅いので、付き纏うのが簡単な訳です。自分の持ち場を離れる事無く、とにかく説明し倒して契約を取ってしまおう、という魂胆が見え見えです。

どうやらパラソル部隊の給料は、時給制と歩合制の2パターンが存在するらしく、時給制の場合は大抵、適当に宣伝活動をしています。掛け声を出したりしても、積極的にモデムを通行人に押し付けようとはして来ません。しかし歩合制の場合はノルマをクリアしようと、かなり必死になるようです。今回の場合は歩合制だったのでしょう。何も理解できていない老人に対して「無料です、無料です」と連呼していました。

僕は歩きながら、その光景が見えなくなる所まで後ろを振り返りながら見ていたのですが、最終的には老人はモデムを受け取っていました。多分その老人はモデムを本当に無料で貰える、街頭で配布しているポケットティッシュのようなものとでも思ったのではないでしょうか。

僕が見たのはそこまでですが、その後は恐らく住所や氏名を書かされて、それから3ヵ月後には課金させられる訳です。きっと、その老人は解約の方法も分からずに、月に3000円程度の利用料金を徴収され続けるに違いありません。もしかしたら課金されている事にすら気付かないかも知れません。

繰り返しますが、相手は足腰の弱った80歳くらいの老人なんですよ。これを“横暴”と言わずして、何と言えましょうか。


2004年8月17日(火) タイプ別性格判断

『タイプ別性格判断』をやってみました。結果は以下の通り。個人的に「当たってるなぁ」と思う所は太字にしました。また、【】内は僕自身の突っ込みです。長くなってすいません。でも結構、優秀な性格判断だと思います。


■INTP型:問題を解決したがる

考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描いたようなタイプがINTP型である。頭の中でじっくり考える(I型)なので、N型の想像力がいろいろな可能性を思いつく。客観的(T型)なので、その新しいデータを分析し、際限なく融通がきく(P型)ので、どんなデータもさっそく取り入れてしまう。

論文、図面、計画、企画、提案、理論などなんであろうと、こまごました情報を一つにまとめた完成図を作りあげようとするが、たえず新しいデータを発見するので、その完成図がどんどん膨らんでしまう。その結果、考えや構想や計画がどんなに最終的なものに見えても、土壇場になって「新しいデータ」が手に入ると変えてしまうのである。これはINTP型にとってはわくわくするほど楽しいが、ほかの人、とくにJ型の性向を持つ人にはフラストレーションになる。

完璧に見えても満足しないので、みずからが最大の批評家となり、あら探しをする。完璧、有能、優秀であろうとするあまり、それが極端になると、かえって負担になり、うんざりしたり自分を責めたりする。【他人からも嫌われる】

このタイプは女性の場合に葛藤を生む。考えにふける大学教授というのは従来、女性のイメージというよりは男性のイメージで、頭だけで理屈を資質は、男性の場合は大目に見られるが、女性の場合あまり受け入れられない。そこで少なくとも三つの問題が生じる。

第一に、女性は昔から、家庭や家族のこと以外では設計能力があるとは見られてこなかった。だから、人生を頭で考えた理屈にあわせたいと思うのは、INTP型にとっては当たり前なのだが、従来の女性の役割には真っ向から反する。

第二に、独創的に考えるのも従来の女性の気質とは見られていない。たとえば、時間を聞かれると、INTP型は時間の哲学的な意味について述べたくなる。そうした風変わりな面も男性ならば頭がよすぎるせいだと見られるが、女性だと「鈍感」とか、ときには「頭が鈍い」というレッテルをはられてしまう。

第三に、T型の面が、従順、優しい、気配りといった女らしさに反する形で表れる。INTP型の女性が感情を表にあらわした場合、悪くすると、しばしば極端に表現しすぎて、本人もほかの人もぎょっとしてしまう。


■親子関係■

INTP型は、親というのは子どもの未熟な頭を伸ばしてやるものだと思っている。一人ひとりの子どもの違いを辛抱強く受けとめ、子どもには自分の考えをもって生きていけるように育ってほしいと願う。自分の進むべき道を模索する子どもを驚くほど寛大に支えてやる。子どもの発達にあまり口をはさまない。どんな考え方や行動をしたらよいか、いくつか選択できる道を示唆するだけで、けっして押しつけずに、新しい可能性を示してやる。その助言が受け入れられなかったら、「ちょっといってみただけ」と答えるのがふつうである。だが、ときには、反抗的だったり無関心に見えるときでさえ、子どもは親が別の考え方を押しつけてくれるのを待っていることもあるのだ。そういう子どもにとっては、「無理やり」とか「押しつけ」といった言葉とは無縁のINTP型の親を持ったら不運である。

INTP型の子どもは、人とのつきあいで内気と見られるか、逆に、やたらに理屈っぽくつっかかってくるかのどちらかで、その中間は少ない。学校では、一つのことに集中せず、授業とは関係ないことをあれこれ追求しすぎると見られたり、場違いなときに場違いな質問をすると見られる。そうした行動は、とくに女の子の場合、人騒がせと取られる。必然的に、INTP型は学校生活に耐えて生き抜いていくために、誰よりもよく勉強することになる。【勉強はしない】


■内向(I)型の特徴■


■直感(N)型の特徴■
■思考(T)型の特徴■
■柔軟(P)型の特徴■
■魅力的な夫や妻になるには■

理屈っぽいINTP型・・・気持ちを素直に話すようにしよう。
愛情を表現するのに、いちいちどういう言葉を使うか考えていては、言おうとしている事が相手に伝わらなくなりかねない。
愛情を理解しているだけではなく、感じているという事実を素直に伝える。【無理】


