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2004年2月

DIARY MAIN

2004年2月29日(日) ケアレスミス

昨日、日本のロケット打ち上げ成功率の低さについて書いたが、その原因は殆どが単純なミスである。

他国がどうなのか分からないが、少なくとも日本は異常とも思える程に“ケアレスミス”に対して厳しい。ロケットの事例で言えば、明らかに大元の設計理論が間違っている方が怖いと思うのだが、打ち上げ失敗の報道を見ていると単純ミスが最も悪い、という論調が主流である。

この風潮は教育現場にも如実に現われている。例えば数学をやっていて「全然分からない問題が出来ないのは仕方ないが、計算ミスで取れる問題を落とすのは最もいけない」と言われた事が有る人は非常に多いの筈だ。教育熱心な親ならばそう言って子供を叱るだろう。しかしどう考えたって、問題が全く解けないよりは、計算間違いをしていても大筋は合っている方が好ましいのは明らかだ。

確かにケアレスミスは勿体無い。僕も家庭教師をしていて生徒に「計算ミスで点を落とすのは勿体無いからね」とは頻繁に言う。しかしそれと「計算間違いが一番悪い」と言うのとは全く意味が異なる。

このような風潮が生まれた背景には、穴埋形式や解のみ記述させる数学試験が大多数を占めている、という事情がある。定期テストで全ての問題を解き方から記述させる中学・高校は全体の1%程度ではないか。それは大学受験でも同じで、私大では偏差値でトップクラスの慶応大学では理工学部でさえ数学の記述式問題は5問中1問しかない。(残りは穴埋)

解のみを書かせる問題では計算ミスをしたら基本的に点を貰える要素が無くなる。つまり多くの学生にとっては“計算ミス=0点”なのである。即ち、計算ミスは何も分かっていないのと同じ、いや、“勿体無い”分だけ余計に性質が悪い。よって、計算ミスは何も分かっていないのより悪い、となる。

となればその学生達が親の世代になった時、子供達に「全然分からない問題が出来ないのは仕方ないが、計算ミスで取れる問題を落とすのは最もいけない」と言うのも納得出来る。納得出来るが、その言葉は問題である。

ケアレスミスを消すのは容易ではない。本当に不注意な場合は別だが、基本的には『当たり前の事なのに本人には気付けない』からこそのミスであり、本人が気付かなかった物に対して「気付けよ」と言った処で何も解決にはならないからだ。数学の計算ミス等は訓練によって改善出来るが、ではどの程度の訓練をすれば充分な成果が出るのかは微妙な処だ。個人的な見解では、中学生が通常の試験を5回やって計算ミスが1回発生する位にする為には、文字式の展開や因数分解などの計算練習を1年間に10万問のペースで最低2,3年間やる必要が有ると思う。1日300問程度である。この数値は何処から来たかというと、僕自身の経験である。ところが、こんな事を実際にやっているのは数学好きな超マイノリティのみに過ぎない。そして、これだけやっても計算ミスというのは消える訳ではない。(そういえばつい最近もこの日記で間違えたし)

無論、効果が薄いからと言って「計算ミスを消す努力をするな」と言っている訳ではない。少なくとも1回のテストで5回以上の計算ミスをするような学生は計算練習をするべきである。問題は、子供に「計算ミスを無くせ」という発言をするのは別に害は無いので良いのだが、これと同様の事をロケット開発のような場にまで言及するのは無責任ではないか、という事だ。先に言ったように、ケアレスミスというのは本人が気を付ければ良い話ではなく、気が遠くなる程に繰り返し行う事で発生確率を抑える事が出来る。ロケット打ち上げが失敗して原因が単純ミスだと「製作側は意識の改善を」という論調で終わるが、意識を変えたから解決する、という問題ではないのだ。

ところが日本のロケットは年に1,2回程度しか打ち上げが行われない為に、部品製作・組立の技術蓄積が非常に行われにくい。一般に広く使われている部品(つまり、技術蓄積が充分に行われている製品)を使う事である程度は代用出来るが、物がロケットだけに専用の部品というものも数多く存在している。その部分の精度を高める為にはロケットを作り続けるしかない。しかし現在はロケット産業は成功率の低さもあって縮小傾向である。日本のロケット産業は悪循環に陥ってしまっている。

という訳で今日の結論。

ロケットの打ち上げ成功率を上げるには失敗しても作り続ける事が必要。意識改革では単純ミスは無くならない。


2004年2月28日(土) 日本のロケット産業

平日朝の情報番組「ズームイン!!SUPER」内のコーナー『辛坊治郎の追撃コラム』はワイドショーor生活情報番組と化してしまった殆どのニュース番組の中で唯一といっても良い位のマトモなコーナーである。8時ちょっと前から始まるので、会社勤めの人や真面目な学生は見れない時間かも知れない。残念な事だ。

さて、そのコーナーで昨日、「日本のロケット産業はどうして成功出来ないか?」という話題を出していた。オウム関連報道一色だった中で、よくこんな話題を取り上げた物である。「我が道を行く」という姿勢は好感が持てる。テレビ各局はもっとそうした姿勢を打ち出すべきだ。(テレビ東京はそれが出来ている)
以下の引用はテレビ番組が元なので正確でない可能性がある事に注意して欲しい。

ここ数年の日本のロケット打ち上げ成功率は80%弱である。これはそう低くないように感じるかも知れないが、世界各国のロケット打ち上げ成功率は97%以上を保っていて、ロシアに至っては100%だ。これはあまりに大きな差だが、この原因の一つとして『日本のロケット産業は目的が薄い』事が挙げられる。
アメリカやロシアは軍事衛星を打ち上げて軍事的に少しでも優位に立たなければならないし、ヨーロッパは商用としてのロケット打ち上げが市場として成り立っている。しかし日本はそのどちらもロケット打ち上げの目的としては成立していない。

僕は日本のロケット打ち上げは基本的に商用を目指していると思うが、H2Aは随分改善されたとは言えまだまだコストや成功率の面でヨーロッパに対抗出来ていなく、実験段階に近い。

また、日本の成功率が低い、もう一つの大きな原因としては『有人ロケットを飛ばさない』事に有る。人命が掛かっておらず、失敗しても金を失うだけなので精度が上がらない。では何故日本は有人ロケットを飛ばさないのかというと、日本人はロケット打ち上げで失敗して人命を失うようなリスクに耐えられないからだ。中国やアメリカならば例え1回目で失敗したとしても2回目が有るが、日本ではそれが許されない。

なるほど、確かにありそうな話である。ロケット産業に限らず日本人は自分の生活に密着した成果がすぐに出ない学問には冷淡な面が強い。ノーベル賞を受賞した小柴さんに「あなたの研究は何の役に立つんですか?」と臆面も無く聞くような人間が一般的とされている国だ。一般的な国民から見たら「ロケット産業などという物は理系学者達の道楽で大量の税金を投入する癖に何の役にも立っていない。それでいて人命までが失われるならば即刻辞めさせるべきだ」という考えになるのは目に見えている。

しかし疑問なのは、本当に人命が掛かっていないからといって、(ロケット部品等の)精度が落ちるものなのか、という事だ。もっと言えば、人命が掛かれば精度は上がるのか? ここは疑わしい所だ。もっと説得力が在るのは予算の話ではないか?
日本の宇宙開発関連の予算は年間3000億円である。対してアメリカは年間3兆円。日本の10倍だ。これだけ予算に差が有れば精度に格差が生まれるのも仕方ないように思える。

もう一つ言うなら、現在の日本とアメリカやヨーロッパを比べるのはフェアではない。日本はH2Aを製作し始めてからまだ10回も打ち上げを行っていなく、既に成熟しているアメリカやヨーロッパのロケットの成功率と比べるのは酷なのである。実は各国のロケット打ち上げも初期の段階では成功率は70%程度しかない。となれば現在の日本の成功率である80%弱という数値は決して低いものではない。

取り合えず結論。

日本はロケット後進国である。しかしロケット打ち上げ成功率の低さを日本の技術力低下という結論に結び付けるのは疑問。


2004年2月27日(金) 進級決定

大学に入って早4年。普通なら卒業して就職したり大学院に入学したりする時期な訳ですよ。しかし僕は今日ようやく3年生になれる事が決定しました。2年間の回り道(留年)は長かったなぁ・・・。

「人生で回り道しても、そこには何らかの価値がある」みたいな言い方があるじゃないですか。確かに留年した事によって得られた物っていうのは在ります。でもそれは留年して時間が出来たから、なんですよ。決して留年した事を一次的原因として何かを得た、という訳ではないんです。何か特殊な意図が在る場合は別にして、基本的に留年なんてするもんじゃない。得られる物があるとしても、それは留年しなくても時間さえあればいつか得られる物だし。

語学で留年っていうのは4年前、大学に合格した時点で既に不安視してたんですよ。センター試験の英語で180点くらいを普通に取る人間に混じって、「149点!? やべぇ出来過ぎだ」と驚きつつ喜んでいた人間(←センター模試で130点を超えた事が無かった)が、果たしてやって行けるのか、と。まぁ実際、3年間はやっていけなかった訳ですけど。

今年は英語も中国語も単位を取る事が出来ました。語学はかなり勉強したんですよ。でも、結局、「周りの人間に付いて行けたか?」というと、そういう感覚が全く無い。中国語は試験が簡単な教官に恵まれたのが最も大きかったですし、英語は間違いなく留年者には下駄が入っていると思います。そういった多大なるフォローが在っての単位。とても“人並み”とは言えません。

まぁしかしアレですよ、僕も一応数学が好きな人間ですから、そんな内容なんて気にしません。『単位を取った』という事実が大切なんですよ。「納得がいかない」とか、そんな個人的感情は例え自分の物だとしても、どうでも良い。あとはその事実を利用してやるだけです。


・・・で、取り合えず来月1日・2日に行われる数学の試験から逃げ出したいのですが。(←勉強しますよ、すりゃあ良いんでしょう)


2004年2月26日(木) 東大入試問題の感想

国立大学の入試が昨日から始まった。早速、2004年度東京大学前記日程理系数学の問題が代ゼミでアップされてたので解いてみた。問題解答講評を代ゼミから無断借用。講評によれば今年ははっきりと『難化』と書かれているが、まだまだ本来の難易度には戻っていない。以下、各設問毎に短く感想。


第1問の難度を『標準』とされているのは嘆かわしいばかり。ただの計算問題じゃないか。複素数かベクトルを使った方が簡単ではあるが、中学生でも解けない事は無い。3点の座標を設定したら、後は関係式を出してそれを解いていくだけ。

第2問は受験生が苦手な問題の典型。(1)は「3桁以上の平方数」→「平方すると100以上」→「元の数は10以上」→「1の位と10の位だけに注目すれば良いんだな」という思考過程を辿り、元の数を10c+dと考えた時の20cdの特徴に気付けば、あっと言う間に終わるのだが、このような考え方は言われれば納得するものの、自分から積極的に考える人があまりに少ない。(2)は(1)の条件を満たしている事に気付けるかどうか。「1の位と10の位が同じ」→「足したら偶数だからbは0か4」に気付けば、後は10000で割れる事を示すのだからbが4ではない事を示す方向で計算していく。やり方次第で煩雑になるが迷う事は無い筈。代ゼミの解答は巧く解いている。

第3問は僕が苦手な問題。「出来なそうだなー」と思いながらも2分くらい考えたが、やはり出来ず。極座標を使えば良いのか。理系な癖に数学V・数学Cが致命的に弱いのはどうにかしたい所だ。難度は「やや難」だが出来た人は割合多いのではないか? 僕は出来なかったけどさ。

第4問の(1)は一般の教科書にそのまま載っている。増減表作ってグラフ書いて終わり。簡単過ぎるが導入だから仕方ない。(2)からが本番だが、これはf1(x)をxと見れば良いだけ。勿論普通のxとは違って、或る値を取るのが1回だけではない事に注意しなければならないが、この手の問題は東大以外でも頻出だし、殆どの受験生が見た事はあるだろう。見た事無いなら明らかに勉強不足。まぁ見た事あっても解けるとは限らないのが難しい処だが。(3)は(2)よりも手を付け易いかも知れない。関数の値が0だけでなく±√3になる時も合わせて考えれば良い。ただし、±√3を考えるには少し試行錯誤しなければならないだろう。

第5問は球の重なりをそのまま考えようとすると嵌る。球を平面で切った部分を2倍すれば良い。球の一部の体積の出し方は今は教科書には載ってなかったか? まぁ積分を普通に理解していれば問題ない。(2)は東大らしい問題。東大は近似値っぽい問題を好んでいる気がする。良い意味で受験生をおちょくってる(←そう言えば最近おちょくるって使わなくなったな)雰囲気も良い。代ゼミの解答だとすっきりと解いているが、ここに至るまでが大変だよなぁ・・・。

第6問の(1)はボーナス問題。3回で黒白白になるのは3パターンなので、その確率を出す。(2)は「白や黒の位置を無視し、個数だけ考える」という方針を立てれば良い。例えば黒白白・白黒白・白白黒になる確率は常に等しい筈である。となるとこの問題における状態は「白3」・「白2黒1」・「白1黒2」・「黒3」という4種類しか存在しない事になる。しかもこの状態間遷移図を描くと奇数回目は「白2黒1」・「黒3」、遇数回目は「白3」・「白1黒2」という状態しか有り得ない事が分かる。よってこれを元に漸化式を立てれば良い。白黒白は最後に3で割るのを忘れてはいけない。この解法は代ゼミの解答よりも優れている(思考過程に無理が無い、という意味で)と思うのだが如何だろうか?