■男女関係の基本ルール■

I型は愛情から怒りまで自分の感情をもっとおもてに表すようにする。I型は罪の意識を感じないですむ程度に、一人でいる時間が欲しいと言うべき。

N型はたまには家の中の実際的な事もやるようにする。

T型は感情を少しおもてに表す。

P型は明日にしようと思っていたことを一日に少なくとも一つはやり終えるようにする。【逃避エネルギーが無いと出来ない】


■金銭感覚――あなたは節約タイプ、浪費タイプ?■

N型は、目的に合わせて金額の「端数を四捨五入する」傾向がある。たとえば、19、800円の物を買ったとき、すごいと感心させたければ2万円というし、たいしたものじゃないと思わせたければ、1万9千円という。また、N型はお金について自慢する傾向があり、財政の問題を赤の他人にもあけすけに話してしまいがち。

財政問題にはP型のほうが対応がよく、独創的な解決方法を見つける。P型、とりわけNP(直感・柔軟)型は、税金の申告の時期が近づいてから大騒ぎする傾向がある。【将来、気を付けよう】


■あなたにユーモア感覚はあるか?■
I型は自分を笑う。【自虐ネタを用いる】

N型は人生の一見なんの関連もなさそうなところにたのしさをみつけ、なにより語路合せがうまい。語路合せや俗謡になると独壇場である。

T型は実際におもしろいことがあったときに笑う。T型は性や人種を冗談の種にする、どちらかというと不快なユーモア感覚の持ち主である。気味の悪いユーモアとなると得意中の得意である。【物凄く当たっている】

P型はちょっとした気のきいた冗談や当意即妙の会話にたけている。ちょっとした気のきいた冗談や、状況に応じた当意即妙のユーモアとなると、EP(外向・柔軟)型がいちばんで、次いでIP(内向・柔軟)型である。

だじゃれやなぞかけの名人はNT(直感・思考)型といえる。文句を言いたくなるような悪い冗談を言うのもNT型だ。


2004年8月16日(月) 逃避エネルギー

忙しい時ほど、何か他の事をやりたくなる。逆に暇な時は、何もする事が思い付かない。

ここ最近は、バイト以外はゆったりとした日々を過ごしている。簡単に言うと、

こういう時こそ、本業(数学)以外の興味の有る分野(心理学・経済学など)の本を読めば良いと思うのだが、なかなか実現しない。やたらと無駄にダラダラしてしまう。

逆に先月の試験期間中は、僕としては異様とも言える程に忙しい日々だった訳だが、そういう時に限って本棚の整理をしたくなったり、部屋の片付けをしたくなったりする。ってか、実際にやった。結果、余計に忙しくなった

何故か分からないが、忙しい時ほど体内にエネルギーが溢れて来て、しかしそれを使うべき方向以外に使ってしまう、という感じだ。こういう経験は、割と多くの人に共通しているような気がする。

僕の好きな某ゲームソフトでは、これを“逃避エネルギー”と名付けていた。何かやらなければならない事があると、ついついそれから逃げ出して、より簡単な作業に没頭してしまう、というのだ。

しかし暇な時は“逃避エネルギー”が発生しない為、少しでも面倒な作業ですら避けてしまう事になる。だから何もせずにダラダラしてしまう。

以上より今日のイイタイコト。

忙しい時ほど、“逃避エネルギー”の力により、何か他の事をやりたくなる。逆に暇な時は、“逃避エネルギー”が発生しない為、何もする事が思い付かない。

今日の日記を書いていて気付いたが、これってダメ人間の典型ではないか? いや、“怠惰な理系大学生”の称号には相応しいか……。何にせよ、来月中旬にも試験が有るので、そろそろ“逃避エネルギー”が発生しそうである。


2004年8月15日(日) “死”という名の“別れ”

“別れ”とは、辛いものだ。

今までは感情型の日記は避けて来たつもりだが、今日は思いっ切り感情をぶつけてみようと思う。

『ちりんの部屋』「もう会えない、ってありえない」を読んで、激しく心を揺さぶられた。

僕が記憶する限り、人生最初の“別れ”は4歳の時に祖母を亡くした事で、この時はそもそも“死”が何を意味するのかさえ分からなく、ちっとも悲しくも何ともなかった。葬式の場でも、どうして普段はしっかりした大人達が皆して泣いているのか、さっぱり分からなかった。

しかし、しばらくすると“死=永遠の別れ”なのだと理解する事が出来た。だって、もう祖母には会えなかったから。

次の“別れ”は5歳の時だった。とある事情で2週間ほど入院していた僕は、同じ病室に入院していた6歳の男の子(←年上にこういう言い方もナンだが。)と仲良くなった。その病室には同年代の子供は彼しか居なかったから、自然な成り行きだ。

彼は既に何ヶ月も入院していて、いつ退院出来るかも分からないようだった。僕の方が後に入院し、そして先に退院して行った。

たった2週間の付き合いだったが、その間は1日中一緒にいるような状態だったので、僕達は相当に仲良くなった。だから僕が退院する時は、お互いに泣いた。いや、喚いた。でも最終的に彼が「いつか、また会おうな」と言ってくれて、それで僕は「うん、分かった」と言った。僕には兄は居ないが、あの時の彼は正に僕の理想の兄だった。今でも、そう思う。

僕が退院して1ヶ月ほどした頃、彼が癌で亡くなった、と母親から知らされた。

“死”という“別れ”を前年に理解していた僕は、泣いた。退院時にも泣いたが、それと比べ物にならない位に泣いた。当時は、老人が“死”ぬ事は分かっていても、自分と同じくらいの子供が“死”ぬなんて事は想像すら付かなかった。だから余計に衝撃を受けた。ただはっきりと、「もう彼には会えないんだ」という、言葉だけでは表せ切れない程の悲しさだけを受け止めざるを得なかった。

多分、僕の人生で最も辛い“別れ”を経験してから、18年。僕は、あの時のような“別れ”の辛さを、今では感じずに済むだろうか?

いや、絶対に悲しむだろう。でも後悔のしない人付き合いをして行きたい――強く、そう思った。


2004年8月14日(土) スチームボーイ

映画『スチームボーイ』を見て来た。監督が有名な大友克洋で、今年は他に『イノセンス』や『ハウルの動く城』など、世界的に注目を集めるアニメ映画が集中している。

ところで『スチームボーイ』は、事前に聞いていた評判がとにかく悪かった。「ストーリーが薄い」「声優が下手」「既に時代遅れ」など、色々な批判で溢れている。「ストーリーは意味分からないけど、とにかく映像が凄い」という、かなり共通化した評価を受けた『イノセンス』とは、事情が異なる内容のようだ。

それが結果的には功を奏したのか、僕はそこそこ楽しめて見る事が出来た。期待し過ぎずに見たのが、却って良かったのかも知れない。

関連リンク:「面白い作品を薦めることは難しい」『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』

『スチームボーイ』を“少年活劇映画”として見た場合は、かなり出来の良い部類だと思う。この種のジャンルでは『天空の城ラピュタ』という、あまりにも名作が有る為に、『スチームボーイ』には欠点が目立つものの、出来が良い事には変わり無いと思う。個人的には、これでもかというくらいに詰め込まれたアクションシーンの数々は好きである。

一方で“少年活劇映画”には必須のヒロインに魅力が無さ過ぎるのは問題だっただろう。しかもストーリー上の重要度も殆ど皆無に近い。ただただ場の緊張感を損なわせる為だけに存在していたように感じる。序盤から中盤に掛けてはそれでも良かったが、終盤になった時には邪魔なキャラクターでしかなかった。

また作中で頻繁に「科学とは〜〜」という台詞が出て来るが、この内容が陳腐なのも気になった。押井守の『イノセンス』は、監督自らの独特な哲学を突き詰める所まで突き詰めた感じがしたが、『スチームボーイ』の一連の「科学とは〜〜」という台詞からは、そのような監督の力強い意志を感じる事が出来なかった。もしもあの程度の事を言いたかったのならば「時代遅れ」の謗りは仕方無いし、そうでなかったならば「科学とは〜〜」の台詞は全てカットすべきだったように思う。

声優は確かに主人公が下手だったが、別に気になる程でも無かった。僕はこの辺りには全く拘りの無い人間なので、参考にならないかも知れないが……。

「そこそこ楽しめて見る事が出来た」と言っている割には批判的な内容を多く書いてしまったが、全体的な“質”が高い作品なのは確かなのである。しかし、欠点が具体的に挙げ易い映画でもあるので、それが必要以上に評価を落としている原因ではないか?

以上より今日のイイタイコト。

『スチームボーイ』は期待せずに見よう。


2004年8月13日(金) 睡眠障害

最近ちょっと睡眠関係で悩んでいるので、今日はそれについて。

僕は元々は、0時〜1時頃に寝て7時前後に起きるという、大学生にしては比較的、健康的な生活をしていた。

それが鬱病になり抗鬱剤を飲むようになって、起床時間に差が出るようになった。が、それでも大体は6時〜9時の枠内に収まっていたので、問題は寧ろ、薬の副作用で昼間に眠くなってしまう事だった。

どうやら現代では意識をハッキリとさせてくれる薬も存在するらしいのだが、僕の担当医師は「昼間に寝過ぎると、夜の睡眠に悪影響が有るから、何とか夜まで寝るな」という指示を出すに留まっていた。(←実際にこんな適当な口調だった訳ではない。)

そんなこんなで先月末、僕は試験期間に突入した。僕の試験期間のスタイルは、「夜更かしして勉強するくらいなら、朝早く起きてやる」なので、1時くらいに寝て4時〜5時に起きる、という生活を10日間ほど続けた。

そして試験が終わってから、状況が少し変化した。夜に寝ても、2時間くらいで目が覚めてしまうのである。そして1時間ほど起きていると、再び眠くなる。しかしまた、2時間ほどの睡眠時間で目が覚める。これが3,4回ほど繰り返され、ようやく眠気が無くなるのである。

普段どおり1時頃に寝ても、これだと眠気が完全に覚めるのは昼近い時刻になってしまう。夏休みの今なら特に問題は無いが、いつまでもこんな状態が続いては困る事になる。

そこで担当医師に早速相談したのだが、イマイチ原因が掴めないようで、僕は夜の薬の服用時間を遅らせるように指示されただけだった。

ネットで調べる限り、確かに鬱病が睡眠障害を招き易い事は事実のようだが、僕のようなケースは見当たらなかった。普段は鬱病の自覚なんて全く無いほど元気なのだが、最近は、ちょっとキツイ……。ダイエットをやっている事も関係しているのだろうか?


2004年8月12日(木) ティンカーベル・タイプ

“ウェンディ・ジレンマ”に陥らない為には、“ティンカーベル・タイプ”の人間になれば良い。

昨日の日記では、“シンデレラ・コンプレックス”を持った女性が、“ピーターパン・シンドローム”に囚われた男性と結婚すると、“ウェンディ・ジレンマ”に陥ってしまうと書いた。「いつか素敵な王子様が私を救いに来てくれる」という妄想に浸っている“シンデレラ・コンプレックス”の女性がこれを回避する為には、以下の2つの方法が考えられる。

一つ目の方法は、社会的責任感の欠落した“ピーターパン・シンドローム”に囚われた男性と結婚しない、という事だ。要するに男を見る目を養えば良いのである。が、これは中々難しい。“シンデレラ・コンプレックス”の女性は、パートナーの男性を“自分にとって唯一無二の素敵な王子様”と、無意識の内に認識してしまうからである。

そこで二つ目の方法だが、それは“シンデレラ・コンプレックス”の女性が、“ティンカーベル・タイプ”の人間になれば良いのである。(ちなみに“ティンカーベル・タイプ”というのは、僕が勝手に作った造語である。一般には“ティンカーベルへの変身”と言われているようだ。)