僕の出来は4完1半で90点(120点満点)くらいか。まぁ英語や理科が出来る受験生なら40点も取れば充分だろう。第1問と第4問・第6問の(1)は落としてはいけない。これだけ取れれば40点近い。充分合格圏だ。まぁ取れる筈の問題が取れない事がある、ってのが受験の怖い所だけども。


2004年2月25日(水) もう水曜なのに主にジャンプの話

最近は堅い話題が多かったので、今日は軽い話。まずはジャンプ。

ハンターハンターはナックルで引っ張り過ぎな感がありますと書いたのは先月の26日なのだが、未だに続いている。あと2回は続くだろう。作者の意図としては、ゴン達を戦力になるようにしないといけないが、あまりにすぐにパワーアップさせると興醒めだからワザと長引かせている、という事なのかも知れないが、読者としては先が気になって仕方が無い。
ナックルの念能力は詳細がまだ不明だが、『自分が与えたダメージ相当分だけオーラを相手に貸す事が出来、借りた方は元のオーラ+利子分(10秒で1割)のダメージを返さないと、一定時間後に強制的にオーラを吸い取られてしまう』という辺りか。だとするとナックルは自滅パターン(自分がオーラを貸した所為)でゴンにやられるのでは? それだったら幻滅だなぁ。
しかしこれはノブ(だったっけ? パームの先生)の能力と相性が良さそうだ。ナックルが敵に一撃を与えたらノブの能力で遠くへワープ。一定時間後に敵はオーラを吸われて終わり。最強じゃん? ナックルが一撃を与えられるかどうかが鍵か。
キルアの心理的葛藤は、ヨークシンシティ編でノブナガに捕まった時にゴンを助けようとしたシーンと矛盾してないか? ナックルと闘っても殺されない可能性が高い事にキルアは気付いている筈だし、明らかにノブナガに捕まった時の方が危険度は高かった筈だが。
あぁ、あと、ビスケってマジで逃げたの?

デスノートは焦った。Lの素顔に。1ページ目を見た時は「コイツまた偽者使ってるだろ!」と思った。しかし読んでいくと本人としか思えない。良いのか、こんなんで。
多分僕は勝手に、Lってのは『スマートな天才』だと思い込んでいたから衝撃を受けた。しかし作者の描き方を見ると、Lは『狂気的な天才』という事なんだろう。椅子の座り方にそれが巧く表されていると思う。自分の話を中断させられたくないってのは、何かの精神的な病の症状だった気がする。目のクマっぽいのも如何にも狂気的。
しかしそうなると「正義は必ず勝つ」的な発言をした時の、あの何とも言えない笑顔には含みが有るのか? あぁ、あんな事を堂々と言ってしまう辺りが“狂気的”なのかも。
『キラは心臓麻痺以外でも人を殺せる』っていうのは、あの女性によってもうLにバレてしまうのか? あの女性も元FBI捜査官らしいから警察で門前払いって事にはならないんだろうし。しかしそうなるとあっと言う間にデスノートは終わってしまうなぁ。『キラは心臓麻痺以外でも人を殺せる』という要素はもう少し巧く使うと思っていたのだが。
他の可能性としてはライトの父親が元FBI捜査官の話を聞いて、息子を疑いつつも事の真相を自分で掴むまではLには報告しない、とか考えられるが……そうなるとライトの父親の死は確定的だろうなぁ。どういう展開にしろ、ライトの父親がLよりも先にキラの正体を掴むとは思うけど。

今週のジャンプでLの素顔以上に衝撃的だったのはヤム飯。正直、「何処かの同人誌がジャンプに晒されてるのか!?」と思った。



ヤムチャ+天津飯
↑ヤム飯。天津飯の頭部を再現する必要はあったのか・・・?



ヤバイ。たった1冊のジャンプで此処まで熱く語ってしまった。そろそろ切り上げよう。

最近のお気に入りの作家は成田良悟。こいつは凄い。まだ書評が完成していないが、一応宣伝。僕は高畑京一郎以来の衝撃を受けた。2ちゃんねるの「ライトノベル大賞 2003年度下半期」というスレッドでも殆どの部門で1位を取ってた。でも売り上げは悪いらしい。満点を付けた『バッカーノ! 1931』が特にお薦め。

最近の日記について「つまらない」という意見と「面白い」という意見、両方を貰った。どのような日記が喜ばれるのか、判断が難しい。昨日・一昨日の日記は評判が良くなかった様だ。話題が広範囲に渡り過ぎて、意図が明確に示せなかった。
アンケートを設置しても、このサイトの規模だと答えてくれる人は少ない。もしかしたら記号選択式なら多少は意見が集まるだろうか? 取り合えず毎日の日記の感想を聞きたいのだが、何か巧い方法はないかなぁ。cgiで日記を書いてコメントを追加できる形式にすれば良いのかも知れないけど、それはそれで色々問題が有るんだよなぁ。

たまには勉強しましょうって事で、コラムでは蜂の生態について連載します。高校1年の時に書いたレポートを見付けて、このまま捨てるのも勿体無いので一部だけ使おうと。僕はこういう内容って物凄く好きなんですが、普通は違うのかな・・・?


2004年2月24日(火) 昨日の日記には気を付けましょう

昨日の日記『小学生は不利である』を読んで疑問を持たなかった人は注意が必要である。

今日は前置きが長いので、読むのが面倒な方は後半の「以上のように」から読み始めてもらっても構わない。
ここ数日、“情報”の恐ろしさを感じる事件が相次いでいる。

インターネット接続サービス「ヤフーBB」の顧客情報を入手し、親会社の「ソフトバンク」から現金20億〜30億円などを脅し取ろうとしたとして、警視庁捜査一課は24日までに、恐喝未遂容疑で、東京都文京区、元政治結社代表で出版業森洋容疑者(67)ら3人を逮捕した。捜査一課は情報が入力されたDVDなどを押収し、内容について確認を急いでいる。過去最大規模の個人情報流出になるとみられる。

佐賀県で昨年12月、「佐賀銀行がつぶれたらしい」などとのデマが流れ、同銀行の店舗や現金自動預払機(ATM)に預金者が殺到した「取り付け騒動」で、佐賀署などは17日、銀行の経営不安をあおるメールを友人らに送ったとして、信用棄損の疑いで県内の20代女性を書類送検した。女性は「こんなことになりびっくりした。悪意はなかった」と反省しているという。調べによると、女性は同月25日未明、自宅で携帯電話から「佐賀銀行がつぶれるそうです」などとしたメールを友人ら26人に送信した疑い。

三重県警四日市南署は、同県四日市市内のスーパーで、今月17日に「泥棒」と叫び声を挙げた、子連れの女性を捜している。「泥棒」呼ばわりされた男性(68)は、買い物客に取り押さえられた後に死亡したが、防犯ビデオの分析などから、何ら犯罪行為をしていない可能性が強いという。“事件”が起きたのは、同市尾平町の「ジャスコ四日市尾平店」内の現金自動預け払い機(ATM)コーナー前。17日午後1時過ぎ、女性が突然「泥棒」と声を上げたため、買い物客ら数人が、近くにいた市内の男性を取り押さえた。店の通報で約20分後、同署員が男性に手錠をかけて床に押さえ付け、現行犯逮捕したが、男性は直後におう吐し、意識を失い、18日未明、高血圧性心不全と不整脈のため、病院で死亡した。「泥棒」と叫んだ女性は現場から立ち去ったまま、行方がわからなくなった。同署でATMや店内に設置された防犯ビデオを調べた結果、男性と女性がぶつかった場面はあったものの、男性が女性から何かを奪った事実は確認はできず、同署は「男性は無実だった可能性が強い」と発表した。

「ドコモがパケット通信の定額プランを導入する」とマスコミ各社が報じた件についてNTTドコモ広報は、「導入時期もサービス内容も、まだ何も決まっていない」とコメントした。これは先週末にテレビや新聞などで、「ドコモがこの夏にもFOMAのパケット定額制を開始、価格は3900円〜4200円の見込み」と報じられた件について答えたもの。定額制の導入についても「料金体系については、定額制の導入に限らず日々検討しているが、具体的に何か決まったわけではない」とした。

最初のヤフーの事件は規模こそ大きいものの、既によくある事件となってしまった。これからも間違いなくこのような事件は起こり続けるだろう。この手の事件があるとしばしば「顧客情報の杜撰な管理が問題だ」という結論で終わるが、管理が杜撰でなくても確実にこの種の事件は起きる事は頭に入れておかねばならない。

上の4つの事件は全て“情報”に関する物だが、ヤフー以外の3つはその中でも特に“情報伝達の陥穽”に関する事件だ。

佐賀銀行の事件はデマが原因だった。デマは昔からあるが、メールという伝達手段が用いられた所が近代的である。この事件は最初はたった28通(送信相手は26人なのに送信数は28通らしい)のメールで始まり、最終的には10万人近い人間が計500億円の預金を下ろしたという。事件当日は佐賀県内でドコモの携帯電話に障害が生じたというからメールだけでなく電話でも広まったのだろう。

デマの恐ろしい処は広まれば広まる程、ニュースソースも増える為に信憑性を増して行くという性質だ。「明日、佐賀銀行が潰れるらしい」と知り合いから聞いて、そのまま鵜呑みにする人は少ないが、それを複数人から聞くと途端に信じてしまう。これは仕方の無い事である。この事件で悪いのはニュースソースが少ないのに鵜呑みにしてしまった人間である。つまりは逮捕された女性や、デマの第一世代となった人達だ。

泥棒呼ばわり事件は、騒ぎの大元となった女性が捕まっていない為に何とも言えないが、考えられる可能性としては、『本当にその人物が泥棒だと思ったが、他の買い物客に取り押さえられて男の顔をよく見たら違う事が分かったので逃げてしまった』という処だろうか。死亡した男性を取り押さえた買い物客を責めるつもりは全く無いが、これもニュースソースがはっきりしないのに(男が泥棒だという)情報を信じてしまった為に起こった事件だ。

例えば電車内で若い女性が中年男性に対して「この人痴漢です!」とでも言えば、周りの乗客は間違いなく中年男性を取り押さえるだろう。しかし逆に中年男性が若い女性に「この人は痴漢だ!」と言ったも、恐らく周りの乗客は何もしないだろう。

これらに共通するのは『先入観が働いている』という事だ。「痴漢被害に遭うのは若い女性であり、中年男性が痴漢される訳が無い」とか、「泥棒と言われる人がいたら泥棒に違いない」という。

ドコモが定額制を導入するという報道は各種メディアで取り上げられたが、実は決定された話ではなかった。これに関して「様々なメディアが一斉に誤った報道をするなんて考えられない」という意見をネット上で読んだ。実はそうでもない。
実は僕たちが情報源としている新聞やニュースは数多く有るが、それぞれが独自の取材をしてニュースを流している訳ではない。大多数のニュースは極少数の通信社から流されているニュースをそのまま流している。従って、その大元が勘違いをしてしまうと、それが一斉に多方面へ流れてしまう。

以上のように、“情報伝達の陥穽”には『不確かなニュースソースを鵜呑みする事』・『先入観が働いてしまう事』・『単なる勘違いが有るという事』と沢山のバリエーションがある。これらには充分に注意すべきだ。
実は昨日の日記にも“情報伝達の陥穽”を含ませておいた。それは『情報発信者が自らの主張を正当化する為に意図的にミスリードを狙う事』である。

昨日の日記で僕は小学生は多くの性犯罪者に“性の対象”として見られているという結論を導いた。この結論自体は間違っている訳ではないが、この結論を導く為に邪魔なデータを僕は隠していたのである。

僕は昨日、強制猥褻と略取誘拐のみを以て、女子小学生は中高生〜20代前半と同レベルの被害者数がいるとした。強姦罪については全く触れなかった。性犯罪について論じているのに強姦罪に触れないのはおかしい筈である。強姦罪の被害者数は平成14年に2357人だった。その中で6歳〜12歳が占めるのは90人、全体の4%にも満たない。これは『強制猥褻被害者の5人に1人は小学生』とか『略取誘拐事件被害者の3人に1人は小学生』というデータと比べて如何せん『小学生は多くの性犯罪者に“性の対象”として見られている』という結論を導くのに弱過ぎる。だから敢えてデータを示さなかった。

このように自分の都合が良い様に不利なデータは出さない、という事は(別に大それた事でなくても、そして悪意は無くても)日常的に行われている。取り合えず昨日の日記を読んで、「性犯罪について論じているのに強姦罪に触れないのはおかしい」と思わなかった人は気を付けた方が良いと思う。