“ティンカーベル・タイプ”の人間になる為には、以下のような事項を実行すれば良いと言われている。

これらを実行する事により、“シンデレラ・コンプレックス”の女性は、“ティンカーベル・タイプ”の人間となれるのである。

以上より結論。

“ウェンディ・ジレンマ”に陥らない為には、“ティンカーベル・タイプ”の人間になれば良い。具体的には、上記の7つの事項を実行すれば良い。

「シンデレラ・コンプレックス」「ピーターパン・シンドローム」「ウェンディ・ジレンマ」「ティンカーベル・タイプ」と、久し振りに連載形式のエッセイ日記を書いたら、凄く疲れた。明日からは何日か、軽い話題にしようと思う。

実は「今度は“ロリータ・コンプレックス”について書いて下さい!」という要望が来ているが、それって単に最近の日記のタイトルと語呂が似てるだけでは……? 今の所、残念ながら書く予定は無い。


2004年8月11日(水) ウェンディ・ジレンマ

“シンデレラ・コンプレックス”を持った女性が、“ピーターパン・シンドローム”に囚われた男性と結婚すると、“ウェンディ・ジレンマ”に陥ってしまう。

今日の日記「ウェンディ・ジレンマ」は、一昨日の日記「シンデレラ・コンプレックス」、昨日の日記「ピーターパン・シンドローム」の続き。

“ウェンディ・ジレンマ”とは、“ピーターパン・シンドローム”と同様、アメリカの心理学者ダン・カイリーにより定義された言葉で、「自らが傷付いたり嫌われたりするのを強く恐れ、逆に他者から素敵に思われたいが為に機嫌を取ったり世話をするのが巧いが、内心は劣等感に怯え誰かに頼っていないと常に不安な状態」を指す。“ピーターパン・シンドローム”と異なり、女性に多く見られるのが特徴だ。

“ウェンディ・ジレンマ”は現在では“依存性人格障害”とも呼ばれ、人格障害の一種とされている。症状が酷くなると、(妻から夫への)暴力・幼児虐待・アルコール依存症などを引き起こす。

“ウェンディ・ジレンマ”に陥り易いのは、“ピーターパン・シンドローム”の男性と結婚した、“シンデレラ・コンプレックス”を持つ女性である。その心理的なメカニズムは以下の通りだ。

「いつか素敵な王子様が私を救いに来てくれる」という妄想に浸っている“シンデレラ・コンプレックス”の女性は、社会的責任感の欠落した“ピーターパン・シンドローム”に囚われたダメダメな男性と結婚しても、「夫は駄目な男なのだ」と認識出来ず、その駄目な状態を自らの所為だと思い込むようになる。それ故にダメ夫の世話を焼く事に生き甲斐すら感じるようになるが、ダメ夫は調子に乗って我侭が増長する。

そんな悪循環を繰り返す内に、妻はダメ夫の世話をさらに焼く事で、母性本能を強化させていく。しかしそれは本来の愛ではなく、ダメ夫を自分にとって唯一の素敵な王子様と思い込むが故の行動であり、言い換えれば自己の孤独を埋める為だけの愛と言える。そして夫はダメダメな人間なのに、その妻はダメ夫無しでは生きて行けなくなってしまう。ダメ夫の世話を焼くのが、彼女の生き甲斐だからだ。こうして妻は“ウェンディ・ジレンマ”に陥って行く訳だ。

“シンデレラ・コンプレックス”のような非現実的な夢を見ているだけならば、まだ良い。しかし“ウェンディ・ジレンマ”は、上記のような数々の問題行動を引き起こす可能性が有り、見過ごす事は出来ない。

以上より結論。

“シンデレラ・コンプレックス”を持った女性が、“ピーターパン・シンドローム”に囚われた男性と結婚すると、“ウェンディ・ジレンマ”に陥ってしまう。

明日は“シンデレラ・コンプレックス”を持った女性が、“ウェンディ・ジレンマ”に陥らない為の方法を考えてみようと思う。


2004年8月10日(火) ピーターパン・シンドローム

日本人には“ピーターパン・シンドローム”に囚われた人間が多い。

昨日の日記「シンデレラ・コンプレックス」に続いて、今日は「ピーターパン・シンドローム」について語ろうかと思ったのだが、見事に先を越されてしまったのを発見。書くのを止めようかとも思ったが、せっかくなので一応パクリにならないように気を付けて、僕も「ピーターパン・シンドローム」について書かせて頂く。

“ピーターパン・シンドローム”とは、アメリカの心理学者ダン・カイリーによる同名の著書から生まれた言葉で、「他者に無関心かつ無責任で、自分に自信が無く、感情も乏しい大人」を指す。彼らには社会的責任感が欠落しているので、例えば結婚していても、自分の給料は自分で全て使ってしまう等の問題行動を起こす。

現代では“モラトリアム人間”という言葉が存在するが、ほぼ同義と考えて良いだろう。この種の性質は、何故か圧倒的に男性に多い。そして現代になって急激に増えている事が特徴だ。

“ピーターパン・シンドローム”は基本的に親の過保護・過干渉により発症する。“ピーターパン・シンドローム”の厄介な所は、親としては自分は子供をキチンと教育したつもりになっているし、子供は“ピーターパン・シンドローム”になると感情が乏しくなるので、自身が異常状態である事に気付けない、という事である。

つまり、家庭外の人間が指摘しない限り、“ピーターパン・シンドローム”は発覚し難いのである。発覚が遅れれば、それだけ症状も進んでしまう。大抵の場合は発覚しても、既に手遅れになっている時期である事が多いという。

ところで、この“ピーターパン・シンドローム”は、日本という国そのものにも同質の傾向が見られる。日本は江戸時代に鎖国していた事もあり、他国に対して無関心かつ無責任だったし、現代では世界第2位の経済大国であるにも関わらず、強国(=アメリカ)に対して自己主張を出来ずに自信が無い。正に日本は世界の中での“ピーターパン・シンドローム”なのだ。

以上より結論。

日本人には“ピーターパン・シンドローム”に囚われた人間が多い。そもそも日本という国そのものが“ピーターパン・シンドローム”である。


2004年8月9日(月) シンデレラ・コンプレックス

“シンデレラ・コンプレックス”が女性の自立を阻んでいる。

昨日の日記で話題にした、家庭教師の生徒である女子高生の話の続きだが、困った事に彼女は勉強に対して真面目とは言い難い。大学には高校からエスカレーター方式で行ける様だし、「大学を卒業したら就職なんてせずに結婚する」と15歳にして堂々と宣言している。だから勉強に対して非常に消極的だ。彼女は極めて専業主婦志向の強い女性だと言える。(言っておきますけど、このサイトは専業主婦を批判してませんから!)

個人的にはそういう生き方も構わないとは思う。が、家庭教師たる立場としては、それを許す訳には行かない。「いやぁ、女の子だって、頭が悪いと大学に行ってもモテナイよ」などと、心にも無い事を言ったりして、何とか勉強させようと必死だ。「え〜、そうなんですかぁ?」と返されると、「そうだよ。僕だって馬鹿な女性は好きじゃないよ」などと、またまた心にも無い事を言ったりする。

男性は性的魅力が高い女性は歓迎するが、知的な女性は歓迎しない(関連リンク:巨乳は馬鹿じゃない)ので、相手の女性の(学業的な意味での)頭の良さは、プラスに働かない事が多い。しかし、そんな事を言って、勉強しないのを肯定する訳にはいかない。辛い処だ。

彼女のような心理を“シンデレラ・コンプレックス”と言う。“シンデレラ・コンプレックス”とは、1981年にアメリカの女流作家ダウリングが「女性は、外から素敵な王子様が現れて、迷える女の子である自分を救ってくれる、という幻想に取り付かれている」として提唱した心理状態である。ダウリングに拠れば、女性の自立を拒む要因は、女性自身の中の“シンデレラ・コンプレックス”である、と言うのだ。

勿論、全ての女性が“シンデレラ・コンプレックス”を抱いて生きている、とは言わない。しかし実際に、現代の15歳の中にも“シンデレラ・コンプレックス”を抱えている女性がいる事もまた事実なのである。

以上より今日の結論。

女性は、外から素敵な王子様が現れて、迷える女の子である自分を救ってくれる、という幻想に取り付かれている。この“シンデレラ・コンプレックス”が女性の自立を阻んでいる。


2004年8月8日(日) 見えてますから

今日は、いつも以上に単なる雑記。

短期間だけ女子高生の生徒を受け持つ事になったのだが、夏で暑い所為か、彼女は非常にラフな服装で僕の指導を受けている。簡単に言うと、上は大きなTシャツ1枚なのだ。

家庭教師は通常は生徒と横に並ぶ事が多いが、そこの家庭では部屋の関係上、生徒と向かい合う形で指導を行う事になっている。しかも僕の方が少しだけ高い位置に座っている。

さらに僕は身長が割と高い方(178cm)なので、自然と目線が高くなる。生徒に対して、かなり見下ろす感じだ。

――という訳で、何が言いたいのかと言うと、まぁその……普通にしてるだけで“見えてしまう”のである。Tシャツの中が。

本人としては見せようとしている訳ではないのだろうが、見せないようにしようとも思っていないのだろう。要は、“見えてしまう”という可能性に全く気付いていないのだ。

こういう事に無頓着な女性は、大学生になっても稀に居る。ミニスカートなのに体育座りをする人とか、部室で仰向けに寝ている男の顔の上をスカートを着用しているのに跨いで行く人とか。いや、個人的には有り難かったりするのだが。

で、相手が同年代であれば、割と簡単に「あー、見えてるよ」と注意出来る。もしかしたら指摘された女性は恥ずかしがるかも知れないが、そんな事は別にお構い無しに注意する。僕、Sだし。

しかし今回の生徒は高校1年生。まだ15歳。なんと8歳差だ。幾らSな僕でも、注意するのは気が引ける。僕は年下好きだが、それとこれとは話が別である。年下を辱しめる趣味は無い。(別に同年代や年上の女性を辱しめる趣味も無いが。)

でも普通に見えてるんだよなぁ、Tシャツの中が。別に見ようとしなくても、生徒の顔を見るだけで視界に入ってくるような角度。これは、どうするべきなんだろうか?

困ってます、という所で今日の日記はオシマイ。


2004年8月7日(土) 愛は国籍の壁を越える

愛に国籍の壁は無い。

突然だが、「国際結婚した夫婦の離婚率は、日本人同士の夫婦の離婚率よりも、かなり高いのではないか?」という事が気になった。「文化の違いとかの壁が有って、うまく行かない事が多いんじゃないかなぁ?」という、極めて勝手な推論によるものだ。

そこで早速、調べてみた。

厚生労働省の人口動態統計年報によれば、平成12年に国内で結婚したカップルの内、夫婦が共に日本人だったのは761875組だった。対して同年に離婚した日本人夫婦は251879組である。日本人夫婦の場合、約3組が結婚する間に、1組の夫婦が離婚をしている事になる。

また、夫婦の一方が外国人(国際結婚)の場合だと、結婚したのは36263組で、離婚したのは12367組だった。国際結婚した夫婦の場合も、約3組が結婚する間に、1組の夫婦が離婚している訳だ。

つまり、日本人夫婦の場合も、国際結婚した夫婦の場合も、離婚率は殆ど変わらない、という事だ。国際結婚に文化の壁は無い、と言えるのかも知れない。

以上より結論。

国際結婚した夫婦の離婚率は、日本人同士の夫婦の場合と変わらない。愛は国籍の壁を越える。

そういえば僕は国際結婚した方の日記を幾つか読んでいるが、どれもが夫婦円満そうだ。冒頭の「文化の違いとかの壁が有って、うまく行かない事が多いんじゃないかなぁ?」という推測は全くの見当違いだった事が証明された。国際結婚をした方々、ちょっとでも変な事を疑ってしまって申し訳無い。