2004年2月23日(月) 小学生は不利である

小学生は既に“性の対象”である。

現役警察官による女児連れ去り事件の被害に遭った女児は、小学校低学年だった。
“幼女愛好”を原因とする犯罪は極めて特殊だと思われがちだが、実はそうでもない。警察庁の調べでは平成14年に強制猥褻の被害を受けた女性は9225人だが、その内の1645人が6歳〜12歳、つまり小学生である。中高生層の13歳〜19歳の被害者数は3896人で圧倒的だが、その上の20歳〜24歳の被害者数は1861人であり、小学生の被害者数はこれに匹敵している。

強制猥褻被害者の5人に1人は小学生である。

さらに今回のような略取誘拐事件を見ると、その傾向は一層鮮明になる。同じく平成14年に於ける女性の略取誘拐事件の被害者数は215人だが、この中で6歳〜12歳の小学生は68人を占める。全体の1/3近い数値だ。ちなみに13歳〜19歳の被害者数は96人、20歳〜24歳の被害者数は18人である。

性犯罪で難しいのは被害者が名乗り出ない確率が高い、という事だ。増してや被害者が小学生では、その傾向はさらに強いのではないか。両親に訴えを停められる事も在るかも知れないし、そもそも小学校低学年程度では、自分が何をされたのかすら理解出来ない可能性が高い。
性犯罪の小学生被害者の割合は、警察の統計データよりも高い可能性は充分にある。

以上より結論。

小学生は多くの性犯罪者に“性の対象”として見られている。


2004年2月22日(日) 女性は不利である

女児連れ去り事件が後を絶たない。

こと“犯罪”に於いては一般的に女性の方がリスクが高い。殆どの犯罪被害に関しては男女差は無いが、性犯罪は圧倒的に女性の方が被害が多いからだ。(勿論、性犯罪に遭う男性もいるが、女性の被害者数と比べて圧倒的に少ない)

これは生物学的に珍しい。動物には“犯罪”という概念そのものが存在しないが、窃盗・傷害・殺人(?)等の概念は存在する。しかし“強姦”とか“猥褻”という概念は存在しないからだ。

人間以外の動物にとっては性交渉とは『子孫を残す(自分の遺伝子を残す)為の手段』である。しかしそこでオスとメスとの間には多少の意識の格差がある。オスは子孫を残す為により多くの数を求める。子供の数が多ければ多い程、後世まで生き残れる確率が高まるからだ。だから、より多くのメスと性交渉を持とうとする。しかしメスは一匹の子供を生む為に長い時間を掛けねばならず、子供の数をより多くするという手法には限界が有る。だから子供の質を高める為に、より良い遺伝子を持つ(強い)オスと性交渉を持とうとする訳だ。

人間以外の動物は子孫に対して、オスは数を求め、メスは質を求める。

この結果生まれたのが、オス同士が闘い(時には殺し合い)、勝者だけがメスと性交渉を持てる、というシステムだ。メスにとっては自動的に性交渉相手のレベルが上がる、夢のようなシステムである。一方でオスは闘いで傷つく、というデメリットを受ける。そしてこのシステムは多くの種で採用されている。

人間以外の動物は性的行為に対して、メスの方が有利である。

例えばライオンは1つの群れ(プライドと言う)をオスが1頭(場合によっては複数頭が居る事も有るが、それはオス同士が血縁関係(主に兄弟)である時に限られる)、メスが10頭弱で構成していて、普段の生活の際にはオスは何も働かない。これは生殖に至るまでのプロセスに於けるオスの不利性を是正する為の措置と考えられる。(←それだけが理由でもないのだが)

人間でも多少は『子孫に対して、男性は数を求め、女性は質を求める』という傾向は見られるものの、それよりも社会性の影響(法律とか)をずっと強く受けている為、性に関する考え方が他の動物とはかなり異なっている。結果、所謂“強制猥褻”は女性にとって不利益を被る行為になってしまった。

以上より結論。

犯罪に関して女性の方がリスクが高いのは、人間が高度な社会性を持っている為。


2004年2月21日(土) ネズミ講

初めてネズミ講に誘われました。記念にメール内容や送信者のアドレス等を公開してしまいたいと思います。


送信者:rei
メールアドレス:rei_0117@k8.dion.ne.jp
件名:こんにちは(*^_^*)
内容:とりあえず、最後まで読んでみてください。
ここからがあなたの人生を変える第一歩です。一緒に頑張りましょう! ・・といっても私は懸命に努力をする事も面倒な事も苦手なほうです。”少しの時間でほんの少しのやる気と気軽な気持ち”を持って始めていただきたいと思います。
では、詳しい内容をお話させて頂きます。「リピート・スリーR(Repeat Three Renewal)」とよばれるビジネスゲーム、ご存知でしょうか? 少し長くなりますが、その内容をおはなしさせていただきます。
これはマネーゲームです。こんなモン真面目に考えたって無駄です(笑)やるか、やらならいか、どうせダメ元、元手はたったの3000円。
私のPCに「3人の参加者の口座に1,000円ずつ振り込むだけで数週間後には大金が手にはいる!」という1通のメールが届きました。貴方の所にも一度は来た事ないですか?
大金? どうせネズミ講みたいなものでしょ? と思いましたが、『手元3000円が数週間後には大金!』という言葉に引かれ、ひと通り読みとおしてみました。
読み終わってそんなオイシイ話があるの! と思ったのですが、まあ3000円ぐらいだし、騙されてみてもいいかなぁと思い参加してみました。
参加した翌日に5000円口座に入ってました。最初の1週間で18000円が口座に!!えっマジで?イイの?て感じでした^^そして今は一週間ではナ、ナント50000円〜70000円です! やっぱりお金はある方がイイですよね。
それに今の所、法に触れる事はないそうです。
気になる参加方法は以下の通りです。
■参加方法■
(1) まず、リスト3人の口座に1,000円ずつ振り込んでください。
3人の口座の部分を印刷していくと確実でしょう。
■送金先■
1.ぱるる(郵便局)  記号10290 番号16260161
2.ぱるる(郵便局)  記号10680 番号13112921
3.ぱるる(郵便局)  記号17450 番号39721711
※必ずATM(機械)で振り込んでください。
(1) 上の3人の口座に1,000円ずつ振り込んでください。振り込み手数料がかかりますが(1人分につき105〜400円程度)、ご自身の負担でお願いいたします。かならず振り込みを終えてから(2)以降をおこなうようにしてください。
(2) 次に、リストにある3人の口座のいちばん上の人(1)の人を削除します。そして、リストの最後にあなたの口座を書き加え、番号を上から順にずらしてつけなおします。こうして順番に上の人がぬけていきます。このしくみが「違法性がない」根拠になります。(郵便局でも銀行の口座でもかまいません)
(3) このメールのそのほかの部分はこのままで結構です。(編集してもかまいませんが、なるべく手をくわえないほうが無難です。)そしてインターネットの掲示板(どこでもかまいませんのでアドレスに できるだけ多く送ってください。アドレスを公開していない人も多いので、いかに効率よく、根気よくさがして送信するかがポイントだと思います。それが面倒であれば、オークションで売ってもいいですよね^^
(4) あとは、あなたがメールを送った相手から、現金が振り込まれてくるのを待つだけです。このちょっとだけ動いてあと待ってる時間がすっごく楽しいです! まるで釣りしてるみたいで....餌をつけて待ってるって感じで...

(中略)

■参考■(このゲームが『違法』ではないかと思われている方へ。)
私も参加するにあたって、非合法なゲームであれば当然犯罪になると懸念しました。そして、某弁護士と電子メール等でこの内容について相談させていただきました。その結果をまとめて報告しておきましょう。
無限連鎖講(通称:ねずみ講)について、条文によれば、「この法律において「無限連鎖講」とは、金品を出えんする加入者が無限に増加するものであるとして、先に加入した者が先順位者以下これに連鎖して段階的に二以上の倍率をもつて増加する後続の加入者がそれぞれの段階に応じた後順位者となり、順次先順位者が後順位者の出えんする金品から自己の出えんした金品の価額又は数量を上回る価額又は数量の金品を受領することを内容とする金品の配当組織をいう。」とあります。
要するに、後順位者が入ることにより先順位者が順次そのシステムの参加権利がなくなるというシステムです。よってその参加者が無限に増加しないので、このシステムだと『無限連鎖講の防止に関する法律』には触れないという事になります。
■関係記事・関連語意■
関連記事 <ある弁護士の意見>
「これはよく言われるネズミ講やマルチ商法とは法律上、異なります。会員をネズミ算式に拡大させることを条件とする無限連鎖講や連鎖販売取引と関連付けることはできません。順番に上位の人がぬけていき、会員が一定数保たれる仕組みになっていますので、違法性はないといえるでしょう。」
関連語意(1) <ねずみ‐こう【鼠講】>
会員を鼠算式に拡大させることを条件として、加入者にたいして加入金額以上の金銭その他の経済上の利益をあたえる一種の金融組織。投機性が強いので法律で禁止。連鎖配当組織。無限連鎖講。
関連語意(2) <マルチ‐しょうほう【マルチ商法】>
(multilevel marketing plan) 商品販売方法の一。物品販売業者とその商品を再販売する者が次々に他の者を再販売組織に加盟させて組織内での地位昇進から得られる利益を餌に商品の購入や取引料の支払の負担を約束させる形でする商品の販売取引。鼠講式販売法とも呼ばれ、投機性が強く弊害が大きいので法律で厳しく規制。連鎖販売取引。(広辞苑第四版より引用)

(引用は以上で終わり)


いやいやいやいやいや、一体全体、これの何処にネズミ講でない要素が存在するのか教えてもらいたいものです。あまりにも馬鹿らしいですが、一応この自称弁護士の「これはよく言われるネズミ講やマルチ商法とは法律上、異なります。会員をネズミ算式に拡大させることを条件とする無限連鎖講や連鎖販売取引と関連付けることはできません。順番に上位の人がぬけていき、会員が一定数保たれる仕組みになっていますので、違法性はないといえるでしょう。」という発言に反論してみたいと思います。

会員数が一定数に保たれる為には「新たに会員が一人入った時に、必ず一人が抜ける」或いは「会員が一人増えた時に必ずしも一人抜けなくとも、一定確率で複数人が抜ける」システムでなければなりません。

まず、このシステムでは新たに会員が増えた際、口座リストから一人を消去する事になっていますから、絶対に複数の会員が同時に減る事は無い訳です。という事で、これは「会員が一人増えた時に必ずしも一人抜けなくとも、一定確率で複数人が抜ける」というシステムではありません。

次に、口座リストから消去された人物は、他のリストに名前が残っている可能性があります。その場合、その人物は会員から外された訳ではありません。つまり、これは「新たに会員が一人入った時に、必ず一人が抜ける」システムでもありません。

以上より言えるのは、このシステムは会員が増える事は在っても減る事は絶対に無いという事です。要するに会員数は単調増加します。
いや、つまりは何処をどう考えてもネズミ講って事ですが。

まぁ何にしろ、未だにネズミ講が残っているというのは引っ掛かる人が居るという事でも在ります。皆さん気を付けましょう。


2004年2月20日(金) 分離分割方式は無意味か?

筑波大学が入学試験の分離分割方式を廃止するらしい。現在、国立大学の多くは前期試験と後期試験に分けて入試を行っている事が多い。定員の殆どの割合は前期試験に集中しているが、受験生にとってはチャンスが2回ある事になっている。これを前期1本に絞ってしまおう、という訳だ。
ちなみに筑波大学の今年度の募集人数は前期が1154人・後期が328人で、大体8:2くらいの比率で学生を取っている。これは多くの国立大学とほぼ同じ割合である。

分離分割方式には様々な問題が有ると言われている。中でも大きいのは『少な過ぎる募集人数』と『複数の入試問題を作成する事の負担の大きさ』だ。が、これらの問題については今日は触れない。

筑波大学が分離分各方式を廃止する理由を「前期と後期で入って来た学生の間に学力の差異が見られないから」と説明している。
しかし、ちょっと待って欲しい。それは少しおかしくないだろうか?

国立大学の後期試験は倍率こそ前期より大幅に高いが、これは前期に比べて後期の募集人数が圧倒的に少ない為である。しかも国立大学を受験する層は医学部受験生を除き、前期と後期では受験校を変えない(レベルを下げない)傾向が強い。つまり、後期試験は倍率が高いからといって、受験生のレベルが上がる訳ではない。さらに、後期試験は前期試験の不合格者が受験する訳だから「敗者復活戦」の要素も強い。一部を除き、寧ろレベルは下がっていると思う。

そのような状況の中で「前期と後期で入って来た学生の間に学力の差異が見られない」というのは、後期試験は役割を充分果たしていると言えるのではないだろうか?

また、前期試験だけで募集人数の学生を全て取るとすると、今度は純粋に1155位以降の、明らかに下位層が入学してくる事になる。そのような層が果たして(本来の入学者層である筈の)1154位までの層と同等の学力を持っている、という事が有り得るだろうか?

東京大学の調査では、特に理系に於いては入学時の学力差は卒業するまで埋まる事例が殆ど無いと言う。これは東大に限らず、多くの大学で共通の傾向に思える。
以上より、結論。

国立大学の分離分割方式は「前期と後期で入って来た学生の間に学力の差異が見られない」ならば充分に機能している。


2004年2月19日(木) 『続・風速』への要望

実は僕自身知らなかった事なのだが、僕は『我孫子マッド』なる集団の一員らしい。何かもう、海外旅行に行ったら知らない内にブランド物の密輸に関わってました、みたいな気分。「エー、ナンデスカソレ? ワタシハナニモシリマセンヨー」と言いたい。「ボクハ、イノセントデスヨ」

『我孫子マッド』の中に海上って奴がいて、『続・風速』っていうテキスト系サイトを作ってるんだけど、そこで僕の紹介をするっていうんで楽しみにしてたら、大した事が書いてなかった。以下、無断引用の上、一部改竄。

バカイの話を書こう書こうと思ってるんだけど、なかなか書く時間が無い。困ったもんだ。まあバカイの話って言ってもいかに奴かバカなのかをつらつらと書き連ねるだけなんですけど。我孫子マッド列伝を。我孫子マッド列伝面白そうだな。かなりファンキー。

本名が類推される書き方するなって。このサイトが教え子の女子中学生とかにばれたらどうするんだ。昨日あんな内容の日記を書いてるんだぞ。

しかも内容はこれだけか。それともまた改めてしっかり書いてくれるのだろうか。いや、きっと奴は僕の駄目っぷりなんか頭に浮かばなかったに違いない。そりゃそうだ。お前ら『我孫子マッド』と比べたら、僕なんて全然マシ。「天と地」どころか「実世界と虚数空間」くらいの差が有る。正に比較不能。口惜しかったら僕の駄目っぷりを書き連ねてみるんだな。出来ないだろうがな、はっはっは。

以上、「もっと僕について色々書いてくれよ」という私的連絡、終わり。


2004年2月18日(水) 2次元派と3次元派

今日は手抜き日記。どう手を抜くかと言うと、自分の得意な話題を提供すればいいわけ。
という訳で今日の日記は低年齢の方には推奨しません。12歳未満禁止。

男が集まると必ず盛り上がる話題として、「お前は何時から始めた?」というのがあります。何を始めたのかって、それはまぁアレですよ。分からん人は文脈から判断して下さい。「手を抜く」というのがヒントになっている、とは恥ずかしくてとても言えません。

「お前は何時から始めた?」の答として最も多いのは「中1」とか「中2」くらいでしょう。次に「小6」か。僕は「小6」。少し早めらしい。しかし大学生になっても「したことない」とか抜け抜けと言う奴がいたり、逆に「幼稚園から」っていう猛者もいる。「昇り棒を昇ったり降りてるしてたら何だか気持ち良くなって来た」らしいです。その話を初めて聞いた時は唖然としましたが、「切っ掛けは昇り棒」という人は結構多いそうですな。僕は小6の時に「こうすると気持ち良いらしい」みたいな話を聞いたのが切っ掛けでした。だから名称とかは知らなかった。そういうのは中学に入ってからコンビニで500円くらいで売ってる教科書を見て初めて知りました。

で、ですね。「お前は何時から始めた?」の質問が終わると次に始まるのが「お前は漫画派? 写真派?」或いは「お前は2次元派? 3次元派?」という奴です。低年齢だと漫画派が多いような気がしますね。でも高校生くらいになるともうかなり写真派になる。思うに、中学生くらいだと、写真に写ってる女性は年齢が高過ぎるんですよ。漫画だと比較的低年齢に描く傾向が高いですから、同年代の異性を求める中学生は漫画に走り易い、と。

で、ここからが本題。
面白いのは「お前は2次元派? 3次元派?」という質問です。何が面白いって、この質問その会話をしている集団によって、大きく意味が異なるのが面白い。

中学生にとっての2次元は漫画で、3次元は写真を意味する訳ですよ。高校生以上にとっては2次元は漫画と写真を統合した紙媒体全般で、3次元は生身の女性になる。そして道を間違えた集団にとっては2次元とはイラストやディスプレイ上のキャラクターであり、3次元は人形(ドール)を指す訳です。

そして道を間違えた集団にとって厄介なのは、先日紹介した『Xbox かすみちゃんブルー』に付いて来る抱き枕(下の画像参照)の様な存在です。描かれているイラストは2次元ですが、抱き枕という形状を考えると使用法はドールに近い物があるのではないでしょうか? つまり、この抱き枕は2次元派にも3次元派にも中途半端な代物である訳です。

Xboxは此処でもターゲットを絞り切れていない、という愚を犯しています。

あれ? なんでこんな結論になったんだろう・・・?




2004年2月17日(火) 男女論は扱いが難しい

「専業主婦はセックス付き家政婦」と言われて気分の良い女性はいないだろう。

先日紹介した『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』(管理人:Yasさん)だが、男女論を取り上げる事を暫くの間、辞めてしまうそうだ。16日の日記で、
「男女論」なんて書いていると、アクセス数は増える。アクセスが増えた分、意味不明な反論や、ただの人格攻撃にしか思えないような指摘を受けることも多くなった。
デフォルトでいちゃもんつけてくる人たちの相手をしたり、考えたりする時間も勿体ないので、しばらく「男女」に関するテーマは書かないようにしたい。

と言っている。察するに、15日の日記で紹介していた自分のサイトへの批判をもっと酷くしたようなメールなり何なりが多いのだろう。1日5000ヒットというのは(このサイトとは比較にならないものの)まぁ割とよくあるサイト規模である。しかしサイトの特性上、読者の意見メールはかなり多いのではないだろうか。

Yasさんは自ら様々な視点で物事を考えて生きたいと思っていると語っている。実はこのようなステレオタイプ的な発想からの脱却の為には「敢えて一般論を疑う」というこれまた『第二のステレオタイプ』とでも言える様な思考法に片足を浸ける必要があると思う。従ってそこから導かれる結論は往々にして一般論と逆を行く。
(この『第二のステレオタイプ』が良いか悪いかの議論は今回は放置する)

例えばYasさんは「専業主婦はセックス付き家政婦」と主張するが、これは多くの女性の反感を買うだろう。いや、此処まで来ると男性で同感する人もそこまで居ないかも知れない。実は僕もこの結論には同意していない。しかしながら僕はYasさんの主張には「正しさ」が有ると思う。
それは「事実としての正しさ」ではない。僕は結論に同意していないのだから「事実としての正しさ」は認めていない。しかし「数ある思考法の一つとして成立している正しさ」が有ると考える。これは言い換えれば「考え方は変わっているが、筋が通っている」とでもなろうか。Yasさんは少なくとも結論に対して相応の根拠を毎回提示している。

議論するのが嫌いな人には信じられないかも知れないが、自分の意見に反論されるというのは嬉しい物である。「自分の意見に穴が有るなら、それを知りたい」と考える人は割と多い。ところが折角反論を受けても、単に「お前は間違ってる!」とか言われたりしたらどうしようもない。「専業主婦はセックス付き家政婦」という主張に対してであれば「女性を売春婦のように表現するとは何事か」等という反論を受けても、どうしようもないのである。例えば「どうして女性を売春婦のように表現してはならないのか?」の理由を明示してあれば別だが。「女性を売春婦のように表現するとは何事か」という反論は単に「私は貴方とは異なる意見を持っている」という意志を表明しただけに過ぎない。

(念の為言っておくが僕は「女性を売春婦のように表現しても良い」なんて事を言うつもりは全く無い。そして逆に「売春婦は女性として格下だ」と言うつもりも無い。)

「筋が通った主張」には「筋の通った反論」で返さなければ意味が無い。

僕が考える問題はもう一つ在る。
例えば「専業主婦はセックス付き家政婦」という主張に対しては「お前は間違ってる!」的な反論がかなりの数に上ったと予想される。後日の日記でそのような記述がある。

問題はYasの主張は往々にして一般論と逆を行く為に、このような非難(と言っても良いだろう)は日常茶飯事だろうという事だ。そして、これは日常のお喋りではない。インターネットでは相手の顔が見えない。当然自分を批判してくる相手の顔も見えない。これは心理的に相当なプレッシャーだろう。それを恐れている訳ではなく、ただ相手にするのが疲れるという意味で。
日常に於けるお喋りならば、少し丁寧に説明するなり何なりの対応は楽なのだ。

今日は結論が繰り返しになるが、念の為。

「筋が通った主張」には「筋の通った反論」で返さなければ意味が無い。
それだけで議論は円滑に進むし、双方にとって有益だ。


2004年2月16日(月) 反動

中国語の試験を受けて来ました。最近、新しく閲覧してくれる方が増えたようなので僕の簡単な身の上を説明しましょう。

大学生。現役で入学。現在22歳で2年生。2度の留年(正確には1度は降年)を経験中。今学期に英語と中国語の単位を取れないと大学を放校。以上。

何かよく「日本の大学は入るのは難しいが出るのは簡単だ」とか言うじゃないですか。あれ、絶対論調がおかしいですよ。入るのが難しいという事は、入学時にそれなりの学力が付いている事を意味している訳で、それなら学力が付いてない人が卒業するよりも楽なのは当然じゃないですか。いや、「成長度が低い」のは否定しませんよ。肯定もしないですけど。だって海外の大学生が在学中にどれくらい成長してるかなんて知らないし。
実際数学科を例に取れば、日本の大学3年生でやる事をアメリカでは大学院の修士1年でやりますし。少なくとも日本の大学が劣っているという根拠は何だ? と。あー、世界の大学のランキングとかよくあって、東大は100位にギリギリ入るくらいとか聞きますけど、じゃあその根拠はなんだと。
そういうランキングを根拠に「日本の大学生は駄目だ」とする論調。いや、お前が駄目だと。何で駄目か?

取り合えずさっき言ったように、そのランキングが何で信用に足る物か、証拠が無い。ああ、でも「じゃあお前は一つ一つのデータを使う度に実証してんのかよ?」と反論されたら困るので取り消します。ごめんなさい。すいません。してません。勘弁して下さい。

そのランキングってのは研究施設がどの程度充実しているかとか、どれだけ良い論文を出しているかとかをランキングにしている筈で、それで学生の成長度を測るのはお門違いである。ああ、これ良いじゃん。さっきよりは説得力が有りそうだ。そういう事にしよう。

まぁでもそんな事はどうでも良い。本当に言いたい事は「卒業するのに四苦八苦している人間だって沢山いるんだから『日本の大学は出るのは簡単』とか言わないでくれよ頼むから」って事な訳ですよ。あーもうほんとに疲れたー。死ぬー。うそー。まだ死にたくないって。


(最近、真面目な日記が続いたので反動が出ています。元に戻るには暫く時間が掛かりそうです。いや、これが素だという話もあります。)


2004年2月15日(日) BSE問題・完結編

今日の日記は一昨日・昨日の日記の続きです。ご注意下さい。

最近しばしば言われるのは「“安全”と“安心”は違う」という事だ。吉野家の社長も言っている。そして叩かれている。
再び吉川泰弘氏の『BSE牛の発生から1年、原因究明はどこまで進んだか?』を引用させてもらうが、彼も次のように書いている。

ここ1年間、BSE問題を大学以外で説明する多くの機会に恵まれた。リスク・コミュニケーションとして一般の人に説明する時、最も戸惑ったのが安全と安心感の相違であった。

吉川教授によれば、「安全」とは、個々に起こる事象の危険率の積を1から引いた数値である、という。これも僕の言葉で言い換えさせてもらうと、「安全」とは「総合的に危険でない事」であるとなる。
一方で「安心」とは、個々に於ける安全率の積である、という。これを言い換えると「安心」とは「個々に於いて危険でない事」であるとなる。

これらを分かり易く言うと、例え何処かで危険な可能性が在っても、他の手法で危険性が否定されれば「安全」であるが、例え他の全てで安全であっても、1箇所でも危険性が否定されなければ「安心」は得られないとなる。
従って「安全なのに不安」という事が有り得る。「安心なのに危険」という事は有り得ない。(但し、必要な情報が秘匿された場合に限り、「安心なのに危険」も有り得る)

一般に専門家は「安全」を重視し、一般消費者は「安心」を重視する。だからこそ両者には決定的な意見の食い違いが生じている。
BSE問題のような環境リスクに関する世界では、前者のような結果的に低いリスクを見逃すことに繋がり現状肯定的な態度を「低リスク容認論」と呼ぶのに対し、後者のような「安心」をより重視する態度を「ゼロリスク探究症候群」或いは「ゼロリスク論」と呼ぶのだが、この両者の間の溝は想像以上に大きい。

「低リスク容認論者」は基本的に次の命題を仮定している。
世間には、その存在が広く知られたリスク、発見されているリスクに満ち溢れている。そしてまだ誰も指摘していないリスクもそれ以上にたくさんあることだろう。これらすべてを避けることは不可能である。
しかし「ゼロリスク論者」は、この命題を否定する。そしてそんな「ゼロリスク論者」に対して「低リスク容認論者」の中には「社会的に不当な差別の域に達している」とまで評する人も居る。