2004年8月6日(金) 多数決の罠

多数決は危険である。

多数決という決定方法は、それ自身が奇妙な説得力を持っている。多数決で決定された事項は、それが最善であると勘違いされがちだ。

これはマジックをやっていて思う事なのだが、例えばAというマジックとBというマジックのどちらかを演じようと思った時、サークル(奇術愛好会)の友人達に「AとB、どっちが良いと思う?」と聞いて、多数決を取るのは有効だ。どちらの方が、より多くの観客の嗜好に合うか――完全ではないだろうが、ある程度の傾向を予測する事が出来るからだ。

一方で、具体的に演じるマジックが決定して、まずは内輪で披露した時、「これはネタバレしてしまわないだろうか?」と心配になる部分が存在する。実際にネタが見えてしまうような演技は論外だが、ネタが見えなくても一部の観客が「何となくアヤシイぞ」と思いそうな、不自然な演技になってしまう事はよく有る。

このような時に「この部分の演技はマズイかな?」と聞くのは正しいが、その結果「いや、別に気にならなかったよ」と言う人が多かったからと言って、その演技で安心してしまうのは極めて危険だ。

ネタが直接は見えないとしても、そして過半数の観客が気にしないとしても、それでも例えば全体の1割くらいの観客が“演技の不自然さ”を感じ取ってしまうような演技は、演技として失格な筈である。この辺りを勘違いすると、良いマジックの演技は出来ない。

このようなケースはマジックに関わらず、日常的に様々な場面で感じる事が多い。普段から多数決の罠に嵌まらないように気を付けないといけないと思う。

以上より今日のイイタイコト。

多数決は一見、最善の方法を模索する手段で有るように感じるが、そうではない。多数決の持つ奇妙な説得力に騙されてはいけない。


2004年8月5日(木) “教える”という事

サイト名称は変更したままだが、そろそろ内容は通常通りで行こうと思う。これから騎乗位について書く予定は、特に今の所は無い。

今年も8月がやって来た。8月は比較的暇なので、毎年毎年、家庭教師のバイトを死ぬほどやっている。下手すると就職した友人よりも稼いでいる事になるのだが、3ヶ月もすると殆ど飲み代に消えてしまう。僕は物欲は弱い方だが、少し金銭感覚がおかしいようだ。

今年も家庭教師のバイトをやりまくる予定。多い時は1週間に10件くらいやったりする。1日に3件掛け持ちすると、朝の9時に出掛けて夜の9時に帰って来る事になったりして、「勤労したなぁ」という気分に浸れて気持ち良い。

ところで僕は、基本的に数学しか教えない。それ以外の科目は教えられないと、家庭教師の派遣センターに言ってあるので、数学だけを教えれば良い生徒しか持たない。しかし8月だけは知り合いが帰省する為に、臨時で家庭教師の代行をしたりする。その為に、数学以外を教えなければならない場合が有る。これが非常に困る。

というのも、生徒に10の事を教える為には、教師側が20程度の事しか出来ないのでは駄目だからだ。100とか200とか、それくらいの圧倒的な知識や経験が有って初めて“教える”事が出来るのだと思う。

よく「大学生なんだから、中学生の英語くらい教えられるでしょう」とか言われたりするのだが、それは無理な話なのだ。僕は英語なんて得意じゃない。それで大学を2年も留年したくらいなんだから。勿論、普通の中学生よりは英語は出来るだろうが、それだけでは“教える”事は出来ないのである。

以上より今日のイイタイコト。

お願いだから僕に英語や古文を教えさせるのは勘弁して。生徒よりも学力が高いというだけでは、教師は務まらない。


昨日に引き続き、『日記才人統一スレッド』を読んでみた。なかなか僕の人物像が当たっていて面白い。また幾つかにレスを付けてみるが、このような行為は今日で最後にする事にする。直接レスを書き込みに行く事もしない。あれくらいの内容ならば、今後は直接メールを送るか、掲示板に書き込んでくれて構わない。いつまでも日記でレスを付けるのはキリが無いし、掲示板ならば暇な時なら即レス出来る。という訳で、上記スレに対する反応は、これが最後。

kasaのアクセス乞食ぶりにはおどろいた
否定しない。何故そうするかは、アクセス数を気にする事は、一定の社会性を保つのに役立っているという、ポジティブな側面も持つと考えるから。詳しくは、『アクセス数を気にする事』で。

スルーしないじゃなくてできないんじゃないの。どうみてもこういう事態に動揺しまくりそうな香具師じゃん
まぁ少し驚いたが、2ちゃんねるは3年以上見てるので、そこまで動揺してない。そんなに強く叩かれてる訳でもないし。

オフレポ批判されたくらいで目くじら立てるんなら普段から批判めいた事なんか書かなきゃいいのに
「webサイト管理人は“オフレポ批判”を一つの意見として受け止めるべき」という趣旨で書いたつもりだったのだが。ちなみに普段の日記は、単なる他者批判にならないように心掛けている。

だいたい騎乗位くらいで色めきだって日記の題にしちゃう事自体が厨房くさい
自分でもそう思う。酔った勢いでサイト名を変更して、次の日の朝は後悔した。まぁ今週中には元に戻すから良いや。

多感な時代をさぞや寂しい思いをして過ごしたんだろうな
中学・高校は男子校。大学でも今の学科は50人中、女性は0人。寂しいなんてレベルじゃない。

はじめて読んだけど 童貞臭プンプンだね
もう半年以上してないから、そういう臭いもするかも。必死なんですよ。

虚勢張ってリンク貼ったのは確かに失敗だったな。小心者なのがバレバレ
「小心者」とか「神経質」とかは、よく言われる。昨日もセミの死骸に驚いて、階段から転げ落ちた。この性格は何とかしたい。