分かり易い例を挙げよう。例えば数年前に問題になったダイオキシン問題では、「低リスク容認論者」は徹底して「ダイオキシンの対策など、するだけ無駄だ」という理論を展開した。横浜国立大学教授の松田裕之氏は自分の著書の中で、
環境問題の危険は,個人が被る危険に比べて桁違いに高額の費用をかけて避けるよう努力されている.ダイオキシンを取り締まるくらいなら,喫煙を禁止したり,自動車のエアバッグを取り付けたり,自転車専用道路を作る方がはるかに低い費用で多くの人命を救うことができるだろう。
と書いている。ところがこれに対して「ゼロリスク論者」から反発があったらしい。「人命を金銭で評価するとは何事か」という訳だ。これに対して同氏は次のような感想を述べている。
私が言いたいのは、何が優先されるべきかということであって、この本でも明記したとおり、金を払えば人を殺してもよいということではない。たしかに、すべてのリスクを削減できれば、それに越したことはない。しかし、物事には優先順位があると主張した。喫煙が本人だけでなく、周囲の人の健康を害することが統計的に証明されているにもかかわらず、禁止されてはいない。少なくとも喫煙者を登録制にし、新たな喫煙者を禁止することは可能である。自転車専用道路を作ることは、大気汚染を減らす上でも有効であり、交通事故回避だけでなく、環境にもやさしいだろう。これらの点は、ゼロリスク論でも異論はないと期待する。優先順位をつけないということは、結果的に現実に存在する不合理な優先順位を肯定することになる。
ダイオキシンを規制する金が有ったら使い方次第でより多くの人命が救えるが「ゼロリスク論者」はそれに反対する、という訳だ。

思うに、「ゼロリスク論者」は一つ新たな問題が起こるとそれに固執し、従来からの問題との重要性を比較しようとしない。「そんな事よりも今、問題になっているのはこちらだ」と言わんばかりに発生時期を最重視する。

池田正行氏によれば、「ゼロリスク論者」の問題点はもう一つある。彼は「ゼロリスク論」を「ゼロリスクを求めるあまり,その行動が大きな社会問題を起こすことに気づこうとしない心理」と定義している。これについて松田裕之氏は、
以前問題になった所沢の農家にせよ、BSE騒動で閑散としている焼肉業界にせよ、彼ら自身が犯罪者ではない。ホームから転落した人を自らの命を省みずに助けようとした人が美談とされるのに、なぜほとんど無視できるダイオキシンやプリオンのリスクを避けるために、社会の一員が破産するようなことを避けないのだろうか。BSEの失政については、日本政府の責任は重い。しかし、牛肉を食べなくなっても彼らが失業するのではない。失業するのは関連業者である。彼らのことを可哀想だとは思わないのだろうか。
と述べている。

この話を聞いた「ゼロリスク論者」は間違いなく「しかしBSE騒動が起きた時に“牛肉を食べない”権利はある筈だ」と言うだろう。全くその通りだ。しかし、それこそが、ゼロリスク論は自分が悪いことを一切していない、あるいは一切すべきではないという崇高な誤解から生まれるという事実を示している。『一つの人命を助ける為にホームに下りる』という極めてリスクの高い行動は賞賛されるのに、『数多くの焼肉業界関係者(中には自殺した人もいただろう)を助ける為に危険部位を取り除いた焼肉を食べに行く』というリスクの低い行動は避けられるのは、矛盾している。

以上より結論。

BSE騒動が起きた時に“牛肉を食べない”権利を、一般消費者は当然有する。しかしそれは他人に多数の犠牲を払わせる行為である事を自覚する必要がある。無知は時として罪だ。



明日は中国語の試験です。これも落としたら放校です。最悪です。


2004年2月14日(土) アメリカのBSE問題で日本人が被害を受ける確率

今日の日記は昨日の続きです。ご注意下さい。

さて、今日は『ゼロリスク』に対する考え方の違いについて考えようと思っていたのだが、昨日の日記について掲示板で次のような点を指摘された。

吉川氏が言及しているのは日本国内のBSE問題であって、今回の米国産牛に関しては何も述べていないのでは? 一方で消費科学連合会はアメリカのBSE問題についてコメントしているわけで、まぁ挙げられている確率に根拠はないのかもしれないけれども、ミスリードと断言するのはどうかな

なるほど、もっともな意見だ。

指摘の箇所は僕としては『日本でのBSE感染確率』そのものを念頭に書いていて、実は発祥地の区別は全く気にしていなかった。一方で引用した文章は確かに発祥地を意識した文章になっている。吉川氏の文章は米国での問題が発生するよりも以前に書かれた物だし、消費者科学連合会の文章はタイトルに「米国BSE牛発生に寄せて」とはっきりと記されている。これを考慮していないのは重大な問題である。僕の文章が読者をミスリードしてしまった。申し訳ないが「ごめんなさい」で済まさせて貰おう。――というのは冗談で、一応説明責任くらいは果たす事にする。

一つ言っておきたいのは、吉川氏にしろ消費者科学連合会にしろ、該当の箇所で述べているのは『日本でのBSE感染確率』である、という事である。となれば適切に誤差を修正してやれば両者を比較する事自体は不可能ではない。

まず吉川氏の試算によれば日本で発生した、或いはこれから発生するBSE感染牛は30頭前後になるという事だ。そしてその結果、日本人が感染する人数の期待値は0.017〜0.026人であるとしている。これを僕は言い換えて牛肉を食べてBSEに感染する確率は百億分の一より少し高いとした。これを必要な要素だけ纏めると、次のようになる。

30頭程度のBSE感染牛が日本国内に出回ったとすると特定の国民がBSEに感染する確率は百億分の一より少し高い

次に消費者科学連合会の文章についてだが、こちらは具体的なデータがまるで書かれていないので、少々難しい。幾つか調べてみたが、「米国でBSE感染牛が何頭いるか?」というデータが存在する筈も無く、なかなか実情を推察する事は難しい。一応イギリスでのデータが見付かったので記載しておく。

感染確率は、狂牛病が18万頭発症した英国で、1000万人に3人

人間のBSE感染率は30頭発生すると100億分の1、18万頭発生すると1000万分の3という事か。さて、ここまで来ると人間への感染率を考える上で重要なのは、BSE感染牛が何頭いるか、という事が分かるだろう。(←当然か)
しかし先に述べた通り、「米国でBSE感染牛が何頭いるか?」というデータが存在する筈が無い。そこで一つの仮定を立ててみる事にする。それは、米国の牛へのBSE感染確率はイギリスを上回らないという仮定だ。これはBSE発生国であり対策が後手に回らざるを得なかったイギリス以上にBSEが拡大する事はないだろう、という予想の基に立てている。

という訳で最悪のシナリオを考えてみる。それは米国の牛へのBSE感染確率がイギリスと同程度だった、という場合だ。

イギリスが飼育する牛の頭数は約4000万頭であるから、年間の出荷頭数は1200万頭程度だと考えられる。米国の年間出荷頭数は3000万頭なので、イギリスの2.5倍だ。という事はアメリカでは18万×2.5=45万頭程度のBSE感染牛が発生している、或いは今後発生する事になる。という事はアメリカ人がBSEに感染する確率は1000万人に7.5人という事になり、人口を2億5000万人と考えると200人近くが感染してしまう事になる。これは危険だ。

一方、日本にはこの内、約3%が輸出される。単に重量比を考えれば1350頭分のBSE感染牛が日本国内市場に出回る事になる。これを人間への感染確率に直すと10億分の3前後という事になる。

以上より結論。
アメリカでイギリス並にBSEが蔓延したとして、輸入制限も全く行わなかった場合、日本人のBSE感染確率は約3億分の1
この結果からは消費者科学連合会の文章はやはり大袈裟という事になるが、仮定に基づいた話でありどう受け止めるかは各人次第。



明日こそゼロリスクについて書く――と思う。


緊急訂正:上記の日記に致命的な計算ミスが発見されました。打ち消し線で消した部分です。45万頭の3%は13500頭でした。という訳で結論部分を以下のように訂正します。

アメリカでイギリス並にBSEが蔓延したとして、輸入制限も全く行わなかった場合、日本人のBSE感染確率は約3000万分の1。日本人には4人程度の感染者が出る。この数字を大きいと見るか小さいと見るかは各人次第。


2004年2月13日(金) 続・BSE問題

BSE問題関連で、一昨日の日記では確率論的(アメリカ政府はこれを「科学的」と表現していると思われる)には正しくても、消費者心理がそれを信じなければ全く意味が無いと書いた。また、昨日は確率論は本当に難しい。すぐに勘違いすると書いた。
今日は、何故こんなにも専門家と一般消費者との間に意識の差が有るのか、を考えてみようと思う。

消費科学連合会では『科学的とはどういうことか〜米国BSE牛発生に寄せて〜』という文章を先月29日に発表している。これを一部抜粋させてもらうと、

清浄国といわれていた米国で、BSE牛が発生したことを受けて、わが国のメディアによると「全頭検査」は非科学的であるという論調が目立つようになっている。
(中略)
では、翻って科学的とは一体どんなことを指すのであろうか?
これまでは新聞紙上で目にする限り、または有名な先生方の言葉を聞く限り、それは確率論でしかなかったように記憶している。

(中略)
一方おいしく牛肉を食べた人が、何万分の一、何百万分の一の確率でBSEに感染したとしたら、誰がどれだけの支援をしてくれるというのか? またそれで罹患者が苦痛を癒すことができるのか、そんなことは「絶対」にできることではないだろう。
食の安全とは、万人が食しても大丈夫なものを言うのであって、「もしもの時はごめんなさい」では済ますことのできないものであると考える。その昔、それこそ科学的知見の少なかった時代であったら、少ない確率のその一つに当たって発症した人がいてもその人の体質とか環境のせいにすることもできたことであろうが、残念ながら現代は科学が発達しているのである、泣き寝入りはだれもしない。


これは一般的な、所謂“普通の”消費者の声をかなりのレベルで代弁している文章だと思う。ただ、『全頭検査をしない事』に対する反論としては問題が幾つもある。先に箇条書きにしておくと、

といった処か。順序良く見て行こう。

まずは『科学的』という言葉についてだ。消費科学連合会は科学的とは一体どんなことを指すのであろうか? これまでは新聞紙上で目にする限り、または有名な先生方の言葉を聞く限り、それは確率論でしかなかったとしているが、確率論は正に科学的としか言いようが無い。人間的でないだけだ。注意して欲しいのは確率論、つまりは科学的である事が全てだ、と言っている訳ではないという事である。しかしながら「確率論が全てではない」というのは感情論であり、それを以て「科学的」と言うのはおかしい。
「全頭検査はしない」という意見に反対したいのであれば、こんな言葉の問題などに構うべきではない。「確率論は認める。しかし感情論はどうするのだ?」という事を問題にすべきだ。

次にBSEに人間が感染する(←この言い方は不正確だが分かり易いので敢えて採用する)確率の問題だ。消費科学連合会は牛肉を食べた人が、何万分の一、何百万分の一の確率でBSEに感染したとしたらと書いている。
東京大学教授の吉川泰弘氏は『BSE牛の発生から1年、原因究明はどこまで進んだか?』で、日本の場合vCJDの確率は、0.017〜0.026人と推定される。すなわち今回のような規模のBSEの侵入を40〜60回受けると、1人が発症する可能性があるということになると書いている。これは言い換えると牛肉を食べてBSEに感染する確率は百億分の一より少し高いという事になる。消費科学連合会は実際の感染確率の1万〜100万倍の数値を、悪意は無いにしろ表記している。「BSEの感染確率は数万分の一」と聞けば日本国内だけで数千人が感染する事になり、これでは「全頭検査は科学的でない」という意見こそが科学的でないと思えてしまうのも無理は無い。故意でなくとも読者をミスリードするのは、それこそ「ごめんなさい」では許されないだろう。

最後に最も問題の根が深いのが『ゼロリスク』に対する考え方だ。これに関しては明日の日記で詳しく書こうと思う。


2004年2月12日(木) 確率の問題

昨日、『3000万頭の牛の内、4万頭だけ検査するのは確率論的には正しい』という旨を書いたが、実はちょっと計算してみると怪しいように思えて来た。確率論(というより統計学)は中学生の時に少しやった程度なので勘違いしている部分があった。訂正しておく。4万頭検査は正しいかどうか(僕には)分からない。

確率論は本当に難しい。すぐに勘違いする。今日は世に出回っている代表的な間違いを一つ紹介しようと思う。

『Aさんが2枚のコインを投げ、Bさんだけがその結果を確認しました。そしてBさんはAさんに「1枚は表だったよ。もう1枚の表裏を当ててごらん」と言いました。Aさんは表か裏か、どちらを答えるべきでしょうか?』
という、数理クイズが好きな人なら食傷気味なくらい有名な問題がある。

この問題を知らない人は10人中9人が「え? どっちを答えたって同じでしょ?」と言うだろう。正解は“もう1枚”は表の確率が1/3、裏の確率が2/3なので、Aさんは「裏」と答えるべきである。

この解説は割と簡単だ。2枚のコインの表裏の組み合わせは、コインをそれぞれ“コイン1”“コイン2”と命名すれば、
(コイン1,コイン2)=(表,表),(表,裏),(裏,表),(裏,裏)
という4通りである。ところがBさんが「1枚は表だったよ」と言っているので(裏,裏)の可能性は消える。残りは(表,表),(表,裏),(裏,表)という3通りの組み合わせで、この内“もう1枚”が表なのは(表,表)の1通りしかない。だから“もう1枚”が表である確率は1/3。“もう1枚”が裏になるのは、その余事象だから1-(1/3)=2/3。以上だ。

さて、これを踏まえて次の問題に答えて欲しい。
『Aさんがコインを2回投げ、Bさんだけがその結果を確認しました。そしてBさんはAさんに「1回目は表だったよ。2回目の表裏を当ててごらん」と言いました。Aさんは表か裏か、どちらを答えるべきでしょうか?』

「裏でしょ?」と考えた人は世に出回っている代表的な間違いを犯している。答えは「確率は1/2ずつなのでどっちを答えても良い」である。


理由がどうしても分からない方が居たら、数学の得意な人に聞くか、最初の問題を知らない人に聞くのが良いでしょう。
若しくはメッセージをくれれば喜んで解説しますよ。


2004年2月11日(水) BSE問題

アメリカがBSE感染牛の追跡調査を打ち切った。結局感染牛と一緒にカナダから輸入された80頭の内、28頭しか居場所を突き止められなかった事になる。調査打ち切りの理由は「(感染牛がみつかる)リスクは非常に小さい」からだった。

アメリカは日本が求めている全頭検査には応じないとは思っていたが、追跡調査を打ち切るとは意外だった。背景には牛肉の国内消費量が全く衰えそうもない、という実情がある。
マクドナルドは前年比で10%以上も売上げを伸ばしたし、米国内で数十店舗を展開する牛丼屋の吉野家も好調だ。米ギャラップ社の世論調査によれば、BSEで実際に被害を受ける事を心配しているアメリカ人は16%に過ぎず、84%が「あまり心配していない」「全然心配していない」と回答している。

こうした国内での牛肉消費の堅実さが、このBSE問題でもアメリカ政府が強気に出られる理由である。「国内は大丈夫でも輸出は落ち込むだろうから、アメリカは困るのではないか?」と思う人が居るかも知れないが、実は米国内での牛肉生産量の内、輸出用は約1割に過ぎないのである。つまり輸出用は無視してもそれほど(恐らく多くの日本人が思っているよりは)アメリカの牛肉生産者には影響が大きくないのだ。
アメリカの農務省は今年の農家の収支見通しを発表したが、牛肉の販売収入は5.8%落ち込むに留まる、と予想している。

アメリカが全頭検査を此処まで拒むのには他の理由もある。コストの問題だ。

アメリカには1995年のデータでは約1億頭の肉用牛が飼育されており毎年約3000万頭が出荷される。BSE検査には1頭当たり50ドル掛かると言われており、取り合えず今年出荷する分だけで3000万×50=15億ドルが必要だ。日本円にして1600億円。全頭検査の年間費用が40億円で済む日本とはあまりにも大きく異なる。(実際には此処までは掛からないと言われている)

これは日本人とアメリカ人との牛肉消費量の差が非常に大きい事が原因だ。2000年の一人当たりの牛肉消費量はアメリカ人が44.9kg、日本人は11.7kgである。

「全頭検査が無理なら日本向けだけでも全て検査しろ」という意見が出ている(←非常に日本人的な発想だ)が、実はこれも難しい。確かに日本向けの輸出は米国生産全体の僅か3%を占めるに過ぎない。しかし一部分だけでも日本に輸出される牛は全体の9割を占めるのである。アメリカの農務省の試算では日本向けだけの検査でも年間約9億ドル(約1000億円)のコストが掛かる。対日本輸出牛肉の市場規模は年間10億ドル程度に過ぎず、この検査に9億ドルも掛けるのは馬鹿らしい、という訳だ。
アメリカ農務省特別顧問ヘグウッド氏は全頭検査する事を「経済的にも科学的にも正当化できない」と評している。アメリカ産牛肉は日本産に比べて単価が低いのも大きい。

取り合えずアメリカは年間出荷3000万頭の内、検査対象を4万頭に拡大する方針を打ち出している。アメリカは再三に渡り、「全頭検査は科学的に言って正しくない」という発言を繰り返してきた。これがまた多くの日本人には共感出来ないだろう。「全体の0.1%しか検査しないのなら、感染牛が居ても殆どが出荷されてしまうではないか」と感じる人が多いのではないだろうか。

実は確率論的に言えば、3000万頭中4万頭の検査というのは充分なサンプル数なのである。この辺りは正に数字のトリックであり、興味が有る人はコラムの『数字のトリック2 〜癌と診断されたら癌なのか?』を読んで貰いたい。確率の世界には、このように直感が正しくない事例が数多く存在する。

ただ、確率論的(アメリカ政府はこれを「科学的」と表現していると思われる)には正しくても、消費者心理がそれを信じなければ全く意味が無い。また、現在は楽観的なアメリカ人達も別にこのような確率論を理解している訳ではないだろう。このような大衆心理はちょっとした事ですぐに大勢が大きく変化してしまう。
今のままでは日本国内でアメリカ産牛肉を食べられる日が来るのは全く先が見えないが、このままで終わるとはとても思えない。もう一度“何か”が起こった時に、アメリカの消費者がどのように考えるのかが非常に大きいと思う。



トップページ最下段に常時アンケートフォームを置いておく事にしました。メールを送るよりも手軽だと思います。感想等あれば是非とも聞かせて下さい。ちなみにメールアドレスは偽装可能ですので。
よろしくお願いします。


2004年2月10日(火) マイクロソフトは“強者”か?

恐らくテレビゲーム史上、最も売り上げが知名度に反比例しているハードXbox。今月で発売から2年が経つが、日本国内での売り上げは未だに50万台に満たないと言われている。プレイステーション2は1500万台、苦戦が続いているゲームキューブでさえ昨年12月の時点で300万台が売れているのを考えると、Xboxがどれだけ売れていないかがよく分かる。そもそもXboxは初期出荷が50万台だった筈で、単純計算をすれば、それが未だに捌き切れていない、という事になる。

はっきり言って、こんな台数では市場が成り立たない。あまりに多様なソフトが出ている現代では、ゲームハードを所有している人の30%以上が買ってくれるような怪物ソフトは基本的に存在しない。『ファイナルファンタジー』シリーズで20〜25%くらいだ。唯一の例外は任天堂のソフトで、例えばゲームキューブが殆ど普及していなかった2001年に『大乱闘スマッシュブラザーズDX』を92万本売り上げた。この時のゲームキューブ販売台数は約100万台だから、ゲームキューブを持っている人の殆ど全員が『大乱闘スマッシュブラザーズDX』を買った訳だ。購買率90%。全盛期の紅白歌合戦より凄い。(←比べて良いのか?)

話が逸れたが、国内で僅か50万本しか普及していないXboxのソフトは(当然任天堂からソフトが出る訳は無いから)最大でも15万本程度の売り上げしか見込めない事になる。事実、これまでにXboxソフトで10万本を超えたのは『DEAD OR ALIVE』シリーズしかない。“10万本”という数字は非常に重要で、大半のソフトメーカーで採算ラインと見られている。売り上げがこの数字を下回ると大抵は赤字なのだ。

実はプレイステーション2でも10万本を超えないソフトは数多く存在する。しかし極々一部のミリオンヒット等の存在がソフトメーカーを支えているのだ。
国内で1500万台普及しているプレステ2ならば購買率7%でミリオンが達成出来る。ところがXboxは購買率20%という、超大作ソフト並の購買率を達成してようやく採算ラインの10万本に到達する。
これではソフトメーカーがやっていける訳が無い。従ってXboxでは市場が成立していない、という訳だ。

こんな四面楚歌状態のXboxだが、起死回生を狙ったのか、形振り構わぬ販売攻勢に出たようだ。

マイクロソフト社は『DEAD OR ALIVE Online』が3月に日本国内で発売されるのを記念して『かすみちゃんクッション』と命名された抱き枕がついてくる特別モデル『Xbox かすみちゃんブルー』を5000台限定で発売する。この抱き枕の表と裏には、17歳のキャラクター『かすみ』のビキニ姿が等身大でプリントされている。


抱き枕。ゲームに抱き枕である。なんだそりゃ。取り合えず画像はこれ。







日本経済新聞社の記者である武藤氏は、次のように語っている。

「たぶん、抱き枕の使われ方は……抱きしめる枕としてはもちろんだが……ほかにも、口にするのがはばかられるような、わいせつな用途もあるのだろう」

昨日、サイト内に性的な単語を散りばめるとアクセス数が増えるというのは有名な話だと書いたが、マイクロソフトがその手法を利用するとは思わなかった。
真の強者が形振り構わなくなると一気に手強くなる、というのが漫画や小説ではお約束だが、果たしてマイクロソフトは“強者”なのか――?


2004年2月9日(月) ジャネット・ジャクソンの影響

サイト内に性的な単語を散りばめるとアクセス数が増えるというのは有名な話だ。

昨日の日記をアップした後、数日振りにアクセス解析を見てみると異変が起こっているのに気付いた。「google」や「yahoo」等の検索サイト経由でのリンク元の記録が急増していたからだ。検索サイトから此処に来る人なんて普段は週に2,3くらいしかないのだが、どうやら述べ20人程が2,3日でやって来たらしい。
原因は今月5日の日記でジャネット・ジャクソンの例の騒動を扱った為だ。

それからほぼ1日が経ったが、未だ検索サイトからのアクセスは増え続けている。現在延べ145人。ジャネットが胸を露出した画像を検索された回数がインターネット史上最高を記録したと書いたが、その凄さを肌で感じる事になった。しかし検索時のキーワードには気になる事がある。

“ジャネットジャクソン”は当然として、その他、“スーパーボール”や“ハーフタイム”、“ハプニング”という単語で検索するのは分かるが、実はそれ以上に多いのが“胸”や“乳首”や“露出”、そして最も多くキーワードにされていたのが“画像”だった。
“画像”という単語をキーワードに入れていた、という事は問題のシーンを見たい、という事なのだろう。

昨日の時点で“画像”というキーワードが高確率で入っている事に気付いたので、急遽トップページに、

「ジャネットジャクソン」関連のキーワードで検索して来た方々へ。
このサイトには画像とかは有りませんので悪しからず。


という注意書きを入れておいた。要らないかな、とも思ったが、その後に100人以上がこのサイトを訪れた訳で、結果的には入れて良かった。
画像目当てで検索していた人には無駄な手間が省けた訳である。(本当に親切心が有ればトップに問題の画像を貼っておくべきかも知れなかったが。)

それにしても“性の力”というのは恐ろしい物だ。
ビデオやDVDが普及したのはアダルトビデオの御陰だし、インターネットだってその影響は測り知れない程大きかった筈だ。「サイトのアクセス数を手っ取り早く稼ぐ為には女性器の名称を入れれば良い」と言われるが、今回も似たようなものだ。さらに時事的にも合致したニュースだったのでここまでのアクセス数になった。
こんなにアクセス数が増えるなら、色々卑猥な単語を書き散らそうかとも思うが、残念ながらこのサイトは現実の知り合いが多数見ているので辞めておく。

それにしても分からないのはジャネット・ジャクソンの胸の露出画像をそんなに見たいか、という事なのだが・・・。日本でも人気が在るって事なのかな?

ちなみに「自分はそんな画像を見たいが為に検索してきた訳ではない」という人がいたら、どのような目的があったのか教えてくれると嬉しいです。


2004年2月8日(日) 卵は寿命を縮めるか?

先日ニュース番組で「卵は週に何個くらい食べるのが良いのか?」という話をやっていました。卵はコレステロール値が高いので食べ過ぎは良くないが、健康に良い面もある。最適な摂取量はどれくらいか、という訳です。

その番組では、

という各層の平均寿命を提示していました。それによれば最も平均寿命が長いのは「週に1個食べる人」で、それから食べる頻度が高くなる毎に寿命が短くなり、最も短いのは「卵を殆ど食べない人」でした。
番組ではこれから「卵は週に1個食べるのが最も健康に良いようです」と結論付けていました。しかし本当にそうでしょうか?