このヒトとその周辺の何人かって文中リンク推進とかいってやたらリンクはり合ってるけど、いっつも同じメンバーなのが藁える
これはちょっと前から悩んでた。自分が直接見に行くサイトの数には限界が有るし、そうなるとどうしてもメンバーが固定される。まぁそれ自体は仕方ないとしても、鎖のように繋がらずにリング状に回ってるだけだと効果が薄い。何か巧い方法が思い付かなければ、読み日記は止めるかも知れない。取り合えず面白いサイトが有ったら教えて欲しい。

そんなに馴れ合いたければメールすればいいのに
相手のサイト管理人と馴れ合いたい訳じゃないからこそ、感想をメールじゃなくて公開してる。

それともアクセス得票共に見劣りするほど足りないのか?
見劣りするかどうかは分からないが、前の月よりも上回りたいなとは思ってる。日記才人経由だと、アクセス数よりは得票数の方が気になるかな。ちなみにオフ会参加者の中には、僕と逆の人もいた。

粘着なお前等キモイね
僕も一々レス付けたりしてるから、お互い様な気もするな。という訳で、これが最後。


2004年8月4日(水) 「騎乗位オフ」レポートの余波

オフレポートは何故、批判されるのか?

一昨日の『騎乗位オフ』レポートについてだが、幾つかのサイトで批判が散見された。「“オフ会”なんだから、その話題をオンライン上であるweb日記に書くなよ。馴れ合ってるだけで詰まらない」という事らしい。このサイトの事ではない可能性も高いので、これを一般的な『オフレポ反対論』として捉えて考えてみる。

「“オフ会”の事を、わざわざオンライン上に書くなよ」というのは、一つの主張として確かに理解出来る。例えば「特に面白くも無い日常を、淡々と書いてんじゃねーよ!」という主張を目にする事は多いが、恐らくはそれと同種の物だろう。(ちなみに僕は、どちらの主張も支持していない。そういう主張が為され得る事を理解出来るだけ。)

この種の批判は、webサイト管理人はヒステリックな反応をせず、冷静に受け止めなければならないと思う。何故ならwebサイト管理人には、「法的・社会的・道徳的な問題が無い限りは、何を書いても良い」という権利を与えられているからだ。となれば、逆に読者にはwebサイト管理人に対して、「法的・社会的・道徳的な問題が無い限りは、何を批判しても良い」という権利が与えられるべきだろう。

「他者批判は道徳的に問題が無いか?」という処は少々引っ掛かるが、まぁ「オフレポなんて書いてんじゃねーよ」程度なら、許容される範囲内だと思う。

一方で、webサイト管理人は批判は受け止めるべきだが、それに必ずしも従う必要は無いだろう。(勿論、従っても良いが。)

つまり、批判は一つの意見として捉えれば良い、という事だ。このような読者を失いたくなければオフレポは書くべきでないし、別にどうでも良いと思うなら書き続けて構わないだろう。取り合えず現在のwebでは「詰まらない」という理由だけでは、それに従う“義務”はない。

ちなみに僕は以前に書いたようにアクセス数を重視するので、今後はどちらの方がメリットが大きいかで判断する事になる。一昨日の『騎乗位オフ』レポートは批判もされたが、好評も受けた。問題はどちらが多いか、だ。個人的な見解としては現在の所、オフレポを肯定的に見る人が多いと思っている。

以上より今日のイイタイコト。

webサイト管理人は、オフレポ批判を一つの意見として捉えれば良い。従うか否かの判断基準は、人それぞれ。

ところで僕のオフレポは、2ちゃんねるの難民板でも非難された。2ちゃんねるで叩かれたのは恐らく初めてなので、記念にリンクしておく。

関連リンク:『日記才人統一スレッド』

でぶでも、いえいえ太ってませんよ、とかさ。
だって、僕よりも太ってる人、いなかったし……。

友達いないのねん。かわいそうに。
確かに、リアルの世界でも多くない……。敵は多いのだが。


2004年8月3日(火) とても危険な“騎乗位推進論”

僕は先日、「騎乗位推進論」を掲げたが、これはとても危険な事なのかも知れない。

世界一のコンドームメーカーであるイギリスのDurex社の調査に拠れば、「最も役立つ性教育の情報源」として、日本人の18%が「インターネット」と答えている。

特に低年齢層ほど、その比重が高い。10代では25%――4人に1人にも上る。10代の日本人の4人に1人が「ネットの性情報が最も役立つ」と考えているのである。

ネットの性情報を活用する事は問題無いが、それを「最も役立つ」と考えているのは問題だ。もしかしたら僕の「騎乗位推進論」を読んだ10代の読者が、「そうだったのか、騎乗位ってグローバルスタンダードだったんだ! よぉし、彼女が出来たら初体験は、これでいこう!!」とか、「騎乗位って正常位より優れた体位なのか。じゃあこれから一生、騎乗位で」などと考えてしまうかも知れない。

これは大変な事である。きっと、その若者は駄目になってしまう。以前にも書いたが、僕の日記はデータこそ真実だが、よりユーモアの要素が強くなるように論理展開している。だから、もしも僕の「騎乗位推進論」を読んだ10代の読者がいたら、ユーモアはユーモアとして受け取って欲しい。

以上より今日のイイタイコト。

インターネットではジョークを真に受けてはいけない。ネットの情報(特に性情報)を鵜呑みにするのは、とても危険。

マズイ。これでは「騎乗位抑制論」ではないか。オフ会参加者達に怒られてしまうな……。


2004年8月2日(月) 「日記才人限定オフ会」改め「騎乗位オフ」

軽くオフレポートを。その内、もっと長く書くかも知れないし、書かないかも知れない。

『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』のYasさん主催の「日記才人限定オフ会」に参加して来た。僕以外の参加者は以下の通り。