まず疑問なのは「卵を殆ど食べない人」というのは、この中には卵アレルギーの人がかなり含まれている筈で、それが平均寿命を押し下げているのではないか、という事です。その影響を考慮すると、もしかしたら卵は食べれば食べる程に寿命が縮む悪魔の食品という事になる可能性があります。

次に、現実的には日本人は卵をもっと食べている、という事です。日本人は年間334個もの卵を食べています。これは1週間で6,7個食べている事になります。

しかしこの調査ではそんな平均的な層は「週に5個以上食べる人」として最も偏った層の一つにカウントされています。これは恐らく、この調査の被験者達の多くが、目玉焼きなどの卵その物が直接的に見える消費しか数えなかったからだと考えられます。
実際には卵はケーキの材料など、「どのくらい使用されているのか一見しただけでは分からない」用途に多く使われています。(生産量の53%が家庭内で使われる卵で、残りが加工用だそうです)

となるとこの調査は被験者のカテゴライズの段階からして既に“怪しい”事になります。当然そこから導き出された結果が信用出来る訳はありません。
取り合えず卵好きな皆さんは安心しましょう。(ただし、このテキストは卵は食べれば食べる程に寿命が縮む悪魔の食品ではない事を証明してもいません
ちなみに僕は週に10個くらいは卵を摂取していると思います。


さて、個人WEBサイト文化研究所というサイトで『本当に訪問者が知りたい20の質問』という物がありました。ちょっと回答してみようと思います。

1.サイト名とそのアドレス、あなたの希望する呼ばれ方(ハンドルネーム)についてお答えください
サイト名:kasa's legitimate square
URL:http://homepage3.nifty.com/logical/index.html
ハンドルネーム:kasa

2.あなたのサイトがどんなところか、一言でご説明ください
大学生KASAによる毎日更新の日記の他、好きな小説の紹介や自作小説、コラム等が有ります。
――と、紹介しています。

3.このサイトへのリンク、サイト内各ページへの直リンクについてどうお考えかお答えください
トップページ上段にあるように、「無断リンク歓迎」です。
また、リンク報告も歓迎します。リンク報告してくれればこっちからもリンクすると思います。
サイト内の個別ページへのリンクもOKですが、ファイル名や構造等を割と変更をする方なので、トップページをリンクしておいた方が無難です。
その為、過去ログ以外のページへは基本的にトップページから2クリック以内に辿り着けるようにしています。

4.「サイト上で訪問者にこれだけは絶対にして欲しくない」ということをお答えください
特に有りません。
掲示板・メールで罵詈雑言を飛ばすくらいなら構いません。
ウィルスを送付したり、メールアドレスから住所等を特定して嫌がらせをしたりするのはNGです。

5.このサイトを運営していく上であなたが何を一番重視しているかについてお答えください
自分のやる気が続くかどうか。

6.このサイトの更新頻度についてお答えください
ほぼ毎日。3日連続で更新されない事は殆どありません。

7.1回の更新にかかる時間についてお答えください
普段は10〜20分くらいです。
これでも随分伸びました。以前は5分くらいだったので。

8.現在の訪問者数と、今後希望する訪問者数についてお答えください
ユニークアクセスは1日50くらいだと思います。
今の所の希望は多ければ多い程良いです。

9.あなたにとって訪問者はどんな存在かお答えください
訪問者数=やる気。
↑ちょっと誇張。

10.閉鎖の予定についてお答えください
有りません。少なくとも僕が学生の内は続けると思います。ちなみに最悪の場合、2004年4月から学生でなくなります。

11.あなたの性別についてお答えください
男です。心も男だと思います。

12.あなたの生まれた年代、できればズバリ何年に生まれたかお答えください
1981年です。

13.現在のご職業について差し障りない程度にお答えください
大学生。理学部数学科っぽいです。

14.出身と現住地について差し障りない程度にお答えください
常に東京にいます。

15.振られたときに得意な話題、分野についてお答えください
あまりマニアックな話は出来ないですが、強いて言えばゲーム・ライトノベル辺りの話題に強いでしょうか。
気を付けて欲しいのは、これは「一般人に比べれば」の話であり、その筋の人にはとても適いません。

16.あなたが一番良く使っているパソコンの性能、接続環境について分かる範囲でお答えください
DELLのINSPIRON8200を使っています。ノートパソコンです。2002年10月に購入しました。
性能はペンティアム4(1.7G)・メモリ512Mで、接続環境はTEPCO光100Mです。

17.毎日あなたが閲覧するサイトの数をお答えください
20〜30。

18.Webを閲覧し始めた時期についてお答えください
大学に入った2000年4月から。

19.初めてサイトを公開した時期についてお答えください
2001年10月9日。

20.影響を受けた or 大好き or ここが閉鎖したら落ち込むかも、というサイトがありましたらお答えください
影響を受けた:特になし。
大好き:憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々
閉鎖したら落ち込む:特になし。

――こんな感じでしょうか。パソコンの性能とかは知りたい人はかなり限られるような気がします。
でも質問の数が20個というのは確かに丁度良いかも知れませんね。よく有る「100の質問」だと好きなサイトなら良いですが、一見のサイトで読むのはきついですからね。


2004年2月7日(土) ジャネットその後

ジャネット・ジャクソンの胸露出問題、訴訟に発展(ロイター)

笑福亭鶴瓶は日本人で良かったですね。(←古い)



あー、なんか演出だったみたいですね。でもやっぱり訴訟ってのはおかしいと思うんだよなー。


2004年2月6日(金) CM

セブンイレブンで「勇気を下さい」とか女性店員に懇願するような男のプロポーズ、受ける女性が果たして存在するでしょうか?


2004年2月5日(木) ジャネット騒動

ジャネット・ジャクソンがスーパーボールのハーフタイムショーで胸を出してしまったというハプニングが波紋を呼んでいる。世界中から「子供に悪影響を与えた」という非難の声が上がっている。これを受けて今年のアカデミー賞の中継を生放送ではなく、5秒遅れにしようとする動きまで出て来た。

ジャネット・ジャクソンはこれに対して既に陳謝しているが、「(胸の露出は)ジャネット側の演出だったのではないか?」という疑いが浮上している。これが事実だとしたら、決して誉められた演出ではなかった事は言うまでも無い。

しかしながら気になるのは政府連邦通信委員会が「試合が下品で嘆かわしい行為で汚された」とコメントしている事だ。女性の胸が露出してしまう事が「下品で嘆かわしい」のか? そしてそれは「子供に悪影響を与える」のか? (一部報道でジャネットはSM器具を乳首に付けていた、という情報が流れたがこれを受けて批判が出た訳ではないだろうから無視する)

ジャネット・ジャクソンは胸を露出した後、それを強調するような行為をした訳ではない。性的な意図を込めた様にはとても見えない。もしかしたら露出事件は本当にジャネット側の演出だったかも知れないが、少なくとも表面上は特別な事はしていない。本当に胸が衣装から出てしまっただけだ。それが本当に「下品で嘆かわしい」か?

僕にはとてもそうは思えない。それを言ったら公園で赤ちゃんに授乳する母親は皆「下品で嘆かわしい」事になってしまう。テレビに裸婦像が映ったら卑猥か? そんな事が有る筈は無い。

少々短絡的かも知れないが、これが白人歌手だったら此処までの騒動にはならなかったのではないかと思う。少なくとも政府連邦通信委員会は「下品」等という単語は使わなかっただろう。


ちなみにジャネットが胸を露出した画像を検索された回数がインターネット史上最高を記録したそうだ。そんなに見たいかな?


2004年2月4日(水) 受験

小学生の教え子の受験が終わりました。結局1校目に合格した後は全て落ちてしまいました。第一志望校は学習院だったのですが、本人曰く「出来は良かった」そうなので今年は平均点が高かったのでしょう。何にせよ残念な事に変わりは無いのですが。

とても野球が好きな少年で、中学に入ったら6年間、野球に打ち込みたいそうです。部屋にはイチローや松井、松坂などの選手の大きなポスターが貼られています。プロ野球は球団に関係なく好きで、そして高校野球にも異常に詳しく、実は高校野球の名門・常総学院を受験しようとしていた時期もありました。日本人は野球が好きな国民ですが、此処まで好きな奴を見たのは初めてです。(特定の球団が異常に好き、という人は何人かいましたが)

それにしても受験というのは難しい。自分の受験が終わり、家庭教師として働くようになって強く感じます。家庭教師を始めて4年近くになり、常時3人前後(最大5人)の生徒を持って来たので、かなりの受験生を教えてきた事になります。しかしながら残念な事に第一志望校に合格出来た生徒は殆ど居ません。

僕の指導が悪い、という事もあるでしょう。しかしもう一つの側面として、概して皆さん、第一志望校のレベルが高過ぎると思います。(今回の小学生の生徒はそうでもありませんでした)
何故、高過ぎる偏差値の学校を第一志望にしてしまうのか?

大きいのは受験校が複数ある事です。中学受験にしろ大学受験にしろ、殆どの受験生は5校程度、若しくはそれ以上の数(人によっては10を超えます)の学校を受験します。この中には当然『滑り止め』という学校なども含まれています。ですから僕の生徒も第一志望校に合格出来た人は殆ど居ませんが、全ての学校に落ちた人は一人も居ません。

『滑り止め』の学校に受かるだろう事は事前に分かっています。(だからこそ『滑り止め』な訳ですね)
しかしそれが、「取り合えず行ける学校は有るから」という事で第一志望校を少し無理な偏差値の学校に定めてしまう原因になっているように感じます。勿論、「偏差値の高い学校を受験するな」とは言いませんが、第一志望校は最も行きたい学校の筈です。という事は最も合格出来るようにしなければなりません。

また、中学受験であれば学習塾、大学受験であれば高校がこの傾向に拍車を掛けています。受験校を決める際に、必ず『チャレンジ校』(自分の偏差値よりも5程度高い学校を指す事が多いようです)を受験するように言われます。この辺は既に有名な話ですが、塾にしろ学校にしろ、より良い進学実績が欲しいからです。これは合格者数は公表されるが合格率は公表されない事に問題が有ります。学校や塾としては生徒が何校落ちようが関係無いのです。例え合格率が5%しかない層でも100人受けさせれば合格数が5人増えます。95人の不合格者は公表データに出て来ません。

また、生徒に対する受験指導も充分とは言えないようです。各学校の特色の紹介などには力を入れているようですが、例えば今年大学受験中の僕の教え子(北区の女子高、文系)は、受験科目に数学を選ぶべきか日本史を選ぶべきかで学校の教師に相談に行った所、日本史の教師からは「(文系なんだから)わざわざ数学なんか選ぶことは無い」と言われ、数学の教師からは「あなたは数学が出来る方だから、数学にしなさい」と言われていました。日本史の教師からは厭な顔をされたそうです。

しかしこれでは日本史の教師は勿論、(言い方は優しかったですが)数学の教師だって“受験指導”にはなっていません。
数学で受けた場合と日本史で受けた場合の合格最低点の違い、平均点の違い、必要勉強量の違い(日本史はどちらにしても必要だったので、数学を取ると負担が増す)、数学や日本史は大学に入ってから必要なのか、などを示さずに単に「○○で受けろ」と言うのは教師の主観でしか有りません。いや、単に自分の担当する科目を薦めただけだったとしたら(多分、そうなんでしょうが)、それは教師のエゴとすら言えます。

問題なのは生徒やその家族が意外にも簡単そうした教師・講師の話を鵜呑みにしてしまう事です。中学受験はその傾向がかなり強いです。塾の講師から「○○中学を受けたらどうでしょう」とか言われると簡単に従ってしまいます。とすると益々第一志望校の偏差値を高める結果となるわけです。

この辺り、自分自身で判断を付けられる分析力が必要ですね。



えーと、こんなに真面目な話を書く予定じゃなかったんですが。

今日から一部をスタイルシートで書き始めました。ブラウザのフォントのサイズを変更してみて下さい。全く変わらない筈です。
しかし問題は僕は解像度1600×1200という現時点では特殊な環境で作業をしている事です。見た目が崩れている処があるかと思います。
特にフォントの大きさに関して見難い点が有りましたら、トップページ下のアンケート等で報告をお願いします。

取り合えず今の所、アンケートで貰っている意見に対して。

個人的にはかつての方がいいです。チャイ語頑張ってください。
ページ最上段のMENUから「フレーム版」を選び、ブックマークして下さい。以前とほぼ同じレイアウトになっていると思います。中国語は、まぁ・・・

コラム、結論になってないの多いですね…
すいません。コラムに限らず、このサイトのテキストは殆どが結論を出す事から逃げています。結論付ける事が怖いのです。たまに結論じゃない事を結論っぽく見せている事がありますが、それを指摘しているのでしたら、それはあなたがこのサイトのテキストをよく読んでくれている事を意味します。で、申し訳ないのですが、これからも今までのように結論を出さないまま意見を垂れ流す事になると思います。本当に、すいません、と言うしか有りません。すいません。

BBSだけ違うのは何かあるのか?中国語でもやれ
BBSは@niftyからレンタルしているので、手を加え切れない部分があるんです。というわけでBBSは別窓で開くようにしました。


2004年2月3日(火) 議論しよう

まだ完全には読んでいないのだが、少し目を通しただけで一気に気に入ったサイトを発見した。憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々(管理人:Yasさん)と言う。

何が気に入ったかと言うと、僕はこれまでテキストサイトは昔の侍魂のような「ネタ日記」、つまり笑いを取る為のテキストとしては好きなサイトが幾つか有ったのだが、エッセイ風の個人的な主義主張をテーマにした面白いテキストサイトにはお目に掛かった事が無かったのだ。
多くの主義主張系テキストサイトは僕にはただ時事ネタや芸能ネタに対して毒舌を飛ばしている様にしか見えず、特定の事実に対する複数の視点からの考察や深い掘り下げが殆ど行われていない。残念ながら僕のサイトでも(行いたいけど)行われていない(一応、毒舌を飛ばすだけになるのは避けているつもり)。しかしこのサイトは違う。面白いし主張になっている。