オフ会の話題の流れは、序盤から妙な方向へ。参加者の間では「日記才人限定オフ会」ではなく、「騎乗位オフ」だったという声が多数。僕ですか。僕の所為ですか? 取り合えず責任を取る意味で、騎乗位論をまとめておく事にする。

関連リンク:「騎乗位推進論」

――さて。オフ会は初めてだったので、簡単に各参加者の印象を。

Yasさん:他人を寄せ付けないような、鋭い雰囲気を醸し出してる人かと思ったら、温厚で爽やかな方でした。
江草乗さん:罵倒されるのではないかと思ったら、凄く優しい方でした。奥さんが美人で羨ましいです。
かじりんさん:サイトから受ける印象と変わらない方でした。駄洒落と下ネタのセンスが抜群です。
柳瀬あきさん:美しい方でした。あぁ、きっと騎乗位について語る僕の印象が下がったに違いない。すいません。
素光さん:可愛い方でした。あれくらいで「体重がヤバイ」なんて言ってたら、僕はどうすれば良いのやら。
ぴったんこさん:大人な渋さを持つ方でした。純粋にカッコ良かったです。将来は彼のような大人になりたいです。

日記才人やその他の個人webサイトの歴史については素光さんとぴったんこさんが詳しく、騎乗位の話で僕とYasさんとかじりんさんが異様に盛り上がった気がする。いや、僕は別に騎乗位ネタで盛り上げるつもりは無かったのだが。きっと、かじりんさんのペースに僕とYasさんが巻き込まれた所為に違いない。

今回のオフ会は大手サイトの管理人の方々が多数参加されたのだが、聞いてみると意外と日記への反応は少ないようだ。僕のサイトより10倍のアクセスが有るからといって、10倍の反応が有る訳ではないらしい。1日に数千のアクセスが有り、それで1つも反応が無かったら、それはそれで寂しいのかも知れない。

その他、覚えている限りキーワードを列挙。

『やおい』、『人妻』、『処女』、『童貞』、『ハサミ男』、『モトカノ』、『“彼女が欲しい”と書くのは如何なものか』、『Missing』、『最初はスライムから』、『DQN』、『トレドミン』、『デパス』、『覚醒剤』、『成田良悟』、『東野圭吾』、『専業主婦』、『某最北医学生さん』、『唯一削除された日記』、『朝更新のもう一つのメリット』、『僕のサイトは専業主婦を批判してる訳じゃないのに』

かなり真面目な話もした筈だが、はっきりと覚えているのは性的な話題が多い。彼女が居ないから仕方ない。上記のキーワードの幾つかは他の方のオフレポートに出て来るのではないだろうか。(大半は出て来ないだろうが。)

ちなみに僕はオフ会から帰宅した直後に、これを書いている。当然、酔っている。多分、朝になって激しく後悔すると思うが、起きたらこのままアップする予定。また、勢いでサイト名を変更した(『kasa's legitimate square』→『KASAの騎乗位促進委員会』)が、余程の事がない限りは1週間程度で元に戻す。(←これも朝には後悔してそう。)

とにかく最初から最後まで笑いが絶えず、非常に楽しいオフ会だった。機会が有ったら、また是非とも参加したい。関係者の皆さん、楽しい時間を有難うございました。


2004年8月1日(日) “比”は美しい

先日、小学5年生の家庭教師の生徒の母親に、「学校や塾よりも先取りして“比”を勉強させたいのですが、何か良い参考書などは有りませんか?」と質問された。

現在の小学校の指導要領では“比”は6年生の後半になってから勉強する事になっているが、“比”というのは中学受験で不可欠なものだし、中学校以後も必要な重要な範囲である。小学校6年生からやるのでは、確かに遅過ぎる。

また、その生徒が通っている塾では、小学5年生の秋から“比”を学ぶらしい。ちなみにその塾は、首都圏の中学受験塾としては非常に難度が高い塾として有名な所である。

しかし僕としては、それでも遅過ぎる気がする。事実、“比”さえ扱えれば簡単に解けるような問題は、既に幾つも出ているのである。それをわざわざ別の、しかもより高度な思考を必要とする解法で教えねばならない。

僕が中学受験をしたのは10年も前だが、その頃の小学校で“比”を何年生でやっていたかは正直、定かではない。しかし学習塾では小学3年生か、遅くとも4年生くらいでは既に習っていたと思う。

“比”は初めて数字に抽象性を帯びさせる、極めて重要な(そして美しい)分野だ。それまでの数字というのは、単位を付けないと全く何の意味も成さない代物だが、“比”は初めて数字そのものに意味を生じさせる。ここが理解出来ないと、より抽象性を増していく中学数学以降が思いやられる事になる。

だからこそ中学受験では、“比”を利用させる問題が頻出する。取り合えずそれさえ出来ていれば、数学の持つ抽象性を理解出来る、最低限の条件をクリアしていると判断されるからだ。

以上より結論。

“比”という単元は、それ自身が持つ抽象性ゆえに重要であり、美しい。よって中学受験では重要視されている。

ところで冒頭の生徒の母親の質問に対する答えだが、一般的な参考書では初習するには難しいと思ったので、「教科書ガイドのような物が書店に並んでいますから、それで“比”が載っている巻を購入して下さい」と言っておいた。そして昨日それを教えたのだが、60分で“比”の単元全体の半分を終えてしまった。

今の教科書は本当に内容が薄い。具体的な例が豊富なのは良いのだが、そこで止まってしまって、“比”の持つ抽象性を説明出来ていない。これでは確かに、教科書の薄さを心配する親御さん達や、学力低下を案ずる専門家達の気持ちも分からなくは無い。

現代は教える側(学校教師・塾講師・家庭教師など)の巧さによる影響が、生徒に如実に顕れる時代なのかも知れない。僕も頑張らなくては。


今日は新宿某所でオフ会。オフ会は初めてだ。ドキドキする。


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