例えば2月1日の日記では『なぜ女は議論に弱いのか』という、一見したら女性蔑視のようなタイトルのテキストが掲載されているが、これなんかはテーマが巧い。序盤で「なぜ女は議論に弱いのか」という2ちゃんねるのスレッドの書き込みが引用されているのだが、その中の一人の発言で、

>>1
うん,わかるよ。
けどね,私ゃ♀(女)だけど時々♂(男)の同僚を見ていてこう思う。
「なんでこんな明白なこと議論すんだろ。アホか。」
または「裏付けだの数字だの言って,こんなことも直観でわかんないのかなー。頭悪っ!」


という発言をしている自称女性がいるが、この書き込みに対してYasさんは(低脳ぶりを晒した43さんの書き込み)と言っている。

僕は女性だけが議論が下手だとはちっとも思わないが、今はそんな事は問題ではない。実際に困るのは、“「女性は議論が下手である」という事に関する議論”に対して上記の様な主張をするような人間が余りにも多過ぎる、という事だ。
これは全くの偏見かも知れないが、上の引用を見ただけで、この43さんの何が悪いのか分からないような人は、今回紹介した『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』は合わないと思う。
僕が思うに、管理人のYasさんは日常生活において、このような(正にお話にならない)会話を耳にして苦々しく思う事がよくあるのだろう。これは上の43さんの発言を即座に「おかしい」と思う人なら共通の感情であると思う。

続けてYasさんは言っている。

43さんは叩かれたが、周囲にもこのような女性は少なくない。理屈が通じず、自分の感じたものや信念を曲げようとしない。少しでも否定しようものなら、ヒステリックな反応を示す。専業主婦に多い。

最後の専業主婦に多いという処は微妙に引っ掛かるものの(Yasさんは「専業主婦は嫌い」と公言している)、やはり頷けてしまう。特に理屈が通じずという処と少しでも否定しようものなら、ヒステリックな反応を示すという処が重要だ。

日常生活において話にならない人が居るのは僕はもう諦めている。普段から厳密性を求めるのもどうかと思うし。でも、「なんとかこれだけは正確に話したい」と思う時に、「この人は議論が下手な人だから分かり易く話そう」としても、それでも全く話が通じない事が多い。このような場面で少し詳しく説明されて分かるくらいの人ならば、普段から分かっている、という事なんだろう。
そして、そのような人に「君の考えは此処と此処は間違っているよ」とでも言おうものなら、その人は自分を全否定された気になるのか、確かにヒステリックな反応を示す事になる。仕方ないので「君の此処は正しいと思うけどね、」とわざわざ“あなたの意見を全否定しているわけではないですよ”という意味の前置きを置いてから「君の考えは此処と此処は間違っているよ」と言うと、今度は見え透いたご機嫌取りを使って話しているように思われて、しかも最後には「こっちの考えを否定したいんでしょ」と、同じ結果になるのだ。

もっと言うなら議論の出来ない人は「いつも」とか「絶対」とかいう言葉を安易に使い過ぎる。
ウチの母親(あ、専業主婦だ)なんかその典型で、毎日のように「あんたはいつも家事の手伝いもしない」とか(何の根拠も無いのに)「絶対大丈夫」とか言ったりしている。果ては「お前が勉強している所なんて今までただの一度も見た事が無い」なんて言われる。これらが事実を表している文章としては成立していないのは勿論の事、厄介なのはこのような発言をする人たちは、発言している内に段々とその感情を強めていく事だ。

「あんたはいつも家事の手伝いもしない」というのを例に取れば、確かに僕は積極的に家事を手伝う方ではないが、「いつも」という単語を繰り返し使うことで、「僕が家事をなかなか手伝わない」という事実を必要以上に強調し、心に留めてしまっていると思われる。
そもそも仮にも(留年中だが)国立大学に通う大学生の親が「勉強している所なんて今までただの一度も見た事が無い」わけがないではないか。

繰り返しになるが、僕は発言が事実でない事は問題視していない。このような事実と異なる発言を繰り返す内に本当にそのように思ってしまう論理的な思考の出来ない人が多い、という事が問題なのである。

当然、ウチの家庭では会話が成立していない。

たまに夫婦喧嘩している場面に出くわすが、大抵理に適っている事を言うのは父親なのだが、「今のは父さんが正しい」とでも言うと、“論理的な思考の出来ない人”である母親は「お前は父親の味方をするんだな!!!」と怒鳴る事しかしない。そういう問題ではないのに全く分かっていない。(よって当然の如く、今では両親の会話に参加する事は無い)

実は以前にWORDで紹介した(と言っても、これは僕自身の言葉だが)、

愚かである事の最大の問題は、何が問題であるかも見抜けない事である。
そしてそのような社会の最大の問題は、愚かである事がESS(進化的に安定な戦略)になってしまっている事である。


というのは正にこの辺の話を表したものなのである。
この時僕は「論理的な思考が出来ない」を「愚かな」と表現した。「論理的な思考が出来ない」集団が一度形成されてしまうと、その中に「正当な思考が出来る」個体が現れても、そっちの方が「ちゃんとした会話が出来ない」とされてしまい駆逐される、という意味だ。


・・・・・・なんか『毒舌を飛ばすだけになるのは避けている』と書きながら、そういう雰囲気になって来た。ちょっと落ち着こう。

Yasさんの考え方がやたらと似ているなぁ、と思っていたらエゴグラムでも診断結果が同じだった。以下、僕の診断結果。

性格
世間体を非常に気にするタイプで、理想主義者です。責任感や使命感が強い為に、自分の力以上の仕事を、背負い込みがちとなり、仕事中毒になる可能性があります。神経過敏タイプに有りがちな、自罰傾向のある人で、他人に対して自分の遣った行為を、いつまでも気に掛けたり、失敗に対する悔いが、永く尾を引くと云った所があります。判断力や分析力に優れていますので、物事の処理は的確、且つ敏速に行なう事が出来るでしょう。思い遣りや同情心は普通のタイプです。個性的に生きようとする、自由な感情の表現度も、極く標準的でしょう。

恋愛・結婚
裃(かみしも)を着けて恋愛をするタイプなので、男女関係が原因で、華々しい噂話の爼上に乗せられるような事は、先ず有り得ないでしょう。世間体と合理主義と対人に敏感過ぎる神経とで、ガンガラ締めにされた貴方は、美しく整った非の打ち所が無い恋愛や結婚を望んでいるのでしょうけれども、それは余りにも理想的過ぎて、実現性が薄いでしょう。好きな異性が出現したら、泥にまみれて裸でぶつかる決心をする事が、貴方には是非必要でしょう。

職業適性
性格的に不向きなので、避けた方が無難だと思える職業は、警察官、刑務官、検事などの治安関係公務員。街の金融業者、事業家などです。性格的に見て特に適していると思われる職業は、医師、看護婦(夫)、学者、弁護士、教師、秘書などです。その他数多くの職業に適応性が有るでしょう。

対人関係
人付き合いの面で、難点らしい難点は殆ど有りません。但し、余りにも周囲の人々に対する心遣が過敏になり過ぎて、ストレスを溜め込まない様に注意する事が必要です。


こういうのが一致すると、それだけで何処と無く親近感が湧く。



ところで、今回僕はYasさんにメールを出してしまった。一般のサイト管理人にメールを送るのは初めてである。それくらい気に入ったのだ。
向こうはかなり大きなサイトなので、こちらのサイトを見てくれるか分からないが、見てくれたら見てくれたで、何か恥ずかしい。
何これ? ミーハー?


2004年2月2日(月) 子供の名前

昨日からまだサイト構成の細かい所をちょこちょこと変更しています。希望が有ればアンケートとかメールでお願いします。


子供の名前に『〜〜ジュニア』とか『〜〜二世』って付ける事が有りますが、とうとうこんな親が現れました。

自営業ジョン・ブレイク・キューザックさんと妻ジェイミーさんに息子が生まれたのは1月27日のこと。キューザックさんは念願の息子に、「ジョン・ブレイク・キューザック・2.0」と命名した。

2.0!
流石アメリカ人、悪い意味で発想力が違います。ちなみにこの「2.0」というのは「バージョン2」と読むそうです。
日本だと『新○○』って名付けるようなものですかね。太郎さんの子供なら『新太郎』。・・・あれ? 沢山いますね。

太郎なんて日本で一番メジャーな名前にしたのが間違いでした。次郎さんにしましょう。次郎さんの子供は『新次郎』。・・・いや、多過ぎです。
じゃあ三郎さんの子供の『新三郎』はどうですか? ・・・まだいるか。
四郎さんの子供の『新四郎』は・・・くそ
次は『新五郎』だ! ・・・なんで『新四郎』より増えてるんだ!?

・・・以下、『新十郎』まで検索しましたが、全ての名前において存在が確認されました。
すいません。日本人の発想の方が○○だったようです。(註:『新○○』という名前だからといって○○さんの子供とは限らない、という事は分かってますよ。というか、子供じゃない可能性の方が高いような気も)

さて、話を戻して。

しかしそうなると、2人目の子供が生まれたら「ジョン・ブレイク・キューザック・2.1」ですか? 3人目が「2.2」、4人目が「2.3」・・・・・・。
そしてジョン・ブレイク・キューザック・2.0君が成長して、将来結婚して子供が生まれたら「ジョン・ブレイク・キューザック・3.0」に出来ますね。

いや、ちょっと待って下さい。
もしもジョン・ブレイク・キューザック・2.0君が成人前に子供を作ってしまったとしたら「ジョン・ブレイク・キューザック・2.8」という名前になるわけですよ。そしたら叔父と甥の名前が一致してしまう、という事も有り得る訳ですね。
そしてそういう事態をマズイと感じたジョン・ブレイク・キューザック・2.0君は将来きっとこう言うのです。


「親族という名の同じディレクトリ内では、名前という名の同じファイル名は複数付けられないのさ」と。





すいません、ジョークは苦手です。


2004年2月1日(日) 突然のリニューアル

2月です。
「東京はもう少し雪が降ってくれないと“冬”って実感が湧かないなぁ」(←生まれから東京ですけど)と思っていたら、風邪を引きました。間違いなく“冬”なようです。
こんな日に大学受験真最中の高校生の家庭教師。伝染らなかったろうな・・・?
あ、中学受験の子は3校目も落ちてしまったようです。今日の13時まで試験受けて、18時に結果が出るってのは本当に早いですね。まぁでも今になってみると中学受験の入試なんて例え記述式問題でも採点は簡単なのは分かりますけど。


ところで。
このサイト、急にリニューアルしたんですよ。簡単に言うとフレームを無くしました。(一部除く)
なんで急にこんな事したのかって言うと、なんかフレームがトップページっていうのは検索エンジン的には非常にマイナスらしいんですね。
それに先月の21日に、

今月の3日にこんな事を書きました。

現在googleで“kasa”という単語で検索すると約11100件ヒットする。このサイトは長らく120件目くらいで低迷していたのだが、今日調べたら77件目まで上がっていた。10件目までに入るようになったら大した物だと思う。というわけでindexページのmetaタグを少し弄ってみた。多分もう少しは上がるだろう。

今日、何気なく検索してみたら何と、11000件中7件目に出て来た。びっくりした。タグをきちんと定義するって大切なんですね。


とか書いてたのに、今はなんと「KASA」ではヒットしません。(これはグーグルダンスの影響か?)
これは寂しい。
しかもですよ、googleってのは各サイトを“ページランク”という基準で10段階に格付けしているんですが、このサイトのランクは2。(←低い)
「なんじゃこりゃ。これはきっとフレームの所為だ。そうだ、そうに違いない」という事で、フレームの廃止が決定しました。

フレームは元々、対応してないブラウザ(携帯電話とか)だと見れないという欠点が有った訳ですが、しかしメリットがかなり大きい訳ですよ。僕が結構好きなのは、“全てのコンテンツを把握しやすい”という事と“どのページを見ていてもメニュー画面が動かない”という事の2点。という事で、リニューアルするに当たり、この辺のメリットを如何に損なわずに出来るか、という事が最大のポイントでした。
まぁ、結果がコレ(ページ最上段)です。イマイチ地味かも知れないですけど、結構知恵を絞ったんですよ。試しに他のページ(BBSとフレーム版以外)に跳んでみて下さい。どうですか?
「ページを下にスクロールしたら動くじゃねーか」ってのは勘弁して下さい。

付きましては、このリニューアルに関しての感想を聞かせて下さい。TOPページにアンケート用のcgiを設置しましたので。
選択肢の中の「教えたくない」は冗談のつもりだったんですが、早速票が入ってますね。良いですね。どんどんお願いします。多分複数投票は出来ないので、そこは気を付けて下さい。

今までのフレーム版に慣れているって人は、そちらにブックマークの変更をお願いします。ただ、これからは僕はフレーム無しの方を基準に更新していくので、何か不都合が出るかも知れません。っていうか、リニューアルしたばかりなんで何処かに出てると思います。その場合は是非メールでお知らせ下さい。

では明日からまたいつも通り。


このリニューアルに掛かった時間。
構想30時間・着工10時間。


今日今日のアクセス数/昨日昨日のアクセス数/累計累計のアクセス数
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